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落内円は落ちている  作者: 七風


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クリスティーナ夫人の提案

 クリスティーナは、しばらく黙ってマドカを見ていた。


 そして、ゆっくりと口を開く。


「……一つ、考えていることがありますの」


「何?」


 マドカが首を傾げる。


「マドカちゃんを、私の養女にするというのはどうでしょう?」


「養女?」


「ええ」


 クリスティーナは頷いた。


「ノイティス公爵家の娘として、正式に迎えるのですわ」


「……」


 マドカは少し考え込んだ。


「それって、公爵令嬢になるってこと?」


「そういうことですわね」


「でも、それだと自由にできなくならない?」


「普通の貴族令嬢であれば、そうでしょうね」


 クリスティーナは苦笑する。


「家の都合や社交のために、行動を制限されることもありますもの」


「じゃあ、私は無理だね」


 マドカが即答する。


「エキドナの活動、楽しいし」


「ええ。ですから、私はマドカちゃんに今の生活を変えてほしいわけではありませんの」


「エキドナの活動は、今まで通り?」


「もちろんです」


 クリスティーナは迷いなく答えた。


「エキドナで暮らすことも、皆様と一緒に活動することも、何も変える必要はありませんわ」


「それならいいよ!」


 マドカの顔がぱっと明るくなる。


「ただし――」


 クリスティーナが少しだけ真剣な表情になる。


「簡単な令嬢としての礼儀作法は覚えていただきたいですわ」


「礼儀作法?」


「ええ。そして、もう一つ」


「何?」


「必要のない喧嘩を売らないこと」


「……」


 マドカが考える。


「それは、さっきの話?」


「そうですわ」


 クリスティーナは頷いた。


「マドカちゃんに悪気がないことは分かっています。でも、例えば貴族の令嬢に向かって――」


 少し困ったように例を挙げる。


「『ん? そんなことも分からないの?』などと言ってしまったら?」


「……」


「マドカちゃんにとっては、ただ疑問に思っただけかもしれません」


「うん」


「でも、相手にとっては、自分の知識や能力を皆の前で否定されたように感じるかもしれないでしょう?」


「なるほど……」


 マドカは少し考えた。


「私って、無自覚に人を怒らせてたってこと?」


「ええ」


 クリスティーナが苦笑する。


「だからこそ、最低限のところだけ覚えてほしいのですわ」


「……」


 マドカが隣を見る。


「お姉ちゃんは?」


「何かしら?」


「私、そんなに人を怒らせてた?」


「そうねぇ……」


 リゼットは少し考えてから、苦笑した。


「そういえば私も、似たような言い方が多いかもしれないわね」


「お姉ちゃんも!?」


「ええ」


 リゼットは肩をすくめる。


「あなたと二人で、相手がなぜ怒っているのか分からないこともあったでしょう?」


「あったね!」


「だからといって、エキドナのやり方そのものを変える必要はないですわ」


 クリスティーナが穏やかに続ける。


「私は皆様に、今までのやり方を捨ててほしいわけではありませんの」


「じゃあ?」


「それがエキドナらしいと思うのであれば、そのまま突き通してくださいな」


 クリスティーナは微笑んだ。


「何を言っても文句しか言わない方まで、相手をする必要はありませんもの」


「それはそうだね」


 マドカも頷く。


「でも、わざわざ喧嘩になるようなことを言わないくらいなら、できそう」


「それで十分ですわ」


 クリスティーナは嬉しそうに笑った。


「私が望んでいるのは、マドカちゃんが余計な面倒に巻き込まれないことですもの」


「面倒?」


「ええ」


 クリスティーナはマドカを見る。


「マドカちゃんは強いですわ」


「うん」


「だから、もし誰かがあなたに喧嘩を売れば、あなた自身は勝てるでしょう」


「たぶん」


「でも、勝ったからといって、その後の問題まで消えるとは限りませんの」


「……ああ」


 マドカも少し理解したように頷いた。


「相手の家族とか、友達とか?」


「ええ。場合によっては家同士の話になることもありますわ」


「それは面倒だね」


「でしょう?」


 クリスティーナは柔らかく笑う。


「だから、そういう時に『この子にはノイティス公爵家がついている』と思わせられるだけでも、余計なことをする人は減るでしょう?」


「なるほど」


 リゼットが頷いた。


「王様がエキドナを気に入っているから、それで十分だと思っていたけれど……」


「国王陛下がエキドナを好意的に見てくださっていることと、マドカちゃん個人を守ることは別ですもの」


「確かにそうね」


 リゼットはマドカを見る。


「あなた自身が公爵家の養女になるなら、話は変わるわね」


「うん」


 マドカは素直に頷いた。


「それなら分かった」


「ありがとうございます」


 クリスティーナが微笑む。


「それでは、もう一つだけ確認しておきたいことがありますわ」


「何?」


 リゼットがクリスティーナを見る。


「養女にすることと、エキドナへの干渉は完全に別の話ですわ」


「……そうね」


「ですから、そこは最初から明確にしておきましょう」


 クリスティーナは姿勢を正した。


「ノイティス公爵家は、エキドナの財産、土地、建物、商品、研究成果、権利について、所有権や管理権を主張いたしません」


「ええ」


「エキドナの経営方針、活動方針、人事にも口を出しませんわ」


「それも明記してもらえるかしら?」


「もちろんです」


「マドカがエキドナの一員として行う活動についても?」


「公爵家の立場を理由に制限することはありません」


 クリスティーナははっきりと言った。


「養女として迎えるのは、あくまでマドカちゃん個人ですもの」


「エキドナまで公爵家のものになるわけではない、と」


「ええ」


 クリスティーナは屋敷を見回した。


「そもそも、私にはエキドナのものを所有したいという考え自体がありませんわ」


「そうなの?」


 マドカが首を傾げる。


「ええ」


 クリスティーナは笑う。


「私はここへ来て、皆様が作ったものを見たり、話を聞いたりするだけで、色々な発想が生まれますもの」


「発想?」


「ええ。エキドナとは違う視点から、別の使い方を考えられるのですわ」


 クリスティーナは楽しそうに続けた。


「それは私自身の領分で自由に使えばいいことですもの。わざわざエキドナの経営に口を出す必要はありませんわ」


「なるほど」


 リゼットも納得したように笑う。


「あなたはエキドナを利用して支配したいわけではなく、ここから刺激を受けて、自分の仕事に活かしているのね」


「そういうことですわ」


「それなら、自由になさい」


「ありがとうございます」


 クリスティーナは一度マドカを見る。


「そして、マドカちゃんには――」


 少しだけ表情を柔らかくする。


「たまには公爵家へ泊まりに来ていただきたいですわ」


「泊まりに?」


「ええ」


「絶対行く!」


 マドカが即答した。


「公爵家ってどんなところか見てみたい!」


「ふふ」


 クリスティーナの顔が明るくなる。


「ぜひ来てくださいな」


「親子として遊ぶんでしょ?」


「ええ」


「楽しみ!」


 その様子を見ていたリゼットが、ふっと笑った。


「ただし、マドカ」


「ん?」


「あなたが私の大事な妹であり、弟子であることは変わらないわ」


「うん!」


 マドカは迷いなく頷いた。


「お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん」


「ええ」


 リゼットは優しく笑う。


「今回の夫人の提案は、あなたをエキドナから引き離すためのものではないわ」


「世間から、身分という形であなたを守るためのものですわ」


 クリスティーナも続けた。


「そして私は、マドカちゃんを娘として迎えたい」


「うん」


 マドカは少しだけ照れたように笑った。


「じゃあ、よろしくね。お母さん?」


「……!」


 クリスティーナの目が見開かれる。


「ええ……!」


 その声が、ほんの少し震えた。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね。マドカちゃん」


「うん!」


 リゼットも小さく笑う。


「それが分かっているなら、お願いするわね」


「はい」


 こうして――。


 マドカは、これまで通りエキドナで暮らしていく。


 劇も、アイドル活動も、ダンジョンも、食べ歩きも。


 エキドナの活動は何一つ変わらない。


 ただ一つ変わるのは――。


 マドカ個人に、ノイティス公爵家という新しい家族と、身分という盾が加わることだった。


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