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落内円は落ちている  作者: 七風


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聖女ナナリー

 私がこの世界で前世の記憶を思い出してから、もう一年半になる。


 どうやら、この身体の持ち主だったナナリーは、母親と二人で暮らしていたらしい。


 私が前世――渡辺奈々子としての記憶を完全に取り戻したのは、十六歳になった頃だった。


 母が亡くなった、その日のこと。


 突然だった。


 頭の中に、知らないはずの記憶が一気に流れ込んできた。


 自分が生まれた場所。


 育った場所。


 友達。


 学校。


 そして――歌やダンス。


「…………」


 最初は、本当に何が起きたのか分からなかった。


 私はナナリー。


 それなのに、私は渡辺奈々子でもある。


 しかも、どうやら私は悪魔にこの世界へ送り込まれたらしい。


 普通、異世界転生って女神とか天使じゃないの?


 なんで悪魔?


 まあ、死んだ理由もよく分からないし、文句を言えるような状況でもなかった。


 その悪魔さんに、


「あなた、チートは何が欲しい?」


 と聞かれた。


 私は少し考えてから答えた。


「んー……前世と同じくらいのスペックでいいです」


「ほう?」


「歌とかダンスが好きなんで。その程度でいいですよ」


 悪魔さんは、ちょっと面白そうな顔をした。


「ふふ。欲がありませんね」


「そうですか?」


「いいでしょう!」


 そして、にっこり笑った。


「あなたがこの世界で楽しめるか、見ていますね。お元気で」


 そんな感じだった。


「…………」


 今思い返しても、ずいぶん適当な異世界転生だったと思う。


 でも、不思議と混乱は長く続かなかった。


 ナナリーの記憶もちゃんと残っていたからだ。


 私はナナリーの記憶を奪って成り代わったわけじゃない。


 どちらも私なのだ。


 ナナリーも、私と同じように歌や踊りが大好きな女の子だった。


 だから、前世の記憶を取り戻してからも、私はそれほど違和感なく生活できた。


 しばらくの貯金も残っていた。


 母が残してくれた家もあった。


 とりあえず、生きていける。


 それならいい。


 そう思っていた。


 ただ、一つだけ驚いたことがある。


「……なんか、奈々子の時より踊れるんだけど」


 身体が軽い。


 思った以上に動く。


 歌ってみれば、声もよく通る。


 これは悪魔さんが何かしてくれたのか、それともナナリーの身体が元々そうだったのか。


 よく分からない。


 でも、好きなことができるなら、それでいい。


 私は酒場で働き始めた。


 料理を運んだり、掃除をしたり。


 そして、ときどき舞台に立った。


 歌ったり。


 踊ったり。


 最初はちょっとした余興だった。


 そのうち、路上でも歌うようになった。


 そうしていると――


「聖女様!」


「聖女様の歌だ!」


「こっちを向いてください!」


「…………え?」


 聖女様?


 私が?


 何それ。


 変なの。


 でも、どうやらこの世界ではそういう文化があるらしい。


 この世界には、七つの大罪の神様を信仰する国がある。


 地球では、なんとなく悪いものとして扱われていた名前だ。


 けれど、この世界では少し違う。


 私が暮らしている色欲の国――アスモディアでは、芸術がとても大切にされている。


 歌。


 踊り。


 絵。


 彫刻。


 演劇。


 美しいもの。


 人を楽しませるもの。


 そういうものが、この国では大切なのだという。


 だから、歌や踊りが上手な女の子は教会からスカウトされることがある。


 そして、その中でも特に才能のある人間が――聖女になる。


「……私、聖女じゃないよ?」


 そう言った私に、教会の人は笑った。


「ナナリーさんなら大丈夫ですよ」


「でも、聖女ってもっとこう……」


 私の中にある地球の教会のイメージとは全然違う。


 規則正しく生活しましょう。


 神を信じますか?


 お祈りをしましょう。


 そんなものだと思っていた。


 宗教って、怖いものなんじゃないの?


 でも、世界が違えば文化も違うらしい。


「聖女になっていただければ、歌や踊りを披露するお仕事をしていただきます」


「仕事?」


「はい。きちんとお給料も出ます」


「……お給料」


「国民の皆さんに、あなたの歌や踊りを見ていただく場所も用意します」


「…………」


 それって。


「アイドル?」


「……あいどる?」


「なんでもないです」


 私は少し考えた。


 歌って。


 踊って。


 お金がもらえて。


 見てくれる人もいる。


「……やります」


 こうして私は、聖女になった。


 教会の近くに、一人暮らし用の家も用意してもらった。


 広すぎず、狭すぎない。


 私には十分な一LDKくらいの家。


 家賃は教会持ち。


 生活に困ることもない。


 毎日、歌と踊りのレッスン。


 そして週に三回くらい、三十分ほど信者さんの前でライブをする。


「…………」


 私はステージの上で歌う。


 歌い終わる。


 拍手。


 笑顔。


「聖女様ー!」


「今日も素敵でした!」


「ありがとうございました!」


 私は手を振る。


「ありがとうございましたー!」


 そして家に帰る。


「……楽だなぁ」


 ご飯は食べられる。


 家賃もいらない。


 好きな歌とダンスをしていればいい。


 まあ――。


「ご飯はあんまり美味しくないけど」


 この世界の料理は、前世と比べるとかなり素朴だった。


 それでも、生活には満足していた。


 そんな私のところへ、ある日。


「聖女様~」


 私のマネージャーのような立場のお姉さんがやってきた。


「今日もお疲れ様です」


「お疲れ様です」


 この人はスケジュール管理がすごくしっかりしている。


 でも、仕事の話だけをする人じゃない。


 普通に話してくれるし、私のことも気にかけてくれる。


 頼れるお姉さんだ。


「そういえば、最近面白い物が輸入されてきましたよ」


「面白い物?」


「お土産に持ってきました」


「なんだろ」


 渡された箱を見る。


「……モンスターゲット・バトラー?」


 聞いたことのない名前。


 でも、箱を開けると――。


「……ゲーム?」


 中に入っていたのは、スマートフォンのような形をした機械だった。


「機械?」


 この世界にも魔道具はある。


 でも、ここまで小さな板状のものは珍しい。


「モンスターを捕まえて、戦わせる対戦ゲームだそうですよ」


「へぇ……」


 説明を聞きながら操作してみる。


 登録されたモンスターを呼び出す。


 すると――


「うわ」


 目の前に、立体的なモンスターが現れた。


 まるでホログラムみたいだ。


「…………」


 私はしばらく、そのモンスターを眺めた。


「これ……本当に、この世界の技術?」


「魔道具らしいですよ」


「いやぁ……」


 私は首を傾げる。


「無理じゃないかなぁ」


 魔法はある。


 魔道具もある。


 でも、ここまでできるの?


 そんな疑問を抱きながら、説明書を眺めていると――。


「あ、そうそう」


 マネージャーが思い出したように言った。


「暴食の国から、新しい料理のレシピが提供されたんですよ」


「料理?」


「今からお作りしますね!」


 そう言って、笑顔でキッチンへ向かっていった。


「まあ……」


 私は少しだけ期待する。


「この世界の料理に期待してもなぁ」


 しばらくして。


「できましたよ!」


 テーブルに並んだ料理を見て――。


「…………」


 私は固まった。


「…………え?」


 そこにあったのは。


 お好み焼き。


 オムライスっぽい料理。


 そして――。


「……ポテトチップス?」


 薄く切ったジャガイモを揚げたもの。


 私は恐る恐る一枚取る。


 ぱりっ。


「…………」


 食べる。


「…………!」


 これ。


 どう見ても。


 前世の料理だ。


「マネージャー」


「はい?」


「これ、どこで?」


「えっとですね」


 マネージャーが楽しそうに説明する。


「マドカというアルビノの少女が、可愛らしい精霊を連れて食べ歩きをした結果、暴食の国でいろいろアドバイスをしたそうなんです」


「…………」


「その結果、こういう料理が作られるようになったみたいですね!」


「…………なるほど」


 私は箸を置いた。


「転生者か」


「え?」


「いや、なんでもない」


 まさか。


 そんな偶然ある?


 でも――。


 もう一度、モンスターゲット・バトラーを見る。


「じゃあ、これは?」


「そちらは怠惰の国からの輸入品ですよ」


「怠惰?」


「はい」


 マネージャーが頷く。


「エキドナという組織が販売しているそうです」


「エキドナ……」


「説明書も、とても分かりやすいですよ」


「へぇ」


 私は説明書を開いた。


 そこには、漫画のようなイラストが描かれている。


 白い髪。


 青い目。


 Tシャツ。


 そして、そのTシャツに書かれている文字。


「…………」


 私は目を疑った。


「これ……」


 日本語。


 そこには、


 **『世界最強』**


 と書かれていた。


 隣には、小さな妖精のような存在も描かれている。


「…………」


 私は説明書をめくる。


 どのページにも、同じ白髪の少女がいる。


「…………転生者じゃん」


 思わず呟いた。


「どうしました?」


「いや……」


 私は頭を抱えた。


「マジかー……」


 暴食の国で、前世の料理を広めた少女。


 そして、怠惰の国でこんな魔道具を作っている少女。


 もしかしたら。


 もしかしたら、この世界には――。


 私以外にも、地球から来た人がいる。


 その可能性が、一気に現実味を帯びた。


「マネージャー」


「はい?」


「私、怠惰で色欲の布教がしたいです!」


「…………」


「出来れば、モンスターゲット・バトラーを広めた人のいる町へ!」


「…………」


「興味があるんです!」


 マネージャーの顔がぱっと明るくなる。


「まあ!」


「?」


「聖女様!」


「はい」


「ようやくやる気になってくれたのですね!」


「え?」


「今までよりずっと積極的ではありませんか!」


「いや、そういう意味じゃ――」


「もちろん協力します!」


「……まあ、いいか」


 訂正するのも面倒になった。


「それで、どうやって行くんです?」


「船旅になりますよ!」


「船……」


「かなり遠いですからね」


 マネージャーが胸を張る。


「覚悟はよろしくて!?」


「うん」


 私はもう一度、説明書を見る。


 白髪の少女。


 日本語のTシャツ。


 隣の小さな精霊。


 そして、暴食の国に伝わった前世の料理。


「……会ってみたい」


 この世界に来てから。


 私は、前世のことを誰かと楽しく話すことができなかった。


 奈々子だった頃の話。


 歌の話。


 テレビの話。


 くだらない流行の話。


 そんなことを、もう一度誰かと話してみたい。


 もしかしたら。


 あの女の子も、同じように思っているのかもしれない。


「怠惰の国……」


 私は小さく呟いた。


「行こう」


 こうして。


 色欲の国アスモディアの聖女ナナリーは、初めて自分から望んで旅に出ることになった。


 目的地は――怠惰の国。


 そしてそこには。


 彼女がまだ知らない、とんでもない町が待っているのだった。


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