ヒナタ 思い出す
エキドナ邸へ戻ったリゼットとマドカは、ヒナタを呼んだ。
「ヒナタ、ちょっといいかしら」
「はい?」
ヒナタが部屋へ入ってくる。
「あなたの過去の記憶の断片が見つかったわ」
「え?」
リゼットから渡されたのは、一枚の写真と古びた日記だった。
「これを見て」
「……んー」
ヒナタは写真を見る。
そこに写っている少女を、じっと眺める。
「どう見ても私ですよね」
「でしょう?」
マドカも頷く。
「日記には何て書いてあるんです?」
「それがね」
マドカが日記の内容を説明する。
「この写真のヒナタは、過去に私たちがいた地球から、神社ごとこの世界に転移してきたって書いてる」
「神社ごと……」
「うん。この神社を拠点にしてたけど、いつまでもここにいるわけにはいかないから旅に出たって」
「それで?」
「限界集落みたいになってた村を見つけて、そこで生き残ってた人たちと一緒に、新しい場所を探すことにしたみたい」
リゼットが続ける。
「そして、色んな種族が集まって町を作っているダンジョンがあると知って、そのダンジョンを目指した」
「……」
「最後にこう書いてあったわ」
マドカが日記を見せる。
「『この世界にいたって記憶を残します。土御門日向』だって」
「土御門……」
ヒナタが、その名前を口にした。
その瞬間だった。
ヒナタの表情が、ほんの少しだけ変わった。
「……」
何かを思い出そうとするように、目を閉じる。
頭の奥を探る。
けれど、そこにあるのは何かの記憶ではなかった。
遠い。
どこまでも遠い。
手を伸ばしても届かないものが、そこにあるような感覚。
「……」
ヒナタの眉が少し寄る。
「ヒナタ?」
マドカが心配そうに声を掛ける。
返事はない。
ヒナタは目を閉じたまま、もう一度記憶を探そうとする。
すると――。
一筋の涙が頬を伝った。
「……え?」
ヒナタ自身が、一番驚いた。
ゆっくり目を開ける。
頬に触れると、指先が濡れていた。
「……なんで?」
もう一筋。
今度は止まらない。
「ちょ、ちょっと待って……」
ヒナタは慌てて涙を拭う。
「なんで私、泣いてるんですか?」
「ヒナタ……」
マドカが心配そうに近づく。
「大丈夫?」
「大丈夫です。痛くもないし、悲しいわけでもないんです」
そう言いながらも、涙だけは次々にこぼれていく。
「本当に、悲しくないんです」
「無理に止めなくていいわ」
リゼットが静かに声を掛ける。
「記憶がなくても、何かが残っているのかもしれないもの」
「何か……」
ヒナタは写真を見る。
そこには、今の自分とほとんど変わらない少女がいる。
神社の前で笑っている。
その少女が自分だと分かる。
でも、その頃のことは何も思い出せない。
「……変な感じです」
ヒナタは涙を拭いながら呟く。
「何も覚えてないのに」
写真を胸元に寄せる。
「この場所を知ってるような気がする」
「うん」
マドカは静かに頷いた。
「もしかしたら、頭では忘れてても、何かは覚えてるのかもしれないね」
「……そうなのかな」
ヒナタは少しだけ笑う。
「懐かしい気分です」
リゼットはヒナタを見つめる。
「何か思い出せそうね」
「……そうなんでしょうか」
「この日記を見る限り、あなたが地球からこの世界へ来たということは確定しているわ」
リゼットが日記を見る。
「記憶がないのは、何か事故で記憶を失ってしまって、この世界の人間だと自分で思い込んでしまった……とかじゃないかしら」
「まぁ、そんなところだろうと思うよ?」
マドカが言う。
「ヒナタが望むなら、実際に神社を見に行けばいいわ」
ヒナタはしばらく写真を見ていた。
「そうですね」
そして、涙の跡を指で拭う。
「過去の私が、どんなところに住んでいたのかは気になりますね」
◇
三人は神社へ向かった。
しばらく森を歩き、昨日の鳥居が見えてくる。
「来たか」
鳥居の脇にいた狛犬が声を掛けてきた。
「……うっ」
マドカが足を止める。
「どうしたの?」
「狛犬が……」
昨日とは違う。
二体の狛犬は、何かを思い出そうとしているようだった。
「お前は……」
一体がヒナタを見る。
「巫女……」
「え?」
ヒナタが目を丸くする。
「ヒナタ」
もう一体が続けた。
「ヒナタではないか」
「え?」
ヒナタは困ったように笑う。
「確かに私はヒナタですけど……記憶がないんです」
「そうか」
二体の狛犬は顔を見合わせる。
「俺らは思い出した」
「何を?」
「過去、俺達は地球という世界の、日本という国の神社で付喪神をしていた」
「……!」
マドカとリゼットが顔を見合わせる。
「神社に邪が寄らぬよう、結界を張っていたのだ」
「人避けの結界……というより、人を選ぶ結界かしら」
リゼットが考える。
「まぁ、神社って神聖なイメージあるしね」
マドカも頷く。
「そこで育ったのがお前だ」
一体の狛犬がヒナタを見る。
「日向」
「……」
「神社の庭ではしゃいでは、よく転ぶわっぱであったな」
「ふふ」
ヒナタが小さく笑う。
「懐かしい……」
「そうなんですね」
ヒナタは二体の狛犬を見る。
「記憶を思い出せなくて、ごめんなさい」
「謝ることではない」
狛犬は静かに答えた。
「この世界がどういうものなのかは、俺らにも分からない」
「だが、日向がこの世界で生きていけるように、この神社では害が来ないようにはしていた」
マドカが思い出す。
「お腹が空かないって日記に書いてたわね」
「それも、この石像の力なのかもしれないわね」
リゼットが狛犬を見る。
ヒナタは二体を見つめた。
「ふふ……守ってくれてたんですね」
「ああ」
狛犬は頷いた。
「そして、何人かをここに連れて来た」
「生き残りの人たち?」
「ああ」
「新天地を探すのだと出て行ってしまった」
もう一体が続ける。
「役目を終えた俺らは、そのまま眠りについたようだ」
「なるほどね」
リゼットが静かに頷いた。
「当時、ヒナタはここにいた」
マドカも神社を見回す。
「それだけ分かればいいんじゃない?」
ヒナタは何も言わず、古い神社を見つめていた。
◇
神社を眺めていたヒナタが、突然その場でうずくまった。
「ヒナタ!?」
マドカとリゼットが駆け寄る。
「大丈夫!?」
「だ、大丈夫です……」
ヒナタは少し俯いたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「……思い出しました」
「え?」
「私の名前は、土御門日向。この神社の巫女です」
ヒナタは神社を見上げる。
「私の家系は、霊能力とか回復術とか、破魔の術を扱う家系で……代々、この神社を継いできたんです」
「それで、地球から神社ごと転移してきたのね」
「はい。でも、私だけ留守番している日に、いきなり地震が来て……気づいたら、この世界にいました。あとは日記に書いてある通りですね」
ヒナタは神社を見ながら、ふっと笑った。
「ふふ……本当に懐かしいですね」
「体に異変はないかしら?」
「そうですねー」
ヒナタは少し考えると、その場でゆっくりと踊り始めた。
マドカとリゼットは黙って見守る。
それは何かの儀式のような、美しい舞だった。
「……ん?」
舞を終えたヒナタが、自分の手を見つめる。
「何か、力が湧いてくる感じがする!」
「付与術のようなものかしら?」
「ええ。力を増幅する舞ですね。他にも、破魔術なんかも思い出しました」
「元々あなたが使っていた回復系の魔法も、日向だった頃に覚えていたものを、この世界風に使っていたのかもしれないわね」
「ああ、ヒナタってヒーラーだしね」
「そしてダンジョンでこの世界のことを色々調べているうちに、薬師なんかも覚えたのかもしれないわ」
「そうなるのかな」
ヒナタは自分の身体を軽く動かしながら、少し笑った。
「なんだか、すっきりした気分です」
そして、二人を振り返る。
「でも、私は私ですよ。過去に日本人だったことを思い出しただけで、何も変わりません。エキドナのヒナタです!」
「それでいいわ。あなたが変わったって意味ではないもの」
リゼットは笑って、神社の左右にある狛犬を見る。
「あの狛犬という石と、少し話してきなさいな」
「はーい」
ヒナタが狛犬の方へ向かう。
その後ろ姿を見ながら、マドカが神社を見上げた。
「お姉ちゃん。ここ、どうしたらいい?」
「どうしたら、って?」
「冒険者とか来たら、荒れちゃうよ?」
「そうね……危険ではないけど、ここは神が守る神聖な場所ということにして、大事に修復する。でいいんじゃないかしら」
「お参りの場所ってことにすればいいかもね!」
「まぁ、よっぽどのことがないとここまで来るのには危険だし、わざわざ来ることもないでしょう?」
「確かにね!」
二人は、もう一度神社を眺めた。
遠い昔に地球からやってきた、小さな神社。
これからこの場所は、エキドナの管理のもと、少しずつ立派に建て直されていくことになる。




