第9話 傷跡、ようやく隠して
二〇〇八年七月二十二日。火曜日。休日でも祝日でもないとなり、ようやく「夏休みが始まったな」というような感覚を覚えるのは、この日からだった。
そして、トモヤは「昨日と今日は暑かったからなぁ」と携帯電話を出し、メールをチェック。すると、「毎年恒例、風邪」という一文のみのメールが来ていた。
どうやらオサムは風邪を引いたらしい。
オサムは毎年こうやって風邪をひいては寝込んでおり、あわよくばトモヤに看病をしてもらおうと考えていた。
「しょうがねぇなぁ〜」と、トモヤは東五代邸に急いだ。その道中、白いオープンカーがトモヤの横に停車した。
「なぁ、君」
「ンッ? エッ? 俺スか? なんスか?」
「この近くに東五代っていう人の家があると聞いたんだが、知らないか? そこのガキに用があるんだが‥‥‥」
「やくざスか?」
「警察だ」
警察手帳を見せられ、「ああ、なら」と案内する。
「おーい、バカアホ病弱ウンチ丸〜! 来たぞ〜!」
二階の窓から家の鍵が飛んできた。
「バカアホ病弱ウンチ丸?」
「あだ名っス」
「可哀想では?」
「いや全然」
「‥‥‥‥‥‥」
家に上がり、部屋の前に立つ。
「君は彼の友人か? 恋人ではなさそうだが」
「幼馴染みたいな感じのあれです。小学からの仲で」
「ハハァ。苦労するだろうね」
「まぁ、それなりに」
部屋の戸を開けると、バカアホ病弱ウンチ丸ことオサムは布団にめちゃくちゃ沈んでいた。
「な、なんだそいつ‥‥‥呼んでない‥‥‥」
「お前に用があるってさ」
「一週間後にしろ‥‥‥!」
「えーでも、警察って言ってたしよォ、ほら警察ってたぶん忙しいだろ。だからなるべく早めに用事済ませておいたほうがいいじゃねぇかよコラ」
「御心遣い感謝する」
「御心遣い感謝されちゃった」
「病人の意思を尊重しろッッッ!! バカタレッッッ‥‥‥!」
警官を名乗る男はオサムの横にどっかり腰をおろすと、「島澤先輩から紹介された」と言った。その言葉には心当たりがある。
「じゃあ、貴様‥‥‥国際特別警察機構だとかっていう組織の‥‥‥?」
「ああ、そうだ。彼からは『仲良くしてやってくれ』と願われたが、君にその意思があるなら仲良くしてやる」
「意思は、ない。むしろぶん殴ってやる」
「公務執行妨害か」
しばらく見つめ合った。光のない男、光のない男。
瞳が交差して、二人の間にいやな空気が流れる間もなく、「やめておこう」と時が来る。
「自己紹介し合おう。俺は織笠シュウジと言う」
「東五代オサム」
「どうもよろしく」
どちらも手を差し伸べようとしない。この二人に握手はない。
何はともあれ、二人は知り合った。
「用事も済んだし俺はもう帰るよ」
「早く消えろ」
「」
オサムは布団にめちゃくちゃ沈みながら、「頭が痛い」と言う。こういう時のオサムは比較的おとなしいため、さすがにちょっと心配になる。どうしてこう、毎年毎年夏の始まりに大風邪を引きまくるのだろう。
「そう言えばお前、進路決まった?」
「何も」
「大学行ったりするつもりある?」
「どうしてこの俺がマヌケしかいないようなところに行く必要が?」
「お前はそう言うよな。ちょっとは丸くなれよ」
「お前はどうなんだ」
「就職」
「できるのか?」
ムッと頬を膨らませる。
「本当の話‥‥‥お前は、責任感のつよい人間だから、馬鹿な真似から足を洗って、ちゃんとしたルートに戻ったほうがいい。お前の友人たちだって、それを妬んで縁を切るような奴らじゃないだろうし、大学へ行くんだよ、大学へ行って‥‥‥それで‥‥‥」
「うるせぇなあ、お前もう寝ろよ」
頭をひっぱたかれて、オサムは眠った。
トモヤはその頭をこつんと叩いて、「ばーか」と呟く。
七月二十四日、木曜日。
オサムの風邪が完治した。その間、やたらとカオルが見舞いにやってきて、看病をしたがるものだから、勘繰ったりもした。
しかし、やはり、何の打算もないように見える。
『友達になりたい』
時折、そんな声が聞こえてきた。どうやら裏世界に行った際に感受体の感度がバカになって、百景種に目覚めてしまったらしい。
目の前のこの少女がオサムに対して何の打算もなく、好意だけで接してきていることが、言葉でなく、本当のこととしてわかると、困惑した。
伴内も「彼女の心は本物だ」と言っていた。
「おはようございます! 今日も来ました」
「もう治ったよ」
「良かったですね!」
カオルはぱぁっと笑った。
しばらく「何故?」と思った後に、普通の人間ならこういう場合どうするのかというのを考える。
「南カオル」
「なんですか?」
なんて言えばいいんだろう。
人を馬鹿にする言葉は無数に思いつくのに、こういう時に言うべき言葉が見当たらない。
カオルは首を傾げながら、オサムを見あげている。
玄関先で、二人は見つめ合ったまま、暫く黙って‥‥‥時折何かを言おうとして、あれも違う‥‥‥これも違う‥‥‥と、言葉を次々に止めていく。
カオルはいつまでも待つつもりらしい。
こんな時、なんて言えば良いのか。
‥‥‥思ったことを、言ってみる。
「なんて言えばいいのか、わからない」
「エッ?」
何十分も考えてみたけれど、分からなかった。
すると、カオルは微笑みながら、答えを教えてくれた。
「ありがとうでいいんですよ」
「‥‥‥ありがとう‥‥‥」
「はい、どういたしまして」
「君には随分と助けられている」
「私だってそうですよ。私たちをひと言で現すなら『助け合い』ですかね。なんだか素敵」
「素敵かい」
「素敵ですよ、本来出会うはずのなかった二人が、こうやって顔を合わせているんだもの。それって、なんだか」
「運命的?」
「はい」
「かもしれない。でも、とりあえず、本当に‥‥‥」
彼は、笑って続きを言った。
「ありがとう、本当に」
「あっ」
「なにか?」
「東五代さんの目って綺麗なんですね」
「‥‥‥そんな事を言ったのは、君が初めてだ」
「そうなんですか?」
「大抵は気持ち悪いだとか、人殺しの目だとか、そういうことばかりを言われてしまう。‥‥‥俺の目は綺麗か?」
絆されていく。
信用していい人間だと理解させられてしまう。
この少女に溺れたくなってしまう。
「どうしたんです」
「君は‥‥‥夏の悪魔だな‥‥‥」
「なんでそんなアダルティな事を言うんですか」
額が汗ばんでいる。髪の毛が張り付いて‥‥‥首筋にも汗が伝う。
「入るか」
「いいんですか?」
「今更だ」
普段はあまり人を信用しない分「信じていい」とわかってしまうと、とことんまで信用しきって、とことんまで絆されてしまう男・東五代オサムは、自分より二歳から三歳歳の離れた少女をチョモランマのような大いなる存在に思ってしまっていた。
「お母さんのこと、説得します」
「え?」
「私のお母さん、ちょっと警戒心が強いんです。悪い大人に騙されて、酷い借金を負って、ずっと一人で私のこと育ててくれたから、私のことが大切で仕方ないんです」
「悪い大人?」
「はい。えっと‥‥‥お母さんは教えてくれないんだけど、なんか、怖いカルトのれんじゅうだって」
「なるほど、その縁でか」
「え?」
「君のような普通の少女が頭の悪い奴等に誘拐されたことが、あったろう。おそらくそういう縁で貸されたんだろうな。あの母親が君を売るはずがないので、おそらく自分勝手なれんじゅうの勝手な取引なんだ」
カオルは姫神でもなんでもない。
「この夏やる事は決まったな」
「エッ?」
「君たち親子のできないことを教えろ」
「えっと‥‥‥旅行、とかです。なんだか、お母さんが『行っちゃダメ』って、言われてるらしくて。私、小学生のころの修学旅行もいけなかったんですよ。盛岡から出ちゃいけなかったんです。あとは、実は海とかも駄目で‥‥‥」
「じゃあ海に行こう。浄土ケ浜か、陸前高田か。迷うな。大船渡もあるし、釜石もいいな。浜で小さいカニとか追いかけよう」
「ダメなんですよ! 悪い奴らがいるから‥‥‥」
据わった目で、口角を上げ、オサムは言う。
「じきに居なくなる」
その日の晩、カオルはその言葉の意味を考えた。「じきに居なくなる?」「‥‥‥じきに‥‥‥?」「いなくなる‥‥‥?」
そんなのもうひとつしかないけれど、そんな無茶をするような人には思えなかった。
例えば、向かってくる火の粉は全力で踏みつけるような人ではあるだろうけれど、自分から向かっていく人のようには思えなかったのだ。
まだ不理解が多い。
次の日の昼、親子で素麺を食っていると、電話がかかってきた。母が出て、その反応から見るに、その「悪い奴ら」なのだろうと直感し、素麺の味が分からなくなっていく。
そして、「今すぐ来いって」という言葉。
親子はすぐに家を出て、悪い奴らの拠点である市内の雑居ビルに向かって行った。車がそのビルに近づいていくと、異変に気がついた。窓が割れ、人が飛び出してきた。
「な、なにっ!?」
やっとわかる。
じきに居なくなる、の意味。
ビルの前にはオープンカーが停まっていた。
見覚えのない白い外国車。
「おや、来てしまったか。どうも、南さんですね」
「あ、あなたは‥‥‥!?」
「国際特別警察機構捜査官、織笠シュウジです」
織笠シュウジ、聞いたことがある。アユムの兄である。
「現在、ゴミを掃除してまして。まぁ、うちの、暴れ鳥が。下手すりゃ突かれてしまいそうなので私は此処でこうして、落ちてくるゴミを受け止める役です。殺したら流石に駄目なのでね。法律が許さない」
「‥‥‥‥‥‥東五代さん、ですか?」
「その通り」
オサムは向かってくる男たちの放つ弾丸を全て躱しきり、顔面を蹴り飛ばす。壁に叩きつけ、床に叩き落とし、天井に突き上げて、通る道は惨状になる。
「そろそろ屋上か」
そこには男がいた。
「前置きは抜きにして、殺り合おう」
「ハァ‥‥‥? 誰に口利いてんだ貴様‥‥‥?」
男は鬼に姿を変え、そして、オサムにタックルをかました。オサムはそれを受け、はるか飛ばされた。
空中を漂いながら下を見てみれば南親子がいる。
「来てしまったか。仕方ない」
懐から理機を取り出した。
〝カチッ!〟
外骨格の形成、強化筋肉の生成、強化皮膚の生成。土気色の強化皮膚の上から青白い生体装甲が生成される。白濁の複眼。
「変身」
そして、ドクン‥‥‥ドクン‥‥‥と血の気が通り、強化皮膚が黒く染まり、生体装甲が赤くなり、複眼が青く染まる。
バサ!
翼が開かれて、太陽の光のなかで、逆光に黒く染まった彼の瞳だけが青く光の剣を抜いていた。
カオルの母──アズキはつぶやいた。「鬼」と。昔、夫が殺されてしまう前に、見せられたものがある。
それは、羅刹鬼の伝説。
五十年代の後半から六十年代の前半まで、まことしやかに囁かれてきた鬼の話を大きな翼のようなものを持つ、青い瞳の戦士。
色は赤だとか青だとか緑だとか紫だとか、いろいろあったけれど、みんな一様に「彼に命を救われた」と。
自分の遥か上空にいるその鬼は、翼を数度羽ばたかせて、そして。落下した。
「東五代さん!」
「飛ぶのは苦手らしい」
「なんで、こんなこと‥‥‥」
オサムはため息をついて、答えた。
「ひとつ、海の広さを知らないまま生きるのは切ないと思った。ふたつ、旅は道連れ世は情け。君はこれからも旅を続ける。人と出会い、誰かを愛する。良くは知らないけれど、なにやら結婚した途端突拍子もなく旅をする変な文化があるらしいじゃないか。そうなった時、君がそんな時ですら『盛岡から出てはならない』なんて事を言うんでは、君の夫になる男が可哀想だし、君が女が好きな人間だったとしても、その女が可哀想だ。そして君もそれを苦に思う。俺はそれが一番嫌だ」
青い瞳が光を抑える。生体装甲の艶消されたようなサラサラとした胸部表面に太陽のような模様が浮かび上がった。
「君は俺の瞳を褒めてくれた。目が綺麗だと言われたのは生まれて初めてだった。俺は君に救われてしまった。だから君に恩を返したいと思った。‥‥‥俺は君に、『もう大丈夫』と、言いたかった。だから、もう大丈夫なようにする」
「大丈夫、なんですか?」
「ああ。俺はセカイダーだからな」
グ‥‥‥グ‥‥‥…とセカイダーが地面を踏みしみる。次の瞬間、赤い閃光が走った。鬼はセカイダーの姿を目で追えなかった。それはあまりにも速かった。光にも匹敵するほどの速度で、鬼は、翻弄され、殴られ‥‥‥蹴られ‥‥‥そして、ダメージが溜まっていくと、最後の一撃が入った。
「ウガ! ガガガ! ガガアッ! アアア!! アアアアアア!!」
赤いヒビが、広がっていく。
「アアアアアア!!」
激痛。
「俺は‥‥‥鬼、なんだぞ!!」
「俺は羅刹鬼だ」
「アアアアア!! オ!!」
爆発。
其処には全裸の男がのこった。
全身の骨と筋肉が折り砕かれた状態で。
「終わった」
「お手柄だ、セカイダーS」
シュウジが言う。
「S? なんのS?」
「Sud」
「セカイダーS‥‥‥? セカイダーS‥‥‥? Sいらないだろ‥‥‥」
「しかし、この組織は一体何なんだろう? 島澤先輩なら何か知っているかな。取り敢えず現代には情報が残っていないものだから今のものではないのだろうけれど」
「もしかしたら裏世界関係かもしれない」
「裏世界か。‥‥‥ありえるな。しかし、裏世界が関わっているとなると、君の超スピードはありがたい」
「なぜ?」
「裏世界は非加速粒子で満たされているので超高速には対応できない。君があの世界で走れば世界は止まる」
「なるほど。俺が神になれる世界か。」
雑居ビルから離れる直前、カオルが言う。
「あの」
「なにか」
「ありがとうございます!」
「水着、買いなさいよ」
◆
いままで伴内が使っていた事務所が空くのでそこを拠点にすると良い、ということになったので、目が痛くなるくらい赤いベッドを分解してから、シュウジは空を見上げた。
とても天気がいい。七月三十日。
「織笠さんって、普段何してる人なんですか」
「人類の存在価値について考えているよ。人類のほとんどは悪なんだ。わかるかい、五百森くん。人類というのは、たいていの場合、無価値なんだ。無価値から始まり、善を積み有価値になっていく。しかし、ほとんどの人間は悪になって死んでいくんだ。人を傷つけることばかり考えて、人を傷つけて悦ぶだろう。無価値にマイナスが付与されるんだ。そのマイナスをゼロに戻せないまま人は死ぬだろ。そういう人間は地獄に落ちるんだ。地獄に落ちたあと、虫に転生して、踏みつぶされて死んでしまうんだ」
「思想だる」
オサムは霊力だなんだというものの扱い方を特訓していた。
霊力というのはそれなりに重要なものらしく、鬼の血を引いていないような、普通の人間は攻撃的な怪異を相手にする際、霊力で身体能力を強化したり、攻撃手段に用いたりするらしい。
伴内のように裏世界への入り口を作り出せるほどの力を持っていれば、ある程度楽なんだろうけれども、オサムにはそういう才能はなかったので、空気を押し固める方法だけを覚えておく。
いざという時の足場にするのだ。
そうしていると、そこに電話がかかってきて出てみればカオル。
今から会えませんか、とのことだった。
「ということで、少し出てくる」
「それなら、ガレージの中を見てみなさい」
「ガレージ? なぜ?」
「君用のオートを用意した」
シャッターが上がると、そこには赤いオートバイクがあった。
「慣らしておくといい」
「ほう、これはいい」
待ち合わせ場所の〈星の月〉という喫茶店に行ってみると、そこには南親子がいる。
「南ちゃん。どうした」
「私のお父さん、セカイダーの事知ってたらしくって」
「なに」
アズキが話し始めた。
「五十年代後半から六十年代前半まで至る所で存在を確認されてたセカイダーという戦士の話を‥‥‥私の夫が、集めていたの。その資料を改めて見てみたんだ。そうしたら、こんなのを見つけた。古い、ほんとうに古い郷土資料」
何らかの本をコピーした紙で、ラミネートが施されている。
そこには、青い目の黒鬼がおり、「羅刹鬼」と書いてある。
おそらく岩手の成り立ちのようなものを書いたものだろうが、次のものから様相が変わってくる。
「羅刹鬼は‥‥‥岩に手形を残す際に、ある約束を、三ツ石の神様と交わしていた。口伝でしか伝わらないそれは、六十五年になって、高崩ユウジロウという民俗学者によって、はじめて文字に起こされたの」
その紙には、誰にでもわかるようにか、幼児に向けるような言葉で、「この世界の危機には力を貸すこと」「人を愛すること」「痛みを知る優しい人でいること」と書いてある。
「ハハァ。一応、分かりはしたが、これをどうして俺のようなのに?」
「私が持っていても、どうにもならないもの」
「それじゃあ、一応受け取ってやるよ。ただし、今後いっさい勘違いしないでもらいたいな」
「な、なにを‥‥‥?」
「忌々しいけど、お前は母親としてはきっと誰よりも正しいよ。どうあったって、お前は南ちゃんを巻き込まざるを得なかったし、お前らを苦しめていたあのれんじゅうはお前の人生をめちゃくちゃにしていた。ハハ。むしろ、脳みそがバカな割には『よくやった』って言ってやりたいね。用事は終わりか? じゃあ俺は帰るよ」
と、して。足を止める。
「違うな」
「どうしたんです?」
「使う言葉を間違えた。‥‥‥腹立たしいけど‥‥‥お前は、最低な母親じゃない。決してそんな事はありえない。むしろいい親だ。自分のできる最大限自分の娘を心配して、愛しているんだから、いい親だ。それでは。用事があるなら次は自分たちで俺のところへ来い。もう大丈夫だから」
──俺は島澤さんのように良い人にはなれない──。
だから、伝える言葉だけは線引きしようと考えた。
人相は、たぶんもう努力だけじゃ変えられない。
幼少に歪みきった性根が溢れ出て、悪人でしか形容できない。
島澤伴内のような‥‥‥優しさのにじむ顔も、声も、オサムには手に入らない宝物。
もう少し優しくなれ、と暗に島澤伴内に言われたことがあった。本当はそんな事に従いたくなかった。
舐められるから。
舐められて、また人生を食われるだけだと思ったから。
「人生は舐められたら終わり。舐められて、食われたら終わり。そう思ってた。でも、食われたら‥‥‥食われた分だけ増やしていけばいい。俺のような‥‥‥怪奇が言っても、お前らにゃ響かないかもしれないけど、お前たちが失った日常はこれから増やしていけばいい。その日常にすら牙が向くなら俺がかわりに食われる。お前たちが歩んでいく『普通の親子』としての時間は俺が守る。でも俺は善人じゃない。俺はずっと人を憎んで、殺したくて、仕方がなかった。俺の心の根本はもう腐りきって戻らない。今後一切、俺は本当の意味で幸せになることはない。でもお前たちは違う。まだ幸せになれる。俺は善人じゃない。俺は悪だ。今生この上なくクソッタレだ」
言葉のことが分からなくなってきた。
「でも、俺はお前たちは食わない。西で朝日を望む時、東で太陽を負ってやる。南で家族が増えるなら、北の空から祝福する。お前たちに刃が向くのなら俺がかわりに刺される。お前たちのかわりに泥をかぶる。鬼なんていうの、絶望の象徴だったろうに、ほんの少しでも、俺の光を信じてくれた南ちゃんが愛のなかで笑える日があるのなら俺はそれを守りたい。鬼なんていうの、苦しみを生むだけかもしれないけれど、本当に言いたいのは‥‥‥俺が、本当に言いたいのは‥‥‥俺が、味方だ‥‥‥ってことなんだ」
「東五代さん」
「なにか?」
「明日、海行きましょうよ」
「明日‥‥‥?」
「はい。五百森さんも誘って、あの織笠シュウジって人も、私も友達連れていきます」
「俺は構わないけれど」
「どっちが速く泳げるかやりましょうよ。私泳いたことないけど」
「俺は泳がない」
「泳げないんですか?」
「いや、身体が‥‥‥傷だらけなので‥‥‥脱ぎたくない‥‥‥」
そこに!
「ふふふ、話は聞かせてもらっちゃったな」
「その声は‥‥‥! 島澤さん! こんにちは!」
「はい、どうもこんにちは」
「石神ルイもいます」
「‥‥‥‥‥‥」
「挨拶はなしか?」
「‥‥‥‥‥‥」
「クソガキ‥‥‥!!」
「君とあんまり歳変わらんだろ」
「島澤さん、なにかいい案でもあるんですか?」
アズキが首を傾げている。
「どうも、はじめまして。このぶきっちょくんの前任者みたいなものです。つまり、なんて言えばいいのかな」
「このぶきっちょに代わって説明すると、元セカイダー」
「えっ、貴方も‥‥‥!?」
「セカイダーって昔からいるからある程度代替わりかあるのかも」
「代替わりがあったとしてこのアホアホが初代だよ。なんやかんやあって六十二年に凍結封印されて現代で蘇ったんだ」
「つまり、巷で噂されてる『五十年代から六十年代の異形の戦士』はまんま俺ってことだね。驚いたかな?」
「島澤さんっておじいちゃんなんですね! 随分とお若いけれど‥‥‥」
「ふふ、そうだね。さて! 本体に戻ると‥‥‥ここにこんな物がある。てってれー! 人工皮膚。実演するので、ちょっと場所を移動しよう。石割さん、二階借りるよ!」
「うるさいのが帰ってきたね。あんたはもういいのかい?」
「もう、だいぶ乗り越えたよ」
「そうかい」
鍵が渡されて、五人は二階に上がっていった。
「さぁ、服を脱ぎなさい」
「え、まぁ、はい」
「下も」
「下は流石に」
「ほら脱ぐ」
「貴様!」
ついうっなりパンツも降ろされたのでスッポンポンに剥がされてしまうという可愛げのないクソみてぇなハプニングを挟みつつ、パンツ一丁になったオサムの身体はボロボロだった。
「ウーン予想以上。でっけーのがひとつふたつとおもいきや‥‥‥説明してもらえるかい?」
「なんやかんやあった」
「それじゃわからないね。全て説明しなさい」
「そうだそうだー、説明しろー、島澤二日酔いで具合悪いんだからふざけんじゃねぇぞ!」
「貴様‥‥‥!」
「君のアルハラのせいだけどね」
ひとつひとつ説明した。
「この腹の傷は‥‥‥幼稚園児の頃の家族旅行で福島に行ったときに、赤ん坊が連れ去らわれそうになっていたときに、助けようとして、刺された傷です」
「この背中のでっかい傷は?」
「小学生の頃の遠足で落ちそうになったクラスメイトを助けようとして、かなり強めにえぐり抜いたときの傷です」
「この腕の傷は? 新しめだけど」
「去年の暮れ頃、トラックに轢かれそうになっていた中学生を庇った時に地面に落ちていた割れた瓶で」
「ハハァ。君のそういう性分はもう大昔からなんだなぁ」
感心するように伴内は頷いた。
「隠せるんですか?」
「隠せるっつってんだろー、ばーかばーか」
「貴様‥‥‥!」
「君たちはどうしてそんな仲が悪いんだ」
「聞いてよおじいちゃん、もうちょっと自分を大事にしろって言ったらビンタされました」
「ビンタをされそうになったので殴り返した。いけないか? 身の程知らずのキモタコ」
カチン!
「はっ倒すぞクソガキ‥‥‥!!」
「おいコラ! 喧嘩しない! まったく君たちは‥‥‥アホ!」
「お前にアホって言われたくない」
「ハ? 島澤さんアホじゃないんだが。アホにはすべてがアホに見えるのか?」
「スネとか蹴るぞクソガキ‥‥‥!!」
「やれるもんならやってみろよ」
「オラ!」
躱して、蹴り返す。
「クソガキ!」
「それしか言えんのか? このサル! 戦国武将にでもなってろ」
「水止めるぞこの野郎!」
「それは武田信玄だバカタレ」
「話が進まない‥‥‥! 接触禁止!!」
ルイに耳栓をしてこの場を治める。
「この人工皮膚は、貼っ付けると肌になじんで傷が見えなくなるんだ」
「そんなハイテクノロジー、本当にあるんですか?」
「俺も今つけてるよ、顔にね」
めくってみせる。
「なるほど、これはすごい」
「島澤さん、そろそろ寒いです」
「夏なんだから耐えなさい」
「ここ氷室くらい寒い。何のための部屋なんです?」
「さぁ‥‥‥」
それはそれとして、貼り付けてみる。傷跡というのは隠せるなら隠せたほうがいいものである。
「これたぶん本来の使い方ではないですよね」
「お、わかるかい。隠したいものを肌に貼り合わせるんだ。特別な理屈で細工がされているから、探知機の反応も、掻い潜れる。普段はこうやって‥‥‥」
伴内は手の甲の人工皮膚を剥がし、外国硬貨を出してみせたり、顎下から弾丸を取り出してみせた。
「凄いだろう」
「スパイの道具みたいだ」
「スパイの道具なんだよ。銃弾やるよ。銃はいるかい?」
「使えませんよ」
「それもそうか。まぁ、ともかく、これがありゃあ、海でもどこでも行けるよ」
「とってもありがたいんですけど、高そうだなぁ」
「ふふ。今回は何とただ」
「えっ、そんなぁ!」
「海、我々も連れて行ってもらおう」
「島澤さんなら大歓迎ですよ。そこのアホも来るんですか?」
「ルイは一応節度を持った大人でもあるから」
「ありがたいなあ、コレ、使います」
「そうするといい」
その帰り、伴内は「俺もずいぶんと懐かれたなあ」とふわふわと笑いながら歩いていた。ルイは「なんだか冗談でにごしてしまったけれど」と伴内に語りかける。
「俺は本気で心配してるんだよ、あいつのああいう気性はさ」
「わかるよ、たぶん彼も心配されてる事くらいわかってる。鬼は本能で姫神を嫌わなくてはっていう使命感に駆られてしまうんだ。そこに、彼の持つ気性の荒さがかみ合わって、君に悪さをするんだ」
「にしたって躊躇いなくビンタされるのはさぁ」
「それはダメだね」




