勇者パーティー24層
シルヴァが入口を確認し、五人はそのまま次の階層へ進んだ。
景色が切り替わった瞬間、肌を刺すような冷気が頬を撫でた。
そこは、氷に覆われた洞窟だった。
壁も天井も、足元に広がる岩肌さえ、ところどころが透き通った氷に包まれている。青白い光が洞窟の奥から差し込み、周囲をぼんやりと照らしていた。
「……寒っ!」
プライドが肩をすくめる。
「今度は氷の洞窟か。森の次はずいぶん冷える場所だな」
「綺麗な場所ではありますけれど……」
アナスイは周囲を見渡し、少し眉をひそめた。
「どうにも、不気味ですわね」
「不気味?」
キシリアが首を傾げる。
「ええ。ここの氷には、少し厄介な仕掛けがあるのです」
アナスイは壁に広がる透明な氷へ視線を向けた。
「この洞窟では、ときどき氷に自分の姿が映ります。ですが、その映った姿が、こちらに話しかけてくることがあるのですわ」
「……は?」
プライドが思わず聞き返した。
「氷に映った自分が、しゃべるのか?」
「ええ。しかも、ただ意味のないことを囁くわけではありません」
アナスイは慎重に言葉を選んだ。
「その声は、本人が気にしていることや、自信を失いそうになるようなことを口にするのです。まるで、こちらの心を覗いているかのように」
その説明を聞き、シルヴァも真剣な表情になった。
「精神に干渉する仕掛け、ということでしょうか……」
「詳しい原理までは分かりませんわ。ただ、聞いていて気分のいいものではありません」
アナスイは小さく息をついた。
「例えば、装備を身につけている者には『その装備は借り物のくせに、よく偉そうにできますわね』と囁いたり。勇者を目指している者には『あなたに勇者は無理ですわ』と言ったり……」
「うわぁ……。性格悪いな、それ!」
プライドが露骨に嫌そうな顔をした。
「ええ。しかも、本人が言いそうにないことまで、まるで自分自身が考えているかのような口調で囁いてきますの」
アナスイは氷の壁を見つめた。
「わたくしの場合は……『キシリアの方が美人よね』などと言われましたわ」
「…………」
キシリアが一瞬、アナスイを見た。
「……それ、氷に言われたの?」
「そうですわ」
「ふうん……」
「キシリアさん?」
「いえ、別に?」
キシリアはすぐに視線を逸らした。
アナスイは少しだけ頬を膨らませる。
「とにかく、そういうことを延々と囁いてくるのです。こちらが否定しても気にせず繰り返しますし、放っておいても耳に入ってくる。実に不愉快ですわ」
「なるほど……。相手の自信を揺さぶって、判断を鈍らせる狙いがあるのかもしれませんね」
シルヴァが考え込むように言った。
「僕の場合は、発明品が大したことないとか、ニコラ博士も僕には期待していないとか、そんなことを言われました」
「……それは、嫌な仕掛けね」
キシリアが眉をひそめた。
「ええ。もちろん、氷の中の自分が本当にそう考えているわけではありません。ですが、自分の姿をしているせいか、妙に耳に残るのです」
シルヴァは苦笑した。
「普段なら気にしないような言葉でも、何度も聞かされると、さすがに気分が悪くなりますからね」
「……面倒くさい場所だな」
プライドが腕を組んだ。
「敵が襲ってくるなら倒せばいい。でも、こんなのはどうすりゃいいんだ?」
「まずは、囁きの内容を真に受けないことですわ。それから、氷に映る自分を長く見つめないこと。わたくしたちは以前、この階層を少し進みましたが、あまり長居はしたくありませんでした」
「二十四階層はアナスイさんたちでも、途中までしか進んでいないんでしたね」
シルヴァが頷いた。
「ええ。先へ進む方法も、洞窟の全貌も、まだ把握できていません。今回は未知の部分を探ることになりますわ」
キシリアは壁に広がる透明な氷をじっと見た。
そこには、確かに自分の姿が映っている。
黒い髪に赤い瞳。薔薇の髪飾りをつけ、黒と深紅のドレスに身を包んだ、いつもの自分だった。
今のところ、氷の中のキシリアは何も言わず、ただこちらを見つめている。
「……ふん。何を言われても、私は私よ」
キシリアは胸を張った。
「こんな仕掛けに惑わされるほど、私は弱くないわ!」
「その意気ですわね」
アナスイは頷いた。
「ただし、実際に囁き始めても、無理に言い返そうとしない方がいいかもしれません。相手にすると、余計に気になってしまいますから」
「分かった。氷の中の自分に話しかけられても、無視すればいいんだな」
プライドが確認する。
「基本的には、そういうことです」
シルヴァは洞窟の奥を見た。
青白い光が続く先には、まだ見えない道が伸びている。
壁や天井の氷には、五人の姿がいくつも映り込んでいた。
誰もが、まだ何も言わない自分の幻影を見つめている。
だが、この先では、それぞれの耳元に、聞きたくもない言葉が囁かれることになるのだろう。
「……よし。気を引き締めて進みましょう」
シルヴァの声を合図に、五人は氷の洞窟の奥へと歩き始めた。
美しい青白い光に包まれた道。
その静けさの中には、まだ誰も聞いていない、もう一人の自分の声が潜んでいた。
五人が洞窟の奥へ進み始めて、しばらくした頃だった。
『キシリアの方が美人よね』
不意に、氷壁から声が聞こえた。
「……またですの?」
アナスイはちらりと壁を見ただけで、すぐに視線を戻した。
『キシリアの方が美人よね。キシリアの方が美人よね』
「はいはい。そう思うのでしたら、それで結構ですわ」
アナスイは涼しい顔で歩き続ける。
『キシリアの方が美人よね』
「……少し静かにしていただけませんこと?」
それだけ言って、彼女は再び無視した。
「……アナスイ、お前すげえな」
プライドが思わず感心したように呟く。
「何がですの?」
「いや、普通に聞き流してるからさ。俺だったら、三回目くらいで壁を殴ってるかもしれねえ」
「ふふ。相手にするだけ無駄ですわ。わたくしがどう思うかは、わたくしが決めることですもの」
アナスイは少しも気にした様子がなかった。
『アナスイさん、精神攻撃が効いてないw』
『氷さん、相手が悪かったな』
『無視が一番ってことか?』
『いや、アナスイさんだから成立してる気もするw』
「さて、先へ進みましょう」
アナスイは何事もなかったかのように歩き出した。
その一方で、シルヴァは足を止めていた。
氷壁に映る自分の姿が、こちらを見つめている。
『何もかも中途半端ですよね、僕』
「……」
『発明家を名乗っているのに、自分だけで大したものを作れたわけでもない』
『ニコラ博士に出会えたから、少しはマシになっただけでしょう?』
シルヴァの表情から、いつもの穏やかな笑みが消えた。
『エキドナに出会えなかったら、今頃どうなっていたんでしょうね』
『きっと、何者にもなれないまま、普通の人間として終わっていたんでしょうね』
「……やめてください」
シルヴァは静かに言った。
しかし、氷の中の自分は止まらない。
『本当の天才なら、誰かに出会う前から才能を発揮できるはずですよね?』
『あなたが今持っている知識も、技術も、力も。結局は周囲に恵まれたおかげじゃないですか』
シルヴァは拳を握った。
エキドナに出会ってから、自分の世界は大きく変わった。
優れた技術に触れ、発明家として学び、以前よりも強くなれた。自分一人では思いつかなかったような発想にも出会えた。
それは間違いなく、喜ぶべきことだ。
それなのに。
もし、エキドナに出会っていなかったら。
もし、自分があの環境に身を置くことがなかったら。
今の自分には、何が残っていただろう。
「……僕は」
シルヴァは言葉を詰まらせた。
「本当に、自分の力でここまで来られたんでしょうか……」
「シルヴァ?」
アナスイが振り返る。
「どうかなさいましたの?」
「……いえ。大丈夫です」
シルヴァは顔を上げ、無理に笑みを作った。
「少し、考え事をしていただけですよ」
そう答えたものの、彼の視線は一瞬だけ氷壁へ戻った。
そこに映る自分は、まだ何かを囁こうとしていた。
『ほら。自分でも否定できないんですね』
「……っ」
シルヴァは今度こそ、氷壁から目を逸らした。
「先へ進みましょう。立ち止まっていても仕方ありませんから」
いつもと変わらない口調を保とうとしていた。
けれど、仲間たちには、その声がわずかに硬くなっていることが分かった。
さらに奥へ進むと、今度はプライドが足を止めた。
氷壁に映る自分が、嘲笑うように口を開く。
『エキドナにも負けて、自慢の自信はボロボロか?』
「……あ?」
プライドの眉が跳ね上がった。
『威勢よく大剣を振り回していたくせに、結局は自分より強い奴がいると分かった途端、その程度か』
『お前は勇者になれると思っていたんだろう?』
『だが、現実はどうだ。エキドナの連中には及ばず、仲間と一緒に行動しなければダンジョンも進めない』
「……ふざけんな」
プライドは低い声で吐き捨てた。
『結局、一人じゃ何もできないからパーティーを組んでいるんだな』
「うるせえよ!」
プライドが氷壁を睨みつけた。
「一人で何でもできる奴なんて、そうそういるかよ! 仲間と組むのが悪いことみたいに言ってんじゃねえ!」
大剣の柄を握る手に力がこもる。
エキドナの実力が自分の想像を超えていたことは、プライド自身が一番よく分かっていた。
装備の性能も、技術も、戦闘経験も。自分にはまだ足りないものがある。
だからこそ、強くなろうとしているのだ。
それなのに、氷の中の自分は、そんな努力まで嘲笑ってくる。
『そうやって怒ることしかできないのか?』
「黙れ!」
プライドは大剣を持ち上げかけた。
「プライド、待ってください!」
シルヴァが慌てて声をかける。
「氷を攻撃しても、何が起きるか分かりません!」
「……っ、分かってるよ!」
プライドは舌打ちし、剣を下ろした。
「こんなもん、まともに相手してられるか!」
そう言いながらも、その表情は先ほどまでより険しくなっていた。
『プライドさん、かなり刺さってるな……』
『言い返せてるけど、嫌なところを突いてくる』
『強くなりたいと思ってるからこそ、腹が立つんだろうな』
『壁を壊したくなる気持ちは分かる』
「コメントまで余計なことを言うな!」
プライドが配信カメラへ怒鳴った。
「お前らも、あとで覚えてろよ!」
「視聴者にまで当たらないでくださいよ……」
シルヴァがため息をつく。
そのとき、少し後ろを歩いていたジャスティスが、ふと足を止めた。
彼の目の前にも、氷壁があった。
そこに映る自分は、剣を携え、いつものように胸を張って立っている。
だが、その口から出てきた言葉は、ジャスティスが予想していたものとは違った。
『お前は、転生者として恥をさらしてばかりじゃないか』
「……え?」
『せっかく別の世界に生まれ変わったのに、何か大きなことを成し遂げたのか?』
『勇者になったわけでもない。世界を救ったわけでもない』
『お前はいつまで、自分を特別な人間だと思い込んでいるつもりだ?』
ジャスティスは剣の柄を握りしめた。
『立派な詠唱を考えて、格好をつけて。それで何が変わった?』
『結局、お前は何者にもなれていない』
「……うるせえよ」
小さな声だった。
いつものように大声で言い返すことも、気取った台詞で笑い飛ばすこともできなかった。
『この世界に来た意味なんて、あったのか?』
ジャスティスは唇を噛んだ。
異世界に転生した。
前世とは違う人生を得た。
だからこそ、何かを成し遂げたいと思っていた。
勇者を名乗るのも、格好いい詠唱にこだわるのも、ただ目立ちたいからという理由だけではない。
いつか本当に、胸を張って自分を勇者だと言えるようになりたかった。
けれど、今の自分はどうだろう。
Aランク冒




