100年前
100年前
ムサシが姿を消してからも、リゼットは長い間、国のために働き続けた。
賢者たちも、少しずつリゼットの仕事を分担するようになった。
それでも。
リゼットのもとへ来る仕事は、完全にはなくならなかった。
そして――。
約百年前。
王国全土を揺るがす、とある事件が起こった。
「……山が」
「山?」
「山が動いています!」
「…………」
報告を受けたリゼットは、しばらく黙っていた。
「何を言ってるの?」
「本当です!」
兵士は必死だった。
「巨大な山が、動いているんです!」
「……」
「ゆっくりですが、確実にこちらへ向かっています!」
リゼットは窓の外を見る。
遠く。
地平線の向こうに。
巨大な影があった。
「……あれ?」
目を細める。
「本当に山ね」
「はい!」
「動いてるけど」
「はい!」
「……」
リゼットはしばらく眺めた。
「何なの、あれ」
「まだ正体は分かっていません!」
やがて。
賢者たちも集まった。
「これは……」
「大きすぎる」
「山そのものが動いているように見えるぞ」
リゼットは遠くの影を見つめる。
「違うわ」
「?」
「あれ、亀よ」
「……」
「亀?」
「ええ」
遠くの巨大な影。
その輪郭が、少しずつはっきりしていく。
巨大な甲羅。
その下から伸びる四本の脚。
そして、ゆっくりと動く頭。
「……」
賢者たちが言葉を失う。
「巨大な亀……」
「というより、あれは……」
「山じゃな」
誰かが呟いた。
「山が亀になっておる」
その巨体が一歩進む。
ズン。
大地が揺れた。
さらに一歩。
ズン。
遠くの建物が揺れる。
「このまま進めば……」
「町を通過する」
「いや」
リゼットが地図を見る。
「この進路だと、もっと大きな都市があるわ」
「……」
「止めないとまずいわね」
賢者たちが顔を見合わせる。
「どうする?」
リゼットが聞いた。
「これほど巨大なものを、普通の魔法で止めるのは難しい」
「足を狙うにしても、あまりに大きい」
「拘束魔法も、これほどの巨体を長時間止めるには厳しい」
リゼットは少し考えた。
「じゃあ」
顔を上げる。
「落としましょう」
「何を?」
「隕石」
「…………」
賢者たちが固まった。
「メテオを使うというのか?」
「ええ」
「しかし、あの大きさじゃぞ」
「だから」
リゼットは賢者たちを見る。
「一人じゃ無理でしょう?」
「……」
「手伝って」
賢者たちは顔を見合わせた。
やがて。
「分かった」
「やるしかないのう」
「我々も力を貸そう」
「ありがとう」
リゼットは頷いた。
「じゃあ、あれを止めるわよ」
◆
巨大な亀の進路。
その遥か上空。
七人の賢者が集まっていた。
「準備はいい?」
リゼットが聞く。
「ああ」
「いつでもいいぞ」
「しかし、本当にこれを落とすのか……」
賢者の一人が空を見上げる。
そこには。
空そのものを覆うほどの巨大な魔法陣が浮かんでいた。
地上から見れば、それは魔法陣というより、空に開いた巨大な穴のようだった。
リゼットが手を上げる。
「いくわよ」
「うむ!」
「合わせるぞ!」
七人の魔力が一つになる。
空が震える。
雲が吹き飛ぶ。
そして――。
遥か彼方から。
一つの巨大な光が落ちてきた。
「…………」
巨大な亀が空を見上げる。
その巨体に、巨大な影が落ちる。
次の瞬間。
轟音。
大地が揺れた。
地面が割れる。
山が吹き飛ぶ。
巨大な衝撃波が周囲へ広がる。
そして――。
すべてが静かになった。
◆
「……」
リゼットは、遠くの景色を見る。
「終わった?」
「……終わったようじゃ」
賢者の一人が答える。
「巨大な魔力反応はない」
「そう」
リゼットは息を吐いた。
「じゃあ、帰りましょう」
「ちょっと待て」
別の賢者が言った。
「何?」
「あれを見ろ」
リゼットが振り返る。
「…………」
そこには。
巨大な穴があった。
山どころか、周囲の大地まで大きくえぐれている。
「……」
「これ」
「雨が降れば……」
「水が溜まるじゃろうな」
リゼットはしばらく眺めた。
「湖になるかもね」
「巨大な湖になるぞ」
「まあ」
リゼットは少しだけ肩をすくめた。
「綺麗になるなら、いいんじゃない?」
「いや、そういう問題では……」
「もう終わったんだからいいでしょう」
リゼットは踵を返した。
「帰るわよ」
「待て待て!」
「何?」
「王国への報告は?」
「あなたたちに任せる」
「……」
賢者たちは顔を見合わせた。
「……本当に、もう我々に丸投げするつもりなんじゃな」
「そう言ったでしょう?」
リゼットは振り返らなかった。
◆
それから。
その場所には、巨大な湖ができた。
後世の人々は、その湖を見て語る。
かつてここには、山のような巨大な亀がいた。
その魔物は大地を踏みしめながら進み、王国そのものを脅かした。
そして、それを止めたのは――。
リゼットと七人の賢者だった。
王国にとって、それはあまりにも大きな事件だった。
大陸規模の脅威。
そして、それを終わらせた明確な功績。
王国の者たちは、当然のように考えた。
「……これは」
「勇者と呼ぶべきでは?」
「間違いない」
だが。
その話を、リゼット本人に伝える者はいなかった。
本人はというと。
「もう疲れた……」
そう言っていた。
そして、そのまま。
リゼットは表舞台から姿を消した。
王国が自分を勇者にしようとしていることも。
その功績をどう評価しているのかも。
何も知らないまま。
ただ。
「もう、あなたたちがやって」
それだけを賢者たちに残して。
引きこもった。
王国はその後、リゼットを正式な勇者として記録することになる。
しかし。
当の本人がその事実を知るのは、ずっと後のことだった。
◆
「――という事があったんじゃよ」
老賢者が話を終える。
「…………」
メアリーは、しばらく何も言えなかった。
「……えっと」
「なんじゃ?」
「リゼット様……」
メアリーが遠い目をする。
「最後まで、リゼット様らしいですね……」
「そうじゃろう?」
「でも……」
メアリーは首を傾げる。
「山みたいな亀をメテオで吹き飛ばして、そのあと引きこもったんですか?」
「そうじゃ」
「…………」
「何か問題でも?」
「いや……」
メアリーは少し考えた。
「勇者になるような人って、普通はもっとこう……」
「英雄らしいか?」
「はい」
「リゼットじゃからな」
「……なるほど」
メアリーは納得したような、していないような顔をした。
その横で、別の賢者が笑う。
「まあ、王国が勇者にしようとしたのも無理はない」
「そうじゃな」
「ただ本人は、それを知らずに引きこもった」
「それもリゼットらしいのう」
賢者たちは笑った。
メアリーも、つられて少し笑う。
「……なんだか、すごい話なのに」
「うむ」
「最後だけ、すごくリゼット様ですね」
「それがリゼットじゃよ」
EVの中に、穏やかな笑い声が響いた。
そして――。
この日もまた。
賢者たちは知らなかった。
その会話が、EVの記録として残り続けていることを。




