記録保存
第十一階層へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
これまでの階層とは明らかに違う。
そこは巨大な洞窟だった。高い天井には無数の鍾乳石が垂れ下がり、その隙間から淡い光が落ちている。
そして、洞窟の奥。
黒い霧が、地面を這うようにゆっくりと流れていた。
「……」
ガレスは周囲を見回した。
「嫌な感じがするな」
「うん」
セリナも頷く。
「魔物の気配が……濃すぎる」
ブリジットは盾を構え、いつでも前に出られるよう身構えた。
「これまでとは明らかに違いますね」
ガルドも周囲を警戒する。
そんな中。
「ニコラ」
「なに~?」
「魔導記録機、ちゃんと動いてる?」
「もちろん~」
ニコラが手のひらほどの魔導記録機を掲げた。
小さな魔石が淡く光っている。
「ここに入ってから、ずっと記録してるよ~」
「ずっと?」
「うん。せっかくだから、ダンジョンの中で何があったのか全部残しておこうかなって」
ニコラは楽しそうに笑った。
「帰ったら王様にも見せられるしね~」
「なるほど……」
ガレスが頷く。
「確かに、記録が残っていれば報告もしやすいな」
「そういうこと~」
ニコラは魔導記録機を持ち直した。
「じゃあ、続きも撮影しまーす」
「撮影する余裕があるといいんだけどな……」
ガレスが苦笑する。
「大丈夫だよ」
マドカが笑った。
「何か出てきたら倒せばいいんでしょ?」
「その考え方が一番怖いんだよ……」
◆
その時だった。
黒い霧の向こうで、何かが動いた。
「……来る!」
ガレスが叫ぶ。
――ズン。
地面が揺れた。
霧を押し退けるようにして、巨大な魔物が姿を現す。
「……狼?」
マドカが目を丸くした。
体長は三メートルを超えている。
漆黒の毛並み。
赤く光る瞳。
そして、その全身を覆うようにまとわりつく、青黒い魔力の鎧。
「これは……」
ガレスの表情が変わった。
「魔装狼……?」
セリナが息を呑む。
「知ってるの?」
「図鑑でしか見たことがない」
ガレスは剣を構えた。
「現代では、絶滅したとされている魔物だ」
「絶滅……?」
ニコラの目が輝いた。
「じゃあ、ものすごく珍しいんだ~」
「喜んでる場合じゃない!」
ガレスが叫んだ瞬間。
魔装狼が大きく口を開いた。
「グルァァァァッ!!」
咆哮が洞窟を震わせる。
次の瞬間、凄まじい衝撃波が放たれた。
「っ!」
全員が身構える。
ガルドが前へ出た。
「私が受けます!」
盾を構える。
――ドンッ!!
「ぐっ……!」
ガルドの身体が大きく後ろへ押し込まれた。
「団長!」
「大丈夫です!」
ガルドは足を踏ん張り、なんとか耐える。
「強い……!」
セリナが弓を引き絞った。
「そこ!」
矢が放たれる。
――キンッ!
魔装狼の魔力の鎧に弾かれた。
「嘘……」
「なら、俺が!」
ガレスが一気に距離を詰める。
「はあっ!」
剣を振り下ろす。
――ガキィン!!
「硬い!」
魔装狼が身体を捻った。
巨大な爪がガレスへ迫る。
「危ない!」
マドカが飛び込み、ガレスの腕を掴んだ。
そのまま強引に引き戻す。
直後。
――ザシュッ!
爪が、さっきまでガレスが立っていた場所を切り裂いた。
「ありがとう、マドカ!」
「どういたしまして!」
マドカは魔装狼を見つめた。
「……強いね」
その顔には、少しだけ嬉しそうな表情が浮かんでいた。
「マドカ様?」
「じゃあ――」
マドカが一歩前へ出る。
「私がやるね」
「待ってください!」
ガルドが声を上げる。
だが。
「時間停止!」
――ピタッ。
世界が止まった。
◆
音が消えた。
風も。
霧も。
魔装狼も。
そして、仲間たちも。
すべてが静止している。
「……」
マドカだけが動いていた。
ゆっくりと魔装狼へ近づく。
「やっぱり、普通の魔物とは違うなぁ」
近くで見ると、その身体を覆う魔力の鎧がよく分かる。
濃密な魔力が幾重にも重なっていた。
「これ、かなり硬そう」
マドカは武器を構える。
そして、一閃。
――ガキンッ!
「えっ?」
弾かれた。
「……嘘」
マドカが目を丸くする。
もう一度。
――ガキンッ!
「硬い!」
時間が止まっている。
それなのに、魔装狼の魔力障壁は攻撃を受け止めている。
「時間が止まってても、防御は残ってるんだ……」
マドカは少し考え込んだ。
「じゃあ、真正面からじゃなくて……」
魔装狼の周囲を歩く。
魔力の流れを見る。
頭。
胴体。
脚。
「……ここかな?」
マドカは魔装狼の後ろ脚へ回り込んだ。
魔力の鎧が薄くなっている場所がある。
「見つけた!」
武器を振り抜く。
――ザンッ!!
今度は、確かな手応えがあった。
魔装狼の身体が崩れる。
「よし!」
マドカは小さく拳を握った。
「時間停止解除!」
――ドサッ!!
魔装狼がその場に倒れた。
◆
「…………」
ガレスが目を瞬かせる。
「……何が起きた?」
セリナも呆然としている。
「さっきまで立っていたのに……」
ブリジットがマドカを見る。
「マドカ様が倒した……のですか?」
「うん」
マドカは頷いた。
「ちょっと硬かった」
「ちょっと……?」
ガレスが魔装狼を見る。
「こいつ、俺たち四人でまともに戦っても勝てるか怪しかったんだぞ……」
「そんなに?」
「そんなにだ」
ガルドも頷く。
「正直、私一人では勝てる自信がありません」
「へえ……」
マドカは倒れた魔装狼を見た。
「じゃあ、強かったんだ」
「だから最初からそう言っているんですが……」
セリナが思わず笑った。
「マドカさんには、強さの基準が通用しないのかもしれませんね」
「そうかな?」
「そうだと思う」
ニコラが魔導記録機を確認した。
「でも、ちゃんと撮れてるよ~」
「本当?」
「うん」
ニコラが画面を見せる。
「最初の戦闘から、今のところまで全部入ってる」
「よかった!」
マドカが覗き込む。
「じゃあ、帰ったらみんなにも見せられるね」
「そうそう~」
ニコラは頷いた。
「魔装狼なんて珍しいものも映ってるし、記録としてもかなり貴重だと思うよ」
「なるほどな」
ガレスも画面を覗く。
しかし、すぐに眉を寄せた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「マドカが……消えてないか?」
「え?」
ニコラが映像を少し戻す。
魔装狼が襲いかかる。
次の瞬間。
映像の中でマドカが一歩踏み出した。
そして――
魔装狼が突然倒れている。
「……」
「……」
「……」
全員が黙った。
「これ、時間停止中は普通の記録じゃ分からないんだね~」
ニコラが首を傾げる。
「でも、ちゃんと記録自体は残ってるから大丈夫」
「よかったぁ」
マドカが安心したように笑う。
リゼットが映像を覗き込んだ。
「それなら、私の魔法記録も合わせておけばいいわね」
「お姉ちゃんも記録してたの?」
「ええ。念のためにね」
リゼットが魔力を操作すると、淡い光が空中に浮かんだ。
「こちらなら、時間停止中に起きた魔力の変化もある程度追えるはずよ」
「すごい!」
マドカが嬉しそうに笑った。
「これならちゃんと証拠になるね!」
「そうね」
リゼットも頷く。
「今回の探索記録として残しておきましょう」
◆
その後。
マドカは倒した魔装狼の前にしゃがみ込んだ。
「これ、どうしよう?」
「素材になるでしょうね」
ガレスが答える。
「毛皮も魔石も、かなり価値があると思います」
「じゃあ持って帰ろう!」
「……」
全員が魔装狼を見る。
三メートルを超える巨体。
どう考えても普通には運べない。
マドカがリゼットを見る。
「インベントリ」
「入るわよ」
「やった!」
魔装狼の巨体が、淡い光に包まれる。
そして、一瞬で消えた。
「…………」
ガレスが呆然とする。
「本当に便利だな……」
「荷物持ちとしても最高だよね~」
ニコラが頷く。
「戦闘より便利?」
「それはないよ!」
マドカが即答した。
◆
再び歩き始める。
黒い霧の漂う洞窟を、一行は慎重に進んでいった。
しばらくして。
ガレスがぽつりと呟く。
「なあ」
「どうしたの?」
「俺たち、Sランクなんだよな?」
「そうよ」
セリナが答える。
「このダンジョンに来てから……」
ガレスは少し遠い目をした。
「俺たち、まともに活躍できてない気がするんだが」
「…………」
セリナが黙る。
ブリジットも考え込む。
「確かに……」
「みんなちゃんと強いよ?」
マドカが振り返った。
「私がいるから目立たないだけで!」
「それ、慰めになってるような、なってないような……」
ガレスが苦笑する。
ニコラが楽しそうに笑った。
「でも、記録にはちゃんと残ってるよ~」
「そうだな」
ガレスも少し笑う。
「それならまあ……いいか」
ニコラが魔導記録機を確認する。
そこには、ここまでの探索の記録がしっかりと保存されていた。
珍しい魔物。
危険な戦闘。
そして、未知のダンジョン。
この先で何が待っているのかは、まだ誰にも分からない。
「行こう!」
マドカが前を向く。
「次は十二階層だよ!」
「ああ」
ガレスたちも続く。
一行は、黒い霧の向こうへと進んでいった。
そして。
第十二階層へ向かった。




