第4話 よろしくなくって
「ン?」
カズキはふと、「三ツ石シグル」という男の名を聞いた。
実家住まいのカズキは時折祖母の趣味に付き合う必要があった。
カズキの祖母の趣味というのは、古い映像の鑑賞であった。ボケーッとしながら見ているように見えるけれど、そのじつ、ちゃんと見ているので早送りしようものなら近くにある一番角ばった木材で尻を叩かれる。
その映像は岩手県宮古市のある映画製作会社のものらしい。発足した男に、三ツ石シグルという男がいた。当時十七歳で、そこら辺でひましてた不良少年たちをさそって映画を作って、大儲けしてやろうじゃないか、という腹づもりのことらしい。
〈しかし、彼らに映画を撮れるほどの金はあるのだろうか?〉
はっきり言ってやるなや、と思いながらカズキはボケーッとそれを見ていた。三ツ石シグルという名前も、同姓同名なのだろうと思っていたし、たとえばあのバカタレがこの映像を観ていた可能性もある。
〈どうやら彼らには、金銭の援助をしているという者がいるらしい。その男は長身に整った面をしているが、顔には大きな傷跡がある。ヤクザか何かだと思われるかもしれないが、どうやら警官らしい〉
その男が少年たちに引きずられてカメラの前に出てきたところで、カズキは目を疑った。
〈彼の名前は、島澤伴内と言います。島澤さんは、『不良になるくらいなら演劇でも撮ってたほうが健全だ』というので、どうやら金銭の援助を行っているということです〉
〈え、どう思うか、かあ。ハハァ。まぁ、彼らの中から長門ヒロユキのような大俳優が生まれるの、期待してますよ〉
前のめりになった。
〈ここで、宮古少年映画団のメンバーをご紹介する〉
団長・三ツ石シグル、副団長・五百森コサメ。
以外団員、二戸ヒデリ、四十四田カンク、一関ホマチ。
「‥‥‥ばあちゃん、これ‥‥‥」
「シッ」
「‥‥‥‥‥‥」
ダメだ、偶然出会うにしちゃ出来すぎてる。なにかに真実を仕込まれた。そうは分かっているけれど、目が離せなかった。
どういうわけだ、その画面にいるのは、ただの警官でも不良少年に金をくれてやる優しい大人でもない、心霊の仕事に関わる誰もが話くらいは聞いたことがある「島澤伴内」という男だ。
怪奇の男。
怪異を破壊する能力を持つ男。
〈我々は岩手の平和を守ります!〉
三ツ石シグルが言う。
〈といっても、アニキにひっついて回るだけだけどな。まぁそれ言っちゃおしまいだけど‥‥‥でも、俺たち剣道とか弓道とか、柔道とか‥‥‥そういうの得意だからな! 喧嘩なら負けねぇぞ〉
〈喧嘩をするんじゃないよ〉
〈でもアニキ、俺たち役に立つだろ〉
〈さてね〉
とても楽しそうな、集団。
〈俺たちアニキにゃ敵わないんだ。アニキはね、車の運転も鉄砲も博打だってつよいんだ。でもそんな兄貴だけど、勝てない人がひとりいます〉
〈ご紹介します! アニキのヒメカミ? とかっていう、横井志津子さんです〉
〈これ、声って後入れじゃないの?〉
〈アニキの秘密道具だから騒音も入んないからね、もう声は入ってるよ。はい、姐さん自己紹介!〉
〈え、えーっと、どうもー‥‥‥えへへ、横井です。えーっと、何言えばいいのかしら。わかんないわ〉
〈姐さんこの前結婚式したじゃない。そのときのアニキの話でもしたらいいじゃない〉
〈これあとで見返す‥‥‥のよね?〉
〈はい〉
〈バンちゃんに怒られるわよ‥‥‥?〉
〈その時は、逃げますのでね〉
〈え、えぇ‥‥‥? んー‥‥‥じゃあ、そうねぇ。島澤伴内という人について、お話しようかな。いつか必要になる人が現れるかもしれないもの〉
横井志津子と目が合ったような気がした。
〈まず、彼は君が思っているような秘匿主義の人ではないので、がんばって心を開かせましょう。‥‥‥それから、きっと彼はまだそちらに慣れていないかもしれませんから、もし何かに迷っているようでしたら、教えてあげてください。彼は目に痛い色が好きだから、布団を目に痛い赤にし始めたらちゃんと怒ってあげてください。それと、これから先は、あの人が全部を終わらせたら‥‥‥〉
横井志津子は腹を撫でながら、悲しそうに微笑む。
〈あの人が、全部を終わらせたら、見せてください。しばらく黙るので‥‥‥映像を停めてください〉
カズキは慌てて映像の再生をストップさせた。
一番角ばった木材で尻を叩かれながら、祖母に訊ねる。
「このフィルム、どこで手に入れたんだよ、ばあちゃん」
「譲ってもらったのよ。江梨っていう人からァ‥‥‥」
「えな、し‥‥‥?」
◆
「あ?」
シグルはイヤホンをぎゅっと耳に押し付けて、いつもの演技臭い高域の声をやめて、思わず焼けたような嗄声で、言う。
「どうした?」
「‥‥‥いや‥‥‥」
音楽が止まった。
「まずいな」
「なにが?」
「君に対しての約束も守れない男になっちまう」
「説明しろって」
「‥‥‥‥‥‥この前、『俺の本名も出身も俺が引退する時に教える』って君に言ったな」
「やっぱあれなしは卑怯だぜ」
「いや、違うんだ。説明が難しいな。一度パリに飛ぶか?」
「待ってよ、パスポートない」
シグルは焦っていた。
「俺がいつも耳にイヤホンをつけているのはわかるよね」
「ああ。工房のあの葛城って人にも教えてもらった。へんなの聞いてるって」
「あれは、俺の安心材料なんだ。そこまでは説明してないな。ある部屋に流れている音楽でね‥‥‥重さに反応して音楽が止まる仕組みになってる。その、部屋っていうのは、フランスのパリにあって‥‥‥」
シグルは髪をかき上げながら、脂汗を流しているのを手のひらで拭いながら、座ったり立ったりとしながら、言葉を頭のなかで組み立てていく。
「その重さっていうのは‥‥‥台の上のもので」
「台の上のもの?」
「其処には俺の素性とか、そういう物が判るファイルが置いてあるんだ。それが取られると、スイッチが切られて、音楽が止まる」
「スピーカーも中継機も再生機も何もかも、厳重な管理がされているから、三百六十五日途切れることなく流れ続ける」
ルイはその言葉に小さなクエスチョンをいくつも浮かべた。
「どうやってそんなことしてるんだよ。お前の正体って何?」
「‥‥‥あんまり聞いたことないだろうけど‥‥‥そもそも、俺がそれらしいことをしたこともあんまりないからな‥‥‥けど、言ってしまうけれど、お、おれは‥‥‥国際特別警察機構‥‥‥ISPOの捜査官‥‥‥」
「ISPO‥‥‥? 国際刑事警察機構とかなら聞いたことあるけど」
「それに便乗して‥‥‥というより、派生して作られた組織なんだ。特別な事案に対する解決能力を持ったエージェントを複数所持している組織で‥‥‥昭和三十五年に設立されて、俺はその一期メンバーで‥‥‥」
「一期メンバー? お前が生まれるよりも前の組織じゃん。せいぜい第三期だろ? ‥‥‥なんかボケてる?」
「違う。違う、俺は‥‥‥天拝坂くんに聞いたほうが早いかな‥‥‥」
「なんであいつに?」
「いまちょうど、俺の正体を知ったから‥‥‥?」
カズキはすぐに事務所にやって来た。
「知ったな?」
と言うと、彼の顔は混乱に満ちていく。
「説明は難しいんだよ、本当に。簡単なんだろうけど、俺はいま冷静じゃないんだ。君たちのような‥‥‥つまり、純粋に俺の事を知ろうとしている奴だったり‥‥‥つまり、その‥‥‥なんて言えばいいのかなぁ‥‥‥なんというか‥‥‥俺に対する害意があって、それを知ろうとする奴は、まずパリに行く」
カズキは小さく息を整えてから、自分の憶測を話し始めた。
「姫神の始祖‥‥‥横井志津子は‥‥‥お前の幼馴染だな‥‥‥?」
「ああ」
「それで、お前のセカイダーだとかいう鬼の姿になる力は‥‥‥先祖の‥‥‥つまり、羅刹鬼の血で‥‥‥姫神はその羅刹鬼の力を封印する力を持っている‥‥‥?」
「ああ」
姫神ゼロ号・横井志津子は凍結の能力を持つ。おそらく「封印」の力が捻れた結果なのだろう。その封印の力は鬼を封印するためのもの。姫神が生まれたのは、鬼をこの世から消すためであり、本来であれば「姫神は鬼の子を生むためのもの」というのは見当違いの解釈である。
「お前は、島澤伴内‥‥‥?」
「ああ」
「怪異を破壊する能力っていうのは、羅刹鬼の物で‥‥‥おまえは鬼の血を引いているから、横井志津子に封印されて‥‥‥現代で蘇って‥‥‥」
「今、除怪師として働いているのはなぜ‥‥‥?」
ルイが訊ねた。
シグル──伴内は、少し迷ってから、言い始めた。
「ISPOにいた頃から、怪異は壊してた。‥‥‥日本に派遣されて‥‥‥そこで‥‥‥日本に住み着いたのは‥‥‥本当は、パリの百景種が占った結果、この先‥‥‥生まれるかもしれない『エナシ』という鬼の王の誕生を未然に防ぐためで‥‥‥」
伴内は過去のことを、ゆっくりと思い出しながら、言葉を続ける。
「ほ、んとうは‥‥‥過去のうちに終わらせておくべきだったけれど‥‥‥え、エナシは‥‥‥俺と志津子の間に生まれるはずの子供だったと‥‥‥わかってしまった。それを防ぐ為に、俺は志津子に新しい恋を伝えて、そ、そうすればエナシは誕生しないと思っていたんだ。でも‥‥‥それで油断をしたのがいけなかった」
昭和三十七年七月二十日。
エナシが誕生してしまった。
「なんで? なんでお前と横井志津子の子供でもないのにエナシ生まれてんだよ、お前と横井志津子の息子なんだろ」
「う、生まれることが確定してたから、世界を破壊しなきゃエナシは絶対に生まれるんだ。でも、その頃の俺はまだ力がなかった。世界を破壊する方法なんて分からなかった。だからエナシの誕生の日、普通に生きていた」
「なんで現代まで来たんだ。しかも、封印なんて手段を使って‥‥‥」
「志津子が言うんだ。『もし全部かたがつくなら、この時代だ』って。でもその頃なんて、俺は普通に考えて七十代のジジイだし、四十後半のまだ若いエナシと戦って勝てるわけがない。でも、封印なら力を蓄えることができた。四十六年分の力でエナシを倒せてしまえるかもしれないって‥‥‥け、けれど‥‥‥志津子だって未来全部がわかるような神様じゃない‥‥‥」
復活した頃、志津子の計らいで、伴内はフランスはパリのISPO本部の地下にある隠し部屋に保管されていた。フランス語のおおよそを忘れていた伴内は日本人工作員・猿沢イシオの主導で現代のことを知り、自分の肉体を知ることになる。
「力自体はたまっていたけれど‥‥‥神経系が衰弱していて、弱体化していたんだ。俺の生体装甲が白いのはそのせいだ。それで‥‥‥力をつけるなら除怪師がいいってなって‥‥‥エナシが現れるだろう岩手の除怪師として働き始めたんだ」
「俺たちに出会ったのはその頃?」
「まだ変身時の身体の使い方がわからなくなっていて、鬼の姿のまま、気を失ってしまった。すると、石神くんの母親に見つかって、鬼だってなって‥‥‥石神くんの改造が行われてしまって、後戻りができなくなっていって‥‥‥どんどん話が悪い方に進んでいった‥‥‥」
伴内はもともとあまり優秀なほうではなかったらしい。
何をしても何をしなくてもいらんことが起こって事態は悪化した。兄はよくそんな伴内をからかって、「映画団の彼らがいないと何もできない」と言った。その通りだと伴内も自覚していた。
「もっとちゃんと全部が片付いて、もっとちゃんと全部整理がついたら、君たちにも言うつもりだった。最近、そう決めたんだ」
「なら、お前が一番弱くなってるタイミングを計られたんだ」
「そうらしい、けれど‥‥‥」
「一つ聞かせてくれよ」
「なにか‥‥‥?」
「お前、横井志津子のこと想ってたのか?」
「‥‥‥‥‥‥どうなんだろう。わからない。ただ、幼い頃から一緒にいたんだ。こっちにいた頃から俺は志津子に構ってもらえていて‥‥‥なんとなく、ずっと一緒にいたいなって思ってた。たぶん‥‥‥恋なんだと思うけれど」
「自分で、ほかの男を紹介して、結婚‥‥‥妊娠って知ったとき、どう思った?」
「守りたいと思った」
「じゃあ守ろう。よし、切り替えていけ」
「軽蔑しないのか? 俺は人様の人生を振り回しすぎている‥‥‥」
「既往は咎めない。それともお前はあれか? 石に手形でも当てなきゃ気がすまないかな?」
からかうような目。
「しかし、エナシはなんでお前の本当の名前とか‥‥‥素性を盗ったんだ? なにに使えるというわけでもなく‥‥‥」
「呪いだ。俺を呪おうと言うんだ。いままでどこに隠れていたかわからないけれど、奴はおそらく俺を狙おうと考えている」
除怪師が名を隠すのは、呪い対策。
「お前のファイルのなかに、呪いの媒体になりそうなものは含まれてるのか?」
「いや、一応危惧してそういうのは含んでいない。俺のDNAが欲しけりゃあ、本人に会いに来ればいいだけだ」
「エナシが動き始めたっていうのは、つまり‥‥‥」
「鬼モドキを使ってくる可能性もある。‥‥‥次の世界‥‥‥」
何処で鬼を作る方法を知ったか──つまり、鬼の血を手に入れたか、と思っていたが‥‥‥ようやくわかった。
あらかじめ決まっていたエナシ──つまり、鬼と人の子──の誕生。それが付け目だったのだ。
人と人の子であったとしても、本来エナシとして生まれてくる以上、エナシには鬼の血が流れている。
この場合、特殊な突然変異ということになるのだろう。エナシはその突然変異で鬼になった自らの血を使って、鬼を作っていたのだ。
受け入れがたい。
志津子は優しい女性だった。
その女の遺した子が、このような、気持ちの悪いことばかりやっているというのは、あまり信じたくないことだった。
「お前ってどう呼んだらいい? 三ツ石シグルか、島澤伴内か‥‥‥」
「どっいでもいいよ」
「じゃあ体脂肪」
「なんで第三勢力があるんだよ」
「体脂肪です‥‥‥」
「受け入れるな‥‥‥! でもそうだな。どっかのバカが実在の人物を偽名に使ったのでややこしくなったわ」
「六十年代はバカとかアホって呼ばれてた」
「今とあんまり変わらない‥‥‥」
「島澤伴内だからシマかバンだけど。お前ってISPOではどう呼ばれてたんだよ」
「大馬鹿者‥‥‥」
「可哀想すぎる」
素も普通に馬鹿なのか、と考察しながら、カズキは小さく笑う。
「間をとって『バカ.zip』にしよう」
「解凍されてんじゃねぇか」
「そのファイルを盗まれてんだわ」
「おいジップ、そのエナシとかっていうの、どこでなにしてるかみたいなのわかんないのかよ。百景種だろ」
「わかんないよ、わかってたらもうやってるだろ」
「まぁそうだよな」
「ここは県警の捜査力に頼るしかないか‥‥‥」
「ISPOの捜査官が警察を頼るとでも‥‥‥?」
「うるせぇ出来損ない」
「俺にそういったのはお母さん以外だと石神くん、君が初めてだ」
「かなしいなぁ」
「毒親?」
「毒親の母子家庭」
「俺もだけど?」
「俺は親二人いるしどっちも善人」
「嫉妬じゃないけど親でマウントを取るな」
「石神くん、君の母さんの頭蹴りつけてごめん‥‥‥」
「やられても仕方ないことやってたのあいつだろ。一年くらいは経ってんだぞいい加減乗り越えろ」
「加害者のほうが傷ついてるの初めて見た」
もともと暴力があまり好きではないんだろう、と泣く。
その精神性のやつがどうして長らくそうして戦えるのか、と考えると「無理をしているから」という結論に至る。
ルイは「さっさとどうにかしてやらないとな」と思った。
それからジョーの方に電話をして経緯を話すと、「三ツ石シグルって本名じゃないの!?」とたいそう驚いていた。
「それに、島澤伴内って聞いたことあるな」
「そのやりとりもうやったからいらない」
「時間ないからさっさと組織を動かしてくれ」
「おれにそこまでの権力ないんだ。まだ三十一歳だぜ?」
「優秀だったらちょっと権力ありそうな歳」
「君等警察わかってなさすぎ! はーマジでありえない!」
「クッソうぜ〜! なんだこいつ〜!?」
「なんでここで滞ってんだよ」
「じゃあ権力を持っておられるあんたの上司に連絡でもすりゃいいでしょ。バカはコイツだけでいいんですよ」
「コイツ?」
「なんでわかんねぇんだよ、お前しかいないだろ」
だとかなんとかクソいらない一悶着を挟みつつ、警察も相当数動いてくれるというのがわかったのでひと安心。
「もし、エナシと戦うとして、お前‥‥‥エナシをどうするの?」
ルイが買い物に行くと言って事務所を出ていったタイミングで、カズキは思い切って訊ねた。
「倒すって言ってたけど、それって」
「殺すってことだよ」
「殺せるのかよ」
「殺せるから、志津子は俺を現代まで眠らせたんだ。大丈夫、俺はやると言ったことは必ずやる人間なんだ」
「それは分かってるよ」
カズキは少し前の出来事を思い出していた。
除怪師という名前がない頃、ルイが姫神で、そこに偶然伴内がやってきて、偶然鬼で、ルイの身体が改造され‥‥‥絶望ばかり募っていく。
伴内だって、あの時両目と両腕を潰されていた。まだ起きたばかりで百景種の能力は使えなかったと言うらしいあの頃、「勝てる訳がない」と声が枯れるほどに叫んで言った。
相手は銃と刃物を持っていたし、複数人いたし、こっちは足手まといの自分と動けないルイと、本来は動けないはずのズタボロの鬼人ひとり。
一度「やる」と言ったから。
やってのけた。意地でもやり遂げた。
あの時、あそこで島澤伴内という男はどんな顔をしていたのだろうと今思う。
暴力というのがお話にならないくらいに苦手で、本来なら拳を握るような人間ではないはずなのに。
あの時あの場で彼は何を思ってどんな顔をしてきたんだろう。
「俺が思うに、みんな今よりちょっとだけ無理をすればいいんだ。ちょっとだけ無理をして、隣にいる誰かを想ってやれば、今よりちょっとだけ平和な世界になるんだ。でもそれは、高望みなのもわかってる。俺の言った綺麗事ができないから、四十六年経っても人間はまだこんなところで馬鹿やってんだものな」
「できるよ」
「エ?」
「人間は愛だって得てみせる。世界を諦めで包み込むな」
◆
昭和十七年六月二十日生まれ。国際特別警察機構捜査官。ISPO登録番号JP‐1‐009号。先祖は羅刹鬼。現代鬼人の始祖。
「まるで下手な漫画の主人公みたいだね」
「それ、そのファイル、どうなさるんです?」
「呪いにでも使えればいいなーって思ったんだけど、使えそうにないね。髪の毛の一本も挟まってないもの。どうしようかなぁ。どうすればいいだろう? 君、わかるかい?」
「わかりません」
「だよね」
エナシは笑いながら、傷だらけの男の顔写真を撫でる。
「この人はね、木村くん。母の初恋の人なんだ」
「横井志津子様のですか? このような‥‥‥アホそうな?」
「実際アホなんだ、自分の頭の使い方がわからないんだ」
「そのような男が、姫神ゼロ号の‥‥‥」
「この男はね、優しさで世界を救えると信じている恥ずかしい鬼なんだ。この男の兄‥‥‥つまり、島澤鷗外はそうではなかった。彼は良かったね。世界が厳しいことをよく理解していた。彼が凍らされたあとバカのzipが回収されるまで一人でそれを守っていたんだ。彼の遺言、知りたいかい?」
「いや全然」
「教えてあげよう」
「こいつ‥‥‥!!」
「島澤伴内の事を心配してたんだ。弟の優しさが世界を救うならって。お兄ちゃんはどうやら弟が大好きだったんだね。感動しちゃうよね。でもね、弱かったから、死んじゃうんだよね。かわいそうだよね。でもね、弱い奴に生きる価値はないんだ。だから死ぬんだ。悲しいだろうけど世の摂理なんだ」
「っすね」
てきとうな返事に微笑みながら、ファイルを木村コウタに渡す。
「適当に処分しておいてくれ。君の好きなように」
「じゃあ豚に食わせます」
「豚さんが可哀想だよ。バラバラにして川に流しなさい」
「環境汚染じゃないですか。お魚さんが可哀想ですよ」
エナシはそれから部屋を出て階段をのぼった。タン‥‥‥タン‥‥‥と音がするのに耳を傾けながら、屋上のペントハウスに向かう。
その小屋のなかには棚があった。
その棚には瓶が並んでいる。
瓶の中身というのがどうやらエナシの血といくつかの薬品を混ぜたものらしく、それを傍らのベッドで眠る男に注射した。
すると、その男の身体はみるみるうちに変化していき、強化筋肉を持ち、強化皮膚を身に纏う異形の姿になる。
「鬼人第三号‥‥‥君に命令をあたえよう。とにかく暴れて、島澤伴内の精神を壊すんだ。たくさん人を殺してくれるかい? 鬼人第三号」
「わかりました」
「いい子だね。たのむよ」
島澤伴内は心の弱い男だ。それは、度重なる感じで分かりきっていることだった。拳を振るった夜は毎度の如く嘔吐しているし、仮面の下ではいつも泣いていた。
突けば壊れてしまうんだろう。
だったら、さっさと壊してしまって、敵なんか居なくしてしまえばいいじゃないかという魂胆である。
作戦でもなんでもない、ただの意地悪のようなものである。
しかし、心の中にはドロドロとした感情が募っている。
母──つまり、横井志津子はエナシを産んでからしばらく幼いエナシに対して、世界で一番優しくて悲しい男というのを語った。
東京から逃げてきて、いつも泣いていたとても弱い子供。
男のくせに情けないと呆れたものだけれど、その子供はとてもすごい力を持っていた。何度ぼろぼろになるまでいじめられても、友達になるのを諦めなかったのだという。
みんなが手と手を握りあって、想い合って、愛し合えるのを幼心の底から信じていたのだと言う。
横井志津子は、幼いエナシによく「あなたも人を思える人になりなさい」と言って聞かせた。
エナシの知る大人はみんなその島澤伴内に救われた人たちだったので、彼も幼い頃はその男のことを「とてもすごい人だ」と思っていたが、その考えは成長する度に徐々にねじ曲がっていく。
世界を作るのは愛ではない。
世界を作るのは‥‥‥「奇怪」だ、と認識している。そしてそれが間違いなどではないと確信している。
この世界を次の段階に押し上げる。
人類がみんな鬼になってしまえば、横井志津子の言ったようにこの世界全てを包み込む力そのものもを愛してしまえる。
人類すべてが鬼になってくれれば。
そうすれば、ただの狂気といって母を押しつぶしたこの世界そのものを変えることができる。
母をすり潰したこの世界に復讐することができる。
ただそこに存在しているだけで、自分に価値があると思い込んでいる無能力の者共を全員鬼にしてやれば、そうすれば、自分の置かれた状況を理解した時、横井志津子がどのような存在だったかを理解させることができる。
鬼になってくれないような悪いれんじゅうは殺してしまえばいい。鬼になってくれないようなマヌケなれんじゅうはすり潰してしまえばいい。
その為には島澤伴内が邪魔だ。
なにがセカイダーか。
なにが英雄か。
国際特別警察機構‥‥‥ISPOだとかなんとか言って、結局はパリの犬ではないか。
だのに、そんな気持ちの悪い組織に入れ込んで、母を捨てたような男はクズだ、生きていちゃいけない奴だ。殺さないといけない奴なんだ。だから殺すんだ。
だから奴が氷の中で眠っている間に‥‥‥両親が死んだ頃、島澤家を殺した。時代もあってか、もともと母子家庭だったから殺すのは苦労しなかった。
島澤鷗外は弟が入った氷の塊が溶けてしまったり腐ってしまわないように、ずっと世話をしていた。
島澤伴内の母親・島澤ミドリも病気で床から起き上がれなくなっていても、毎日医者に扮したエナシに「伴内を頼みます」と言っていた。
死の前日、エナシに語った。
伴内はあまりにも優しすぎた。
それこそ、病気を疑ってしまうほどに優しかった。
それでは生きにくいだろうと思い、とても厳しく、兄と比べてとても厳しく育ててしまっのだそうだ。
これで悪人にでもなってくれたら少しは生きやすかったろうに、それでも伴内の心は決して壊れてくれなかった。
泣きながらも、瞳の中から光が失われなかった。
だから自分もおかしくなってしまって、伴内のことを考えることもなく、ただ自分の理想の人間になるようにいじめてしまっていた。
伴内はただ母親が欲しかっただけなのに、手を上げてしまうこともあった。馬鹿な母親だった、と。
涙ながらに語る。
そんなミドリを殺した。
島澤伴内はたくさんの人に愛された男だったのに、たったひとりを愛することができない。
そんな男に価値があるとは思えなかった。
それでも、自分が本当は間違えているんではないかと悩んだこともあった。それなりにまともな感性を持っているのではないかと自分でも思えるくらいには、何度も考えた。
島澤伴内の封印が解けるまで、四十年ちかく時間はあった。四十六歳になるまでに何回も考えて、悩んだ。
しかし、何度考えても自分が間違っているはずがなかった。
島澤伴内は殺したほうがいい男だ。島澤伴内は破壊するべき存在だ。だったら、もう迷わないことにした。
あの男はもうこの世界で息をしているし、氷を殴り砕いてこの世界に起きてしまっているのだから、こちらもその息の根をとめるために動かなければならない。
羅刹鬼の子孫。
本来ならば自分の父になるはずだった男。
あの男が母を裏切りさえしなければ。あの男が母のそばについてやれば、母は悲しみのなかに喜びを持てたのに。
それすら、せんのだから。
「エナシ様。鬼人第三号、民間人五十人余りを殺しました」
「ふふ、そうか。さすがは僕の血だね。この短期間に五十人か。セカイダー島澤伴内は現れそうかい? もうすでに交戦が始まって‥‥‥」
部下の携帯が鳴る。
「倒された‥‥‥そうです‥‥‥」
「そうか。ふふ、強さを取り戻してきているのかもね」
「こちらの鬼も強化していきますか?」
「私の鬼はね、彼の心を壊すための要因だよ」
「は、はぁ‥‥‥」
「その時が来れば俺が出るよ」
「その時、とは?」
「僕が新世界の王になる時だ」
シリアスを書くのが得意ではない
コメディもまた得意ではない




