狂った竜
第十六階層。
マドカたちは、深い森の中を進んでいた。
巨大な木々が立ち並び、枝葉が天井を覆っている。ダンジョンの中に作られた森とは思えないほど自然な光景だったが、その一方で、どこか異様な静けさが漂っていた。
「……静かですね」
エレノアが周囲を見回す。
風はない。鳥の声もなく、虫の音すら聞こえない。
「静かすぎる」
セリナが弓を構えた。
「魔物の気配も、さっきから変です」
「いないんじゃない?」
マドカが気楽に言う。
「違う」
リゼットが即座に否定した。
「いるわ」
「どこ?」
「……この森そのもの」
その言葉が落ちた直後だった。
――ギシッ。
どこかで、木が軋んだ。
全員が一斉にそちらを見る。
一本の木が、ゆっくりと幹を動かしていた。地面に張っていた根が次々と持ち上がり、まるで巨大な生物が立ち上がるように土を押しのけていく。
「え?」
マドカが目を丸くする。
それを合図にしたかのように、周囲の木々まで次々と動き始めた。
「全員、止まって!」
エレノアが叫ぶ。
「森そのものが敵です!」
「了解!」
ブリジットが盾を構えた直後、地面が大きく盛り上がった。
――ズドン!!
巨大な根が地面を突き破り、マドカたちへ襲いかかる。
「危ない!」
ブリジットがマドカを押し退ける。
根が二人の間を通り抜け、地面を深く抉った。
「ありがとう!」
「いえ!」
ニコラがすぐさま銃を抜く。
「じゃあ撃つよ~」
――パンッ!
放たれた弾丸が根を撃ち抜き、その一部を吹き飛ばした。
「効いた!」
「ニコラ、右!」
「はいはーい」
――パンッ! パンッ!
次々と伸びてくる根を撃ち抜き、ニコラが戦場に道を作っていく。
セリナも弓を構え、頭上へ矢を放った。
「上!」
巨大な枝が鞭のように振り下ろされる。
ガレスが剣を振り抜き、それを真っ二つに切り落とした。
「数が多すぎる!」
「待ってください!」
エレノアが叫んだ。
「闇雲に攻撃しないで!」
エレノアは襲い来る根を避けながら、周囲の木々を観察していた。
先ほど確認した不自然な木の配置。ほぼ一定に保たれた間隔。同じ方向へわずかに傾いた幹。そして、それらすべてを繋ぐように広がる根。
「この森は、全部が同じ構造になっています」
「どういうこと?」
マドカが尋ねる。
「十五階層までの魔物とは違います。ここでは、木一本一本が独立した魔物ではないはずです」
エレノアが森の奥を見据える。
「一つの巨大な生命体として、すべてが繋がっているんです」
その瞬間、地面が大きく揺れた。
「……!」
森の奥から、何か巨大なものが這いずる音が聞こえてくる。
「本体が来ます!」
エレノアが叫ぶ。
木々が左右へ割れ、その奥から巨大な影が姿を現した。
「…………」
一行は言葉を失い、その姿を見上げた。
それは、ドラゴンだった。
しかし、生きたドラゴンには見えない。
全身は腐った古木で覆われ、翼は枯れ果てた巨大な枝と化している。身体の隙間からは黒い樹液が流れ落ち、頭部には巨大な角が生えていた。
そして、その身体の至るところに、無数の赤い目が浮かんでいる。
「ドラゴン……?」
ブリジットが呟いた。
リゼットの顔から笑みが消える。
「……腐木竜」
「知ってるの?」
「古代種よ」
リゼットが答える。
「ただし……」
腐木竜が大きく口を開いた。
「……にく」
黒い霧が、その口からゆっくりと漏れ出していく。
「にく……くれ……」
リゼットが眉をひそめた。
「記録にあるものとは違う」
「どう違う?」
「狂っている」
次の瞬間。
「にくにくにくにくにく……!」
腐木竜が咆哮した。
――ドォォォン!!
凄まじい衝撃波が森全体を駆け抜ける。
「全員、伏せて!」
エレノアの声に、一行が一斉に身を伏せた。
頭上を黒い霧が通過し、触れた木々が瞬く間に腐り落ちていく。
「……毒?」
セリナが呟く。
「違う!」
リゼットが叫んだ。
「触れないで! 生命力そのものを腐らせる魔力よ!」
「厄介だな!」
ガレスが剣を握り直す。
「エレノア!」
「はい!」
「指示を!」
エレノアは一瞬だけ腐木竜を見た。
巨大な身体。
そこから伸びる無数の根。
そして、腐木竜が動くたびに呼応する森。
さっきまで学んできた古代ダンジョンの構造と照らし合わせる。
「……分かりました」
エレノアの目に迷いがなくなった。
「この魔物は、身体だけを攻撃しても倒せません」
「どうして分かるの?」
セリナが尋ねる。
「さっきから森の根が、あの魔物と同じタイミングで動いています」
エレノアが腐木竜を指差す。
「つまり、森と腐木竜は別々の存在ではありません。おそらく、身体そのものが森と一体化しているんです」
「じゃあ、森をどうにかしないとダメってこと?」
「はい。ですが、森全体を相手にする必要はありません」
エレノアは腐木竜の胸部へ視線を向ける。
「本体との繋がりを断てばいい」
そして、即座に指示を飛ばした。
「ブリジットはマドカ様の護衛!」
「了解!」
「ガレスは正面から引きつけてください!」
「分かった!」
「セリナは上空から本体の弱点を探して!」
「了解!」
「ニコラは根を撃って道を作ってください!」
「任せて~!」
「リゼット様は腐木竜の再生を抑えてください!」
「ええ!」
エレノアが剣を抜く。
「私は全体の指揮を取ります!」
その声には、迷いがなかった。
「行ってください!」
全員が一斉に動いた。
ガレスが正面から突撃する。
「おおおおおっ!」
腐木竜の巨大な腕が振り下ろされる。
――ズガァン!!
ガレスが剣で受け止めた。
「ぐっ……!」
「ガレス!」
「大丈夫だ!」
その隙に、ブリジットが横から回り込む。
「こちらです!」
伸びてきた根を盾で受け流し、マドカへの道を確保する。
セリナは木々を足場にして高く跳び上がった。
「……いた!」
「どこです!」
「胸の中心!」
エレノアが即座に反応する。
「ニコラ!」
「分かってるよ~!」
――パンッ! パンッ!
マドカの進路を塞いでいた根が吹き飛ぶ。
「道、開いた!」
「リゼット様!」
「任せなさい!」
リゼットが杖を掲げる。
「《浄化炎》!」
炎が走り、腐木竜の身体から流れ出る黒い樹液を焼き払っていく。
「今です!」
エレノアが叫んだ。
「マドカ様!」
「うん!」
マドカが走り出す。
腐木竜の無数の赤い目が、マドカを捉えた。
「にく……!」
「食べないでね」
マドカが武器を構える。
腐木竜が巨大な爪を振り下ろした。
――ドォン!!
マドカの身体が吹き飛ぶ。
「マドカ様!」
「大丈夫!」
地面を転がったマドカが立ち上がる。
服についた土を払いながら、腐木竜を見上げた。
「……強い」
その顔には、少しだけ笑みが浮かんでいる。
「じゃあ――」
マドカが武器を構え直す。
「時間停止!」
――ピタッ。
世界が止まった。
木々も。
腐木竜も。
そして、仲間たちも。
「……」
マドカだけが動き出す。
「よし」
マドカは腐木竜へ向かって走った。
しかし。
――ズズズ。
「え?」
足元で、何かが動いた。
「……えっ?」
マドカが振り返る。
時間が止まっているはずなのに、地面から伸びた根がゆっくりと蠢いていた。
「なんで!?」
マドカは周囲を見回す。
腐木竜の身体は完全に停止している。
それなのに、森だけが動いている。
「……そっか」
マドカは、リゼットの言葉を思い出した。
――森そのものが敵。
そして、戦闘前にエレノアが言った言葉も。
――森と腐木竜は別々の存在ではありません。
「そういうことか」
マドカが笑う。
「本体だけ止めても、森は止まらないんだ」
無数の根がマドカへ迫ってくる。
「これは大変だ」
マドカは走った。
迫り来る根を避け、枝を飛び越え、行く手を塞ぐ根を武器で弾き飛ばす。
やがて腐木竜の目前までたどり着く。
「……」
胸部。
巨大な樹皮の奥。
そこに、黒い核が見えていた。
「これだ!」
マドカが武器を振り上げる。
――ガキィン!!
「硬い!」
核は強力な魔力によって守られている。
「もう一回!」
――ガキン!
「うーん……」
マドカが核を見つめる。
周囲では、時間の止まった世界の中で森だけが蠢き続けていた。
「時間が止まってても動くなら……」
マドカは核へ視線を戻す。
「ここを壊せば、全部止まるのかな?」
なら。
やることは一つだった。
マドカが一歩下がる。
「ここから!」
全身の力を込める。
武器を構える。
「零刻!」
――――ズン。
世界が揺れた。
時間停止が解除される。
その瞬間。
マドカの一撃が、腐木竜の核を貫いた。
――――ドォォォォン!!
「に……く……」
腐木竜が大きく震える。
身体から伸びていた無数の根が、一斉に力を失った。
森の木々が次々と崩れていく。
「にく……」
腐木竜の身体が、ゆっくりと光へ変わっていく。
「……」
最後まで。
「……にく……」
その声だけを残して、巨大な身体は光となって消えた。
◆
静かになった森の中で、マドカが大きく息を吐いた。
「……疲れた」
「マドカ様!」
ブリジットが駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫!」
エレノアもすぐに駆け寄った。
「お怪我は?」
「ないよ」
「……よかった」
エレノアが胸を撫で下ろす。
ガレスが笑った。
「エレノア」
「はい?」
「いい指揮だった」
「……ありがとうございます」
エレノアは少し微笑む。
「皆さんが動いてくれたからです」
「いや」
セリナが首を振る。
「あなたの指示があったから動けたのよ」
「そうそう~」
ニコラが魔導記録機を確認する。
「ちゃんと撮れてるよ~」
「今回も?」
「もちろん」
ニコラが笑う。
「エレノアの指揮も、マドカの零刻も」
「それは……」
エレノアが記録機を見る。
「王家への報告が大変になりそうですね」
リゼットが苦笑する。
「でしょうね」
マドカが首を傾げる。
「なんで?」
全員がマドカを見る。
「……」
「……」
「……」
ガレスがため息をついた。
「まあいい」
そのときだった。
腐木竜が消えた場所に、黒い結晶が残っていることにリゼットが気づいた。
「これは……」
リゼットが拾い上げる。
「竜樹の核」
ニコラの目が輝いた。
「それ、兵器に使える?」
「……」
リゼットがニコラを見る。
「使えるでしょうね」
「やった~!」
マドカが笑う。
「またニコラが何か作る!」
ニコラは嬉しそうに核を抱えた。
「今度はもっとすごいの作ろうかな~」
エレノアが苦笑する。
「……王家への報告書に、兵器開発の件も書くべきでしょうか」
「書いて」
リゼットが即答した。
「むしろ書かないと後で怒られるわ」
「ですよね……」
こうして、第十六階層の戦いは終わった。
だが。
ダンジョンはまだ、第十七階層を残している。
そして彼らはまだ知らない。
この先に、「魔物」では説明できない何かが待っていることを。




