9 忠誠
彼の眠りは長いものにはならなかった。
近くで魔力が動いたことで、意識が目覚めたのである。
「────あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
目覚めると同時に、耳障りな悲鳴が聞こえた。
この声で起きなかったのは何故なのか。
彼は直ぐにそれに思い至った。
そうか。今の俺は目も耳もない。
起きている間は魔法かなにかでそれを感じ取れるが…
寝ている間は物音や光で目を覚ますことはない…!
見れば、死んだと思っていたあの少女が、机の下敷きになった男を燃やしていた。
彼をその魔法で殺すことは出来ないだろうが、少女が男ではなく彼に魔法を放っていたら、無防備にそれを浴びただろう。
全く。俺は詰めが甘いな。
彼は自分に呆れた。
しかし、正す気にはならなかった。
強者であるという矜恃か、あるいはそれを失わないためか。余裕こそ、慢心こそ、傲慢こそをもって在るべきだと思ったのだ。かつての自分を捨て、今の自分を肯定するためにも、新たな自分の振る舞いを変える気はさらさら起きなかった。
少女が彼に向き直るが、彼はあくまでそれを傍観した。
再び牙を向けてくるならば、そのときこそ葬るだけのこと。
そう考え、彼は魔力を迸らせる。
しかし少女が纏う気配は、敵意ではなかった。
彼女は跪き、意味を解せない言語を操る。
「****」
そこから彼が感じとったのは、敬意や忠誠、あるいは信仰だった。
これには彼も、困惑するしかなかった。
なんの真似だ?こいつはなぜこんな態度をとる?
彼女からすれば、このような怪物は恐怖の対象であるはずだ。砦の人間を皆殺しにし、あまつさえ腕を引き裂いた暴力の化身。
それが彼の評価のはずだ。
しかし実際には、彼女は怯えるどころか、真逆に近い感情で彼に接してきた。彼は適当な理由を考えるしかなかった。
首輪もつけられていたということは、コイツは奴隷かそれに近いものだったんだろう。解放されたことに恩でも感じているのか…?
状況から推測するしかないが、そのために彼の予想は単純なものになり、逆に的を射ていた。
もっとも、それは彼女が抱く想いのたった一つに過ぎなかったが。
失敗したと思ったファーストコンタクトが、予想外に軌道に乗った。しかし、彼は肝心なことを考えていなかったことに気が付いた。
友好的な相手に出会ったとて、それからどうするのか、何も考えてなかったな。
人里を探し始めたのも、なんとなくだった。
言葉が通じないとも知らず、この恐ろしい姿で人前に出たのは、早計だったと言わざるを得ない。
しかし全ては過ぎたことだ。彼は気にしないことにして、少女との交流を図った。
「おい、お前。それは一体何のつもりだ」
彼の言葉を受けても、少女は頭を下げたままだ。言葉が通じないのだから当然だった。
彼は椅子を立って、彼女の前へと歩み出た。そして自身より遥かに小さな少女を見下ろす。
あの怯えた姿が嘘だったかのように、少女は微動だにしない。僅かな震えも見られなかった。
彼は軽くつついてみるつもりで、彼女の頭に人差し指を伸ばした。そして少し考えた後、うっかり頭を弾いたりしないようゆっくりと、トン、とそこに置いた。やはり彼女は動かなかったが、指を離すと、ようやくその顔を上げた。
そこに浮かんだ表情は見たこともないものだった。僅かに上がった口角はやはり喜びなのだろうが、据わっているとしか言いようの無い目は、おぞましいまでの感情を秘めている。彼はその表情に、”狂信”をみた。
彼は知る由もないことだったが、上位者への忠誠を示した者の頭に、上位者が指を差し伸べ触れること。それは忠誠を受け入れ臣従を許す作法であった。
故にこの瞬間、魔族の少女は、神にも等しい怪物の『一人目の従者』となったのだった。
こ、怖いなコイツ…
作法も、少女の心中も知らない彼は、ただ彼女の豹変っぷりに動揺した。血まみれで狂信者の振る舞いをされれば、誰であれ怯えるのは当然といえる。
「****…」
そして何かを発した少女は、青ざめた顔で倒れた。
「あ?どうしたんだお前…て、これだけ血を流せばそれはそうか」
見ればどの傷も塞がっている。治癒の魔法でも持っていたのだろうが、しかし失われた血は戻らないのかもしれない。彼はそう考え、頭を捻った。
もうこいつは敵対的じゃない…友好的といってもいいのかよく分からない様子だったが、見捨てるのもな…
一度は見殺しにしたものの、先とは状況が変わった。
彼はひとまず、砦の中を探した。そしていくつかベッドを見つけた。他のものより上等なベッドに少女を横たえたあと、彼女の目が覚めるまで、砦の中を物色して回った。




