メアリー
ゴール。
エキドナの屋敷に、一人の少女が訪れていた。
年齢は十五歳。
見た目だけなら、どこにでもいる普通の少女に見える。
だが、その少女は――色欲の賢者。
現在の賢者たちの中では最年少となる、メアリーである。
そして今。
メアリーは、リゼットの目の前で床に額をつけていた。
「申し訳ありませんでした!」
土下座だった。
本気の土下座だった。
リゼットは椅子に座ったまま、しばらくその姿を眺める。
「……えっと」
「はい……」
「とりあえず、顔を上げていいわよ」
「ですが……!」
「いいから」
「……はい」
メアリーがおそるおそる顔を上げる。
その表情には、冗談でも演技でもない、本気の申し訳なさがあった。
「私たちが……勝手に、リゼット様の過去について話してしまって……」
「ああ、そのこと?」
「はい……」
リゼットは少し考える。
自分の知らないところで、自分の過去が話題になった。
確かに勝手な話ではある。
だが――。
「まあ、別にいいけど」
「……え?」
「100年前のことでしょ?」
「……はい」
「今さら怒っても仕方ないじゃない」
あっさりした答えだった。
メアリーは呆然とリゼットを見る。
「……怒って、いらっしゃらないんですか?」
「別に」
「ですが……」
「それより」
リゼットは少しだけ首を傾げた。
「あなたの話を聞いて、ちょっと懐かしくなったわ」
「……?」
「あのジジババたち」
メアリーの目が少し見開かれる。
「まだ生きてるのね」
「……はい」
「そう」
リゼットは小さく笑った。
「100年経ったのに、まだ生きてるのね」
「皆さん、お元気ですよ」
「そう……」
その言葉を聞いたリゼットは、ほんの少しだけ遠くを見る。
100年前。
まだ自分が賢者たちと関わっていた頃。
それから自分は彼らとの関係を断ち、長い間、一人で過ごしてきた。
だから、その後のことをほとんど知らない。
「……そっか」
ただ、それだけだった。
怒りでもない。
感動というほどでもない。
ただ、昔の知り合いがまだ生きている。
その事実が、少しだけ懐かしかった。
「ところで」
リゼットがメアリーを見る。
「あなた、今の賢者なのよね?」
「はい」
「……色欲は、あなたが代わったの?」
「はい。私だけです」
「他は?」
「皆さん、今もご健在です」
「……え?」
リゼットの目が止まった。
「全員?」
「はい」
「100年前の?」
「はい」
「……なんで?」
「え?」
今度はメアリーが首を傾げる。
「レベル999ですから」
「…………」
リゼットは固まった。
「……レベル999?」
「はい」
「私とムサシだけじゃないの?」
「……え?」
メアリーも固まった。
「リゼット様……もしかして……」
「知らなかったわ」
「…………」
「私、100年間ずっと引きこもってたから」
「……そう、でしたね」
「だから、あのジジババたちが全員999だったなんて知らなかった」
リゼットは少し考えてから、ため息をついた。
「そっか。あの人たちも不老なのね」
「はい」
「……まあ、あの性格なら100年くらいじゃ変わらないか」
「たぶん変わってないと思います」
「でしょうね」
二人の間に、少しだけ笑いが生まれた。
先ほどまで土下座していた少女とは思えないほど、メアリーの表情も柔らかくなっていた。
そしてリゼットは、ふと気づく。
「そういえば、あなた」
「はい?」
「各大陸に転移できるんだっけ?」
「はい。転移用の場所を各国に用意しています」
「……各国?」
「はい」
「それって、私が今まで行ったことのない国にも?」
「行けますよ」
リゼットの目が、ほんの少しだけ輝いた。
「へぇ……」
「……?」
「便利ね」
「え?」
「メアリー」
「はい」
「しばらくここで暮らしなさい」
「…………はい?」
メアリーの思考が止まった。
「えっと……」
「何?」
「私、謝りに来たんですが……」
「それはもういいって言ったでしょ」
「はい……」
「それに、あなたがいれば行ける場所が増える」
「……」
「便利」
「…………」
メアリーはなんとも言えない顔をした。
謝罪に来た。
本当に申し訳なくて、何度も頭を下げるつもりだった。
それなのに。
気づけば、大賢者リゼットの屋敷に住むことになっている。
「……私でいいんでしょうか?」
「いいんじゃない?」
「そんな適当な……」
「それに」
リゼットはメアリーを見る。
「あなた、魔法の話できるでしょ?」
「……はい?」
「賢者なんだから」
「まあ……それなりには」
「じゃあいいじゃない」
リゼットは楽しそうに笑った。
「暇潰しになるわ」
「……私、弟子ということでしょうか?」
「違うわよ」
「では……?」
「暇潰し相手」
「…………」
メアリーはしばらく黙った。
だが。
「……魔法の議論なら、私も興味があります」
「でしょう?」
「ただ、リゼット様のほうが圧倒的に知識が……」
「だから面白いんじゃない」
リゼットは立ち上がる。
「ほら。座って」
「はい」
「せっかくだし、あなたの使う術式を見せて」
「今ですか?」
「今」
「……はい」
こうして。
謝罪に訪れた十五歳の賢者メアリーは――
そのまま、大賢者リゼットの新しい暇潰し相手になった。
そしてそれは、100年間途切れていた賢者たちとの関係が、思いもよらない形で再び動き始める最初の一歩でもあった。




