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落内円は落ちている  作者: 七風


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幻影ニコラ

 訓練場。


 ルーデウスは、目の前に現れたニコラの幻影を見ていた。


「……本当にニコラさんなんだよな?」


「うん」


 マドカがヒロバトを操作する。


「ニコラの現在のデータだよ」


「……」


 ルーデウスは少しだけ安心した。


 アリシアの幻影には何もできずに負けた。


 だが、ニコラは戦闘員というわけではない。


 少なくとも本人から聞いた限りでは、普段は魔道具や研究をしている人間だ。


「なら――」


 ルーデウスが剣を構える。


「今度こそ……!」


 ニコラの幻影も魔道具を構えた。


「開始!」


 合図と同時に、ルーデウスが踏み込む。


 速い。


 一気に距離を詰め、剣を振り下ろす。


 ――ひょい。


「……?」


 ニコラの幻影は、首を少し傾けただけだった。


 剣が空を切る。


「なっ――」


 ルーデウスが振り返る。


 そこには、何事もなかったかのように立っている幻影。


 そして――。


 自分の頬を指差した。


 次に、ルーデウスの剣を指差す。


 もう一度、自分の頬を指差す。


「……何?」


 幻影は肩をすくめた。


 両手を広げる。


 ――それだけ?


 そんな意味にしか見えない。


「くっ……!」


 ルーデウスが再び踏み込む。


 横薙ぎ。


 幻影は身体を後ろへ反らした。


 刃が鼻先を通過する。


 そのまま身体を起こすと――。


 ぺろっ。


「あっかんべー」


「お前……!」


 ルーデウスが振り返る。


 幻影はすでに魔道具を構えていた。


 カチッ。


 光弾が飛ぶ。


「うわっ!」


 ルーデウスが横へ飛ぶ。


 床を転がり、すぐに立ち上がる。


「まだだ!」


 再び踏み込む。


 幻影が後ろへ下がる。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 ルーデウスが追いかける。


 ところが――。


 幻影が突然立ち止まった。


「……?」


 両手を腰に当てる。


 首を傾げる。


 そして――。


 手招き。


「来いってことか……!」


 ルーデウスが突っ込む。


 幻影は直前で横へ移動。


 ルーデウスの剣が空を切った。


 そのまま背後へ回る。


 肩を軽く叩くような仕草。


 実際には触れていない。


 そして、ルーデウスの背中を指差す。


 続けて、自分の背中を指差す。


 首を横に振る。


「……?」


 マドカが笑った。


「ああ、それはね」


「分かるのか!?」


「たぶん『後ろ取られてるよ』って言ってる」


「分かるわけないだろ!」


 幻影が首を傾げる。


 そして、自分の耳に手を当てた。


 聞こえない。


 そんな仕草。


「…………」


 ルーデウスの額に青筋が浮く。


「お前、絶対俺を馬鹿にしてるだろ!」


 幻影が満面の笑み。


 親指を立てた。


「……?」


 次の瞬間。


 親指を下へ向ける。


「逆!?」


 マドカが腹を抱えて笑う。


「ニコラ、今日すごく楽しそう!」


「他人事だと思って……!」


 幻影はさらに調子に乗った。


 魔道具を肩に担ぐ。


 そして――。


 突然、踊り始めた。


「…………」


 両手を左右に振る。


 腰を揺らす。


 足を軽く踏み替える。


 まるで何かのダンスを踊っている。


「何してるんだ!?」


 ルーデウスが叫ぶ。


「ん?」


 マドカが少し考える。


「ああ、あれはね」


「また分かるのか!?」


「たぶん『攻撃してこないの?』って言ってる」


「踊ってるだけだろ!?」


「うん。でも――」


 マドカはニコラの幻影を見る。


「『そんなに弱いなら、踊ってても勝てるよ』って感じかな」


「…………」


 ルーデウスの顔が引きつった。


 幻影はまだ踊っている。


 腕を振る。


 腰を振る。


 最後に、両手を広げて――。


 首を傾げる。


 ――どうしたの?


「……」


 ルーデウスは無言で剣を握り直した。


「絶対に一発当てる……!」


 幻影が嬉しそうに笑う。


 そして、両手を広げた。


 ――さあ、どうぞ。


「行くぞ!」


 ルーデウスが突っ込む。


 今度は正面からの斬撃。


 幻影は紙一重で避ける。


 さらに二撃目。


 三撃目。


 四撃目。


 全て避ける。


「くっ……!」


 ルーデウスが速度を上げる。


 それでも当たらない。


 幻影は、攻撃を避けるたびに小さな動きを返してくる。


 肩をすくめる。


 首を振る。


 指を左右に振って「ダメ」と示す。


 両手を広げる。


 そして――。


 自分の腕を見せるようにポーズを取る。


 続けて、ルーデウスを見る。


 また自分の腕を見る。


 最後に肩をすくめる。


「ああ」


 マドカが頷いた。


「『私の方が強いね』だ」


「わざわざ解説するな!」


 ニコラの幻影が拍手する。


 パチ。


 パチ。


 パチ。


 そして、ルーデウスを指差す。


 今度は両手を合わせて、申し訳なさそうに頭を下げる。


「……謝ってる?」


 ルーデウスが少し期待する。


 幻影が顔を上げる。


 そして――。


 大げさに笑い始めた。


「…………」


 マドカが吹き出す。


「違うね」


「何だよ!」


「『ごめん、弱すぎて笑っちゃった』だと思う」


「そんな通訳いらない!」


 幻影はさらに笑い続ける。


 そして突然、目元を指で拭う仕草。


 笑いすぎて涙が出た。


 そんな演技。


「……」


 ルーデウスの顔から、少しずつ余裕が消えていく。


「絶対に……」


 剣を握り直す。


「絶対に当てる……!」


 幻影はそんなルーデウスを見て――。


 小さく手招きした。


 来い。


 ルーデウスが踏み込む。


 幻影が避ける。


 また踏み込む。


 また避ける。


 そのたびに距離が僅かにずれる。


 そして――。


 幻影が突然しゃがんだ。


 床を指差す。


「?」


 ルーデウスが足元を見る。


 何もない。


 顔を上げる。


 ニコラの幻影が――。


 あっかんべー。


「またかよ!」


 その瞬間。


 ドンッ!


 足元から魔道具が起動した。


「うわあああっ!」


 ルーデウスの身体が吹き飛ぶ。


 床を転がる。


「お兄ちゃん大丈夫?」


「……大丈夫だ」


 ルーデウスが立ち上がる。


 ニコラの幻影は、吹き飛んだルーデウスを眺めながら――。


 拍手。


 パチ。


 パチ。


 パチ。


 そして自分を指差す。


 次にルーデウスを指差す。


 最後に親指を立てる。


「……何が言いたいんだよ」


 幻影が首を傾げる。


「分かんないけど、絶対馬鹿にしてるだろ!」


 幻影が笑う。


 そして今度は、両手で小さなハートを作った。


「なんで急に可愛くなるんだよ!」


 ハートを作ったまま、幻影がそれを投げるような仕草。


 直後――。


 魔道具から光弾が飛ぶ。


「うわっ!」


 ルーデウスが避ける。


 幻影は満足そうに頷いた。


 そして最後に――。


 舌を出す。


「あっかんべー」


「…………」


 ルーデウスは剣を握り直した。


「絶対に一発当ててやる……!」


 ニコラの幻影は、嬉しそうに笑った。


 そして両手を広げる。


 ――さあ、どうぞ。


 その姿は、完全に戦闘そのものを楽しんでいた。


「……」


 ルーデウスは一度、深く息を吐く。


 そして――。


「マドカ」


「ん?」


「これ、ニコラさんの幻影だよな?」


「うん」


「……本人もこうなるのか?」


「たまにね!」


「たまに!?」


 マドカが楽しそうに笑う。


「モンスター倒しすぎてテンション上がると、たまーにこうなる」


「本人もこのノリなのか……」


「うん!」


 幻影のニコラが、二人の会話を聞いているかのように――。


 また踊り始めた。


「…………」


 ルーデウスは天井を仰いだ。


「もう嫌だ……」


「まだ始まったばっかりだよ?」


「…………」


 ニコラの幻影が、楽しそうに笑った。


 そして再び――。


 手招きした。


 ――来い。


 ルーデウスは、震える手で剣を構え直した。

 ルーデウスは、再び剣を構えた。


「……もういい」


「ん?」


「ニコラさんが俺を馬鹿にしてるのは分かった」


 マドカが笑う。


「分かったんだ」


「分かるよ!」


 ルーデウスは息を整えながら、幻影を睨む。


「でも、あれだけ避けられるなら、普通に戦っても勝てない」


「うん」


「だったら――」


 ルーデウスは周囲を見た。


 訓練場。


 障害物は少ない。


 幻影のニコラは、こちらの動きを見ながら待っている。


「追いかけるんじゃなくて、動きを限定する」


 ルーデウスが踏み込んだ。


 今度は真正面から斬り込まない。


 幻影が横へ逃げる。


 そこへ剣を振る。


 幻影が逆へ動く。


 さらに追う。


「お?」


 マドカが少し身を乗り出した。


 ルーデウスは、ようやく考えて戦い始めている。


 だが――。


 幻影のニコラは、それすら楽しそうに眺めていた。


 次の瞬間、魔道具を一つ切り替える。


「――っ!」


 光弾ではない。


 床に小さな魔法陣が展開した。


 ルーデウスはすぐに飛び退く。


 その隙に、幻影が反対側へ移動する。


「またか!」


 追う。


 逃げる。


 追えば罠。


 距離を取れば魔法。


 近づけば別の魔道具。


 ルーデウスは必死に対応するが、少しずつ追い詰められていく。


「……これ、どうやって勝つんだ?」


「さぁ?」


 マドカが首を傾げる。


「ニコラって、戦いながら魔道具を変えるからね」


「それを先に言ってくれ!」


「言ってなかった?」


「聞いてない!」


 幻影のニコラが、また魔道具を持ち替えた。


「……」


 ルーデウスが構える。


 今度こそ来る。


 そう思った瞬間――。


 幻影は魔道具を下ろした。


 そして、手招き。


「……」


 ルーデウスは無言になった。


「行くよ」


 マドカが笑う。


「お兄ちゃん、頑張って!」


「……ああ!」


 ルーデウスが最後の力を振り絞って踏み込む。


 幻影が横へ逃げる。


 ルーデウスも追う。


 魔法陣。


 跳ぶ。


 光弾。


 剣で弾く。


 そのまま距離を詰める。


「今だ!」


 剣を振り抜く。


 ――しかし。


 ニコラの幻影は、ほんの僅かに身体をずらした。


 剣が空を切る。


 そして、幻影の魔道具がルーデウスの胸元を捉えた。


 光弾。


「……!」


 塗料が付着する。


「終了!」


 ビアンチの声が響いた。


 ルーデウスは、その場に立ち尽くした。


「……負けた」


 ニコラの幻影は、満足そうに頷いた。


 そして――。


 最後に一度だけ、親指を下へ向けた。


「……最後までそれかよ」


 マドカが吹き出す。


「ニコラ、楽しかったみたいだね」


「俺は全然楽しくない……」


 幻影が消える。


 訓練場に静けさが戻った。


 ルーデウスはしばらく黙っていたが、やがて大きく息を吐いた。


「……次」


「まだやるの?」


「やる」


 即答だった。


「でも、次はもう少し普通に戦える相手にしてくれ」


「じゃあ――」


 マドカがヒロバトの画面を見る。


「ビアンチかな」


「ビアンチさん?」


「うん。たぶん一番普通だから」


「それなら……」


 ルーデウスの表情が、少しだけ明るくなった。


「今度こそ勝てるかもしれない」


 マドカが笑う。


「じゃあ、ビアンチ呼んでみよう!」


「本人を?」


「うん!」


「……幻影だよな?」


「もちろん」


 ルーデウスは少しだけ安心した。


 そして、ヒロバトの画面に新しいデータが表示される。


 ――ビアンチ。


「よし……」


 ルーデウスが剣を構えた。


「今度こそ――」


 幻影が現れる。


「……」


 ビアンチの幻影は、ルーデウスを見る。


 そして――。


 突然、懐からメモ帳を取り出した。


「…………?」


 ルーデウスが固まる。


 幻影は何事もなかったように、メモ帳へ何かを書き始めた。


 さらさらさら。


「……何してるんだ?」


 マドカが覗き込む。


「さぁ?」


 幻影は書き終えると、ルーデウスを見る。


 そしてメモ帳を掲げた。


『対象:ルーデウス・ノイティス』


「……」


 ルーデウスの嫌な予感が、再び蘇った。


「待て」


 幻影は、さらに一行を書き加える。


『剣術を使用』


「いや、待てって!」


 マドカが笑い始める。


「ビアンチ、もう調査始めてる!」


「戦う前からかよ!」


 幻影はメモ帳を閉じる。


 そしてようやく――。


 剣を構えた。


「……今度こそ普通だな?」


 ルーデウスが構える。


 だが、そのメモ帳にはすでに次の一行が書かれていた。


『観察対象、かなり焦っている』


「書くな!」


 マドカの笑い声が、訓練場に響いた。


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