罠
森へ入ってから、しばらく歩いた。
アリシアはカイとミナの後ろをついていきながら、周囲を見回していた。
これまで一人で森へ入ったときとは、少し感覚が違う。
前を歩く二人がいるだけで、不思議と安心できた。
「この辺りなら大丈夫だよ」
カイが振り返って言う。
「魔物もそれほど強くないから」
「そうなんですね」
アリシアは素直に頷いた。
昨日までなら、森に入るだけでも緊張していた。
けれど今日は仲間がいる。
困ったことがあれば助けてもらえるし、冒険者としての動き方も教えてもらえるかもしれない。
「アリシアは後ろを見ててくれればいいから」
「わかりました」
「もし危ないと思ったら、無理に戦わなくていいよ。逃げてくれればいいから」
「はい!」
その言葉に、アリシアは少しだけ安心した。
やはり、この二人は親切なのだろう。
そう思った。
そのとき――。
「来たぞ!」
カイが叫んだ。
前方の茂みから、ゴブリンが数匹飛び出してきた。
「……!」
アリシアの身体が強張る。
昨日の光景が頭をよぎった。
剣を握る手に力が入る。
「アリシア、下がって!」
「は、はい!」
カイとミナが前へ出た。
剣と短剣が閃き、ゴブリンを次々と倒していく。
「すごい……」
昨日、自分があれほど恐怖した相手を、二人は迷うことなく倒している。
アリシアは少し離れた場所から、その戦いを見つめていた。
自分も、いつかあんなふうに戦えるようになりたい。
そう思った。
だが、その直後だった。
「……え?」
背後から、物音がした。
振り向く。
そこには、別の魔物がいた。
「――っ!」
アリシアは息を呑んだ。
目の前の魔物が、こちらへ向かってくる。
「カイさん!」
叫んだ。
けれど、カイは前方のゴブリンと戦っていてこちらを見ていない。
「ミナさん!」
返事がない。
魔物が迫ってくる。
「いや……!」
剣を抜こうとする。
けれど、手が震えた。
昨日と同じだ。
怖い。
身体が動かない。
「来ないで……!」
魔物が襲いかかる。
アリシアは反射的に身を引いた。
足がもつれる。
そのまま地面へ倒れ込んだ。
「っ……!」
視界が揺れる。
魔物が目の前まで迫ってくる。
助けを呼ばなければ。
そう思った。
けれど、声が出ない。
恐怖で身体が固まってしまう。
次の瞬間――。
何かが視界を横切った。
魔物が倒れる。
アリシアは何が起きたのかわからないまま、その場に崩れた。
「……たす……け……」
そこで意識が途切れた。
◇
「……予定通りだな」
カイが周囲を確認する。
先ほどまでの戦いとは違い、その声には緊張感がなかった。
ミナも倒れたアリシアを見下ろしながら、ため息をつく。
「思ったより簡単だったね」
「まあ、あれだけ怖がりならな」
二人は周囲に誰もいないことを確認すると、アリシアの荷物を調べ始めた。
「服も悪くない」
「やっぱり、そこそこ金持ってそう」
「それに……これ」
カイがアリシアの指にある指輪を見つけた。
「結構いいものじゃない?」
ミナが覗き込む。
「本当だ。売ればそれなりになるんじゃない?」
「こいつ、見た目もいいしな」
カイはアリシアを見る。
そこに心配する様子はない。
これから助ける仲間を見る目でもなかった。
「予定通り、裏道から運ぶぞ」
「馬車は?」
「少し先で待たせてる。いつもの場所まで運べば、あとは向こうがやってくれる」
「報酬、ちゃんともらえるかな?」
「そこは大丈夫だろ」
二人は、気を失ったアリシアを運ぼうとした。
そのときだった。
「――へえ」
森の奥から、少女の声が聞こえた。
「そういうことだったんだ」
カイとミナの動きが止まる。
「……誰だ?」
木々の陰から、マドカが姿を現した。
その隣にはリゼットもいる。
「マドカ……?」
カイが警戒する。
「アリシアの知り合いだよ」
マドカは倒れているアリシアを見る。
「知り合い……?」
「うん。ギルドで会ったの」
マドカは、少しだけ眉を寄せた。
「それよりさ」
視線をカイとミナへ向ける。
「今、何の話してたの?」
「何って……」
「アリシアをどこかに運ぶって話」
カイの顔が強張った。
「違う。こいつは魔物に襲われて気を失っただけだ」
「そうなの?」
マドカがリゼットを見る。
「ええ。嘘ね」
リゼットは即答した。
「二人は意図的に彼女を気絶させた。そして、別の場所へ運ぶつもりだったようね」
「証拠はあるのか?」
カイが強気に言い返す。
「あるよ」
マドカは懐から小さな魔道具を取り出した。
「記録してたから」
「……は?」
「全部ね」
カイとミナの顔から、一気に血の気が引いた。
魔道具には、二人がアリシアを罠にかけたところから、その後の会話まで記録されている。
言い逃れはできない。
「くそっ!」
カイが背を向けた。
「逃げるよ!」
「待ちなさい」
リゼットが静かに手を上げる。
次の瞬間、二人の身体が地面へ押しつけられた。
「な、なんだこれ!?」
「魔法よ」
「ふざけんな!」
「ふざけているのはあなたたちでしょう」
リゼットは冷たい声で言った。
「新人冒険者を狙っていたのは、あなたたちだけではないのでしょう?」
二人は答えなかった。
それだけで十分だった。
マドカは倒れているアリシアのところへ駆け寄る。
「アリシア、大丈夫かな……」
抱き起こしてみる。
幸い、命に関わるような怪我はなさそうだった。
「……しかし」
リゼットがアリシアを見る。
「この子、普通の新人冒険者ではないかもしれないわね」
「そうなの?」
「服もそうだけれど、この指輪もかなり良い品よ」
マドカも指輪を見る。
「へえ……」
「家柄のある子なのかもしれないわ」
「でも、今は寝てるし」
マドカはアリシアを抱え直した。
「起きてから考えればいいよ」
「そうね」
マドカは少しだけアリシアの顔を見る。
「知り合いだもん」
それだけ言って、アリシアを抱えたまま歩き始めた。
その背後では、拘束されたカイとミナが冒険者ギルドへ連行されていく。
今回の調査は、新人冒険者を狙った犯罪の実態を明らかにするためのものだった。
これまで疑わしい話はいくつもあった。
けれど、確かな証拠がなかった。
今回の記録が、その証拠になる。
そしてそれは、マドカとリゼットにとっても大きな実績となるはずだった。
「ねえ、リゼットちゃん」
「何?」
「これで本当にDランクになれるの?」
「ギルドから正式に依頼された調査だったもの。十分な成果でしょうね」
「ほんと? Dになれるんだね!」
マドカは嬉しそうに笑った。
「まあ、今さらだけど!」
「そこを喜ぶのね……」
リゼットは苦笑した。
その頃、マドカに抱えられたアリシアは、まだ何も知らない。
自分がまた誰かに助けられたことも。
自分を誘った二人が、最初から自分を獲物として見ていたことも。
そして――。
この出来事が、彼女の冒険者としてのこれからを大きく変えることも。
まだ、何も。




