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鬼人セカイダー  作者: 蟹谷梅次
セカイダー
3/23

第3話 転ずる

 大きな雲が世界をつつみ込んでいるんじゃないか、というほどの‥‥‥曇り空。三月に入って、卒業アルバムを片手に歩く学生が増えた頃、事務所に手紙が来た。


 消費期限のベーコンを無理矢理ドカ食いして腹を壊し溶けるように倒れ込むバカタレのかわりに、ルイがその手紙を読み上げる。


「新しいバイクができたので早く取りに来なさい‥‥‥だそうだよ」

「あ、明日にする‥‥‥」

「バーカ。だったらせめて電話でさ、『本日中には受け取れません』って連絡しろよ」

「お、俺のかわりに‥‥‥」

「甘えるな」

「鬼ぃ〜‥‥‥」


 ピポパポ。プルルル‥‥‥。


「もしもし‥‥‥三ツ石シグルです。え? はい。アホアホです。え? はい。バカタレアホうんこです。今はちょっとそっちは‥‥‥あっ、はい。‥‥‥‥‥‥あっ、どうも。えっと、あの、新しいバイクの方なんだけど、今日中は無理だから明日受け取りに行くからさ‥‥‥え? な、なんだよ‥‥‥俺だってそのくらいの配慮はできるよ。ち、ちがうよ‥‥‥ジジイ扱いしてくれちゃって‥‥‥。ん、はい‥‥‥いや、ほんとうに‥‥‥まぁ‥‥‥それは無理だよ、耐えられない‥‥‥」


 通話終了。


「病院行くか?」

「君運転荒いだろ、車の」

「生き方が荒い奴に言われたくない」

「一晩寝たら治るよ」

「ったく‥‥‥ベッドで寝ろ」

「はぁ~い‥‥‥」


 どうしてそんなアホなんだ、と呆れつつ‥‥‥ノロノロと蠢いて二階に向かっていくアホを見送る。


 そして手紙の便箋を見下ろす。タイヤのシルエットに、ISPOというアルファベット四文字。小さく「猿沢イシオのプライムオアシス」という中途半端なゆるふわフォントの文字。


「だっせー社名」


 翌日、体調全回復のシグルを見送ろうとすると、「君も来るか」と言われたので、ルイは少し驚いた。


 シグルは、どういう訳があるのか、こういうところにルイを連れて行きたがらなかった。


「ただの工房みたいなところだから、なんの面白みもないが‥‥‥帰りに君の寄りたいところでも寄っていこう」

「なんのおめかしもしてねぇよ」


 黒いズボンと灰色のセーター。


「その割にはずいぶんと花がある」

「こいつ‥‥‥」

「早く行こう、怒られちまう」


 普段はあえて尻に敷かれているけれど、やはり根本的にリードを保たれてしまうような、そういう感覚がある。


 嫌に言ってしまうと主従関係のような。


 事務所から車で五分。


 荒い運転にさすがに血が騒ぎ始めていると、そこが見える。


「イッシーいるかい!?」

「あっ、アホアホクソうんこさん」


 作業着の青年・葛城(かつらぎ)リュウジが顔を上げた。


「どうも。アホアホうんこです」

「社長なら消費期限切れた豚肉食って便所ですよ。‥‥‥バイクですよね? そこにおいてありますよ」


 倒れていた。


「置いてあるどころか!!」

「むしろ捨ててあるみたいに見える」

「どっかのバカが壊さないように頑丈に作り直したので、まぁ、大丈夫だと思いますよ。どっかのバカに感謝してくださいね」

「ありがとうございます」

「僕のことバカって言いました?」

「かしこ‥‥‥いってぇ!!」


 尻を蹴られながら、バイクを起こす。


「うーん、注文通りだ。ありがとうねぇ!」

「そりゃあ、まぁ。あんたに物を頼まれて本気出さない人はいませんもの。今も昔もそうだったでしょ」

「えー? ハハァ。俺がハンサムすぎるあまり‥‥‥?」

「バイクから生えてる奴ってミラーって言うんですけど」

「鏡くらい見たことあるわ!」


 シグルのツッコミに「ハッ」と嘲笑してから、リュウジはルイを見た。


「とめどねぇな」

「あっ、お連れの人はこちらへ。猿沢工房所有の秘密道具見せて差し上げますよ。いやあ、なんだかちゃんとした人そうで安心したなぁ。あの人『ドメスティック・バイオレンスの擬人化』ってよく言ってるんで、民族くらいデカいピアスとかしてたらどうしようかなって」

「あいつが派手な見た目とかあんまり好まないタイプでしょ」

「そうですね、二重瞼より一重瞼ってよく言ってますし。そうなったら、あなたってあのバカの好みどストライクですね。すっごい可哀想。はい、まず最初の秘密道具。人工皮膚。ゴム製。傷とか隠すときに使う。傷の箇所に付けるとだんだんと馴染んできて見えなくなる代物。あなたも隠したい傷がある時にどうぞ」


 おひとつプレゼント。


 隠したい傷なんてのは、腹くらいにしかない。


「次にこれ。硬化ティッシュと特殊な香水。普段はこんなにヒラヒラ。こよりを作ってみても、ヘニャヘニャ。あのウンコみたい。でも、この香水を吹きかけると‥‥‥」


 カンカン、と瞬時に硬化したコヨリでテーブルを叩く。


「コンセプトは、『トイレに流せる』です」

「怖すぎる、し‥‥‥あの、ずっと気になってたんですけど、あの‥‥‥ずっとかかってるこの変な音楽はなんですか?」


 ファンクだとかR&Bだとかが同時に流れている。


「上に言われてるんですよ、ずっとかけておけって。簡単に言えばあのバカちゃんを落ち着かせるためのものです。あの人いつもイヤホン片耳につけてたり、両耳につけてたりでしょ。あれ、これ流れてるんです」

「ずっと聞いてたら鬱になりそうだ」

「まぁ、しょうがないですよ。あの人にもなんかあるんでしょうし、そもそも、あの人のああいうお仕事も何処かおかしいやつじゃなきゃできない」

「ハハァ‥‥‥なんだかよくわからないけれど‥‥‥ここだけの秘密なんですけど、俺、あいつにゾッコンなんで‥‥‥」

「でしょうね」

「何があっても、ずっといますよ、そばに」

「ハハァ、お気をつけて」


 それから、「たまには寿司を食いたいな」「お寿司でいいの? 金銭的には余裕があるけれど」「回転寿司でいいだろ、別に」「君が良いならそれでいいけど」というようなやりとりを挟みつつ、二人は回転寿司に足を運んだ。


 寿司を食っていると酒を飲みたくなるのがシグルだが、さすがに新車を受け取ったその日の内に人を自分の背中に乗せておきながら飲酒運転ははしゃぎすぎなので、茶で代用。


 回転寿司はなんと茶が無料で飲めてしまう。


「お前たまごしか食ってなくない?」

「たまごは背が伸びるから」

「それ以上伸びたら柱だろ」

「岩手にもタワーが必要でしょ」

「東北電力無線鉄塔のつもりか!?」


 頭が高い。


 やいのやいのと騒いでいると、隣のテーブル席にふたり組が座る。その二人というのはどうも知り合いらしい。


「あれっ! サンちゃん!」

「あっ、マツさん! おいたまごから顔あげろバカ」

「どうも、石割さん。なんか飯食うときいつもいますね。もしかしてお母さん?」

「厚かましい‥‥‥!」


 マツヨはお馴染みだが、そうじゃない方は知らないだろう。彼女の名は石割(いしわり)サクラといい、マツヨの孫である。


 現在高校三年生、今年から大学生で、かつて「私、サンさんと同じ大学に進学したいです」「え、俺、岩鷲大学」「じゃあ、そこにいきます」という会話をし、この度岩鷲大学医学部に無事合格した。


「今日はどのようなご要件で?」

「周り見てみろ」

「回転寿司で寿司食う以外やることないでしょ」

「オフの時もアホなんだ」

「芸人じゃないからオールシーズンアホですよこいつ」

「オンオフの概念もないのかもね」

「外れちゃったんすよ〜」

「頭のネジ、スイッチの奴だったかあ」


 やいの、やいのと。

 じゃあちょっと俺おトイレット行ってきますからね。

 じょぼぼ。ふーすっきり。


 席に戻ってきて、ふと、そこにいる彼らがあまりにも光の中の存在だったので、シグルは少しだけ胸のなかにモヤッとしたものをおぼえる。


 どんなに強がっていても、こんな「何もない日」を大事にできるほど、シグルは孤独感を忘れられるような人間ではなかった。


『けど』


 良いんだ、と。


『これでいいんだ』


 それが良いんだ、と。


『もともと、俺はあの中にいるような男でないんだから‥‥‥』


 根本から、あの中にいるのは間違っている。


 もともと、それは理解しているつもりだったのだけれども、最近はそれを忘れてしまうのは、おそらく現実から目を背けたかったからだと思う。


 石神ルイを知ったその日から、現実が嫌になってしまった。


 何度考えてみても、何度情報を整理してみても、本来は出会うはずのなかった二人で‥‥‥そして、シグルが、目指す「何もなかった世界」では、出会うはずもない二人だった。


 影の中を選んで生きるべき人間と、平和な世界を生きてしまってほしい人間が、出会っていいはずがなかった。


 このまま去ったほうがいいのかもしれないな、と思っていると、携帯電話に着信があった。


 出てみると、早池峰ジョー。


 ジョーは焦っているらしく、息づかいは荒かったし、その後ろでは悲鳴と、発砲音。聞けば、「鬼モドキ」。


 シグルはすぐに店を出て、鬼モドキの方へ向かった。


 バイクに「ライターのようなもの」を差し込むところがあって、そこにそれを挿れると、オートバイクの見た目が変化した。


 青一色の綺麗なものから、黒と白の艶のないボディ‥‥‥前照灯は二つから一つになり、白い光は青くなる。


 〝カチッ〟


 セカイダーが現れた。


 セカイダーはその鬼モドキの姿を確認すると、「また」と呟いて、口を強く噤んだ。


「セ、カイ、ダー!!」

「はいよ」


 鬼モドキは掴んでいた警官を地面に捨てて、セカイダーの方に駆け出し、拳を力強く繰り出したが、セカイダーには効くはずもない。


 セカイダーはそれを躱しながら拳を繰り出す。


 鬼モドキが「へにょへにょパンチが当たるかよ」と笑いながら、そのパンチを躱すと、顔の真横に拳が通った視点で一歩踏み込み肘を曲げながら肩を回し、肘を側頭部にめり込ませる。


 鬼は地面に倒れ込んで、グ‥‥‥グ‥‥‥と動こうとするけれど、身体に力が入らない。


「鬼は普通の怪異なんかよりもよっぽど力が強くって‥‥‥俺の力はすぐには通らないから‥‥‥多少苦しめる」

「ウ、ウウ‥‥‥!?」


 鬼モドキの腹に一発、重たいものが入る。


 強化皮膚のなかで嘔吐したらしく、顔をしきりに振っている。


『こんな事、何が楽しいんだ?』


 一方的な蹂躙だった。鬼モドキにたいした戦闘能力はないが、それでも奴らは喜んで、自分たちより弱い普通の人間を苦しめていた。


『こんな‥‥‥』


 鬼モドキはおそらく人を簡単にねじ伏せられるのが嬉しくて堪えられないんだろうと思う。


 百景種は扁桃体の動きすらもわかってしまえる。


『一方的な蹂躙を‥‥‥』


 けれど、シグルはそれを理解できないでいた。


 昔から弱者をいたぶるのが好きな強者は存在したけれど、それでもそれを理解できたことは一度もなかった。


 自分より弱い存在と戦って自分が勝つのは当たり前のことで、それが面白いことなんかあるわけないのに。


 それでも、それに快感を覚えるのはどういう了見か?


『楽しいわけがない。こんな事』


 セカイダーは鬼モドキの顔面を蹴り飛ばしながら、そんな事を思った。鬼モドキは血反吐を吐いて、そこら辺で痙攣している。


 早く終わらせるべきだ。


 けれど、見なくていいものを見てしまう。


 死んでしまった警官たちだ。鬼モドキを自分たちの手で止めようとして、殺されてしまった可哀想な弱者たちだ。


 こうやって‥‥‥人が死んでいく。

 ‥‥‥理不尽に、人が殺されて‥‥‥それをどういうふうに思える人間が今の世の中にいるか、まだ、世界は‥‥‥くらいのに‥‥‥どうして、みんな笑えるか。


 まだ、世界は暗いのに。

 おそらくこれからもっと暗くなっていく。


 だったら、みんなもっと心だけは平穏でいなければいけないときだろうに、人の死でしか快楽を得られないれんじゅうが、こうやって鬼になっていくものだから、きっと誰かを幸せにできる奴らばかりが死んでいくんだから、どうしてこんな世界を愛せるか?


 どうしてお前らごときを愛せるか。


「何が目的だ‥‥‥答えたら許してやる‥‥‥見逃してやる‥‥‥」

「この地球を‥‥‥地球全体を、次の世界に使わせるんだよ。天国だよ、天国‥‥‥鬼の持つ協力な生体電気‥‥‥島澤伴内が持っていたという怪異を破壊できる能力‥‥‥横井志津子の‥‥‥姫神の始祖だという女が持っていた凍結の能力を‥‥‥よろしければ、頂いて、それをうまいこと使ってやろうじゃないかというのが、我々の狙いだ」

「そうか。教えてくれてありがとう」


 セカイダーは鬼モドキの頭を蹴り飛ばした。すると、鬼モドキの皮膚が解けていき、その場に倒れ込んでいた。


「何十年前の人間だと思ってんだ‥‥‥五十年近く前の奴等だぞ‥‥‥く、そ‥‥‥クソ‥‥‥ふざけやがって‥‥‥なにが次の世界だ‥‥‥クソ‥‥‥クソ‥‥‥ウゥ‥‥‥」


 心がつらい。


 心が耐えられそうにない。


 この世には自分一人だけがいて、自分だけが苦しんでいるような、そんなクソみたいな妄想に取り憑かれてしまいそうになるほど、痛みだけが体のなかで蠢いているから、とてもじゃないが耐えられそうにない。


 こんなものだから、自分はどうして存在しているのかもわからなくなってきてしまうんだろうと思える。


「二戸!」

「‥‥‥早池峰さん。怪我は?」

「あ、ああ‥‥‥両脚を折ったが‥‥‥大丈夫だ‥‥‥」

「なんで立てているんですか」

「君は大丈夫か?」

「こんな‥‥‥奴等から、怪我を負うようなアホではないです」

「そうか。よかった」

「よくない」

「エッ?」

「おれがもっと早くここに来ていれば、死ななくてもいい命が散ることなんかなかった。おれがもっとここにくるのがはやければ、そのためのちからだってあったのに、おれが、弱いからそうはならなかった。結果、警察の方々がしんでしまった‥‥‥お、俺がもっと使えるやつだったら、もうちょっとだけでも気づくのがはやかったら‥‥‥も、もう少しだけでも‥‥‥もう少しだけでもだ、その少しの時間で、守れる人がいたかも知れないのに‥‥‥お、おれは‥‥‥! おれは結果一人も守れていないじゃないか! な、なにがよかったんだ‥‥‥! す、いません‥‥‥もう、今日のうちは放っておいてください。少し頭を冷やします。守れなくてすいませんでした。ほんとうに、すいませんでした」


 開運橋の前で項垂れる。拳に残った硬い肉を殴る感覚も、足に残った、頭を蹴り飛ばす感覚も、全部嫌いだった。


 子供の頃から、暴力というのがてんで駄目で、男らしさというのを求める母からは「出来損ない」とまで言われるほどだった。


 その点を言えば、兄は母のお気に入りだった。


 腕っぷしはとても強かったからだ。


 喧嘩が強いからなんなんだ、というのが昔から彼のなかにある心というものだった。


 喧嘩をしている場合じゃない時代に生まれたというのもあるのだろうけれど、そういう点で言えば、母も兄も何処かずれていた。


 シグルはたまたまその二人からズレた感性を育ててしまえだだけなのだと、自分の腕っぷしの強さを見て思う。


 ちゃんと、あの家の息子だったんだとわかる。


 けれど、それが良いこととは、やっぱり思えなかった。


 人に両手があるのは、胸ぐらを掴んで頭を叩蹴るようにするためではないいと思っている。


 片手に優しさを持ち、もう片方で泣いている誰かを励ましてやれるようにするためだと彼は思う。


 世界中のみんなが隣の誰かを思いやれるようになればいいのに、もう少しだけでも誰かを愛することができれば、もう少しだけでも幸せが訪れてくれるはずなのに。


 それでも、そう思っていたとしても、彼は拳は振るわなければならなかった。現代で目を開けて毎日眠って起きるのだとしたら、彼にとってそれは役割のようなものだった。


 善意ではなく、義務。


「ハァ‥‥‥戻ろう‥‥‥」


 心の整理は未だについていない。しかし、戻らないと話にならない。回転寿司店に戻ると店の前でルイがプンプンとした顔で待ち構えていた。


「どこ行ってた?」

「‥‥‥‥‥‥」

「大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃねぇじゃねぇか。飯食えるか?」

「たぶん無理だ」

「じゃあ俺が食ってるところ見てろ」


 言いたくなってしまった。


 自分の秘密をすべて言ってしまって、身軽になって、嫌われたなら嫌われたでさっさと彼の前から消えてなくなって、必要な時だけ前に現れるような、そういう生き物になってしまいたかった。


 けれど、さみしくなるのは嫌だったから、何も言いたくなかった。心が二つあって、その二つの心をシグルはどうあっても制御できなかった。


「どうした?」


 歩けなくなった。


「全部終わったら、除怪師もなにもかもやめて、ふつうの人間として生きてみたい、けど‥‥‥俺のやるべきことが、いつ終わるかわからない。もしかしたら、この人生の内に終わらないことかもしれない。もしかしたら、君も俺につられて嫌な思いをたくさんするかもしれない。あ、雨が降っても‥‥‥俺は君に傘をさしてやれないし‥‥‥俺は、君の望むような優しい男ではないから、もしかしたら、俺は人を愛することができないかもしれない。君が君らしくあるのを、否定してしまうときが来るかもしれない、けど‥‥‥それでも、君は、ついて来るかい」

「傘くらい自分で持つよ」

「‥‥‥‥‥‥」


 こうなってしまったということは、また人を殴ったな。‥‥‥と、なんとなく察して、ルイはぽすんと背中を叩いておそらくこの世で誰よりも優しい想い人を店の中に押し込んだ。


 そして時は流れて、翌日になる。


 朝早くから事務所に来ていたルイにソファで寝ているところを叩き起こされ「寝るならベッドで寝ろよ」「ストーブつけたまま寝るなおバカ」と小言を言われながら着替え、朝食をつくるルイの横で珈琲を淹れながら、テレビをつける。


「最近いやなニュースばっかりだなぁ」

「ジャリ番つけろ」

「それがいちばんか」


 こういう一日の始まりにいやなニュースを見るのは心に来るものがあるので、子ども向け番組を見るのが事務所のやり方だった。


 子ども向けの朝番組はたいてい人形がはしゃいでいるか、着ぐるみがわめいているかで、心がホッコリする。


 疲れたシグルの心に染み渡る。


「そう言えばお前、昨日、『除怪師やめてふつうの人間として生きてみたい』とか言ってたけど‥‥‥」

「そんな事も言ったね」

「何で金稼ぐつもりだ?」

「しばらくのうちはいま稼いでる金があるから暮らしていけるとは言え‥‥‥たしかにそうだなぁ。農家、農家やってみたいな。盛岡からあんまり離れてないところっていうか、市内で‥‥‥畑とか買って、野菜を育てたいな。農家さん、やりたいな」

「毎日疲れるってぞ」


 からかうような声に、シグルは少しだけ笑みを浮かべる。


「そうなったら、毎晩食べるご飯がおいしいだろうね。疲れるのにはなれているし、もともと、お花とかを育てるのが好きな人間なんだ、俺。だからその延長線上にさ、どうかな農家」

「いいんじゃないか?」

「だな」

「ハハ。‥‥‥。‥‥‥あのさあ」

「ン?」

「俺、一生おまえに引っ付いて歩くからな。お前がもし嫌な奴になっても、ずっとおまえについていく。嫌いになってもついていく。覚悟しろよ、俺を振り切れると思うな」

「‥‥‥‥‥‥わかった‥‥‥」


 言いたい。


 一人で抱えているのは、やっぱり辛い。


「じゃあ、俺の秘密は、俺か引退するときに君に教える」

「本名も?」

「本名も」

「出身も?」

「そうだ」

「っていうか、一関ホマチって本名じゃないのかよ」

「そんなわけないだろ。そんな変な名前。一関は『一関市』‥‥‥ホマチは『外待雨』から取った。俺の一つ目の偽名だよ」

「‥‥‥でも、怪異が書いたノートに『一関ホマチ』ってあったって」

「だから言ったでしょうに、『怪異は騙せる』って」


 ルイは少し前に〈星の月〉でシグルが「怪異も嘘には騙される」と言っていたのを思い出した。


「なんだかお前って、底が見えないんだなあ」

「君はだいぶ、俺の底の方にいるけれども」

「え? なんで?」

「自覚がないのがいけないな。俺は君のこと、実はずいぶん前から頼りにしていたんだ。心の支えみたいなものだな。俺がどんなにくじけそうなときでも、君は俺の尻を叩いてくれるから。俺は安心して弱音を吐けるんだぜ」

「姫神に選ばれるような奴は心が強いんだろ」

「そうとも限らない。俺は他にも一人姫神を知っているけど‥‥‥彼女は、なんといえばいいのかな、最期まで不幸だった」

「どんな人だ?」

「とても優しい人だったよ。自分の痛みより他人の不幸に涙を流せる人だった。だから私たちも彼女を信頼していたし、甘えてしまっていた。けど、俺もひとり立ちのときが来たわけだ」

「ひとり?」

「言葉の綾でしょうが」


 やいのやいのと、飯を食いながらテレビを見ていると、窓から「ニャー」と声がした。見てみると、子猫がいるではないか。


「なんだ? 迷子の子猫か? 首輪もしていないし、野良だな。飼おう」

「参ったなぁ、猫を飼う準備なんてできていないぜ」

「ヒョウ柄でかわいいな。お前の名前はオバハンだ」

「なんで大阪のおばさんなんだよ。その子オスだよ」


 シグルは口にパンを咥えながら、二階の物置部屋に入って行く。ルイは子猫を抱えながらそのあとを追った。


「なにしてんだ?」

「君と出会う少し前‥‥‥つまり、二〇〇七年の六月頃にいちど猫の面倒をみたことがあったのを思い出したんだ。不幸を呼ぶ猫って言われていてね、正体は別の怪異だったんだけれど、その子を俺に押し付けてきた家族がいたんだ。‥‥‥えっと、その時の物があるはずなんだけれど‥‥‥パンが邪魔」

「自分で咥えておいて」


 シグルから取り上げたパンを食いながら、「あれじゃないか」とか「少しは整頓しろよ」とか言っていると、キャットタワーだとかケージだとか、猫用トイレだとか、そういう物が出てきた。


「猫を飼う準備整えられるじゃねぇか」

「子猫は初めてだなあ。名前はどうする?」

「オバハン」

「面の皮がブ厚すぎる。うーーーーーーーーーん‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「こういうのって特徴を名前にするらしいぜ。黒猫だったら黒だとか。ヒョウ柄だったらオバハンとか」

「押しが強すぎる。高校生の布団もだいたいヒョウ柄だろ」

「そうでもねーよ」


 二年前までギリギリ高校生だったルイの猛反撃!


「それを言ったら大阪のおばさんもあんまりヒョウ柄じゃないでしょ。そうだなぁ、ここは第三者に訊ねるべきだね」


 ということでカズキを召喚。


「オバハンでいいだろ」

「幼馴染を贔屓するな」

「だってお前明確な案だしてないんだろぉ?」

「えっ」

「なんか出せよ‥‥‥」

「‥‥‥ヒマワリ‥‥‥」


「じゃあそれで」

 オバハンよりはいいか、と。


 名前がカンちゃんに決まったところで、カズキは買い物袋を広げてみせた。そこには猫砂や猫の餌などがたくさん入っていた。


「お前らのことだからどうせ揃えてないんだろうなと思ってな」

「テンバイヤー! ありがとう!」

「死んでしまわすぞお前」

「感謝を伝えただけなのに!? そもそも俺は君たちより歳上なんだぞ! いいかい、一応言っておくと年上ってのは敬うもんなんだ、間違ってもサンドバッグにするようなもんじゃないんだ」

「おじいちゃんならまだしも」

「おじいちゃんみたいなものだろ俺は」

「おじいちゃんではないだろ。俺たちと二歳しか違わないだろ」


 ヒマワリが「ニャー」と鳴くので、いったん話は中断。


「このくらいの子猫って固形物食っていいの?」「知らないけど取り敢えずツナみたいなやつも買ってきた」「ミルクとかのほうが良いんじゃないの?」「ねぇだろ」「調べろよ百景種」「百景種は別に万能図鑑じゃねぇよ」「はやく調べろ」「可愛くない奴」「可愛くない奴の太ももを触るな」「いつまでいじるんだ君は」


 だとかなんとか言い合いながら、「まずは動物病院だろ」とルイがいうので、急遽ペットキャリーを購入し、動物病院に飛び込んだ。


 健康だというのがわかると、たらふく飯を食わせた。


 しかし、猫よりも警戒心のつよい男・三ツ石シグル。百景種能力をふんだんに使い、この猫のあらゆる事を調べた。どこで生まれたか、どういうふうに生きてきたか。


 するとどうやら仲の良い少女がいたらしいことを知る。


 事務所の近くに住んでいるらしいがなにやら事情があって、ヒマワリを飼えないので、家の庭でこっそり餌をやっていたらしい。


「見に行ってみるか」と思い立ち、バイクで十五分。


 その家は山中にあった。「ずいぶんと近いところにあるんだなあ」と思いながら家を眺める。


 玄関が霊道のうえに立ってるし、不自然な歪みも見受けられるので、もともとあまりよろしくない家に見える。


 庭をのぞき込んでみると、井戸。そこから耳をふさぎたくなるような、猫の絶叫。


「ふーむ‥‥‥これはどうだ‥‥‥?」


 絶対ヤバい家だぜコレ、と思いつつ、耳を澄ますと、「もうやめて」と泣く少女の声。


「お邪魔します」


 窓を蹴り割ると、家の中に突入。

 少女が泣き腫らした顔で此方に駆け寄ってきた。


「ご、うとう‥‥‥さん‥‥‥!」

「はいよ」

「助けて」


 声が嗄れている。


「了解」


 睡眠薬か何かでぐっすり眠った白い猫に包丁を突き立てようとする禿頭の男に、拾った女児用の筆入れを投げつけた。


 それは顔面に直撃し、何かがつぶれるような音がして、男は倒れた。


「君は警察に通報してくれるかい?」

「う、うん‥‥‥」

「二戸ヒデリって名前を出してくれたら早池峰ジョーって人が出てくると思うから、『早く来てください』みたいに言えば、彼は来てくれるよ」

「わ、わかりました」

「じゃあ俺は強盗しますよ」


 猫を抱え上げる。霊力を通して、睡眠薬を体外に排出すると、しばらくして目を覚ました。


「きみたちの、仲間のお墓をつくりたいから、どこにいるか教えてくれる?」

「ンニ」

「かっわいい‥‥‥」

「あ、あの‥‥‥強盗さん! 警察の人、あと十分位で来れるって言ってます! は、早く逃げないと‥‥‥」

「ハハァ。まぁ、捕まったらその時はその時だよ。それより、君ィ。手伝ってくれるかい? ひとりじゃどうしようもなくって‥‥‥そうだなぁ、この子の名前、教えてくれる?」

「え、えっと‥‥‥お父さんは、『めしになまえをつけるな』って言ってて‥‥‥で、でも私は、『スズラン』ちゃんって名前つけたの」

「ン! いいお名前だ。よしじゃあ、スズランちゃんの事、優しくしてあげて。水は‥‥‥丁度ここに」


 バイクにつけていた革のバッグから未開封の水のペットボトルと、猫餌をひとつ。


「さて‥‥‥どの程度のものか‥‥‥」


 身体から霊力を絞り出して、井戸の中に突っ込むと、もふもふというような感覚と一緒に、噛みつかれたり、ひっかかれるような痛みも一緒にやってくる。


「いてて、いて‥‥‥いてぇ、いっ‥‥‥おっいって‥‥‥いってぇ‥‥‥おおおおん‥‥‥いたぁい‥‥‥」


 骨を拾えるだけ拾い上げると、霊力を伝って両腕が傷だらけになってしまっていた。


 懐から人工皮膚を取り出し、傷を隠すと、ちょうどその時警察の車両が二台ほどやって来た。


「二戸!」

「Le salaud qui a mangé le chat dort dans la cuisine de cette maison, alors dépêchez-vous de le menotter.」

「承知した! ただちに」

「お嬢さん」

「な、なんですか」

「おはか、作る場所いこっか」


 常連の動物専門の霊園まで行くと、井戸からあげた猫の骨を洗い、墓地に埋めた。手を合わせ、少女がありがとうというのを受ける。


「感謝の言葉は俺にではないな」


 懐からヒマワリの写真を出すと、少女は目を輝かせた。


「俺の家で飼っているんだ。この子がいなかったら君の家のこともしれなかった。ヒマワリって名前をつけたんだけれど、かまわないかな?」


 少女は一生懸命に頷いた。


「たまに会いに来てくれるかい? 俺がいない時も、目つきのいかついごつめのお姉ちゃんがいるから、『ヒマワリに会いに来ました』くらい言えば会わせてくれるよ」

「いいんですか?」

「ああ。当たり前だ。君はあの子たちの恩人だもの。そういえば自己紹介し合ってなかったね。俺は三ツ石シグル」

「あわっ、私も!」

「え?」

「私も、三ツ石! ママの苗字なんだ」

「‥‥‥‥‥‥。君のママ、名前、なんて言うんだい?」

「エッ? えっと‥‥‥三ツ石(みついし)ツユです」


 まずい、と思った。

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