黒いイフリート
# 第2話「いつものボス攻略……のはずだった」
ダンジョン配信は、いつもどおりの調子で始まった。
今回の配信メンバーは、マドカ、ナナリー、アリシア、リゼット、ニコラの五人。
配信開始から間もないというのに、画面の向こうではすでに大勢の視聴者が集まっていた。トライアングルの配信は毎回人気が高く、ダンジョン攻略ともなれば、同時視聴者数は万単位に達する。
そんな配信の冒頭で、マドカは大きく伸びをした。
「いやー、やっぱりここまで来るのも慣れたねー!」
「そうね。以前はそれなりに苦労したものだけれど、今ではずいぶん楽になったわ」
リゼットが落ち着いた様子で答える。
「というか、マドカちゃんが強くなりすぎたんですよ!」
ナナリーが苦笑した。
「普通、三十階のボスまで一人で倒せるようになったら、十分すごいことなんですからね?」
「えー? でも、もう普通に倒せるし?」
「その『普通』の基準がおかしいのよ」
リゼットが即座に突っ込む。
マドカは不思議そうに首を傾げた。
「そうかなー?」
「そうだよ~。マドカちゃん、最近はダンジョンもつまらないって言ってたもんね~」
ニコラがのんびりと口を挟んだ。
「だって、もう三十階まで来ても、あんまり困らないんだもん!」
「それなら、今日は新しいことが起こるといいわね」
アリシアが微笑みながら言った。
「まあ、いつもどおりなら、ボスを倒して終わりでしょうけど」
「そうそう! 今日はいつもどおりでいいんだよ!」
マドカは元気よく頷いた。
その言葉に、リゼットがじろりと視線を向ける。
「……あなた、さっきまで退屈だと言っていなかったかしら?」
「だって、荷物持つの面倒なんだもん!」
「は?」
「いや、ほら! いつもみたいに素材をいっぱい拾ったら、持って帰るの大変じゃない? だから、みんなで来てるんだよ!」
マドカは、さも当然といった顔で言い切った。
ナナリーが思わず額に手を当てる。
「……私たち、荷物持ち要員だったんですか?」
「違うよ! みんなで楽しく攻略するためだよ!」
「今、明らかに荷物の話をしていたでしょう」
アリシアの冷静な指摘に、マドカは視線をそらした。
「えへへ……」
「笑ってごまかさないの」
リゼットがため息をつく。
そのやり取りに、コメント欄が賑やかに流れ始めた。
『始まったwww』
『マドカちゃん、荷物持ちを連れてきたのかよw』
『三十階のボスを一人で倒せる人の発言とは思えない』
『ナナリーさん、頑張って……』
『リゼット様のツッコミが今日も冴えてる』
『攻略より素材集めが目的なの草』
「ほら、視聴者さんたちも分かってくれてるよ!」
「どこをどう読んだらそうなるのよ……」
リゼットは呆れたように首を振った。
ともあれ、五人はいつもどおりの調子でダンジョンを進んでいった。
途中で現れる魔物も、今となっては大した脅威ではない。マドカが先行して敵を倒し、ナナリーとアリシアが周囲を確認し、リゼットが全体を見渡しながら必要に応じて指示を出す。ニコラも慣れた様子で一緒に進んでいた。
やがて、一行は三十階のボス部屋の前に到着した。
「はい、到着ー!」
マドカが両手を広げる。
「ここが今日の目的地だね!」
「目的地というより、いつもの通過点という感じだけれどね」
リゼットが苦笑する。
「それじゃ、さっさと倒して帰ろうか!」
「マドカちゃん、もう少しボス戦を楽しみましょうよ……」
ナナリーが呆れたように言った。
「えー? だって、いつものボスだよ?」
「まあ、そうなんだけど……」
ナナリーも否定しきれない。
何しろ、五人にとって三十階のボス攻略は、すでに何度も経験したおなじみの作業に近いものになっていた。
「では、行きましょうか」
アリシアが扉へ手を伸ばす。
重い扉がゆっくりと開き、広大なボス部屋が姿を現した。
そして、その中央に立っていたのは――。
「……ん?」
マドカが足を止めた。
いつもなら、そこにいるのは燃え盛る炎をまとった巨大な魔物、イフリートだ。
しかし、今回の個体は違った。
全身を覆う炎は、赤や橙ではない。
黒。
まるで光そのものを焼き尽くすかのような、暗く不気味な炎が、巨大な身体の周囲で揺らめいていた。
その奥で、二つの赤い眼光が五人を見据えている。
「……え?」
ナナリーが目を丸くした。
「イフリート……ですよね?」
「姿は同じに見えるけれど、炎の色がまったく違うわね」
アリシアが慎重に観察する。
ニコラも首を傾げた。
「う~ん? 黒い炎のイフリートなんて、初めて見るよ~」
「ちょっと待って。こんなの、今までいたっけ?」
マドカがリゼットを振り返る。
「少なくとも、私が把握している通常のボスとは違うわね」
リゼットの表情からも、普段の余裕がわずかに消えていた。
配信画面には、黒い炎をまとったイフリートの姿が大きく映し出されている。
そして、視聴者たちもその異変に気づき始めていた。
『えっ、何あれ!?』
『イフリートの色が違うんだけど!?』
『黒い炎って何だよ!?』
『新種か!?』
『三十階のボスって、こんな見た目だったっけ?』
『待って、普通に怖いんだけど』
『トライアングルの配信で初めて見るぞ、こんなの!』
『キシリア:えっ!? ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あれ、何なの!?』
『プライド:おいおい……ボスまで変わってんのかよ』
『ジークフリート:む……通常のイフリートとは異なるようだな。これは見逃せん……』
いつもは余裕のあるキシリアも、画面の前で明らかに動揺していた。
プライドはボスの変化に驚きつつ、これまでの攻略難易度を考えているようだった。
一方のジークフリートは、まだ自分では最終地点まで到達していない。それでもエキドナの配信を欠かさず追っている彼は、画面に映る新たな魔物を見逃すまいと注目していた。
黒い炎のイフリートが、大きく咆哮する。
黒炎が一気に燃え上がった。
「来るわよ!」
リゼットの声と同時に、黒い炎が床を這うように広がった。
「うわっ! 炎まで違う!」
マドカが跳び退く。
通常の炎よりも暗く、視認しづらい。しかも、床を走る黒炎は予想以上の速度で広がり、五人の立っていた場所を飲み込んだ。
「見た目だけじゃないわね。攻撃の性質も違うみたい!」
アリシアが距離を取りながら叫ぶ。
「まずは動きを確認しましょう!」
ナナリーが魔法を放ち、イフリートの注意を引きつける。
その隙に、マドカが一気に距離を詰めた。
「よーし! いつもと違うなら、いつもより強く殴ればいいんだよね!」
「理屈が大雑把すぎるわ!」
リゼットの突っ込みが飛ぶ。
マドカの攻撃が黒炎のイフリートを捉えた。
鈍い衝撃音が響き、巨体がわずかに後退する。
「おっ、効いてる!」
しかし、イフリートはすぐさま反撃に転じた。
腕を振るうと、黒い炎が巨大な刃のように伸びる。
「マドカちゃん、右です!」
ナナリーの声に反応し、マドカは身をひねって回避した。
黒炎の刃が床を切り裂き、石畳に深い傷を残す。
「うわー! これ、普通のイフリートより強くない!?」
「攻撃の威力も上がっているようね!」
アリシアが魔法を重ね、イフリートの動きを牽制する。
リゼットも攻撃の隙を見極め、確実にダメージを積み重ねていった。
ニコラは戦況を観察しながら、黒炎の動きに注意を向けていた。
「黒い炎は、普通の炎より広がり方が速いみたいだね~。それに、消えるまでの時間も長いよ~」
「なるほど……。攻撃を受けるだけでなく、残った炎にも注意する必要があるわね」
リゼットが頷く。
黒炎のイフリートは、通常個体よりも明らかに強かった。
攻撃の威力も高く、炎の広がり方も厄介だ。
それでも、五人の連携は崩れなかった。
マドカが前線で攻撃を引き受け、ナナリーとアリシアが援護する。リゼットが全体を見ながら隙を作り、ニコラも状況を見極めて支援に回る。
そして、最後の一撃を放ったのはマドカだった。
「これで終わりだよーっ!」
強烈な一撃が黒炎のイフリートを捉えた。
巨体が大きく揺らぎ、まとっていた黒い炎が一斉に吹き散らされる。
やがてイフリートは膝をつき、そのまま床へと崩れ落ちた。
黒い炎が消えていく。
ボス部屋に、静寂が戻った。
「……ふう。倒せたね!」
マドカが拳を握る。
「倒せましたけど……普通のイフリートより、かなり強かったですよね?」
ナナリーが息を整えながら言った。
「ええ。攻撃の威力も、炎の性質も違っていたわ」
アリシアも頷く。
「これは、記録しておいたほうがよさそうね」
リゼットの言葉に、マドカがぱっと顔を上げた。
「あっ! そうだ! モンバトでデータ化しよう!」
マドカはさっそく、倒したイフリートのデータを登録した。
画面に表示された情報を確認し、五人は顔を見合わせる。
「うん。やっぱり、通常のイフリートとは別のデータになってるね!」
マドカが配信画面にも見えるように表示を調整した。
視聴者たちにも、黒炎のイフリートのデータがはっきりと映し出される。
通常のイフリートとは異なる名称と姿が記録されており、別個体であることは一目瞭然だった。
『本当に別データだ!』
『見た目だけの違いじゃないのか!』
『黒炎のイフリート……? こんなの初めて見たぞ』
『データまで残ってるなら、間違いなく新しい個体だな!』
『キシリア:ウソでしょ!? こんなの、今まで一度も見たことないんだけど!?』
『プライド:マジかよ……ここが最難関なんだろ? さらにこんなのまで追加かよ……』
『ジークフリート:なるほど……記録まで残るのか。これは攻略を考えるうえでも重要な資料になりそうだな』
「えへへ。珍しいデータが手に入っちゃったね!」
マドカは満足そうに笑った。
「性能はどうなのかしら?」
リゼットが画面を覗き込む。
「えーっと……。通常のイフリートより強いけど、カードの数値はそこまで高くないね?」
マドカは表示を確認しながら首を傾げた。
「実際に戦った感覚では、かなり強かったんだけどね~」
ニコラも不思議そうに呟く。
「カードの能力値と、実際の戦闘での厄介さは別なのかもしれませんね」
アリシアが表示を見ながら言った。
「ただ、まだこの個体が出現する条件も分からないわ。カードの数値だけで価値を判断するのは早いでしょうね」
リゼットの言葉に、マドカは少し考え込んだ。
「そっか……。じゃあ、これは売らずに取っておこう!」
「最初は売るつもりだったんですか!?」
ナナリーが思わず声を上げる。
「だって、いつでも手に入ると思ったんだもん!」
「その『いつでも』が、まだ確認できていないでしょう?」
リゼットが呆れたように指摘した。
「あっ、そっか!」
マドカはあっさり納得した。
「じゃあ、黒いイフリートのカードは記念に保管! 弱いカードでも、今しか手に入らないかもしれないしね!」
『いや、判断が軽いw』
『新種のボスを倒した直後に売却を考えるなw』
『キシリア:そうよ! 今は取っておきなさいよ! あとから欲しくなっても知らないんだから!』
『プライド:お前、さっきまで売る気だったのかよ……』
『ジークフリート:入手条件が判明していない以上、保管しておくのが妥当だろうな』
黒炎のイフリートのデータを確保したことで、五人はひとまず目的を果たした。
「さて、あとはいつもの報酬を回収して帰ろうか!」
マドカが元気よく言った。
「そうね。今日は予想外の収穫もあったし、十分でしょう」
リゼットも頷く。
そのときだった。
ボス部屋の中央に、まばゆい光が集まり始めた。
「……ん?」
マドカが振り返る。
光が収まると、そこには巨大な宝箱が出現していた。
「えっ!? 何あれ!?」
ナナリーが声を上げる。
普段のボス報酬とは比べものにならないほど大きな宝箱だった。
金色の装飾が施され、蓋には精巧な模様が刻まれている。周囲には淡い魔力の光が漂い、いかにも特別な報酬が入っていそうな雰囲気を放っていた。
「わああ! すごい宝箱!」
マドカの目が輝いた。
「こんなの、いつもの報酬では見たことがありませんわね……」
アリシアも驚きを隠せない。
「う~ん。これは何か特別な条件を満たしたのかな~?」
ニコラが興味深そうに近づいた。
コメント欄も一気に騒がしくなる。
『なんだあの宝箱!?』
『でかすぎるだろ!』
『レア報酬確定演出!?』
『黒いイフリートを倒したからか!?』
『キシリア:えっ!? 今度は宝箱まで!? いったい何が起きてるのよ!?』
『プライド:おいおい……今日は何なんだよ、本当に』
『ジークフリート:ボスの変化に続いて、報酬まで変わったのか……?』
「これは開けるしかないよね!」
マドカは宝箱の前に立った。
「ちょっと待って。念のため、罠がないか確認してからにしましょう」
リゼットが慎重に声をかける。
「えー? こんなに豪華な宝箱だよ? 罠なんてあるわけないじゃん!」
「その考え方が危ないのよ」
「大丈夫、大丈夫!」
マドカは自信満々に蓋へ手をかけた。
「じゃーん! 何が入ってるのかなー!」
勢いよく蓋が開く。
中に収められていたのは、きらきらと輝くアクセサリーだった。
美しい宝石が埋め込まれた首飾り。装飾は精緻で、ひと目で高価な品だと分かる。
「うわああ! レアアクセだ!」
マドカが歓声を上げた。
「本当に特別な報酬だったんですね!」
ナナリーも目を輝かせる。
「ちょっと待って。まずは罠がないか、もう一度確認しましょう」
リゼットが念を押した。
「はーい!」
返事だけは元気よく、マドカは首飾りに手を伸ばした。
そして、そのまま宝箱の中から取り出す。
カチリ。
小さな音がした。
「……え?」
リゼットの表情が変わった。
宝箱の底に、見覚えのない魔法陣が浮かび上がっている。
「マドカ、離れなさい!」
「へ?」
次の瞬間、宝箱の周囲に魔法陣が走った。
床が大きく揺れる。
「うわっ!? 何これ!?」
「罠ですわ!」
アリシアが叫んだ。
床の一部が、音を立てて開いていく。
「ちょっと待ってええええ!?」
マドカの足元が消えた。
続いて、ナナリー、アリシア、リゼット、ニコラの立っていた床までもが崩れ落ちる。
「きゃああああっ!」
「うわあああっ!?」
「ちょ、ちょっと! こんなの聞いてないわよ!」
「わ~! 落ちる落ちる~!」
五人の悲鳴が、ボス部屋に響き渡った。
配信画面は大きく揺れ、視聴者たちのコメントが一斉に流れ始める。
『ええええええ!?』
『落とし穴!? 罠だったのかよ!?』
『レアアクセにつられたwww』
『リゼット様の忠告を聞けwww』
『キシリア:ウソでしょおおお!? なんで罠まであるのよおおお!?』
『プライド:マジかよ……ボスを倒したあとまで罠かよ!?』
『ジークフリート:なっ……!? これは、いったいどこへ――!?』
五人の姿が、暗闇の中へと消えていく。
やがて、配信画面に映し出されたのは、見知らぬ場所だった。
そこは、今まで何度も訪れた三十階のボス部屋ではない。
薄暗い通路。
見慣れない岩壁。
そして、その先に続く未知の空間。
マドカは地面に座り込んだまま、ゆっくりと顔を上げた。
「……えーっと?」
ナナリーも周囲を見回す。
「ここ……どこですか?」
アリシアが立ち上がり、周囲の様子を確認する。
「少なくとも、今までのボス部屋ではないわね……」
ニコラは壁を見つめながら、のんびりと呟いた。
「う~ん……。なんだか、知らない場所に来ちゃったみたいだね~」
そして、リゼットは周囲を警戒しながら、静かに結論を口にした。
「……どうやら、私たちは三十階の先に来てしまったようね」
配信画面には、五人の困惑した顔が映し出されていた。
コメント欄は、もはや収拾がつかないほどの騒ぎになっていた。
『はああああ!?』
『三十階の先!?』
『待って待って待って! ダンジョンって三十階までじゃなかったの!?』
『隠し階層ってこと!?』
『キシリア:ウソでしょ!? ありえない! なんで増えてんのよ!?』
『プライド:マジかよ……ここが最難関なんだろ? さらに追加かよ……』
『ジークフリート:なんと……三十階で終わりではなかったのか?』
誰も知らなかった、三十一階。
そして、そこへ至る条件も、出現した黒炎のイフリートの正体も、五人にはまだ分からない。
ただ一つ確かなことがある。
いつもどおりのボス攻略で終わるはずだった配信は、今この瞬間、誰も予想していなかった大事件へと変わってしまったのだった。




