35話 軍事大国と宗教国家①
いつものように、私は執務室で政務に励んでいた。
……いえ。今日はいつもとは違うわね。
「ははうえ、なによんでるの?」
「ん~? ……私もねえ、よく分からないのよ」
昨日私の元に届いた、エリノア王女から送られてきた書類の束。
内容としては──人身売買の被害者を救済、また被害の拡大を防ぐ機関の設立というもの。
理想としては、五カ国共同でやりたいらしく、こうやって各国に協力要請を出しているらしい。
「そうなんだ。ねえジェローム、てつだってあげて」
「もちろんです、ノエル王子殿下。……陛下。そちらの書類、エマに読んでもらいましょう」
「そうね。エマ、お願い出来るかしら?」
「あっ、はい。それでは一度、書類をお預かりしますね」
テーブルを挟んで向こう側のソファに座るエマに、書類を渡す。
私の手が空いたのを見計らって、ノエルが身を寄せてくる。
大事な一人息子の肩に手を回しながら、おでこにキスの雨を浴びせた。
普段はあまり、こういう触れ合い方をしないようにしている。
まあ、帝王学ってやつらしいけど──それって本当に効果があるのかしらね?
普通の親子みたいに接するのも違うと思うけど、最低限の愛情表現はするべき。
親から愛された記憶が無い人間が、誰かを愛せるはずもないだろうし。
そんな風に自分に言い訳をしながら、亡き夫の忘れ形見を大切に育てている。
一通り読んだのか、エマは書類をテーブルに置いた。
そのタイミングでノエルは私から離れ、姿勢を正した。
──いいわね。
我が子ながら、結構立派に育ってるじゃない。
「その書類、エリノア王女の署名があるわよね? でも、私の見立てでは、発案はあなたのお友達だと思うの。それで──スタリオン卿と同じ世界から来たエマから、彼が何を考えているのか意見が聞きたいのよ」
「はい。恐らく……この救済機関の設立という事案に関してですが、私たちの世界に存在する“人権”という概念からきていると思います」
「……ええっと、それって多分──人の権利と書いて人権って事よね?」
「そうです。今回、人間だけではなく亜人も対象とするそうなので、まあ……意思疎通が出来る存在を守っていこうという仕組み作りになるかと」
「ふむ……つまり同じ大陸に住む者同士で、共通の決まり事を定めたいという訳か」
「その通りです、ジェローム様」
人身売買を悪と定める。
被害者を保護する。
加害者を各国共通の敵とする。
──なるほど。
スタリオン卿やエマのような、神柱石で召喚された人間が国政に関わった場合。
こうやって、私たちの常識を書き換えようとするのね。
そして、エリノア王女はそれを利用する。
彼女にとっては、その方が都合がいいから。
(……やっぱり、あなた達の存在は危険。利用出来る面もあるけど、使い過ぎは毒になる)
エマについては、なるべく政治から離れた場面で知恵を借りればいいわね。
わざわざアドラーから追い出して、変に恨まれる必要は無い。
「ありがとう、エマ。参考になったわ。……さあ、ノエル。エマと一緒に遊んでらっしゃい」
「はい、ははうえ。エマ、ぼくのおへやにいこう!」
「ふふっ、ぜひご一緒させてください。それでは陛下、失礼しました」
私はノエルとエマを見送ってから、署名欄のある書類を手に取り、机に向かった。
椅子に座り、インクの入った小瓶にペン先を浸けたところで、ジェロームから声が掛かる。
「お待ち下さい、陛下。……署名なさるおつもりで?」
「ええ、そうよ。だって、アドラーは別に困らないもの。ノヴァリスの資金源を減らすには打って付けだし」
「それは……確かにそうですが……」
「まあ、心配しなくても大丈夫よ。今回は特別。ちょっと窮屈になるけど、この程度なら問題無いわ」
ただ、書類に書かれた条件の中で、気になる箇所があった。
『行方不明者の情報を各国で共有する』、というもの。
今まで、この国では邪魔な人間を始末するために、誘拐などの手段を使う事がそれなりにあった。
これからは表向き、やりにくくなる。
それでも、邪魔な人間を消す方法なんて、いくらでもある。
(エリノア王女とスタリオン卿の狙いは分かる。こうやって共通の決まり事や仕組みをどんどん作っていって、私達が動きにくい世の中を作る。自分達が有利になるまで、時間稼ぎがしたいってとこかしら)
痺れを切らしたアドラーとノヴァリスを、各個撃破する。
二人が考えているのは、多分そんな感じ。
──小賢しいったらありゃしない。
それに、そっちが手を組むなら、こちらにも使える駒はある。
爪を噛みながら思案していると、ジェロームからの視線を感じた。
「そういえば、陛下。ノヴァリス中枢にいる協力者から聞きましたよ。──エリノア王女は、侍女を誘拐したノヴァリスに対し、賠償金を請求。交渉の結果、賠償金の総額は金貨一千万枚で合意したそうです」
「……どこの馬鹿がやったのか知らないけど、厄介極まりないわね……。賠償金の一部は、当然スタリオン卿の懐にも入るんでしょ?」
「ええ、そうでしょうね。まさか、彼自身が救出に行くとは……」
ノヴァリスもリヒトブリックも、徹底的に情報を秘匿していた。
そのせいで、我が国の反応が遅れてしまったのが痛い。
状況次第では、エリノア王女に恩を売っておこぼれを頂戴することも出来たのに。
……まあ、仕方ない。
これからは、他国での諜報活動にもっと力を入れないと。
「これでリヒトブリックとマールは、大金が入ることになった。軍備増強に使われるだろうから、ジェロームもそのつもりでいなさい」
「はい。……陛下、今後はどうするおつもりで?」
「そうねえ……」
私は椅子から立ち上がり、窓際に立った。
ここからは中庭が見えて、ノエルが従者と遊んでいる様子が見えたりする。
けど今、中庭に息子はいない。
エマと一緒に、自室で遊んでいるはずだから。
「へいへい、どうしたお坊ちゃん! このままじゃ、体中が痣だらけだぜ?」
「くっ……!」
ここからでも感じ取れる、真剣な空気。
スタリオン卿と共にこの世界にやって来た、トウヤ・カラスマ。
彼は木剣を構えながら、ふざけた態度をとっている。
対するは、私の夫であるジークベルト。
刃の付いた槍を構え、遥か格上の相手に果敢に挑んでいる。
最初は噛み合わなかった二人が、今は熱心に鍛錬をしている。
正確には、トウヤがジークベルトを鍛えているみたいだけど。
あの甘ちゃん坊や、なかなか良い目をするようになったじゃない。
あれなら、ちょっとしたお使いくらいはやれそうかしら。
「まずは──あのいけ好かない王女に、玉座に座ってもらいましょうか」
あなたのことは大嫌い。
けれど、私があなたを女王にしてあげる。
王女のまま踏み潰したところで、いまいち張り合いがないもの。




