前当主との話し合い
南部を治める子爵家の、前当主。
現当主の父であり、今もなお家の中で一定の影響力を持つ老紳士は、エキドナからの面会の申し出を受け、指定された場所へと足を運んでいた。
今回の件について、彼はすでに配信を通じて知っていた。
スティーブが暗殺者を雇い、カーンたちを襲わせたこと。そして、その一部始終が世界中に配信されていたことも。
子爵家として、決して看過できる話ではない。
もっとも、彼らがあらかじめ計画していたわけではなかった。スティーブが独断で行動したことなど、配信を見るまでは知りもしなかったのだ。
だからこそ、今回の面会は重要だった。
エキドナが何を求めているのか。
そして、子爵家はこれからどう対応すべきなのか。
老紳士が部屋に入ると、そこには二人の女性が待っていた。
一人は、エキドナの代表であるリゼット。
もう一人は、ノイティス公爵夫人クリスティーナ。マドカの養母であり、王の姉でもある人物だ。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
老紳士が丁寧に頭を下げると、リゼットが穏やかに微笑んだ。
「こちらこそ、来ていただいてありがとう。どうぞ、お掛けになって」
「失礼いたします」
老紳士が席に着くと、侍女が紅茶を用意した。
しばしの間、形式的な挨拶が交わされる。
やがて、リゼットが本題を切り出した。
「まず、今回の件についてだけれど……あなた方は、スティーブさんが独断で行動したと考えてよいのかしら?」
「はい。恥ずかしながら、私どもも配信を見るまで、あのようなことを企てていたとは知りませんでした」
老紳士は苦い表情を浮かべた。
「我が家として、エキドナと争うつもりなどございません。カーン殿についても、少々気になっていたのは事実ですが、無理に家へ迎えようなどとは考えておりませんでした」
「そう。それなら、その点は理解したわ」
リゼットは頷いた。
「では、カーンのことについてお話ししましょう」
老紳士の表情が、わずかに引き締まる。
「カーン殿は……やはり、我が家の血を引いているのでしょうか」
「そのようね。あなた方の説明と、これまでに判明している事情を照らし合わせれば、そう考えるのが自然でしょう」
リゼットは落ち着いた口調で続けた。
「ただし、本人はあなた方の家の存在すら知らなかったわ。自分の父親についても、母親を捨てた男だと聞かされていたそうよ」
「……そうでしたか」
「ええ。カーンは、自分の出自にも、あなた方の家の事情にも興味がないの。彼が今、何より大切にしているのは、仲間と一緒にエキドナの一員になることよ」
老紳士は黙って話を聞いていた。
血筋を確認したいという気持ちがなかったわけではない。家に伝わる魔眼を持つ者が現れたのなら、気になるのは当然だった。
しかし、当の本人が何も知らず、今の暮らしを大切にしているのなら、話は違ってくる。
「カーン殿が持つという眼は、やはり特別なものなのでしょうか」
「魔眼であることは確かね。ただ、魔眼を持っていることと、その人自身が優れた人物であることは、必ずしも同じではないわ」
リゼットはそう説明した。
「魔眼は、物を見る力や観察する能力を補助するものよ。けれど、その能力をどう使うかは本人次第。知識を得ることも、考えることも、本人の資質や努力が大きく関わってくるのだもの」
「我が家には、かつて同じ眼を持った者がいたと伝わっております。その者は優れた知恵で領地を発展させたそうです」
「そういう記録が残っているのね」
「はい。ですから、我が家にとっては非常に価値のあるものだと考えておりました」
「価値があると思うこと自体は、構わないわ」
リゼットは微笑んだ。
「でも、カーン自身は自分の眼のことすら知らないのよ。彼はただ、学ぶことが好きなの。興味を持ったことを調べ、知識を身につけていく。それが楽しいから、そうしているだけ」
彼女は、どこか誇らしげに目を細めた。
「私から見ても、カーンは本当に優秀な子だわ。あれだけ自然に知識を吸収していくのだから、きっと本人にしかない才能もあるのでしょうね」
「……なるほど」
「だからこそ、彼の意思を尊重してほしいの。本人が望んでいないのに、血筋や魔眼を理由に何かを求めるべきではないわ」
「承知いたしました。こちらから無理に何かを求めるつもりはございません」
老紳士は深く頷いた。
そのやり取りを聞いていたクリスティーナが、静かに口を開いた。
「それについては、私も同意いたしますわ。本人の意思を無視して話を進めても、良い結果にはなりませんもの」
彼女の言葉には、貴族社会を長年見てきた者ならではの実感があった。
「特に、今回のような事情が公になったあとでは、なおさらです。カーンさんを無理に家へ迎えようとすれば、周囲からも余計な勘繰りを受けるでしょうね」
「おっしゃる通りです」
「ですから、カーンさんのことは、まず本人の意思を大切になさることですわ」
クリスティーナは優雅に紅茶を口に運んだ。
そして、カップをソーサーに戻すと、話題を変えた。
「それから、スティーブさんのことですが」
老紳士の表情が、再び険しくなった。
「はい……」
「今回の件は、あなた方が企てたことではない。それは理解しております。しかし、スティーブさんが暗殺者を雇い、人を襲わせたという事実は消えません」
「……まことに、申し訳ございません」
「しかも、その一部始終が世界中に配信されてしまいました。貴族社会でも、当然話題になるでしょう」
クリスティーナは淡々と告げた。
「あなた方が事情を説明したとしても、すべての人が納得するとは限りません。家として関与していなかったことと、家の者が起こした問題について責任を問われないことは、別ですからね」
老紳士は、苦々しい表情で頷いた。
クリスティーナは、社交界において絶大な影響力を持つ人物だ。
王の姉であり、ノイティス公爵夫人。彼女が何を考え、どのような評価を下すのか。それだけでも、貴族たちの受け止め方は大きく変わる。
だが、彼女はここで子爵家を脅すつもりはなかった。
起こったことを正しく理解し、今後の対応を誤らないように伝えているだけだった。
「今後のことは、あなた方の対応次第でしょう。少なくとも、今回の件を軽く考えないことですわ」
「肝に銘じます」
老紳士が頭を下げると、クリスティーナは小さく頷いた。
そこで、リゼットが再び話を引き継いだ。
「では、エキドナとしての話をさせてもらうわね」
「はい」
「まず、子爵家全体との取引を制限するつもりはないわ」
老紳士は思わず顔を上げた。
「……よろしいのですか?」
「ええ。子爵家がエキドナの商品を必要とするのなら、これまで通り購入していただいて構わないもの。私たちは、あなた方に無理に商品を買ってほしいわけではないのだから」
「それは……ありがたいお話です」
老紳士は安堵したように息を吐いた。
「エキドナの商品は、我が家でも人気のものばかりです。便利な品も多く、いつも驚かされております。もし子爵家全体との取引を拒否されていたら、かなり厳しいことになっていたでしょうな」
「そう。それなら、今後も必要なものを買っていただければいいわ」
リゼットは穏やかに答えた。
「ただし、スティーブさん個人との取引は、今後すべてお断りするわ」
「スティーブ個人との取引を、ですか」
「ええ。彼が個人としてエキドナの商品を購入することは認めない。それから、ゴールへの立ち入りも禁止してほしいの」
その言葉は、明確だった。
子爵家全体を拒絶するわけではない。しかし、スティーブ個人については、これ以上関わるつもりがない。
老紳士は少し考え込んでから、慎重に尋ねた。
「失礼ながら、それだけでよろしいのでしょうか。今回の件を考えれば、子爵家全体との取引を停止されても、仕方のないことだと思っておりました」
「どうして?」
リゼットは不思議そうに首を傾げた。
「私たちは、無理に買ってほしいわけではないもの。欲しいものがあれば買えばいいし、必要がないのなら買わなければいい。それだけでしょう?」
そして、柔らかく微笑んだ。
「こちらにも、お客様を選ぶ権利はあると思わないかしら?」
「……確かに、その通りですな」
老紳士は苦笑した。
「商品を売る側にも、取引相手を選ぶ権利がある。そう考えれば、当然のことでしたな」
「ええ。子爵家が商品を購入したいというのなら、こちらから断るつもりはないわ。ただ……」
リゼットの微笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「スティーブさんとは、もう関わりたくないのよ」
その声は穏やかだったが、そこに迷いはなかった。
「今回の件は、私たちにとっても不愉快な出来事だったわ。だから、彼個人との取引はすべてお断りするし、ゴールにも来てほしくない。それだけは、きちんと対応していただきたいの」
「承知いたしました。本人には私から伝えます。ゴールへの立ち入りについても、二度とそのようなことがないよう、家として責任を持って対処いたしましょう」
「お願いするわ」
リゼットは頷いた。
それで、エキドナとして伝えるべきことは終わった。
子爵家全体との取引を止めるつもりはない。けれど、スティーブ個人とは取引しない。
それは報復というよりも、エキドナとしての明確な線引きだった。
クリスティーナも、それ以上何かを付け加えることはしなかった。
彼女が伝えるべきことは、すでに伝えている。貴族社会で今回の件がどのように扱われるかは、これからの子爵家の対応にも左右されるだろう。
老紳士は二人を見比べ、改めて深く頭を下げた。
「本日は、お話を聞かせていただき、ありがとうございました。今回の件については、家としても真摯に対応してまいります」
「ええ。そうしてちょうだい」
クリスティーナが答え、リゼットも穏やかに微笑んだ。
こうして、前子爵当主との話し合いは終わった。
カーンの人生は、カーン自身が決める。
子爵家との取引は、これまで通り。
そして、スティーブだけは、エキドナから拒絶される。
それぞれの立場から必要なことを伝え、今回の件にひとつの区切りがついたのだった。




