3 少女は廃砦にて
奴隷の少女は、森の様子が違うことに気がついた。
彼女は魔族と呼ばれる亜人の一種で、人間よりも感覚が鋭かった。”魔術”にも”魔法”にも優れており、優秀な人種である。
しかし、だからこそ人間は人間以外を嫌うのだろう。
この大陸では、亜人は人間に差別を受けている。
人間は彼らを捕え、魔術で支配下に置き、奴隷にさえした。犯罪を犯した者を奴隷にすることは法律で認められているが、そうでない者を公然と奴隷にするのは違法だ。だが人間の国は経緯を調べることもせず、ただ奴隷を売買し、守ってはくれなかった。
少女もまた、かつては平和に暮らしていた。隠れ住んでいた里が見つかり、奴隷狩りに遭うまでは。
家族と離れ離れになり、泣くたび、喚くたび叩かれ、理由がなくても叩かれた。支配者の指示ひとつで首が絞まる魔道具の首輪を取り付けられ、毎日遊びのように首を絞められる。
そんな生活が5年続いていた。
彼女は生きていなかった。
ただ、死んでいないだけだった。
彼女の今の主人は、違法な商品を取り扱う闇商人だ。
遺棄された砦を拠点に、人目を避けて麻薬や違法な魔道具を売っている。当然奴隷も売買対象である。
「エジレ。今日も門の前だ。サボるんじゃないぞ」
「はい…」
エジレとは彼女のあだ名だ。紫トカゲを意味する”エジスト・レレー”からとったものである。
彼女の肩や腿には紫色の鱗が生えているため、それになぞらえたものだ。
この廃砦に拠点を移してから、彼女の役割は砦の門前で見張りをすることだった。
彼女の戦闘力は人間のそれとは比にならない。商人達は、護衛として彼女を使っていた。
雨の日も、太陽の照りつける日も、彼女はここに立たされている。森は代わり映えもせず、静寂を保ってきた。
今日、この日までは。
初めに感じたのは、朝にもかかわらず、森の中が騒がしいことだった。
鋭い感覚が、森の奥で何かの破壊音を捉える。
動物たち、魔物たちが散り散りに森の中を逃げ惑う気配がする。
昼に近付くにつれ、森の騒がしさはどんどん浅い所へ動いてきていた。
彼女はようやく、主人へ危険を訴えはじめた。
ここまで渋っていたのは、積極性のある奴隷が嫌われているからだった。しかし、もはや四の五のいっては居られない。
彼女は門を叩いて、大声をあげた。
「何かが来ます!森から!何かが!」
届いたか届いていないのか。
砦の中は若干騒がしくなったようだが、焦っている様子ではない。
商人たちは彼女と違い、気配や魔力に鈍かった。
尋常ではない気配が、魔力がやってくる。
しかし、それに気付いているのは彼女だけだった。
「あ」
門を叩いていた彼女は、不意に背後にちりちりとした、焼け付くような存在感を感じた。
固まっている蝋人形のような、生気のない動きで身体ごと振り向くと、木々の間からゆっくりと何かが姿を覗かせた。
「ひっ…」
それは闇だった。
暗黒を象徴するかのような、悪意が形を成したような悪魔の容貌。とてつもない力が詰まっているのがありありと分かる巨体で、おぞましい頭部には、刃のような牙が並んでいる。
そしてその怪物から感じる魔力は不思議な気配だった。まるでそこに星でもあるかのような輝きにも感じるが、一方で、全てを吸い込む穴のような虚無にも感じる。
ただ分かることは、量も質もケタが違うということだった。
彼女は産まれて初めて、本物の死の恐怖を知った。
奴隷狩りに遭ったときもそれなりに死を予感したが、そのときの比ではなかった。
むしろあのときは絶望や苦痛の方が強かっただろう。目の前の怪物は、そのようなものを飛び越して、濃密な死の感覚を叩きつけてきている。
「*******?」
怪物は口を開いた。喰われる、と恐れた彼女だったが、上下に開いたそこから、地の底から響く唸り声のような”言葉”が紡がれる。
彼女にはその言語は分からなかった。だが、でたらめに重ねられた音ではない。間違いなく、この怪物は今、彼女に話しかけてきていたのだ。
「あ、あ…」
「ば、バケモノ!!!なんだアイツは!?」
彼女が動けないでいると、門の上から闇商人の一味の誰かが叫んだ。
怪物もそれに気付いたのか、目もない頭で見上げている。
「エジレ!!!早く追い払え!!!」
「ひ、む、無理、です…!こんなの…!」
「あ!?何のためにお前を飼ってると思ってる!!”罰”!!」
門の上の男が呪文を唱えると、たちまち彼女の首の輪が絞まる。
「ぐっ…!!あ゙…ッ!!」
苦しそうに首輪を抑えながら、青ざめていく彼女。
怪物は、苦しむ彼女を眺めている。
次の瞬間、首輪からフッと締め付ける力がなくなった。
「かはっ!!はぁ……はぁ……」
「おら!!死にたくなければ仕事をしろ!!」
「うう……ううう……っ!!……」
彼女は震えながら立ち上がると、手のひらを怪物に向け、魔術を紡いだ。
「”光の剣”……!!」
溢れる魔力が半透明のロングソードの形を成し、眩い光を放つ。攻撃範囲に乏しいものの、威力があり、速さがあり、燃費もよい使い勝手のいい魔術だ。むしろ、彼女が使える単体相手用の魔術の中では、最も強力なものの一つである。
そして輝く光の剣は、目にも止まらぬ速さで怪物に突っ込んだ。
────ように見えた。
怪物の懐を目指して飛んだそれは、ビタリと速度を失った。怪物が、その指で刃先をつまんだからだ。
「あ、ありえない…魔術を、つかむ……?それも、”光の剣”を……?」
彼女が唖然としている間に、怪物は掴んだ魔術をしげしげと眺める。そして空いている右手を前に突き出すと、口を開いた。
「”*****”」
彼女は驚愕した。優秀な魔術師であり、また魔法使いでもある彼女には、言語が違うものの、それが”詠唱”だということがわかったためだ。さらに驚くべきことは怪物が唱えた魔術だ。光の粒子が形を成し、怪物の前に剣を形作った。
それは半透明の、反りのある細長い剣で、ガードは酷く小さい。そして黒色としか言えない眩い光を放っている。
形こそ違うが、それは間違いなく”光の剣”だった。
今、見たばかりの魔術を真似した?
いや、前から同じ魔術を知っていただけ…?
酷く混乱し、考えがまとまらない。
しかし、先程まで悠長にしていた怪物も今度は待ってくれなかった。彼女のそれを超える速度で、怪物の”光の剣”が放たれた。
まずい、と思うまもなく、死が眼前に迫っていた。




