24話 教皇エリオドロ、種馬と邂逅する①
午前十時。鐘の音と共に、礼拝堂にて祈りを捧げる。
今の儂に任されている、数少ない仕事の一つである。
真面目……というか、拘りである。教皇となってから、毎日欠かさず行っている。
民の前でやるのは年に何回かあるくらいなので、それさえこなせば問題は無い。
ろくに仕事もさせてもらえない立場。
ならばせめてこれくらいはと──日々、自分を納得させている。
「……うむ。では行こうか。ラモン、ルシアナ」
「「はっ」」
数少ない忠臣の二人を伴い、執務室へ。
遠く離れたヴァニタス闘技場から、歓声が聞こえる。
……相も変わらず、賑わっておるな。
ノヴァリス首都に煌然と佇む、カンデラ・ディヴィナ宮殿。
それが儂の住まいだ。
執務室のバルコニーから、街を眺める。
この国なりの──平穏な光景が広がっている。
少し前の事ではあるが、とても騒ぎが起きたとは思えぬ。
(……フェリクス将軍……なぜお主が? お主の代わりに死ぬべき者など、この国にはいくらでもいるというのに……)
一週間ほど前の話だ。
深夜の首都各所から火の手が上がり、戦闘が発生した。
鎮圧は無事成功──という事になっている。
実際には首都南門が突破され、マール方面への関所でも戦闘が起こった。
慰労に訪れていたフェリクス将軍をも含め、警備兵は全滅。あまりに重い失態。
国内の為政者は原因の究明と対策に追われながら、責任をなすりつけ合っている。
実に愚かしい。
ある意味、この国に相応しい者達ではある。
(……まあ、儂は部外者のようなものだがな。今はただ、フェリクスの──清廉な魂の持ち主であった彼へ、哀悼の念を)
──重苦しい話は、ここまでとするか。
どうせ考えたところで、儂に出来る事など多くはない。
呼び鈴を鳴らし、紅茶と茶菓子を用意させた。
カップは三つ。茶菓子も三人分。
執務室前で待機していた、二人の兄妹。
世間話の相手として、今日も付き合ってもらうとしよう。
「のう、ラモンよ。何か最近、変わった事はあるか?」
「最近……ですか? やはり最近ですと、フェリクス将軍についてでしょうか」
「うむ。まあ……そうであろうな。ルシアナはどうじゃ? 何か、面白い話など。おお、そうじゃ! 誰か、気になる男が出来たりはせぬか?」
「……猊下。お言葉ですが、無理に若ぶろうとせずとも。恋など不用です。職務が全てですので」
「はっは! 手厳しいのう……それではおっさんらしく、政治の話でもするか」
だが、そのように接してくれるのはルシアナだけ。
……いや、もう一人いるのか。
あいつはあいつで、色々と落ち着いて欲しいものだが。
「政治の話ですと……ああ、そうだ! エリノア王女に関して、こんな話を聞きましたよ。なんでも、侍女の二人がヴァルゲス家を訪れたとか」
「あの家は、昔からリヒトブリック王家と付き合いがあるからなあ。いつものように、商談目的だろう」
「それが……少し、変なんですよ。ヴァルゲスの屋敷周辺で働く農民の話ですが、もう十日ほど滞在しているとか」
カップに伸ばそうとした手は、ラモンの言葉により止まった。
世間話のつもりだったが……思わぬ方向に転がったな。
「……エミリオ様。個人的な意見ですが、あの若い当主──怪しいと思います。放っておくと、何か良くない問題を起こすかもしれません」
ルシアナが私の本名を呼ぶ時。
それは──何かを、本気で訴えたい時だ。
……有り得るのか?
一国の姫、それも次期女王に仕える侍女だ。
そんな存在に、危害を加えようなど──。
「ふっ。私がいくら思い悩んだところで……だな」
焼き菓子をつまみ、頬張った。
“そういう意図”があるのかは分からないが、殺人的な甘さだ。
……まあいい。どうせまた、腹の贅肉になる。
この国では時々、人が消える。
私は消えた人間の行き先を知っているが、口を閉ざしていた。
大昔から続く、ノヴァリスの悪習。
身の毛もよだつほどの生き地獄が、この国には存在する。
──なら、そんな場所で稼いだ金で建てた城に暮らしている私は……なんだ?
地獄の大悪魔か、魔王か。
結局──私もまた、この国の腐敗の一部に過ぎない。
ドアがノックされたが、こちらの返事を待たずにその人物は入室した。
グレゴル・エスカバール。
ノヴァリス教の実質的な最高責任者。それがこの爺さんだ。
ただの神学者だった私を、金と女と美食で堕落させ、傀儡に仕立て上げた悪鬼。
慇懃無礼な笑みを浮かべ、書類の束を渡してきた。
「おはようございます、猊下。こちら、ご確認を」
「うむ、おはよう」
ラモンが机から持ってきた印章を受け取り、手早く押印していく。
書類をグレゴルに渡し、話題を振る。
「のう、グレゴル。お主、ヴァルゲス家の噂は耳に入ったか? エリノア王女の侍女についてだが」
「ああ、あの噂ですね! 当主のアマンシオに確認したところ、侍女達は数日前の夜中に、屋敷を出て行ったとか。何か、急用があったのでは?」
「なるほどのう。……侍女達が出国しているか、確認はしておるのか?」
「ええ、確認しております。そのような雑事は、こちらで処理しておきますので。……そういえば猊下、ダランテ家の長男が謁見を求めていますよ」
「……ほう、ロメオが儂を尋ねに来たか。久し振りに顔が見たい、通してくれ」
「かしこまりました。それでは、失礼します」
あからさまに話題を変えられたが、ロメオも気になる。
商人である彼からは、諸国の様々な話が聞ける。
私は身だしなみを整え、応接室に向かった。
今回の手土産は、何だろうか。
前に食べた、マールの若造の所の燻製。
あれは美味かったなあ。
最近は髭など生やして偉ぶっているらしいが──どんな奴なんだろうな。




