5 この日のための魔法
瀕死の少女は夢を見ていた。
平和に暮らしていた頃、父が彼女にものを教えていたときの記憶だ。
「魔力は、生きとし生けるもの全てが持っている、エネルギーみたいなものだ。使えば減るし、休んでいれば回復する」
「魔力を使い切っちゃうとどうなるの」
「そうだな。少し体がだるく感じるかもしれないが、特に支障はない。でも、魔力が無いのに魔法を使おうとすると、魔力欠乏症になって、気を失うぞ」
「魔術は?」
「魔術は魔力を操作して式を書かないといけないからな。魔力が無い状態だと、式を書き始めることがそもそも出来ないから、心配はいらない」
その後、父は魔術と魔法の違いについて彼女に語った。
曰く、魔術とは魔力を用いて、”現象を表す式”を書くという”技術”である。魔力を持っている生き物ならば、理論上この世の全ての生き物が魔術を使えると言える。
しかし、多くの人間は魔術を使うために必要な、魔力操作という工程に躓く。魔族は産まれながらに魔力操作に通じているが、ほかの種族はごくひと握りの者しか魔力操作に目覚めないという。
一方で魔法は魔術と異なり、発動するだけなら使い手の技術を必要としない。代わりに、魔法を発動するための道具が必要になる。
この道具は魔法発動体とよばれるが、それをもって魔法を使うように意識すると、誰でも力を引き出すことができるのだ。
より大きな力を使うには、魔術同様やはり研鑽が必要だが、誰でも扱えるという点は無視しがたい。
こういった要素から一見、魔法は強力かつ手軽な手段のように思えるが、実際は不便な点も多い。魔法の力は千差万別だが、使い手ごとに固有の効力を有しており、式さえ書けば良い魔術のような万能性はないからだ。また、魔法発動体は特殊な素材によって作られるため、易々と手に入らない。
しかし、これらのデメリットを考慮したとしても、魔法を鍛える意味がある者もいる。
それは、現在の魔術では再現出来ない効力を有した魔法の使い手たちだ。
「はぁ…はぁ…!!」
少女の意識が”今”に戻ってきた。
血まみれではあるものの、傷が塞がっている。
少女の魔法、その属性は【治癒】といった。
【治癒】はまさに、魔術での再現が実現されていない魔法である。あらゆる傷を塞ぎ、出血を止める力だ。
できた…発動体無しの…魔法…!!
そして、魔法使いの中には、稀に発動体を用いずに魔法を行使できる者が現れる。多くの時間を研鑽に費やした結果、そのような境地に至ったという。
しかし、稀代の魔法使い達はいずれもこう言った。
———確かにこれは、基礎の打ちようもない雲の頂に、塔を築くかのような神業に見えるでしょう。
———しかし、コツを掴めば誰にでも出来るのですよ。
と。
彼女は失った左腕をなでた。傷は塞がるが、腕を新たに生やすほどの力は【治癒】にはない。血の足りない感覚を味わないがら、彼女は再び震えた。
死を免れたのは奇跡だった。神業に目覚めなければ、既に死んでいただろう。
体の震えは、その事実に恐怖したためだった。
一体どのくらいの間、血溜まりの中で意識を薄れさせていたのか。そして怪物はどこか。
ハッとした彼女は、直ぐに辺りを見渡した。怪物の姿はない。砦は、門が開かれている。
「い、行かな…きゃ…」
少女は竦む身体に無理矢理力を入れ、砦の中へ向かった。
「う……っ!!?」
門をくぐろうとしたそこには、凄惨な光景があった。
あちこちで血を流している、闇商人の一味たち。いずれも死んでいた。そしてその死に方は無惨という他ない。
引き裂かれて死んだ者はマシだろう。きっと一撃で死んだはずだ。
だが、中には赤黒く焼けた死体もある。これは死ぬまで炙られた人間の遺体の姿である。
即死するほどの火であったなら、黒焦げだっただろう。ただ、遺体を炭にするほどの火でも、容易く即死できるとは限らない。そう考えれば、この遺体の男は、苦しみ抜いて死んだはずだ。
「く、うぅ…」
怖い、怖い、怖い。
砦の中を進む少女は、幾度となく立ち止まりそうになる。しかし、奴隷の首輪への恐怖によって刷り込まれた、”主人の元へ”という意識で、前へと進む。
出会う人間はみな死んでいるか、致命傷を負って意識もほぼ無い状態だった。誰も彼もがそんな有様なので、彼女は感覚が麻痺してきたのか、徐々に恐怖が薄まってきた。
それと同時に、彼女は自身の中で、暗い欲望が満たされていくのを感じていた。
足を止め、死体を眺める。
あれは面白半分に首輪を締めた男だった。今はただの肉塊だ。
あれは彼女をエジレと名付けた男だった。今はただの肉塊だ。
あれは彼女にエサを投げつけた男だった。今はただの肉塊だ。
一つ一つ死体を見つける度に、恨みを思い起こす。そしてその末路を飲み込む度に、彼女の口の端が持ち上がった。この5年間、笑えたことなど1度もなかったというのに。愉快で仕方がなかった。
かつてこの砦の指揮官が使っていたであろう部屋は、今もこの砦で最も豪華に誂えてある。
闇商人の一味を仕切っている人物が使っている部屋だからだ。少女はそこに向かっていた。
やがてたどり着いた扉。
中から、あの魔力の気配がする。
威圧感こそ凄まじいが、静かな気配だった。
なぜか、恐怖は既にない。
少女は残った右手を伸ばし、扉を開いた。




