第10話 その命、笑って
「あっ、東五代さん白髪たくさんありますね」
「ストレス」
「納得ですね」
「君、泳ぎに行かなくていいのか?」
「ここに来る時階段で足捻ってしまったんです。東五代さんは?」
「ここに来る時階段で足を捻ったんだよ」
「おんなじですね」
「足元気をつけろっつったろお前らさぁ」
「似た者同士だね」
「お間抜けちゃんが二人いたってだけだろ」
夏。海。日差しの下。
木陰のない空の下を連れ立って風を浴び、織笠兄妹が次々持ってくる焼きそばだとかたこ焼きだとかを脇に積み重ねながら、二人は顔を見合わせたり見合わせなかったりして、若い男女にありがちな近すぎず遠すぎずの距離感をふわふわと行き交う。
それをほんの少し遠いところで、眺めながら伴内は笑んでいた。今を生きる人間が幸福の中に戻ろうとしているところを見ると、伴内はとても嬉しく思った。
太陽、海を染めるとき。
海というのは、はっきり言ってしまうと、「とても楽しかった」。そして、自分の周りにいる人間はみんなバカなんだということに気がついた。そんな馬鹿なれんじゅうは楽しむことに全力なんだということがわかった。それは、とても良いことだと思えた。
海に来てよかったと思った。
「海に来て足挫いたので泳げなかった馬鹿がいるらしい」
「それ私にもダメージが来ますよ」
「泳ぐの楽しすぎて溺れかけた馬鹿もいるくらいだしな」
「焼きそば食いすぎてお昼ご飯食べられないよ〜って泣いてた大バカタレはどこの誰だっけ?」
「それ貴方ですよ‥‥‥!?」
「お前じゃねぇかよ大バカタレ」
「自他の境界があまりないタイプだ」
「ルイ! あんまり絡むなよ、君そういう人間じゃなかったろ」
「そういえば‥‥‥トモヤ、お前もなかなか海に入らなかったな。泳ぐの好きだったろ」
「ン? ああ、俺は良いんだよ」
はしゃいで、はしゃいで、はしゃいで、水のかけ合いから取っ組み合いに発展して海に投げられて、海に引きずり込んで、体力を使い果たすまで遊んだ。
心の中の昔の自分が「贅沢者」と嘲笑うのが分かった。
好きな人たちだけに囲まれて、はしゃいで‥‥‥お前はそんな事をしてもいいほどの人間なのか、と。
南親子の方を向きながら、「うるせぇ」とその言葉を払い除けた。
帰る頃になると、空は赤く染まっていて、日が完全に暮れるのも近いだろうな、という空が滲んできていた。
「このままどっか焼肉とか食いにいこう」
「いいねぇ」
「楽しかったですね、東五代さん」
「東五代ってなんか呼びにくいな」
「人の苗字にすら文句をつけるのか貴様」
「俺はヒガシゴってよんでます」
「なんかかっこいいから却下」
「かっこよくはない‥‥‥!」
「間を取ってウンチにしよう。おいお喋りウンチ、何食いたい?」
「お前の心臓を食ってやろうか?」
「カツ?」
「聴力‥‥‥! 島澤さんこいつ病院に連れてってやれよ!」
「あ? 歯医者さんか?」
「頭に決まってんだろ」
「耳だろバカタレ」
「ハハハ。仲いいなあ、君たちは」
そのまま、焼肉屋へ。
「お米食べすぎて肉食えないよ〜」
「再放送か?」
「なんでそんなバカなんですか」
「焼肉食べ放題あるあるやってんじゃねぇんだぞ」
「焼肉屋の米がうまいのが悪いな。あっ、お喋りウンチお前豚トロばっか食ってんじゃねぇぞはっ倒すぞ」
「米ばっか食ってんじゃねぇぞ。トモヤ、もっと食うんだ。あいつに負けてしまわないように」
「俺もう腹一杯」
「もっと食える奴だろ、お前は」
「うわ! ハラスメントだ!」
「鏡をようやく知ったのか?」
「ああ言えばこう言うなお前‥‥‥!」
「返せる球しか打ってないんですもん、石神さん」
その日は、本当に楽しかった。
びっくりするほど楽しかった。
家に帰り、眠りについて夢を見た。
久しぶりに家族の夢ではないほかの夢だった。
目が覚めると、十二時過ぎだったので、オサムはすぐに家を出てシュウジがいるであろう旧三ツ石事務所のほうに向かう。
その道中、カオルを見つける。
「南ちゃん」
「あっ、東さん。いま事務所のほうに行こうと思ってたんですよ」
「略してきたな。乗っていくかい?」
「いいんですか?」
「構わないよ」
夏場のバイクは絞ったように汗が出る。
「オートも考えものだなあ」
事務所の前にバイクを停めながら、汗を拭う。
「いまのバイクは尻が軽いからロマンがない。その点そいつはちかう。装甲が新種の特殊素材を織り込んだメタルなんだ。慣れりゃあ、風だってなんだって君の味方だろうさ」
「そうだといいがな」
「そうだ、南カオルくん。きみはどうしてここに来た」
「父の収集した物が物置小屋から出てきたんです。それを見せたくて」
「ほう、君の父親はたしか、セカイダーに興味があったんだったな」
「はい。これです」
それはどうやら拳銃のようだった。
「セカイダーのものってことは、前任者に任せるのが一番かもしれない。電話を繋ごう」
伴内いわく、それは「初めて生成した武器」らしい。
羅刹鬼の血が濃い伴内は、武器生成能力があるが、いまオサムの手元にあるのが、それらしい。
「なるほど、島澤さんはすごいんだなぁ」
「治せるでしょうか。治せたら使い物になるのだけれど」
「猿沢工房に任せるのが一番だな」
「猿沢工房?」
「岩手にあるISPOの支所だ。我々の装備はそこで点検してもらえるんだ。君にはまだ教えていなかったな」
「そんな物があるのか。気持ち悪いな、ISPOってのは」
猿沢工房に行ってみると、全身が黒い男がいた。
黒いライダースーツに黒いサングラスをかけている。
「おや、君が例の『新しいセカイダー』か」
「気安く話しかけるな。クソッタレの根暗。何様のつもりだ」
「東五代オサムくん、紹介しよう。そこの黒いのは永井タクヤという。ISPO捜査官だ」
「ほう、ISPOってのはこんなアホも雇うのか」
「人員不足なんだ」
「フフ、君たちは私になんの恨みがあるのかな? 取り敢えず握手しよう」
「俺に触れるな、馬鹿がうつる」
猿沢工房とやらの作業員・葛城リュウジが「お話は伺っていますよ」と帽子を取って現れた。
「どうも、東五代オサムさん。セカイダーS。セカイダーの生成した武器をあなた用に改造してさしあげますよ」
「頼まれてくれるのか」
「ええ、できますもの。聞いたところによると、貴方は島澤伴内が信頼し、後を託した鬼である。なら我々も貴方のサポートに手は抜けない。‥‥‥こちらへ」
案内されたのは、暗い地下だった。
そこには色々な道具が揃っていた。拳銃、短刀。
「彼はよく言っていた。語ったいた。本来なら、貴方のような少年が戦うような事にはしたくなかった。少年は少年らしく過ごしているのが一番だって。けれど、それを叶えるなら貴方の人生が一からやり直されなくちゃならないじゃないですか」
「‥‥‥‥‥‥」
「なら、我々は貴方が全力で一般人になれるように、戦い抜けるように、力を貸すまでなんです。そうするしかないんです。我々は」
「なら、俺はもう大丈夫だな」
「エッ」
「大丈夫」
一人はさみしい。孤独はつらい。
「大丈夫」
生きていくと、食ってならない人が増えていく。
一人目は東五代上坊スグル。二人目は五百森トモヤ。三人目は石神ルイ。四人目は島澤伴内。五人目は南カオル。だんだん、増えていく。
空腹。
「良い空き心地だ」
◆
冷たい水が血管の中を流れていく感覚。
人を恨み、殺したいと願った、あの感覚。
逃げて、逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥逃げて‥‥‥。
明日は何処へ逃げればいいのかもわからない。
二〇〇〇年の六月頃、ミノルの家族は殺された。
頭のおかしいれんじゅうに殺されてしまった。
ミノルには誰かを頼るという発想がなかった。
昔は優しい少年だったが、それでも、誰かを頼れるほどつよい人間ではなかった。逃げ出した。
逃げ出して、逃げ続けて走り続けた。世界中が敵になったような気になった。自分だけが頼れる存在、自分以外はすべてが障害物。
警察に補導された。そのまま児童養護施設に送られ、施設長の上坊上坊スグルに計らってもらって、メンタルのカウンセリングも行われた。
しかし、それがかえっていけなかった。子供をあやすような目が、ミノルには敵意に見えてしまった。
二〇〇二年、七月二十日。
海の日で施設の子供達がはしゃぐなか、ミノルは自分の誕生日のその日に、カウンセラー・今田ノリコを殺害した。
ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥。
腹が減る。
腹が減るから、殺したことは後悔していなかった。
敵意を向けたこの女が悪かった。あんな目で見なけりゃあ、ミノルだって、このカウンセラーを殺すことなんかなかった。
「おれは上坊上坊スグルの息子なんだとさ」
昔の苗字が思い出せない。たしか、田中とかだった気がする。思い出せないなら、大して重要ではないのかもしれない。
翌日、カウンセラー・今田ノリコが死んだというのがニュースで流れた。ミノルはくやしくて、ギャアギャアと泣いた。
殺した自分ではなく、殺されただけの‥‥‥つまり、なんの努力もしていない、あんな弱虫がテレビに乗るのが許せなかった。
こうなると躍起になった。
ちゃんと殺そうと思って、夜中に、同じ部屋の男の子を殺した。ちゃんと自分がやったと分かるように、ちゃんと返り血を浴びれるように、腹を刺して、血をひねり出したあとを全身に浴びた。
そして、翌朝起こしに来た女の子がギャアと叫んだので、事件が明らかになると、ミノルは庇われた。
まだ十一歳だったからだ。
上坊スグルが庇ってしまったのだ。
冷たい水が血管の中を流れていく感覚。寒い冬に汗をかきながら、何かをしている感覚。ハァハァと呼吸を忙しくしながら、自分が誰かに見られるのを待つ感覚。
ミノルは、その時人間ではなかった。
ある日、口に落ちた。
そこには女がいた。
女はミノルを闇に落としてしまった。ミノルの身体には、本当にやりたいことをやれる力がみなぎった。
それは鬼だった。
ミノルは鬼になる力を得ていた。
鬼の身体は強くて、道具がなくても殺しを行うことができた。
公園で遊んでいた女児を殴り殺したが、たったの三発で死んだのが特に衝撃的で、最初はこの力に戸惑いもしたが、次第にそれもなくなって、これから楽しい人生が始まると思った。
ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥ビチャ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
腹が‥‥‥減って‥‥‥そして、そのグルル‥‥‥と鳴る欲望が、ミノルの腹の中で震えると、ミノルは自分のやりたいことをノートに書き出した。
テレビに出たい。有名人になりたい。
恋愛がしたい。家族を持ちたい。
ミノルはとにかく欲望をすべて書き出して、鬼の力を使って、それを叶えていった。恋愛とかは恋の感情に陥る前に殺してしまうので叶わなかったし、テレビに出るのもいけなかった。
だから今年はそれを叶えてやろうと思う──平成二十年。
ふらふらと歩いていると、カトン、と肩がぶつかった。それは少女だった。
「あっ、すいません」
「構わないよ」
中学生だろうか、その少女は少々癖毛で一重まぶたの瞳の可愛い女の子だった。半月が二つ並んだような目で、茶褐色の髪色が愛らしい。
腹が減る。
「君、名前はなんて言うのかな」
「‥‥‥えっ、名前ですか‥‥‥? いや、あの‥‥‥」
「僕は上坊ミノルっていうんだ。平成三年の、七月二十日生まれでね。君の名前が、知りたいって思うってこと」
「いや‥‥‥その‥‥‥」
「どうして教えてくれないのかな」
腹が減る。
この女をどうしても自分のものにしたい、と思った。
少女は恐怖に縮み上がりながら、名乗らざるを得なかった。
「み、南カオルです‥‥‥」
「南カオルかあ、いい名前だね。僕のお嫁さんにぴったりだ。とくに南ってところが。よしそれじゃあ、結婚だ。君は今日から上坊カオルだね。どうもよろしく」
「な、なんなんですか貴方‥‥‥やめてください」
「え? なにを?」
「‥‥‥‥‥‥」
「照れなくても良いんだよ、痛くしないよ。なんだって夢は叶うんだよ、諦めなくちゃ、世界は君の味方をするんだ。そして世界っていうのは、僕だ。僕は‥‥‥世界だ」
「や、やめて!!」
カオルは手を振り払った。一秒の間も空けず、ミノルはその顔面を殴りつけた。カオルの軽い身体は吹っ飛んで、ミノルはその頭を鷲掴みにして、どこか人目につかないところに連れて行こうと考えたが、次の瞬間、男が現れた。
「わ」
男はどうやらカオルの悲鳴を聞いて駆けつけたらしい。脚部には、筋繊維に霊力が走った跡がのこっていた。
「その少女をどうするつもりか」
「家族になるんだ。この子はね、僕のお嫁さんだから」
「おかしいな、嫁は殴らんだろう、普通」
「そうかな、僕のお父さんは笑ってお母さんの肩を叩いていたし、お母さんもそれを受けて笑っていたよ」
ちょっとしたじゃれ合いとの混同。
「君は誰かな、横槍はやめてほしいなあ」
「俺か。俺は世界だ」
「真似もやめてほしいかも」
男は──オサムはそれ以上は何も言わなかった。
カオルはオサムのその顔を見た。
据わった目に‥‥‥あがった口角。眉はピクリとも動かない。
まるでこれから人を殺すような顔に、カオルはたいへんな安堵をおぼえた。まったく同じ表情をするミノルへの感情とは正反対だった。
「助けて!」
言うまでもなく、オサムの拳がミノルの顔面にはいった。
ミノルは「痛いなあ!」と怒りをあらわにしながら、自分の手のなかにカオルがいないことに気がつくと、「奪うな!」と叫んだ。
「奪う。まるでこの子が貴様のものであるみたいな物言いだ」
「僕のだ。僕のだ。き、君に触れる権利はない」
「キスでもしてやりゃ理解するか?」
「エッ」
「ハァーッ!? ぼ、僕でもしたことないのに」
「なんだ、童貞かよ。その歳で? たぶんお前、同い年だよな。‥‥‥ハハ。気色悪いなお前」
「君もだろ!」
「ハハァ。バレちゃった。‥‥‥南ちゃん、下がってて」
「は、はい」
ミノルは理機を取り出し、変身した。そして、全力で殴りつけるが、変身すらしていない蹴り一発で跳ね返された。
驚きながら、また殴りつける。今度は躱され、頭を踏みつけられた。鼻の骨がおれて、鼻血を垂れ流しにしながら、上体を起こして、オサムを殴りつける。
「僕は‥‥‥鬼なのに‥‥‥!?」
「そうか。やはり。セカイダーと同じ見た目だ。目の色、以外がな。でも‥‥‥悪いな。俺は羅刹鬼だから、お前ごときに負けんのよ」
眉ひとつ動かさない。ミノルは瞬きをしながら、ギュッと呼吸を絞り、背中から触手を突き出すと、それをオサムの腹に向けた。しかし、それは刺さらずオサムの表面をなぞる様に、攻撃が逸らされる。
最近気づいたことがある。
セカイダーに変身すると、神経が過敏になって、ケツの感度がありえないことになってしまう。変身したあとにオートバイクに乗ると、ケツの情緒が変なことになる。
伴内に聞いてみれば、「セカイダーに変身すると、神経系が発達するようになる」らしい。
そして、おそらくもともと感じやすい尻が鬼の神経系と接続されてしまったのだろう、と。
だから、よほどのことがない限り変身はしたくない。移動がオートバイクのうちは。
ではどうやって戦うか。緊急時は筋力強化。今のように、大した緊急性のない場合は攻撃そらしなど‥‥‥。
オサムは瞬きひとつせず、ストン、ストンと近付いていき‥‥‥そして‥‥‥ミノルの頭を持ち上げた。
「セカイダーになるのは良いことではない。オートだけじゃなく‥‥‥椅子に座るのも、ほんの少し‥‥‥きつい。だから神経が落ち着くまで立っている必要がある。恥ずかしい身体になったものだと本当に思う。だから、俺はセカイダーを辞める。ケツが何ともなければ続けてもよかったが、セカイダーなんてやるもんじゃない。そうでなくとも‥‥‥俺は戦える。俺は特別で‥‥‥理機で変身するまで鬼としての身体は別世界にあるものらしい。鳥型はそういうもんだって古い文献に書いてあった」
「な、に、いって‥‥‥」
「つまり、俺の再生能力も、戦闘能力も‥‥‥鬼の血とは全くの別。鬼だから強いなら、貴様も強いだろうしな」
「ふざけるな‥‥‥! 僕は、つよい‥‥‥」
「『ふざけるな』‥‥‥? 誰に口を利いてるんだ、貴様」
頭にシャリッという音が響いた。頭にヒビが入ったのだろう。歯が折れていく。ポクッという感覚があった。
「礼節を弁えろ」
「ウ、ウウ‥‥‥!?」
「頭を垂れろ、俺に勝てない事を理解しろ。貴様のような‥‥‥根暗の馬鹿が世界の中心な訳があるか。世界の中心は、この俺だ」
「ウ、ウウウ! ウウウウウ!!」
ミノルは拳を振った。攻撃がそらされ、無理矢理腕が「エネルギーの流れ」に乗っていく。
腕が引きちぎれた。
「礼儀を、節度を、弁えて。貴様が貴様であるのは俺がこの世界の神であるからというのを理解して。図に乗るな、自我を持つな。貴様は俺に成り損なった屑だというのを自覚しろ。貴様は何だ」
「お、おに‥‥‥」
「違う。貴様は屑だ。生まれてきてはならなかった蛆虫だ。貴様は何だ」
「上坊、ミノル」
「違う。小便だ。知能のかけらもない大便だ。貴様は何だ」
「うう、うう‥‥‥」
ミノルは本当の強者を知った。
「貴様は、何だ?」
「う、蛆虫」
「なんで蛆虫が人の言葉を使ってるんだ。‥‥‥図に乗るなといったろうが。‥‥‥社会不適合者はこれだからいけない」
オサムはミノルの顔面を蹴りつけると、胸を踏みつけ、肋骨をすべて折ってしまった。
「南ちゃん、大丈夫かい?」
「えっ、あっ、はい‥‥‥いま警察呼びました。あと、救急車とか‥‥‥その人‥‥‥」
「あんなものの心配なんかしなくていい」
「します。流石にちょっとやり過ぎな気がするし‥‥‥それに、貴方が人殺しになるのは、私の人生にも関わるんです」
「エッ‥‥‥?」
「こっちの都合です。助けてくれて、ありがとうございます」
「あ、ああ。‥‥‥えっと、こういう時って‥‥‥」
「どういたしまして、です」
「どういたしまして‥‥‥」
「はい。あと、私も病院とか‥‥‥」
「‥‥‥そこは問題ないな。きっと通報して来る警官っていうのは早池峰ジョーだろう。奴は特別製だ」
「特別製‥‥‥?」
「霊力でもなんでもなく‥‥‥他の力で対象の傷を治すことができるらしい。霊力での治癒ではないので、君が披露することもない」
パトカー。
「君が何故それを知っている」
「知られたくないのなら思考するのをやめろよ。頭で考えて行動するってのはだな、俺に事を知られるってことよ」
「百景種め‥‥‥」
「その力はなんなんだ? 霊力ではないらしいが」
「裏世界の力だよ。島澤くんには言うなよ、彼は気に病む」
「裏世界の力? じゃあ貴様、裏世界から来たのか」
「貰ったんだよ。『君はこちら側になれる』と言われてね」
「あちら側になったのか」
「いや‥‥‥普通に考えてせっかく手に入れたスーパーパワーで悪人になりたいわけないだろ‥‥‥南カオルちゃん、傷口を見せてご覧」
「あっ、はい‥‥‥」
カオルの怪我が治されている間、夏屋ユキナが傍らのミノルを足で突く。
「これ後遺症残るやつですよ」
「それはいいことを聞いた」
「君は島澤くんとは違うタイプの人なんですね」
「島澤さんになれないので、俺は俺のやり方を貫くよ。どけ、記憶を抜き取る」
百景種能力を使う。
すると、ミノルの過去の行いが分かる。
「‥‥‥‥‥‥ん?」
そして、気づく。
「どうかしましたか?」
「俺とおんなじだ」
「なにがです」
「人生のほとんどが、俺とおんなじだ。家族を殺されて、逃げ出して保護されて‥‥‥」
「そうなんですか。‥‥‥そうなんですか?」
「うだうだ言ってないで警察なら人の過去くらい調べてみせろ」
しかし、わけが違ってくる。
「コイツ」
「どうなさったんで?」
「人の命をなんだと思ってるんだ。こんな生き物、なんで生まれてきてしまったんだ‥‥‥?」
しかし自分も歩む道を誤っていればこうなってしまうかもしれなかった事を考えると、やはり自分という存在を肯定するのはいけないことなのだと確信する。
「東さん?」
「‥‥‥‥‥‥俺は、誰か人を殺す前に、君のようなのに出会えて本当によかったのかもしれないな」
「また何があったんです? それを言うなら五百森さんですよ。私に夢中になりすぎですよ、東さん」
「そうかもしれない‥‥‥」
「おや、丸くなったか、東五代オサム〜」
「なんだ貴様。頭が高いな。礼節を弁えろよ」
「嫌われてる?」
「お前が馬鹿みたいに絡んでくるたびに殺意が湧き上がる。やることなすこと俺の逆鱗に触れる。お前は回復要員だ。警官なら織笠シュウジでじゅうぶんだ」
「あんなフランスかぶれの何処がいいんだか!」
「おい」
「なに」
「調子に乗るなよ」
シュウジのことを馬鹿にされたので、かなりイラッとしたらしい。オサムからしてみると、シュウジは仕事だとしてもオサムのやりたいことが最大限叶うようなことをしてくれるのでありがたかったし、島澤伴内に信用されているというところで加点もだいぶあった。一度懐くととことんズブズブになっていくのがオサムの悪いところだった。
「いこう、南ちゃん」
「あっ、はい」
「目の前にいる人間がどういうものであるか、ろくに調べもせず、普段大した事もせんのに人様に文句を言うときだけは饒舌になるような人間かぶれなんぞより、『フランスかぶれ』の方が良いと思うがな。せいぜい頑張れよ、人間かぶれ。はやく人間になれるといいな。次に織笠シュウジをはじめとした俺の内側にいる人間を侮辱したら、殺しはしないが‥‥‥自決をしてもらうことになる」
そもそも、なにはなくとも早池峰ジョーという男はあまり好きにはなれなかった。あまりにもエナシと同一視をしてくるので、参ってしまう。というより、先入観に囚われすぎるところが嫌だった。
「再三にわたり言うが、貴様の思うように、俺は島澤さんではない。彼のようにはなれないし、ならない。俺は善人じゃない。何度言えば分かってくれるのかは、貴様のような弱者になったことがないので分からないがね。俺はコメディの人間じゃない。石神ルイから何かを聞いて調子に乗ったのかもしれないが、俺だって人間によって態度を変える。いや、俺は特にそういう傾向にあるといっても過言ではないな。俺は石神ルイを信頼している。島澤さんのことを常に支えてくれている。言ってしまえば彼‥‥‥あるいは、心的な性自認を慮り『彼女』と言うのならば、彼女は善人だ。同じに考えるな、同じなわけがないんだから、お前と彼女は同じじゃない。恥を知れ、恥をだ。無理な要望だってのも理解はしておいてやる。けど、せめて自分は恥ずかしい奴なんだって自覚しろ。そして、お前ではない石神ルイは恥ずべきところのひとつもない立派な人間だ」
「‥‥‥‥‥‥」
「貴様とは違う。貴様のような悪人とは違う。比べてみろ、記憶の限り比べてみろ。石神ルイはやらんでいい拷問をしたか? 石神ルイは傷つけなくてもいい人たちを傷つけたか? 巻き込んで、そういう無駄なことをしておいて、『自分は誰かの役に立っている』だとか、『自分も守護者になれている』だとか、そういうクソッタレな勘違いしてしまうよう人間っていうのはさ、どちらかといえば、そこに転がっている蛆虫と同類なんだな。気に食わないよな。貴様は俺と同じ土俵に立っているんだものな。同じなんだよ、ずっと。石神ルイと同じ土俵で、同じ卓で飯を食えるような人間ではない。それを努々忘れることなかれってなぁ、最後の警告だぜ。ほら、行こう南ちゃん」
それなりに、腹が立つ。
「あの時は、ああすることで横井信彦の名前が知れた」
「百景種一人呼んできて思考読み取るだけで済んだ話だろ。頭悪いならいちいち口とか開かなきゃいいのに」
離脱。
「どこに行こうとしてたんだ?」
「コンビニエンスストアです。ちょっとホットスナックを食べたくなってしまったので‥‥‥」
「じゃあ、行こう」
「織笠さんの分も買っちゃいましょう」
「それはいい考えだ。しかし、君も災難だな。度々鬼に迫られて」
「今のところ何もしていてない鬼は、東さんだけですね」
「手なんて出しちゃダメだろ‥‥‥」
「そうでしょうか」
「俺も君もまだ未成年だろ。君に至っては中学生だ。だから‥‥‥」
「まじめなんですね」
「ここはちゃんとしなくとゃならないところだろ。トモヤを見習うべきだな。奴はこの十七年と少しをひとつも恋せず過ごしている」
「彼はなんか、恋をしなくても充実していそうですよ」
「恋をせず充実しろというんだよ。言わせるんでいけない‥‥‥そもそも、俺と君では君の母親がさあ‥‥‥」
「たぶん、もうお母さんは貴方のこと嫌ってなんかいないよ」
「なんで‥‥‥?」
コンビニエンスストアが見える。ドアの前に立って、そこに映った影でようやく二人の距離が縮んでいるのがわかった。
「なんでも、ですよ」
「わっからんなぁ‥‥‥あんなに嫌っておいて、この期に及んで好くものか? それは、感情としてあまりにも不自然ではないのか?」
「人の心は簡単じゃないんですよ。それとも、好かれるのは嫌ですか」
「好かれ方がわからない」
「じゃあ、これから知るんですよ」
「‥‥‥君にはもっといい人がいると思うがなあ」
「ハハハ、どこに」




