最終階層 封じられた少女
### 第二十階層
長い階段を下りていく。
十九階層であれほど激しい戦いを繰り広げたというのに、二十階層へ続く道には魔物の気配がまるでなかった。
足音だけが、やけに大きく響いている。
「……静かだね」
マドカが小声で呟いた。
「そうですね」
エレノアも周囲を見回す。
罠もない。
魔力の反応もない。
ただ、階段だけがどこまでも続いている。
やがて一行の前に、巨大な扉が現れた。
扉の中央には、古代文字が刻まれている。
『《第20階層》』
「ついに二十階……!」
マドカが目を輝かせる。
十九階層であれだけ苦戦したのだ。
その先に待っているものが何なのか。
期待と緊張を胸に、マドカが扉へ手を伸ばす。
重い音を響かせながら、巨大な扉が開いた。
「…………」
誰も言葉を発しなかった。
そこにあったのは、これまでの階層とはまるで違う光景だった。
広い。
とにかく広い。
天井は遥か高く、まるで地下にひとつの世界を作ったかのような巨大空間が広がっている。
中央には巨大な魔法陣。
その周囲には、見たこともない古代の装置がいくつも並んでいた。
ほとんどは停止している。
けれど――。
「……あれ」
リゼットが魔法陣の奥を指差した。
「ひとつだけ、動いてる」
微かな音を立てながら、古代装置の一部が稼働している。
「本当ですね」
エレノアが目を細める。
「これほど大規模な施設が……二十階層に?」
「ダンジョンっていうより、遺跡だね」
ニコラが早くも目を輝かせている。
「しかも、この魔法陣……普通の転移魔法とはちょっと違うよ~」
「共同研究者として、私も興味があります」
カトリーヌも装置へ近づいていく。
「お二人とも、勝手に触らないでくださいね」
エレノアが釘を刺す。
「分かってるよ~」
「善処します」
「それは『分かっていない』と言っているのと同じです」
そんなやり取りをしていたときだった。
「……あ」
マドカが声を漏らした。
魔法陣の向こう。
巨大な透明の結晶があった。
その中に――少女が眠っている。
銀色の髪。
白い衣服。
細く、小さな身体。
胸元には、古びたペンダントが下がっている。
「人……?」
セリナが警戒する。
ブリジットもすぐにマドカの前へ出た。
「マドカ様、少し下がってください」
「うん。でも……」
マドカは結晶の中の少女から目を離せなかった。
眠っている。
それなのに――生きている。
「……生体反応、ある」
リゼットが静かに呟いた。
「生きてるよ」
「本当ですか!?」
エレノアが驚く。
リゼットは少女をじっと見つめていた。
「ただ……時間がおかしい」
「時間?」
「うん」
リゼットは少し考える。
「止まってるわけじゃない。でも、ほとんど進んでない」
マドカが首を傾げる。
「そんなことできるの?」
「できるから、ここにいるんだと思う」
リゼットの視線が、少女の胸元へ移る。
「それと……この子、時間系の魔法を使える」
「えっ?」
マドカが目を丸くした。
「私と同じ?」
「たぶん。同じ系統」
リゼットは結晶へ近づいた。
「かなり強いよ。普通の時間魔法じゃ、こんなことにはならない」
エレノアが少女のペンダントを見る。
「……この紋章」
そこに刻まれていたのは、古代王家の紋章だった。
「私の知っている王家の記録には……こんな人物は存在しません」
「でも、紋章は間違いなく王家のものです」
カトリーヌが記録装置を向ける。
「どういうことでしょう?」
「分からない」
エレノアは首を横に振った。
「少なくとも、現在の王家にはこの少女の記録はありません」
マドカは少女を見つめる。
「じゃあ……ずっと、ここにいたのかな」
「……そうかも」
リゼットが答えた。
その声には、いつもの淡々とした調子とは少し違うものが混じっていた。
「かなり長い間」
マドカは結晶へ近づいた。
「起こせる?」
「たぶん」
「じゃあ――」
「マドカ」
リゼットが止める。
「触るなら、ゆっくりね」
「うん」
マドカはそっと結晶へ手を触れた。
その瞬間。
――パキッ。
小さな音が響いた。
「え?」
結晶に亀裂が走る。
次の瞬間、一気に亀裂が広がった。
パリンッ!
結晶が砕け散る。
「きゃっ!」
ブリジットがマドカを庇う。
けれど、砕けた結晶の中から落ちてきた少女を、マドカが受け止めた。
「大丈夫?」
「…………」
少女の瞼がゆっくり開く。
銀色の瞳が、マドカを見つめた。
「……あなた」
「うん?」
「あなたも……時間を持ってるの?」
マドカは少し考えてから頷いた。
「うん。私、時間を止められるよ」
少女の目が大きく開いた。
「……そう」
震える唇から、小さな声が漏れる。
「やっと……」
涙が頬を伝った。
「やっと……同じ人が……来てくれた……」
「……うん」
マドカは少女を抱きしめる。
「もう大丈夫だよ」
少女は何も言わなかった。
ただ、ずっと泣いていた。
何百年もの孤独を、全部吐き出すように。
しばらくして。
少女が少し落ち着いたところで、マドカが尋ねた。
「ねえ」
「……なに?」
「ここで、ずっと一人だったの?」
少女は小さく頷いた。
「……うん」
「この狼が……ずっと私の時間を食べていたの」
少女が振り返る。
そこには、いつの間にか神狼が立っていた。
十九階層で出会った、あの巨大な狼。
ただ今は、少し小さくなっている。
「……そうだ」
神狼が答えた。
「我が喰らっていた」
「どうして?」
マドカが尋ねる。
神狼は少女を見た。
「最初は、餌を求めて来ただけだ」
「餌?」
「時間だ」
神狼は淡々と答えた。
「この世界には、喰らうに値するほど濃い時間を持つ者など、そうはいない。ゆえに我は、こやつの時間を喰らった」
少女は黙って聞いている。
「だが……妙だった」
「妙?」
「喰らっても、こやつは死なぬ」
神狼の目が細くなる。
「むしろ、我が喰らえば喰らうほど、こやつの時間は減らずに済んだ」
リゼットが少女と周囲の装置を見比べる。
「……なるほど」
「分かるの?」
マドカが聞く。
「なんとなく」
リゼットは魔法陣へ目を向けた。
「ここ、時間を大量に使ってる」
「大量に?」
「うん。ずっと何かを止め続けてる」
神狼が続けた。
「この施設は、こやつの力を使い続けていた」
「…………」
「戦が終わろうと、止まらなかった」
少女が俯く。
「私が……止められなかったから」
「違う」
神狼の声が響く。
「こやつが止められなかったのではない。止めさせてもらえなかったのだ」
エレノアが息を呑む。
「……どういう意味ですか?」
神狼は静かに語り始めた。
「かつて、この地には大規模な侵攻があった」
魔法陣の奥にある巨大な装置を見る。
「敵は、あの転移門を通って来ようとしていた」
「転移門……」
「こやつは敵の到着そのものを止めた」
少女が小さく頷く。
「敵が来る時間を……止めたの」
「その間、こちら側の者は動けた。ゆえに戦えた」
神狼の声は淡々としている。
「だが、問題があった」
「……マドカ様」
エレノアが呟く。
「この力を、いつまで維持できるのか……ですね」
「そうだ」
神狼が頷いた。
「もしこやつが力を止めれば? もし力尽きれば? もし自ら命を絶てば?」
誰も答えなかった。
「そこで、人間どもは考えた」
神狼の視線が少女へ向く。
「こやつを、この場所に縛りつけることを」
少女の身体が小さく震えた。
「時間に耐えるための術式を施し、魔力を吸い上げる装置を作り、こやつ自身を永久に動き続ける魔力源へ変えた」
「…………」
ニコラが言葉を失う。
「戦争が終わっても?」
「終わってもだ」
神狼は即答した。
「役目を終えたことを知る者が、もういなかったのかもしれぬ」
少女は胸元のペンダントを握りしめた。
「ずっと……待ってた」
小さな声だった。
「いつか誰かが来てくれるって……」
マドカは何も言わず、少女の手を握った。
神狼が続ける。
「我が来たのは、その後だ」
「時間を食べるために?」
「そうだ」
神狼は悪びれもしない。
「我は餌を求めていた」
その言葉に、マドカが少しだけ苦笑する。
「正直だね……」
「事実だからな」
だが、神狼は少女を見る。
「しかし、長く喰らっているうちに……こやつが死ぬのが気に入らなくなった」
「……え?」
「だから喰らい続けた」
少女が顔を上げる。
「我が喰らった時間は、こやつを維持するために使われる時間から逃れた」
リゼットが小さく頷く。
「……それで、この子が生き延びたんだ」
「そういうことだ」
最初から少女を救おうとしたわけではない。
ただ、時間を喰らっていた。
それでも結果として、神狼は少女の命を繋いでいた。
「じゃあ……」
マドカが魔法陣を見る。
「このダンジョンって、もしかして――」
「私もそう思う」
リゼットが答えた。
「マドカの時間と、この子の時間。たぶん、近すぎたんだと思う」
「近すぎた?」
「うん」
リゼットは少し考えてから言った。
「昔からずっと止まってた時間がある。そこにマドカの時間が重なった」
魔法陣の周囲を見回す。
「それで、隠れてた場所がこっち側に引っ張り出された」
「……それがダンジョン?」
「たぶんね」
リゼットは肩をすくめた。
「神狼がこの子の時間を食べてたのも、たぶん関係してる。あれがなかったら、もっと早く壊れてたかもしれない」
「なるほど……」
エレノアが考え込む。
「つまり、この場所は長い間、現在とは少し違う時間の中に存在していた。それがマドカ様の力によって、現在の世界へ引き寄せられた……」
「そんな感じ」
リゼットは頷いた。
「そして今、マドカとこの子の時間が直接重なった」
リゼットが少女を見る。
「だから、止まってた術式がほどけた」
「……私が?」
「うん」
マドカが少女を見る。
「じゃあ、私が起こしちゃったんだ」
「そうなる」
「そっか」
マドカは少女の手を握った。
「じゃあ……よかった」
「……え?」
「だって、ずっと一人だったんでしょ?」
マドカが笑う。
「もう大丈夫だよ。ここから出よう」
少女は呆然とマドカを見る。
「……出ても、いいの?」
「もちろん」
「でも……私、帰る場所なんて……」
マドカは少しだけ考えてから、笑った。
「じゃあ、一緒に帰ろう」
少女の目から、また涙が落ちた。
「……うん」
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴ……!
施設全体が大きく揺れ始めた。
「え?」
ニコラが周囲を見る。
「やばい。装置が止まり始めてるよ~!」
「当然です」
カトリーヌが叫ぶ。
「今まで無理やり維持していたものが、一気に解除されたのでしょう!」
「リゼット!」
「分かってる」
リゼットが魔法陣へ駆け寄る。
「外への転移陣はまだ生きてる」
「じゃあ帰れる?」
「帰れる」
リゼットが頷く。
「急ごう」
「よし!」
マドカが少女の手を取った。
「行こう!」
少女は一瞬だけ振り返った。
何百年も過ごした場所。
もう戻ることはない。
けれど、不思議と寂しくはなかった。
マドカが手を握ってくれている。
神狼もいる。
そして――。
「……一緒に、いてくれる?」
少女が神狼を見る。
「当然だ」
神狼は短く答えた。
「我は、もうこやつの時間を喰らう必要もない」
そう言って、神狼は少女の隣へ歩いた。
「我は神狼だ」
「……神狼」
少女は小さく笑った。
「うん」
マドカが振り返る。
「そういえば、名前は?」
少女は少し迷った。
長い間、誰からも呼ばれていなかった名前。
それでも――。
「……ヒナタ」
「ヒナタちゃん!」
マドカが嬉しそうに笑う。
「よろしくね、ヒナタちゃん!」
「……うん」
ヒナタも笑った。
「よろしく……マドカ」
「うん!」
そのまま一行は転移陣へ向かう。
ブリジット、セリナ、リゼット、ニコラ、カトリーヌ、ミレイユ。
そしてガレス、クロード、ヴァルト。
エレノアも最後に周囲を確認する。
「マドカ様、急いでください!」
「分かってるー!」
クロードが巨大な石棺を担ぎ上げる。
「これも持っていくのか!?」
「当然です」
エレノアが即答した。
「中にいる方は保護対象です」
「はいはい……」
ヴァルトがクロードから石棺を受け取る。
「重い……」
「リゼットが軽くしてくれてるんだけどね~」
ニコラが笑う。
「それでも重いんだよ!」
「頑張ってください」
ミレイユが苦笑する。
「……次からは置いていきたい」
「駄目です」
エレノアが即答した。
そんなやり取りをしながら、一行は転移陣へ飛び込んだ。
――その直前。
ニコラが、停止しかけた古代装置へ目を向けた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
カトリーヌが覗き込む。
「この装置……まだ何か残ってる」
古代の転移装置だった。
完全には動かない。
けれど、一瞬だけ光が灯る。
魔法陣の中央に、ぼんやりと映像が浮かんだ。
「……映った」
そこに広がったのは――見知らぬ土地だった。
赤茶けた大地。
巨大な城壁。
その向こうには山々。
そして、遠くに見える巨大な都市。
「……どこ?」
マドカが目を丸くする。
リゼットが装置を見ながら首を傾げる。
「分からない」
「昔の転移先……でしょうか?」
エレノアが尋ねる。
「たぶん」
ニコラが興奮したように装置を覗き込む。
「座標情報が残ってるよ~!」
「行けるの?」
「今は無理」
リゼットが即答した。
「装置が壊れすぎてる。接続も切れてる」
「そっかぁ……」
マドカが少し残念そうにする。
「でも、いつか直せる?」
「ちゃんと調べれば」
「じゃあ――」
マドカの顔が明るくなる。
「旅行できるね!」
「……旅行」
リゼットが微妙な顔をする。
「まあ、いつかね」
「マドカ様!」
エレノアが頭を抱える。
「まずは帰りますよ!」
「はーい!」
映像が消える。
最後に残ったのは、古代の装置が発する小さな光だけだった。
そして――。
転移陣が輝いた。
次の瞬間。
白い光が、一行を包み込んだ。
――青空。
草原。
吹き抜ける風。
「…………」
ヒナタは立ち尽くしていた。
目の前には、どこまでも広がる空。
風が銀色の髪を揺らす。
「……きれい」
ぽつりと呟いた。
マドカが隣に立つ。
「うん」
そして笑った。
「これから、いっぱい見られるよ」
ヒナタは空を見上げた。
何百年もの間、見られなかった世界。
もう、時間を止める必要はない。
もう、誰かが来るのを待ち続ける必要もない。
隣にはマドカがいる。
神狼もいる。
そして、新しくできた仲間たちがいる。
ヒナタは、ほんの少しだけ笑った。
「……帰ってきた、のかな」
「うん」
マドカが頷く。
「一緒に帰ってきたんだよ」
その言葉を聞いて、ヒナタはもう一度、空を見上げた。
長い長い時間の果てに。
ようやく少女は、止まっていた時間から歩き出した。




