公爵家に帰る
ノイティス公爵邸。
マドカがこの屋敷を訪れるのも、もう何度目かになっていた。
養女になると決まってから、何度か泊まりに来ている。
最初の頃は、どこへ行けばいいのかも分からず、クリスティーナの後ろをついて歩いていた。
けれど、今ではすっかり屋敷にも慣れている。
「マドカお嬢様、本日の午後はクリスティーナ様とのお茶会がございます」
「うん。分かった」
セシリアが予定表を確認しながら伝える。
「その後は特に予定は入っておりません」
「じゃあ、厨房行ってもいい?」
「料理をされるおつもりですか?」
「うん。ちょっと作りたいものがある!」
「かしこまりました」
セシリアは特に驚かなかった。
マドカが思いついたものを作り始めるのは、エキドナではいつものことだ。
「厨房には、先に話を通しておきます」
「ありがとう、セシリア」
「どういたしまして」
公爵家の中では、セシリアはあくまで専属侍女として振る舞っている。
マドカお嬢様。
丁寧な言葉遣い。
公爵家の侍女として見ても、何も不自然ではない。
けれど――。
マドカの私室に入り、二人きりになると。
「マドカちゃん、今日の予定はそんな感じね」
「うん。じゃあ、厨房行ってくる!」
「分かった。終わったら呼んでね」
「はーい」
そこには、エキドナでいつも一緒にいるセシリアの姿が戻っていた。
◆
公爵家の厨房。
「マドカお嬢様、何をお作りになるのでしょうか?」
料理人たちが興味深そうに見守っている。
「んー……」
マドカは厨房に並ぶ材料を眺めた。
肉。
小麦粉。
卵。
パン粉。
そして――油。
「これで料理、作ろうか」
「何を?」
料理人の一人が尋ねる。
「まだ決めてない!」
「決めていないのですか?」
「うん。でも、これなら作れると思う」
マドカは材料を手に取っていく。
「まずお肉を――」
下味をつける。
小麦粉をまぶす。
卵をくぐらせる。
そしてパン粉をつける。
「パン粉をこんなに使う料理は、珍しいですね」
「揚げるからね」
「揚げる?」
「うん」
油の中へ入れる。
ジュワッ――。
香ばしい音が厨房に響いた。
「……」
料理人たちが思わず手を止める。
やがて、こんがりと色づいた肉を取り出す。
「できた!」
「これは……?」
「トンカツ!」
「トンカツ……?」
「うん。切ってみよう」
マドカが包丁を入れる。
サクッ。
衣の中から、柔らかな肉が現れる。
「おお……」
「香りもいいですね」
「これ、夕食に出していい?」
マドカが料理人を見る。
「もちろんです!」
「じゃあ、お母さんにも食べてもらおう!」
◆
夕食。
公爵家の食卓には、いつもの料理に加えて、一皿の新しい料理が並んでいた。
「これは?」
ルーデウスが皿を見る。
「私が作ったんだよ!」
クリスティーナが嬉しそうに答える。
「マドカが?」
「うん!」
マドカが胸を張る。
「食べてみて!」
「じゃあ――」
ルーデウスが一口食べる。
「……」
しばらく黙った。
「ん? マドカ、これはなんだ?」
「トンカツだよ!」
「すごいうまいんだけど」
ルーデウスがもう一口食べる。
「衣がサクサクしてて、中の肉が柔らかい」
「あら、本当」
クリスティーナも一口食べる。
「初めて食べましたわ。これは、とても美味しいですわね」
「でしょ?」
マドカは満足そうに頷く。
その横で、ルーデウスも食べ続けている。
「これ、ゴールでは食べてないな」
「うん」
マドカはトンカツを眺めながら、ふと考え込んだ。
「……そういえば」
「どうしました?」
クリスティーナが聞く。
「からあげはゴールに広めたけど」
「ええ」
「トンカツは、まだだったね」
「そういえば、聞いたことがありませんわ」
「じゃあ、今度ゴールでも作ろうかな!」
「ぜひお願いします」
ルーデウスが即答した。
「これ、もっと食べたい」
「お兄ちゃん、気に入った?」
「ああ」
ルーデウスは笑う。
「かなり気に入った」
「じゃあ、今度作り方も教えるね!」
「本当に?」
「うん!」
クリスティーナも楽しそうに二人を見ている。
「では、ゴールでも新しい料理が増えるのですわね」
「そうだね!」
マドカが嬉しそうに笑う。
「トンカツ、流行るかな?」
「流行ると思いますよ」
セシリアが少し離れたところから答えた。
「マドカちゃんが作った料理ですもの」
「セシリアも食べた?」
「もちろんです」
「どうだった?」
「とても美味しかったですよ」
「へへ」
マドカが笑う。
公爵家の食卓に、新しい料理が一つ増えた。
それはやがてゴールへ伝わり、また一つ、エキドナから新しい食文化が広がっていくことになる。
◆
夕食後。
マドカの私室。
「今日は楽しかったね」
「そうだね。」
セシリアがマドカの荷物を整えている。
「トンカツも喜んでもらえてよかった」
「ルーデウス様は特にお気に入りのようだったわね」
「うん」
マドカはベッドに腰掛ける。
「セシリア」
「はい?」
「公爵家、結構好きかも」
「それはよかったわね」
「お母さんもいるし、お兄ちゃんもいるし」
「ええ」
「ここも、帰ってきてもいい場所って感じする」
セシリアは少しだけ微笑んだ。
「それなら、私も嬉しいわ」
「エキドナも家だけどね」
「もちろんです」
セシリアは即答した。
「私の部屋もエキドナにあるしね」
「そうだった!」
マドカが笑う。
「じゃあ、セシリアも一緒だね」
「ええ。これからもマドカちゃんの予定は、私が管理するから」
「よろしくね!」
「こちらこそ」
公爵家には、もう一つの家ができた。
けれど、エキドナでの暮らしは何も変わらない。
マドカが帰る場所は、一つではない。
そしてそのどちらにも――。
マドカを待っている家族がいるのだった。




