29話 その頃、マール連邦では①
朝食を食べ、朝の稽古を終えた後。
私は馬に乗りやすい服装に着替えてから、屋敷の玄関を出た。
……あまり、稽古着と変わらん気もするが。
まあいいだろう。
玄関先で、モリスが胡座をかきながら植木鉢の手入れをしていた。
立ち上がろうとする彼を手で制止し、座ったままにさせた。
「出かけてくる」
「はい。いってらっしゃいませ、グラーネ様」
門のすぐ側で、馬の手綱を握りながらブルーノが待っていた。
相変わらず、気が利くな。
「ありがとう、ブルーノ」
「お気を付けて。……ちなみに、いつ頃お帰りになるご予定で?」
「今日は、国内だけじゃなく例の植林地も見に行く。多分、夕方になるだろうな」
「かしこまりました。ピーターとカミラには、そのように伝えておきます」
「ああ、頼んだ。私の帰る時間で、料理の手順が変わったりするだろうからな」
馬に乗り、まずは海人の領地を目指す。
途中、ジンバールの領民達が手を振り、私に挨拶をしている。
速度を落とし、馬をゆっくり歩かせた。彼ら一人一人に手を振り、応える。
いつも真面目に働いていて、本当に頭が下がる思いだ。
ジンバールの領地を抜けてから、馬の腹を軽く蹴った。
走るのを我慢していたらしく、身体が大きく揺さぶられる。
ふふっ、全く……。
相変わらずせっかちだな、お前は。
心地良い風に身を任せながらも、気持ちは晴れやかとは言い難い。
理由は一つ、我が夫についてだ。
(──ソウマとマリカが出国して、十二日が過ぎた。当然だが、何の連絡も無い)
溜め息が出た。
連絡を待って気を揉んだところで、ソウマ達の助けにはならん。
こうなるのは、分かっていた事だろうに。
そんな私の弱気を見抜いたのか、愛馬は更に速度を上げる。
手綱を握り直し、少しだけ身を低くする。
(お前達を信じて、こちらはこちらでやれる事をやっているぞ)
子供達も寂しがっている。
だから、早く帰ってこい。
「あっ、グラーネさん! 丁度いいとこに来ましたね。今から始めるんで、ぜひ見て下さい!」
「どもっす。みんな頑張ってますよ!」
「ヨシト、コタロウ。ここ最近、浜辺に出ずっぱりのせいで少し焼けたか?」
海人の領地に着いてから馬を預け、浜辺に移動した。
沖に漂う船には旋回砲が取り付けられており、船から離れた海面には的が浮かんでいる。
《発明家》のヨシトと、《鍛冶師》のコタロウ。
今や二人とも、マールには欠かせない人材だ。
船の上から合図があり、固唾を呑んで見守る。
しばらくすると、大きな音が鳴った。
的を大きく外れた海面で、水しぶきが上がる。
「……ああー、外したかあ。もう一回! 砲台の状態とか、気を付けて下さいね!」
「おい、センゾウ! 砲撃の後、船に異常が無いかしっかり見といてくれよー!!」
「わーかってるって!」
他の船員に混じり、センゾウも船の上にいた。
去年まで家造りで汗を流していた男が、今は船上で声を張り上げている。
以前、ソウマの屋敷を建てる際にも頑張ってくれたな。
程なくして、二発目の砲弾が放たれた。
──おおっ。今度は的の端に当たったな。
「ふむ。風の向き、波の強さや高さ、砲台の角度……難しいのだろうな、色々と」
「そうなんですよ……計算方法が分かればなあ」
「まあとにかく記録して、経験だな! 練習用の砲弾、もうちょっと作れるようにしないとな……」
その後も訓練は続いた。
砲兵が交代しながら砲撃を続け、旋回砲に異常が出た場合を想定した取り外しや交換の訓練も行われた。
正式に海軍が創設されてからまだ日は浅いが、よくやっている。
「それじゃあ、後は任せた。私は他の場所を見に行く。あまり、根を詰めすぎないようにな」
「はい、グラーネさん。……そういえば今日、マモルは一緒じゃないんですか?」
「ああ。いつもは護衛を頼んでいるが、たまには一人で行動したくなってな」
「なるほど、気分転換ってやつですか」
「一応、気を付けてくださいね! グラーネさんに何かあったら、俺らがソウマに怒られちゃうんで」
「ははっ、覚えておこう!」
浜辺を後にして、港町カッサーナへ向かう。
朝食を済ませてから、結構経っているな。
少し早いが、どこか適当な店でも探すか。
せっかくなので、古い知り合いでもあるヴァネッサの店で食べる事にした。
あいつの店は宿屋だが、昼時は宿泊客以外にも食事を出しているらしい。
魚だらけの商店街を抜け、町の中心に。
ヴァネッサの宿に向かう途中──ある物が目に留まった。
(あの場所は確か……診療所だったか。なんだ、あの無駄に豪華な造りの荷車は)
少し考えてから、ある人物に見当が付いた。
……寄り道していくか。
診療所の門を通ると、予想通りの人物が目に入った。
玄関先に置かれたタライから、尾びれがはみ出している。
うむ。海人の族長、レイラだな。
「あら、グラーネじゃありませんの! 奇遇ですわね、こんな場所で」
「やあ、レイラ。それと……ユヅルか。町の医者に、病気や怪我の治療法を教えていたのか?」
「こんにちは、グラーネさん。それもあるんですが……疫病が起きた際の対応とかも話してました」
「ほう……。確かに、疫病は厄介だからな」
《医術》の神能を持つ彼は、リヒトブリックから亡命してきた。
ジークベルト王子の庇護下にいたが、彼のやり方に嫌気が差したらしい。
ソウマの話によると、今は血液の種類の判別方法に力を入れているとか。
よく分からんが、凄い事なんだろう。
「レイラ、キヨマサとトモエはどうした?」
「ちょっと、その辺りまでお使いに。それよりグラーネ、やっぱり彼の知識はすごいですわ! 今ちょうど、麻酔の話を聞いていましたの」
「ああ、麻酔の話か。……以前、少しだけ聞かせてもらったな。どうだ? この世界で再現出来そうなのか?」
「……どう、でしょうね。繁殖させたネズミを使って、検証を少しずつ始めています。けどやっぱり、人間と体の大きさが違いすぎて……」
時折、彼は思い詰めたような表情を見せる。
今もそうだ。
きっと、ジークベルトの元で酷いやり方を強制されていたんだろう。
それでも、自分に出来る事はこれしかないと。
彼なりに、この世界での存在価値を証明しようともがいている。
(……ふっ。何を分かった気になっているんだか)
気の利いた事は言えん。
だが、背中を押してやるくらいは出来る。
「ユヅル。お前の過去に、何があったかは聞かない。だが後悔しているなら、今後は救うためにその知識や力を使えばいい」
「……麻酔で助かった人間が、誰かを殺すかもしれません。それに麻酔そのものが、犯罪や人体実験に悪用されるかもしれません。そんなの……責任の取りようが無い」
彼の立場からしてみれば、当然の不安だ。
ソウマやコタロウ達も、悩んだはず。
やはり我々は、身勝手なのだろうか……?
「でも、助かる人間も大勢いますわ。それに、この世界は既に──召喚された人間の影響を受けて、歪みきっている。あなたがやらなくても、別の誰かがやる可能性がある。だったら、あなたがよい方向へ導くべきです」
レイラはユヅルの手を取り、優しく握った。
「……まあ、本音としては、あなたの知識で儲けたいというのもありますわ。ですが、商売は信用が第一。悪用されないよう、しっかりとした仕組みを作っていきましょう」
レイラが微笑みかけると、ユヅルの眉間の皺が薄らいだ。
まだ完全に割り切れてはいないだろう。
それも、彼の優しさゆえか。
「お二人とも、ありがとうございます。まだ答えは出ませんが、自分なりにやってみようと思います」
「何か困ったら、遠慮せず相談してくれ。……それじゃ、私は失礼させてもらうぞ。飯を食いに行く途中だったんだ」
「あら、そうでしたの。ごきげんよう、グラーネ」
診療所を出て、今度こそヴァネッサの宿へ。
あいつの飯は、なかなか人気があるらしいからな。
席が空いてるといいのだが。




