6 灰と陶酔
その部屋には豪奢な拵えの椅子がある。
主人が座るために用意したものであり、権威の誇示のためか、無駄に巨大だ。
しかしあくまで仕事をする部屋であり、椅子だけでなく大きな机も置いてある。
その机が、今は無かった。
少女が扉を開けて目にしたのは、広い部屋の奥に佇む怪物の姿だった。あの豪奢な椅子に腰掛け、頬杖をついている。無駄に大きい椅子は、しかし怪物の巨体にはちょうど良いようだった。脚も長いため膝は浮いているが、その姿はかえってふてぶてしさ、あるいは傲岸不遜さの表れのように見えた。
堂々たるその景色に、少女は覇王の座る玉座といった風情を幻視した。
「エジレ…エジレ…!!」
彼女が目の前の光景に圧倒されていると、部屋の左手の隅から、小声で呼ぶ者があった。
視線を向けると、そこには机の下敷きになった主人が居た。彼は額から血を流し、少女を睨んでいる。
「生きていたか。早く俺を助けろエジレ…!!」
ハッとした少女は、急いで男に駆け寄った。
重く、硬く、黒い木材で作られた大きな机は、持ち上げようとしてもびくともしない。
「化け物は眠ってるようだ。魔術を使えエジレ!!静かにな……!!」
「は、はい…!!」
彼女は小声で、物を動かす魔術を唱える。
怪物は本当に眠っているのか、部屋の中で起きている事態に興味を示さない。
「いいぞ、机が動いてきた……!!早くしろ…!!」
「……」
少女はふと目の端に写った怪物の姿に、不思議と怯えを感じないことに気がついた。思わず顔をそちらに向け、怪物をまじまじと眺める。
いつの間にか彼女の中には、怪物への恐怖を元に醸成された、崇拝のような思いが形成されていた。
圧倒的な力への畏怖。それに伴う畏敬の念。
憎い人間たちが裁かれ、胸がすく思いを得られたことへの感謝。
呆けたせいか、魔術が解ける。
浮きかけていた机が、再び男の上へ落ちた。
「がッ!?おいっ!!何してる!?」
彼は怪物が起きないようにしていることも忘れて、喚き始めた。それでも怪物は、悠然とくつろいでいる。弱者のことなど、歯牙にもかけていない。
なんと強い生き物なのだろう。
何者の指図も受けず、好きに動き好きに喰らい、そして好きなときに好きなだけ眠る。
頂点に立つ者にのみ許された傲慢。
”王”と呼ぶに相応しい。
「早くしろエジレ!!罰が欲しいのか!?」
それに比べて。
足元で喚くソレは、なんと弱い生き物だろうか。
ひとりでは何も出来ず、金ばかり集めて力はない。自分のものでない力を誇り、制御したと慢心し、そのくせすぐに死ぬ。自己中心で怠惰、頭の回転も遅い。
今だって、少女が左腕を失っていることにも、もう首輪が無いことにもまるで気が付かない。
長年首輪をした奴隷は、その呪縛が解けても主人の元から離れないことが多いという。
それは肉体的、魔法的なものに留まらず、一種の洗脳により、精神的に呪縛を受けてしまうためだ。
先程までの彼女もそうだった。もう恐れなくていい首輪のために、主人の元へ馳せ参じようとしていた。
しかし、少女は自覚した。
もう、この男に従う必要などない。
恐れも感じていない。あるのは憎しみだけだ。
「な、何をしてる!!”罰”!! ”罰”!! ”罰”!!」
少女が男に対して掌を向け、そこに火球を生成していく。彼は様子のおかしい奴隷を恐れ、首輪を締めようと何度も詠唱する。
もはや意味をなさない詠唱を繰り返す男を、少女は鼻で笑った。
「エ、エジレ貴様…首輪はどうした…!?」
今更気がついた男は青ざめた顔で言った。
「私の名前はエジレなんかじゃない。”フリエナ”だ」
少女は毅然と言い放った。奴隷にされてから名乗ることを許されなかった、本当の名前を。
そして元主人に向けて、対象を焼き払う魔術を贈った。
「ぎゃあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!!!」
この魔術は対象としたものだけを燃やす。
じっくりと、灰になるまで。
じたばたと暴れていた男は、しばらくすると声を上げることもなくなり、燃えながら動かなくなった。
全てを終えた、というような清々しい顔になったフリエナは、怪物に向き直った。今の騒ぎで、かの存在もさすがに目を覚ましていたようだ。
目玉はないが、フリエナを見ているように感じた。
彼女が近付くと、僅かに腕を上げ、魔術の兆候を見せる。
しかし、フリエナは敵対する気などなかった。彼女は少し離れたところで、怪物に向かって敬意を示すように膝を折る。
「あなたこそ、私の”王”。どうかお傍で、仕えさせてくださいませ」
サン=グリフとは、古い古い神の名である。
原初、サン=グリフは魔族の祖となり、あらゆる魔の存在の頂点に立った。
故に今その名は、「全ての支配者」を指し表す。




