第1話 残念、ハズレだ
日光も新鮮な空気も届かない密室には、饐えたような臭いが充満していた。
ここに繋がれて何日経ったのかも分からない。
鎖に繋がれた腕は既に感覚がない。
女は絶望の中にいた。
行商人の護衛任務を請け負ったが、森の街道で待ち伏せを受けた。
腕力には自信があった。
だが、数に負けた。
今、彼女に残っているのは、痛みを感じる感覚だけだった。
叫ぶ体力も、抵抗する意志も、もはやどこにもない。
助けは来るのだろうか。冒険者組合が行方不明に気付くまでには、時間がかかる。
女は既に諦めていた。
ふいに、扉が開く音がした。
低い奇声と、何かが殴り飛ばされる鈍い音。
女が薄れる意識の中で顔を上げる。
そこにいたのは、助けではなかった。
黒い外套を纏った、黒醜人だった。
†
勇者が魔王を倒したところで、この世界の地獄が終わったわけではない。
そんな救いようのない現実を、俺は知っている。
実際、平和になってもらっては賞金稼ぎの仕事がなくなるので困るんだがな。
「ん?ちょっと止まってくれー」
俺は先頭の御者に声をかけ、馬を止めた。
ここは街から2日程の距離にある深い森の中の街道。
俺の合図に、後ろに続く圃矮人の商団の荷馬車が止まった。
「何かありました?」
御者が不安そうに問いかけてくる。
「あぁ、待ち伏せだ」
俺は馬から降り、足元に落ちていた枝を拾い上げた。
左手で剣の鯉口を切り、そのまま戻す。
独特の「パチリ」という音を響かせた。後方、最後尾である三台目の荷馬車から金属を叩く音が返ってきた。
相棒も準備はいいらしい。
俺が前方の虚空へ枝を放り投げる。
何もないはずの空間で枝の軌道が変わった。仕掛けられた糸に触れたのだ。
直後、街道の両脇から矢の雨が降り注ぎ、矮鬼どもが姿を現した。
その数、五。
「残念、ハズレだ」
俺は剣を抜く勢いをそのままに、一匹の首を飛ばした。
他の矮鬼が俺に気付くが、遅い。
更に一歩踏み込みながら腰を落とし、左の肘を出す。
二匹目の顔面が拉げ、吹き飛ぶ。
その間に振り抜いた勢いを利用して、右手の剣を逆手に持ち替えながら、更に一歩。
右手を前に出しながら三匹目の頸動脈を撫で斬る。
そのまま右腕を畳み、肘で四匹目の顎を殴打。
顎が砕けた感触を確認し、矮鬼を右足で押し蹴る。
蹴り出した右足を地面に付き、そのまま重心を乗せ、一瞬力を溜めた後、飛ぶようにして左脚を蹴り出す。
蹴り脚が五匹目の喉元に入ったまま、後方にあった木に矮鬼を叩きつけた。
首の骨が折れるくぐもった音が響く。
一掃するのに、1分もかからなかった。
「終了っと……」
剣に着いた血を布で拭き取り、鞘に収める。
パチリという音の後に、再び後方からガンガンという音。
「後ろも完了らしい。さ、出発だ」
俺は何事もなかったように馬に跨る。
「強い……」
呆然とする商団の代表ピュートに、俺は鼻で笑って返した。
そもそも、なぜ俺がこんな「しがない護衛」の仕事をしているのか。
数日前の、いつもの酒場でのやり取りを思い出す。
『ガルの腕前なら、軍の剣術師範にでもなれるだろ』
馴染みの酒場の大将はそう言ったが、俺は真っ平ごめんだ。
俺にはスリや泥棒をやっていた犯罪歴がある。それに何より、世界の平和だの何だのと言われるのは都合が悪い。
飯が食える程度に治安が悪い方が、俺たち賞金稼ぎにとっては都合がいいのだ。
相棒のグローが持ち込んできたのは、商団の護衛と、その先にある巨人の討伐依頼だった。
移動費を浮かせるための抱き合わせ依頼。
酒場で美味いエールを飲みながら決めた「ビジネス」に過ぎない。
「複数相手に一人で突っ込むなんて、見た事ない……」
「敵が複数の場合、先手必勝。瞬時に1体を派手に倒す事で、相手を怯ませる。手早く片付けるには打って付けだ」
「剣士であり格闘家なんですね?」
ピュートは何とも面白い事を言う。
「ハハハ、そんな大それたもんじゃないよ」
「でも、剣で倒したのは最初の1匹だけですよ?」
「リーチの問題だよ。あれだけ密集した近接戦闘だと、剣を振るうより肘や膝の方が取り回しやすい」
「今まで格闘家はある程度見た事がありますが、あの動き方は初めて見ました」
「師匠はいるが、剣術と合わせたのは俺自身のオリジナルだ。我流ってやつだよ」
ピュートが尊敬の眼差しを向けてくるのを背中で感じる。
「ハハハ!1対複数をこなせない奴は賞金稼ぎなんて出来ないぜ。稼ぐためには、少人数で支払いのいい依頼をこなさないとな」
「しかし、安心しました」
小さく溜息を吐くピュート。
「だから言ったろ?後悔はさせないって。ま、今日の夜辺りは警戒しないとな」
「え?」
「あいつら、俺達は5匹しか見てないが、後方のグローも何匹か倒した筈だ。合わせたら10匹前後だろう。それなりにデカい群れの実働部隊と見て間違いない。1匹逃がしたしな」
「逃がした!?」
「顎を砕いてやった奴だよ。わざと逃がしたんだ」
「どうして!?また襲われるかもしれないじゃないですか!!」
ピュートが悲鳴に近い声を上げるが、俺の笑みは止まらない。
「こいつら、装備が整いすぎている。わざと逃がして、巣まで案内させるのさ」
顎を砕かれた矮鬼が、必死の形相で森の奥へと這っていく。
「ゴブリンなんざ雑魚中の雑魚。金にならないからいつもなら見逃すんだがな」
俺は森の奥を見据えながら、静かに付け加えた。
「……巣の中に、まだ生きてる人間がいるかもしれないからな」
久々に偵察らしい働きが出来そうだ。
今の俺の笑顔はそれはそれは邪悪なものだろう。




