幻影ムサシ1
エキドナの庭にある訓練所。
マドカがガイルとの模擬戦を提案したことで、自然と見物人が集まっていた。
「剣聖の弟子とマドカが戦うのか?」
グレタは訓練場の中央を眺めながら、興味深そうに刀を見ている。
「ええ。せっかく剣聖様が来ているのですから、私も剣技を見ておきたいですね」
エレノアも真剣な顔で構えを確認していた。
「私もです。剣聖と呼ばれる方の動きが、どのようなものなのか気になります」
ブリジットも腕を組んでいる。
そして――。
「アーノルドさん、お茶をお願いしますわ」
「分かった」
ガブリエルはすでに椅子へ座り、机の上にはお茶と菓子が用意されていた。
「ガブちゃん、もう観戦する気満々じゃん」
マドカが笑う。
「もちろんですわ!」
ガブリエルは嬉しそうに答える。
「マドカと剣聖様の戦いまで見られるかもしれないのですもの。こんな機会、逃すわけにはいきませんわ!」
「まだ私、ムサシと戦うって決まってないけど」
「それはこれから決めるのでしょう?」
「まぁ、そうだけど」
マドカが苦笑する。
アーノルドがガブリエルの前にお茶を置いた。
「ありがとうございますわ!」
ガブリエルはさっそく一口飲む。
その様子を見て、ムサシが小さく笑った。
「随分と楽しそうですな」
「ええ。面白そうなことが始まる時は、みんな集まるわ」
リゼットが答える。
やがて、訓練場の中央でマドカとガイルが向かい合った。
ガイルが剣を抜く。
マドカも刀を抜いた。
「それじゃあ、始めようか」
ガイルがマドカを見る。
「本気でかかってきなさい」
「いいの?」
マドカが少し意外そうに聞き返した。
「ああ、そこまでやわではないよ」
「分かった」
マドカも刀を構える。
ムサシは少し離れたところから二人を見ていた。
「では、始め!」
誰かが声を上げた。
次の瞬間。
ガイルが消えた。
「――っ!」
凄まじい踏み込みだった。
一瞬で間合いを詰め、剣がマドカの首元へ向かう。
しかし――。
マドカの姿も消えた。
「え?」
ガイルの視界から、マドカが完全に消える。
次の瞬間。
ドンッ!
ガイルの身体が訓練場の床を転がった。
「……?」
何が起きたのか分からない。
ガイルはゆっくりと身体を起こした。
「…………今、何を?」
マドカは刀を鞘へ戻している。
「終わり?」
「……」
ガイルが自分の身体を見る。
怪我はない。
ただ、戦闘そのものが終わっていた。
「俺……攻撃したよな?」
「うん」
「その後は?」
「私が勝った」
「いや、そうじゃなくて……」
ガイルは困惑したままムサシを見る。
「師匠。今の、見えました?」
「……いや」
ムサシも珍しく言葉を失っていた。
「ワシにも何が起きたのか分からん」
その横で、リゼットは何も言わない。
ガブリエルも、お茶を飲んでいる。
エレノアも、ブリジットも黙っている。
グレタも何も言わない。
時間停止を知っている者たちは、全員同じことを思っていた。
――卑怯くさい。
だが、誰も口にはしなかった。
「……まぁ」
ガイルが立ち上がる。
「俺の負けってことですね」
「うん。じゃあ、次はムサシ?」
「うむ」
ムサシが一歩前へ出る。
「では、ワシが――」
「ちょっと待って。私さぁ、怪我したくないんだけど」
「む?」
「ムサシ、本気でやるんでしょ?」
「ああ」
「だったら、普通に戦ったら痛いじゃん」
マドカが少し嫌そうな顔をする。
ムサシは困ったように笑った。
「それはまあ……ワシも剣を振る以上、当たれば痛いだろうが」
「だから嫌」
そこでリゼットが口を挟んだ。
「なら、幻影を登録しなさいな」
「幻影?」
「ヒロバトよ」
「ああ!なるほど。それならば安全に戦えるのですな!」
「ええ。本人の代わりに幻影を相手にするだけだから、マドカが怪我をすることもないわ」
「それは面白い!」
ムサシはすぐに納得した。
「では、ワシのデータを登録してみようではないか」
「うん」
マドカがヒロバトを準備する。
ムサシのデータを登録し、必要な設定を行う。
「時間はどうする?」
「三十分くらいでいいんじゃない?」
マドカが答える。
「それくらいあれば十分でしょうね」
リゼットも頷いた。
「では、三十分で契約しましょう」
ムサシのデータが登録される。
やがて訓練場の中央に、もう一人のムサシが現れた。
「おお……」
本物のムサシが目を細める。
「これがワシの幻影か」
幻影のムサシが刀を抜く。
その姿を見て、グレタが少し身を乗り出した。
「……なるほど」
刀を構えるまでの動き。
足の置き方。
身体の重心。
刀を握る位置。
全てが自然で、無駄がない。
グレタは黙って見つめている。
「それでは――」
ムサシが笑った。
「マドカ、ワシの幻影を相手にどこまでやれるか見させてもらうぞ」
「うん」
マドカも刀を構える。
「よろしく」
開始。
幻影のムサシが踏み込んだ。
速い。
マドカは反射的に身体を横へ逃がした。
刀が頬のすぐ横を通り過ぎる。
「……!」
そのまま幻影が次々と刀を振るう。
マドカは受けず、紙一重で避け続けた。
攻撃する様子はない。
ただ、見ている。
「……」
グレタも黙っている。
エレノアも、ブリジットも、幻影の刀から目を離さない。
ムサシ本人は、その様子を楽しそうに眺めていた。
「そうか」
「何がですか?」
ガイルが尋ねる。
「マドカは、ワシの刀を見ておるのだ」
「見る?」
「ただ避けているわけではない」
ムサシが笑う。
「一つ一つ覚えておる」
幻影のムサシは、攻撃の角度や間合いを変えながら攻め続ける。
マドカはそれを避けながら、足、腰、肩、刀の動きを一つずつ見ていた。
時間が過ぎていく。
五分。
十分。
十五分。
ガブリエルは最初こそ興味深そうに見ていたが、やがてお茶を一口飲んだ。
「……」
もう一口。
また幻影を見る。
「……まだ避けてますわね。マドカ長いですわぁ・・・」
小さく呟く。
アーノルドが何も言わず、お茶を注ぎ足した。
「ありがとうございますわ!」
ガブリエルは再び訓練場を見る。
マドカはまだ避けている。
しかし――。
最初とは明らかに違っていた。
最初は刀を見てから避けていた。
今は、ムサシが動き出す前に身体が動いている。
踏み込む前の重心。
肩の僅かな動き。
刀を振る直前の身体の向き。
少しずつ、マドカの中で繋がっていく。
そして、ある瞬間。
「……あ」
マドカが小さく声を漏らした。
幻影のムサシが斬り込む。
マドカは一歩だけ前へ出た。
刀が身体の横を通り過ぎる。
そのままマドカは振り返った。
「……分かった」
マドカの表情が変わる。
今までの回避とは違う。
もう、ただ避けるだけではない。
幻影のムサシが再び踏み込む。
マドカは、その動きを待った。
そして――。
「これは……こう避ける」
刀が迫る。
マドカは、ムサシの剣筋に沿うように身体を滑らせた。
完全に死角へ入る。
幻影が振り返る。
マドカの刀が動く。
ガキン!
初めて、マドカの刀が幻影の刀を弾いた。
「おお!」
ガイルが声を上げる。
グレタも目を見開いた。
エレノアとブリジットも、思わず前へ出る。
ガブリエルはお茶を置いた。
「……あら?」
ムサシだけが、楽しそうに笑っていた。
「ふはは……!」
マドカは幻影のムサシを見る。
「そうきたか」
次の一撃。
マドカは避ける。
「では、こう」
ガキン!
幻影のムサシの刀が弾かれる。
それまで一方的に避け続けていた戦いが、ここで初めて変わった。




