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その5

 大きな岩の角を曲がったとき、木々の間に男達の姿が見えた。私は立ち止まり、岩の陰からこっそり観察する。全部で四人いるようだ。恰幅のよい商人風の男がいらいらとした様子で、汚い身なりの髭面の男と話している。その傍には、やはり薄汚れた二人の男が、腕から血を流して地べたに座り込んでいる。シグに襲われたようだ。


 こういう人間を『ごろつき』と呼ぶのだと、今では私も知っていた。でも、おばあちゃんは敵は五人だと言ったはずだ。私は目を凝らして五人目の男を捜した。


 ――いた。


 四人から少し離れたところに、長い猟銃を持った男がかがみ込んでいる。足元には転がっているのは大きな黒い塊。シグだ。彼がシグを撃った猟師なのだ。


 猟師はシグの耳をつかみ、頭をぐいと持ち上げた。乱暴な扱いにも、狼は身じろぎもしない。次に彼は腰の鞘から小刀を抜くと、シグの喉に押し当てた。彼が何をしようとしているのか気付き、私は岩陰から飛び出した。


「やめて!」


 新たな敵が来たと思ったのだろう。男たちは皆、動きを止めて私を見た。私は猟師に駆け寄り、刃物を持った手を払いのけると、シグの身体に覆いかぶさった。


「なんだ、この娘は?」


 ごろつきの一人が戸惑った声を上げた。猟師が私の髪をつかみ、力任せにシグから引き離す。頭の皮がはがれたかと思うほどの痛みに、私は悲鳴を上げた。次に猟師は短い縄で私の手首と足首を慣れた手つきで縛り、私がもう死んだ獲物であるかのように無造作に地面に転がした。


 商人風の男が笑みを浮かべて近づいて来ると、なすすべもなく横たわっている私に甘い声で話しかける。


「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんはその魔物の仲間かい?」


 私は何も答えず、ただ男を睨み付けた。


「今日はな、その魔物を倒すのに、腕利きの猟師を探してきたんだ。でも本当の狙いはこんなケダモノじゃない。ばばあだ。お嬢ちゃんは、ばあさんがどこにいるのか知ってるかい」


 黙ったままの私に、髭面のごろつきがいらいらと口を挟む。


「魔物にさらわれてきたんじゃないのか? 助けてやったってのに、生意気な女だ。礼を言ってもらわなきゃならんのはこっちのほうだろう?」


 ごろつきは薄気味悪い笑みを浮かべて、私の身体を舐めるように眺めまわす。男の喉がびくびくと動くのが見えた。


「べっぴんじゃねえか」


 男は私の上にかがみ込み、脂ぎった顔を近づけてくる。不快な匂いが鼻をついた。これは人の臭いではない。こいつらを雇ったモノ、陰で操っているモノの臭いだ。 身動きが出来ない私は、男のひげ面に思い切り噛み付いてやった。


「いてえ!」


 男は慌てて飛びのくと、悪態をつきながら私の腹を蹴飛ばした。今までに感じたことのない激しい痛みに呼吸が出来ない。身体を二つに折り曲げて私は喘いだ。仲間のごろつき達が下卑た笑い声を上げる。


「女は後にしろ。まずは、ばばあを見つけるんだ」  


 商人風の男は私に興味を失った様子で、男達に命じた。


 負傷した二人を残し、男達は猟師を先頭に私が現れた方向へと歩き出した。私の足跡をたどれば、洞窟はすぐに見つかってしまう。蹴られた痛みで半身はまだ痺れていたが、なんとかシグに這い寄ると、私は彼の身体の上に頭を乗せた。祈るように毛皮に耳を押し付ける。しばらくして、遠くからかすかな鼓動が響いてきた。


――よかった。まだ生きていた。


 私が守らなくちゃならない。おばあちゃんも、シグも、この森も。あんな汚いケダモノみたいな奴らに好きにさせるわけにはいかない。


「シグ、どうしたらいいの?」


 シグは答えない。


 私は息を深く吸い込み、シグの心へと手を伸ばした。さっきは心に触れただけで、狼の正体に気付いたのだが、今度はもっと深いところまで潜らなくてはシグには会えないような気がした。


「シグ、シグ」


 彼の名を呼びながら、私は彼の心の奥へと沈んでいく。いつしか私は深い森の中にいた。木々の間の鮮やかな緑の中を狼が駆けていく。


「シグ、待って!」


 シグは私の姿を見ると立ち止まり、嬉しそうに微笑んだ。いつの間にか私の目の前に人間の姿でたたずんでいる。


「赤頭巾、来てくれたのですね」


「ねえ、シグ。どうしたらいいの? どうしたらあなたとおばあちゃんを助けられるの?」


「とても簡単なことですよ。私と約束してくれるだけでいいのです」


 話しながらもシグは次々と姿を変えた。人になり、狼になり、鳥になり、私の見たことのない生き物の姿にもなった。でも瞳だけは変わらない。優しくて悲しくて深い。


「何を約束すればいい?」


「これからずっと、私をあなたの傍に置いてくれると」


「シグはずっと私の傍にいたいの?」


「ええ、片時も離れることなく」


「約束するわ」


 その言葉が終わらないうちに、私は再び落ち葉の上に転がって、狼の黒い巨体を見上げていた。背筋を伸ばして凛と立つ狼の身体は、明るく輝いている。


「ああ、思っていた通りだ。リーザ、あなたは素晴らしい」


 シグは私を見下ろすと、私の頬に優しく鼻を押し付けた。


 あれ、輝いてるのはシグじゃなくて私だ。シグの身体は私から放たれた光を照り返しているのだ。森中の力が私を目指して集まってくる。ぐるぐると渦を巻いて流れ込んでくる。力でいっぱいに満たされた私の身体は、いまや太陽のように明るく森の中を照らしていた。


「おい、狼が!」


 シグが生き返った事に気付いた見張りの男が叫び声を上げた。男達が急いで駆け戻ってくる。猟師はシグを見るとにやりと笑い銃を構えた。さすがに手だれの猟師だ。落ち着き払った様子で狙いを定める。シグは一声うなると、彼に向かって突進した。


 銃声が響く。


 猟師の放った弾はシグの胸に命中し、私もそれを感じた。けれどもこんな粗末なまじないでは、誰も今の彼に傷さえつけることは出来ない。私が守っている限り彼は不死身なのだ。


 まじないの弾でも狼を倒せないのを知って、猟師の目に恐怖の色が浮かんだ。シグは彼の頬を切り裂き、手首をくわえて地面に引きずり倒した。


 私はシグと共に走り、跳ね、次々と男達に襲い掛かった。口の中に血の味を感じ、鋭利な牙が肉を裂く感触を味わった。 男達はなすすべもなく、ただ悲鳴を上げ、逃げ惑う。


 ――目が回る。


 すべてが終わったとき、私は落ち葉の上に仰向けに倒れたまま、ぼんやりと木々の梢を見上げていた。ふいに何かに視界が遮られる。真っ白い服の男がにっこりと笑っていた。


「シグ?」


 シグはかがみ込むと私の戒めを解いてくれた。


「痛かったでしょう。先に解いてあげればよかったですね」


 そっと抱き起こしてくれたシグに、私は思い切りしがみついた。縛られていた所がじんじんと痛むけど、そんな事を気にしてはいられない。


「リーザ、あなたが無事でよかった」


 シグの腕にも力がこもる。私は微笑んだ。


「やっと名前を呼んでくれたのね」


「私はあなたと契約を結んだ。だからあなたの名を呼ぶことが許されるのです」


 私の不思議そうな顔に、彼はこう付け加える。


「赤頭巾とは選ばれた娘に与えられる名です。次の魔女となる素質を持った娘だけが、持つことのできる栄誉ある称号なのです」


 ああ、だから誰も私の名前を呼ばなかったんだ。村人たちの他人行儀の理由が分かって、私はくすくす笑った。


「あなたを初めて見たとき、私はあなたが次の魔女になる女性だとすぐに気付きました」


「それでお花畑で話しかけてくれたの?」


「ええ。最初はあなたの素質に惹きつけられました。でも一緒に過ごすうちに、いつしか私はあなたに夢中になりました。いつもあの場所であなたを待ちながら、私は夢を見るようになったのです」


「どんな夢を見ていたの?」


「いつまでも、あなたの隣で森を歩いていられたら……。でも、それは叶わない夢だと私は知っていました」


「どうして?」


「あなたが次の魔女になる日が来れば、私の本当の姿を知ってしまうからです」


「嫌われちゃうと思ったのね」


「ええ、あなたが好意を持ってくれているのには気付いていました。だから、きっとあなたは私の嘘を許さないだろうと思ったのです」


 私は何も答えず、考え込むフリをした。黙り込んでしまった私に、シグが落つかなげに身じろぎする。やがて私はこう言った。


「もうシグはお花畑で待ってなくてもいいからね」


「ど、どうしてですか?」


 不安げなシグに、私は笑いだした。おばあちゃんがシグをからかいたくなる理由が分かった気がする。


「だって、これからはずっとずっと一緒にいるんでしょう?」


 彼の目がまん丸になった。私は笑いながらシグに口付ける。大好きな大好きなシグ。狼の皮をかぶってたって構わない。人間の皮をかぶったケダモノなんかより、ずっとずっと素敵なんだから。


 シグが見えない尻尾を振ったような気がした。



         ******************************

 


 気付いたら、私はおばあちゃんの小屋の中で寝台に横たわっていた。いつの間にかシグの腕の中で眠っていたらしい。


「おや、お目覚めかい?」


 笑顔のおばあちゃんが私の顔を覗き込む。


「おばあちゃん、大丈夫なの?」


「ああ、お前のお陰で命拾いをしたよ。お腹がすいただろう。すぐにお粥をよそってやるよ。いい肉が手に入ったんだ」


 肉と聞いて、先ほどの男達のことが頭に浮んだ。


「いや!」


 おばあちゃんが呆れた顔で笑い出す。


「何を勘違いしてるんだい。ウサギの肉だよ。お前の好物だろう?」


 そうだ、シグは男達にとどめを刺そうとはせず、森の奥へと追い立てたのだ。五人の男は泣き叫びながら、木々の狭間へと消えていった。情けをかけたわけではない。黒い魔法に関わった者たちに死なれては、この場所が穢れてしまう。


  この小屋より奥へはおばあちゃんでさえ入る事はできない。この先に足を踏み入れて、戻ってきた者はいないのだ。だから小道はここで止まっている。道を作った人たちも、ここまで来るのが限界だったのだ。


 森の奥に何がいるのか、何があるのか、誰も知らない。でもおばあちゃんはそこから溢れ出す力を集め、己の意志で使う事ができる。私もだ。シグとひとつになったあの時、私はそれを理解した。


「シグがね、ウサギを捕って来てくれたんだ。大きなウズラもね」


「そうです。リーザには早く元気になってもらわなければ」


 寝台の脇には、大きな狼がちょこんと座って舌をたらしている。


「あれ、元に戻っちゃったのね? 大丈夫。すぐに人の姿にしてあげるわ」


 私は自信たっぷりにシグを見つめ、そして途方にくれた。さっきはあれほど簡単に力を使えたのに、今となってはどうすればいいのかさっぱり分からない。おばあちゃんが笑いながら、お粥の入った器を私に手渡した。


「魔法ってのはそんなに甘いもんじゃないよ。さっきはね、お前の集めた力をあたしが導いてやったのさ」


 私のがっかりした様子に、おばあちゃんが慰めるように言った。


「そんな顔をするのはおやめ。お前は天分に恵まれてる。あたしがしっかりと叩き込んでやるさ。シグが男前に戻る頃には、魔女の修行だけじゃなく、花嫁修業も終わってるだろうよ」


 赤くなった私を見て、黒い狼が笑った。



 - おわり -


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