体験入学
ある日の朝。
「マドカ、少しお願いしたいことがあるのだけれど」
朝食を終えたところで、クリスティーナがそう切り出した。
「お願い?」
「ええ。今年から貴族学園に入る子たちについて、少し見てきてほしいの」
「私が?」
マドカは首を傾げた。
「私、学校には通ってないけど……それでもいいの?」
「だからお願いしたいのよ」
クリスティーナは穏やかに笑った。
「普段から学校にいる子ではなく、外から見たほうが気づくこともあるでしょう?」
「なるほど」
マドカは少し考える。
「今年の新入生がどんな子たちなのか見て、変なことをしてないか調べればいいの?」
「そういうことね。特に、貴族だからといって周囲に無茶を言ったり、身分を振りかざしたりする子がいないか。あなた自身の目で見てきてほしいの」
「ふーん……」
マドカは考える。
学校。
自分と同じくらいの年齢の子たちが集まっている場所。
エキドナにいる同年代といえば、どうしても冒険者や配信関係の知り合いが多い。
普通の貴族の子と一緒に過ごす機会は、確かにほとんどない。
「それなら、ちょっと面白そう」
「行ってくれる?」
「うん。お母さんからのお願いなら、ちゃんと見てくるよ」
マドカは素直に頷いた。
「それに、学校ってどんなところなのかも見てみたいし」
「そう言ってくれると思っていたわ」
「何日くらい?」
「三日間」
「三日かぁ」
マドカは少し考えてから、笑った。
「じゃあ、その三日間でちゃんと調べてくる」
こうして、マドカの三日間の体験入学が決まった。
◇
そして初日。
マドカは貴族学園へやってきた。
まず案内されたのは、教師たちが用意した簡単な学力試験だった。
「体験入学とはいえ、最低限の学力を確認させていただきます」
「分かりました」
机に座り、問題用紙を見る。
「…………」
マドカは黙々と解いていく。
しばらくして。
「終わりました」
「もうですか?」
「うん」
教師が答案を確認する。
基本的な読み書き。
計算。
歴史。
地理。
一般教養。
どれもマドカにとっては、すでに学んだ内容だった。
ノイティス家に入ってから受けてきた教育はかなり厳しい。
それ以前にも、マドカには元々十八歳まで生きてきた経験がある。
加えて、身体能力の向上によって視覚や記憶力も以前とは比べものにならない。
本人としては、特別に頑張っているつもりはなかった。
「……これ、普通に解けると思うけど」
そんな感覚だった。
答案を確認した教師は、少し驚いた顔をする。
「問題ありませんね」
「じゃあ、入学できる?」
「正式な入学ではありません。今回はあくまで三日間の体験入学です」
「あ、そうなんだ」
マドカは少し安心した。
「ちなみに、今の年齢で正式に通う必要はありません」
「そうなの?」
「はい。貴族学園は基本的にエスカレーター制です。現在のマドカ様でしたら、自宅での学習を続けていただいて問題ありません」
「なるほど」
「むしろ、現在のエキドナでの活動を考えれば、そちらを続けていただいたほうがよいでしょう」
「それならよかった」
マドカはほっとしたように息を吐く。
「エキドナでやってること、まだまだ途中だし。学校に行くために三年間いったん離れろって言われたら、ちょっと困るところだったよ」
「もちろん、その必要はありません」
「じゃあ、あと三年はエキドナで仕事してていいんだね」
「はい。ただし――」
教師が続ける。
「十六歳になれば、貴族として正式に学園へ通うことになります」
「ああ、そこは決まってるんだ」
「はい」
「分かった。じゃあ今のうちに、学校ってどんなところなのか見ておけばいいんだね」
「そういうことです」
マドカは頷いた。
「じゃあ、お母さんに頼まれたこともあるし、三日間ちゃんと見てくるよ」
◇
その後、マドカは教室へ案内された。
廊下を歩いていると、何人かの生徒がこちらを見ている。
当然だった。
マドカ・ノイティス。
公爵家の養女。
そして、エキドナの活動を通して名前を知られている少女。
普段から配信を見ている生徒も少なくない。
「あれ……マドカさんじゃない?」
「本物だ……」
「配信で見たことある」
「思ったより普通……」
そんな声が聞こえてくる。
マドカは少しだけ周囲を見た。
こういう反応をされるのには、もう慣れている。
ただ――。
同年代の貴族の子たちと直接話すのは、ほとんど初めてだった。
クリスティーナからも、余計な揉め事を起こさないように、と言われている。
エキドナなら、多少変なことを言っても笑って流してくれる。
けれど、ここは貴族学園だ。
「……まあ、最初は慎重にしたほうがいいかな」
マドカは小さく呟いた。
◇
「それでは、紹介します」
教室に入ると、教師が生徒たちに向かって話し始めた。
「今日から三日間、体験入学でこちらに来るマドカ・ノイティスさんです」
教室の空気が少し変わる。
何人かの生徒が興味深そうにマドカを見る。
教師がマドカに視線を向ける。
「マドカさん、簡単に挨拶を」
「はい」
マドカは教室を見渡した。
「三日間だけだけど、よろしくお願いします」
そこで一度言葉を止める。
少しだけ考えてから、続けた。
「学校のことはまだよく分からないけど、せっかく来たから、みんなとも普通に話してみたいと思ってます」
何人かの生徒が顔を見合わせた。
配信で見るマドカとは、少し違う。
もっと明るく話す印象だった。
けれど、本人は特に気にしていない。
今はまだ、周囲の様子を見ているだけだった。
「それでは、空いている席へ」
「はい」
マドカは席につく。
授業が始まった。
教師が説明を始める。
マドカは教科書を見る。
「…………」
しばらくして。
「…………」
さらにしばらくして。
マドカの目が少しずつ細くなる。
(……これ、もう知ってるな)
内容そのものは難しくない。
むしろ、かなり前に勉強したものだった。
だからといって、授業中に勝手なことをするわけにもいかない。
マドカは一応真面目に座っている。
ただし――。
(……眠い)
その様子を、周囲の生徒たちはちらちらと見ていた。
配信で見るマドカは、もっとハキハキ喋っている。
戦闘では迷いなく動くし、仲間と話しているときも楽しそうだ。
なのに今は、授業中ずっと静か。
「……あれ?」
ある生徒が小声で呟いた。
「配信と全然違わない?」
「もしかして、学校ではキャラ作ってるのかな……」
そんな疑問まで出てくる。
本人は知らない。
ただ静かに授業を受けながら、
(早く休み時間にならないかな)
と考えていた。
そしてチャイムが鳴る。
マドカは少しだけ顔を上げた。
「……やっと休み時間だ」
その声は、思っていたより普通だった。
近くにいた生徒が恐る恐る話しかける。
「あの……マドカさん」
「うん?」
「本当に配信で見ていたマドカさんですよね?」
「そうだけど?」
「なんだか、授業中と全然違うので……」
「ああ」
マドカは少し困ったように笑った。
「私、同年代の貴族の子と話すことってそんなにないから」
「え?」
「だから、変なこと言って怒らせないようにって、ちょっと慎重に動いてるんだよね」
「…………」
「エキドナだと、多少変なこと言っても『またマドカがなんか言ってる』で済むんだけど、ここではそうとも限らないでしょ?」
「なるほど……」
生徒は納得したように頷いた。
「じゃあ、キャラを作ってるわけじゃないんですね」
「作ってないよ」
マドカは笑った。
「ただ、授業はちょっと眠いかな」
「それは……分かります」
周囲から小さな笑いが起きる。
マドカも少し笑った。
こうして、マドカの体験入学初日は始まった。




