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鬼人セカイダー  作者: 蟹谷梅次
鬼人セカイダー
20/23

第20話 歪んだ世界

 千葉(ちば)リョウコの両親が、贄庵にハマったのは‥‥‥兄になるはずだった腹の中の子を流産させてしまってからだったという。

 悲しむ両親に、贄庵が手をだしたのだ。

 リョウコは幼い頃から贄庵の活動に連れ出されていた。

 ある日は新潟の山奥にある日本屋敷に連れて行かれた。

 そこでは「透視」の実験をやらされた。

 目を帯で隠されて、どのような模様が画面に映し出されているのかを当てるというものだった。

 リョウコは「これを、本気でやっているのか」と思うと、と大人たちが怖かった。怖くて仕方がなかった。

 それでもいいことは確かにあった。

 リョウコと同じ贄庵二世の山井(やまい)ミサトと友人になった。お笑いが好きで、リョウコはよく芸人のライブに連れて行かれた。

 ミサトは優しい少女だった。

 とても優しい少女で、学校でも友人は多かった。

 二人はすぐにとても仲良くなった。

 けれど、あるとき幸福は偽物であることを知った。

 ミサトはある時、贄庵の幹部たちの決定で「姫神役」に選ばれてしまったのだ。姫神役は、鬼の「相方」になるものであった。

 まだ高校を卒業したばかりで、まだまだ若いミサトは顔も良かったので、選ばれてしまったのだ。

 儀式というものが、どういうことをするものなのかは分からない。

 二人が儀式のあと数カ月後に顔を合わせた。

 リョウコは何をどう接してしまえばいいのか分からなかった。

 ミサトは「ごめんね、リョウコ」と言った。

 つづけざまに「おねがいね」と、笑みを浮かべた。

 悲しそうな笑みだったのをたしかに憶えている。

 それからまた数カ月後にミサトは、ミサトの両親と車ごと海に落ちて死んでしまった。

 自宅には家族三人分の遺書があった。

 ミサトの遺書には、「私の子は千葉リョウコに」とあった。

 ミサトには子供ができていた。

 その子を抱き上げると、悲しみがこみ上がってきた。

 リョウコの、親友の死に朽ちかけていた心は「この子は守らないとならない」という使命感に燃え上がった。


 贄庵から逃げようと思った。

 しかし‥‥‥贄庵は逃がしてなんかくれなかった。

 どこへ逃げても、必ずそこには贄庵の信者がやってきて、自分は逃げられないのだということを強く思い知った。

 もうどうしょうもないのかと、哀しくなった。切なくなった。恨ましくなった。憎しみの心が支配されていくのが分かった。

 ある日、ミサトの‥‥‥自分の‥‥‥娘を連れて銭湯に出かけた。

 その帰り、アパートが燃えているのが見えた。

 引っ越したばかりのアパートだった。

 警察の調べによると、灯油をかぶったベッドが燃えあとの中から見つかったので、確実に放火だろうということが分かった。

 絶望した。

 絶望した‥‥‥絶望した‥‥‥絶望した‥‥‥絶望した‥‥‥。

 リョウコはすっかり組織への抵抗をやめた。

 組織の迎えが来ると、娘を抱きしめて、その車に乗り込んだ。

 リョウコはやるべきことをやれと命令をされて、奴らの命令に従っていた。何を考えることをやめて、ただやれと言われたから動く。

 何も考えない。次回は次第に色を失っていく。

 娘の夜泣きの声も遠くに聞こえるようになって、飯も食えなくなっていく。手が上がらない。頭を上げられない。

 娘はただ泣いているのに。

 愛されたいと‥‥‥思っているだけで‥‥‥。

 自分の身体からどす黒い物が流れているのがわかった。


 リョウコのもとに男が現れた。とても優しい人だった。

 彼は倉田(くらた)竜太郎(りゅうたろう)という。

 竜太郎はリョウコのことをとても心配してくれる人だった。

 リョウコは竜太郎の笑顔にミサトの笑顔を重ねてしまった。壊れていたはずの心がほぐれて、もう立ち直れない様になってしまった。

 リョウコは竜太郎と愛し合った。家族もできた。

 贄庵はほくそ笑んでいた。

 贄庵はその家族すらも道具にしようとした。

 娘と、竜太郎と、息子を、守るために、守るために‥‥‥。

 よりいっそう組織の仕事をやるようになった。よりいっそう暗い沼の底に落ちていくようになってしまった。

 その日もその仕事の話だった。

「菊池ヒロと狼久保アキラを殺せ」というものだった。


 ああ、とうとうひとごろし。


 菊池ヒロは姫神だと言う。

 ミサトとおんなじだ、と思った。

 違うところは、贄庵から逃げ出したということ。

 ミサトができなかったことをやろうとしてるのだ、と思う。

 狼久保アキラは除怪師であるらしい。

 胡散臭いと思って調べるとすぐに男の本性が分かった。

 霊現象に悩んでいる人のもとに訪れてはそれを解決してやって、アドバイスまでくれてやる。

 怪異が相手だったら一万円、そうでない場合は五千円。

 除怪師というのは法外な奴らだと思っていた。最低でも二万は取っていくような奴らで、そんななかでこの男は何か違っていた。

 リョウコは二人の観察から始めた。

 急な事情を大して説明することもなく、リョウコは家族でアキラの事務所の近くに引っ越した。

 娘のミライが仙台市内の高校に進学したがっているのを良い事に。

 リョウコはアキラの観察をしはじめた。

 ギターを持った除怪師、誰にでも優しく接するものだから街の人気者。

 歌のうまいお調子者で、いじられキャラ。

 傍から見ていると、ごく普通の青年にしか見えなかった。

 ヒロを連れて歩いているので、普通ではないのだけれど。

 けれど、そんな観察の日々にイレギュラーが起こってしまった。ある雨の日、駅前でアキラにミライがとんとぶつかり、尻餅をついた。


「あっ、ごめんなさい」

「いーのいーの、それより君ね。あっちゃー制服とかずぶ濡れだ」

「どうしましょ」

「どうしよっか。俺が不動なばっかりにね」

「お怪我はありませんか?」

「うん、大丈夫」


 それから何回か何かを話して、気がつけば気が合ったらしい。

 アキラとミライが笑って、ヒロがあきれたような顔をする。

 その日の夕飯時に、ミライが嬉しそうに「ギターを持った彼」についての話をした。とても優しいし、とても面白い人だった、と。

 すると、竜太郎もその話に乗っかって「自分もその人と話したことがあるなぁ」「タバコ屋の前で小銭を拾ってくれたよ」と。

 息子・アシタはその人に会いたいなぁ、と言っていた。

 そんなものは迷う要因にはならなかった。

 狼久保アキラを殺さなければ、菊池ヒロを殺さなければ、贄庵のれんじゅうは何をするかわかったもんじゃない。

 だから、「やる」と言ったらやる覚悟があったはずだった。

 ある日、買い物をしていた時だった。

 突如目眩がして倒れそうになったところに、支えられた。


「大丈夫ですか」

「えっ‥‥‥あっ‥‥‥」


 疲れがたまっていたのだ、疲れが。

 だから、背後に人がいる事にも気づかないで目眩なんか。

 リョウコはその男がアキラであることがわかると、ドキッとした。


「あっ、ありがとう‥‥‥ございます‥‥‥」

「なんのこれ冬季」

「今はまだバリバリ夏季ですよ」


 アキラの後ろにはヒロもいた。


「七月って夏季なん?」


 夏季だろ、と思った。


「夏季でしょ」

「えーーーー? 自分は全然そんな事ないと思っててぇ、なんか七月って春季でも夏季でもない全く別の存在だと認識しててぇ、じゃあなんて言えばいいのかなって言われるとそれはまぁそこそこ困る質問なんだけど、でもさぁ〜」

「‥‥‥‥‥‥」

「ま、疲れ過ぎは毒だって話ですよ。じゃあね!」


 アキラは、根明の人間だった。

 きっと友人も多いのだろうし、恋人もいるのだろうか。

 もしそうだとしたら。

 リョウコの頭に家族の顔が一人ずつ思い浮かんだ。


『だとしても‥‥‥私がやらなきゃ‥‥‥』


 どうやら強いらしい、という情報が来た。

 贄庵戦闘員がひとりやられたらしい。

 であるとするのなら、やるとしたらアキラが疲れているときだった。

 そして、安全策として、身内に入り込むことにした。

 近づいて、狼久保アキラのコミュニケーションに乗っかって、親しい知人くらいの距離感の位置に滑り込む。

 しかし、それはあまりいい策ではなかった。

 ダメなことをしたと気づいたときには、もう遅かった。

 竜太郎も、ミライも、アシタも‥‥‥リョウコでさえも‥‥‥アキラだとか、ヒロだとかの、あのふたりのことを好きになってしまっていた。

 殺せない。殺せない‥‥‥! 殺せない‥‥‥!!

 殺してはならない人だった、覚悟が揺らいでしまう。

 どんな時でも、少しでもタイミングを伺おうとすると、あの優しい笑顔を思い出してしまう。何度覚悟を改めようとしても、あの青年の優しさを分かってしまう。

 あの青年は、死んではならない人だ‥‥‥!

 そう思うと、力が出なかった。

 殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない、殺せない‥‥‥!

 これはまずいことだ、組織との「約束」を破ったんだ。

 これは、大いに「あってはならないこと」だった。


 贄庵が動いた。

 竜太郎がまず消えた。昼ごろに家に電話があり、竜太郎が出勤していないという、次の日にミライとアシタがいなくなった。

 そして、ビデオレターが届いた。

 贄庵の「鬼人」と呼ばれる怪人からのものだ。

 れんじゅうはリョウコの家族を誘拐し人質にしていたのだ。


「どうです、リョウコさん。これでやる気になったでしょう。ハッハッハ、やってもらわにゃ困るんですよ。狼久保アキラ‥‥‥あの青年はね、我々の顔に泥を塗ろうと言うんだ。姫神を奪い、戦闘員の身体に後遺症を残し、駒にすることもできなくなった。ありゃ許すこともできんのでぇ‥‥‥頼むよ、な、リョウコさん。あんたがここでやってくれなきゃ、あんたは一生みじめな思いをして生きていかなくちゃいけないんだぞ。な、そうだろう? それは嫌なはずだろう? このビデオレターに同封している小型カメラを胸につけてくれよ、中継のカメラなんだ。リョウコさん、あんたが‥‥‥今回は狼久保アキラだけでも殺してくれれば、家族は解放してあげますよ」

「ウ‥‥‥ウゥ‥‥‥ウウウウウ! ウウウウウ!! ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!! ンンウウウウウアアアアア!! アアア! もう! もおおおおおおおお!!」


 リョウコは発狂して茶の間の家具という家具を倒して、壁という壁を殴った。右の拳がつぶれて、泣き崩れた頃、「やらなきゃ」と焦って、家を飛び出した。

 空は暗くなってきていた。

 小型カメラを胸につけたリョウコは走って町中をアキラを探した。そして、霊屋橋の真ん中で、アキラを発見する。


「あれっ、奥さん。どうなさったんで」

「うううううう!! 死ねぇ〜〜ッ!!」


 リョウコは思い切りアキラに飛びかかった。

 アキラは驚きながらもそれを受け止めて、リョウコが振るいあげた拳を掴む。右の拳が潰れているのをみると、目を細める。


「なんだ、なんだどうしたんだ!!」

「死ね! 死ね! 死ね! はやく死ね! もう、もうお前が死なないと、死なないと!」

「ウ‥‥‥!?」


 リョウコの力は強かった。

 おそらく無意識のうちに霊力で身体を強化しているのだろう。

 ヒロは警察に通報しようとアキラの携帯を取り出したが、アキラは「待て」と制止した。


「なにがあった、あんたそんな事をするような人ではなかった! ‥‥‥いったいなにがあった!? 誰かに脅されているのか!?」

「うう、うう‥‥‥死ね! 死ね!」

「奥さん! あ、あんたは‥‥‥!!」


 アキラは苦虫を噛み潰したような顔をしてリョウコを蹴り飛ばした。


「い、い、いつもそうだ‥‥‥いつも、いつも‥‥‥そうだ。お前みたいな強い人間にはわかんないけど、私たちはいつも、いつもいつも使われる側なんだ! ミサトだってそうだった! ミサトは死ぬような人ではなかった! ミサトは優しい人だった! だからぁ! 今度こそ、守らないと。わた、わたしの家族は‥‥‥お、お前を殺さないと‥‥‥」

「か、ぞく‥‥‥!? あんた、家族を」

「しねえええ!!」


 リョウコはまた殴りかかった。アキラはその拳を両手で受け止め、引き込むと、左肘をリョウコの腋下に突き入れた。


「私に力があればミサトが死ぬことも無かった。私には役割があるんだ。だから‥‥‥私は、私はやらなくちゃ‥‥‥私は‥‥‥私はぁ‥‥‥あああ!! ああ、もう‥‥‥殺されて! 殺されてよ! 頼むから、頼むから殺されてよ! ああ、うう、はあ‥‥‥ああ」


 死んだ子の年を数えるような、リョウコの呟きに、アキラは呼吸を整える。


「私は、家族を守らなくちゃならないの。私は‥‥‥あなたを殺して‥‥‥だって、殺さないと‥‥‥私の家族は解放されないの。もぉぉ‥‥‥後も先もないの、あ、あなたが死んでくれないと、私は‥‥‥私は‥‥‥」

「その顔は、絶望だ‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥う、うるさい‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」


 アキラは拳銃を取り出す。


「俺が死ねば、あなたの家族は助かるんだな‥‥‥!?」

「‥‥‥な、にを‥‥‥」

「助かるんだな!? 返事は!!」

「た、すかる‥‥‥!」


 パン、と。アキラは自決した。


 仙台市内、ある廃ビルの三階。男は椅子から立ち上がり、「フゥウ!!」と興奮の声をあげた。


「やはり馬鹿だ! 狼久保アキラ!! 自殺しおった! 後先も考えずに、自殺した! そんなに赤の他人を助けたいものか!? ‥‥‥まぁいい、ははぁ‥‥‥ははは‥‥‥これで、菊池ヒロを捕まえれば‥‥‥手元にある倉田ミライを含めて、将来生まれるとしたら、ふたり! そのうちのひとりでも世界操術を使えるようになれば、禍権様の宿願は果たされるんだ」


 その時、男の背後で声がした。


「Le filet du ciel est vaste et étendu, et rien n'y échappe.」

「えっ!?」


 男がいる。

 突如、モニターの電源が落ち、そこに影が映る。

 男がいる。

 男が振り返ると、頭を掴まれ、デスクに叩きつけられた。


「ぎゃ!」


 そこには頭から血を吹き上がらせるアキラがいる。


「なんで‥‥‥頭撃たれて死んでねぇんだよ!!」

「怪我はね、急所に近けりゃ近いほどよく治る。二十六秒。俺は感知したぜ、蛙ン坊」

「う、うう‥‥‥」


 男は立ち上がり、血が止まるのを待った。

 四十一秒。治るのに、四十一秒かかった。


「し、ねよ‥‥‥死ねよ!! うわああああああ!!」


 男はライターのようなものを押して、変身した。そして、アキラを蹴り飛ばすと、アキラは壁に叩きつけられた。

 男はさっさと殺してやろうと間合いを詰めると、一発一発が全力の拳を何度もラッシュでたたきつけた。

 そして、踏みつける。何度も何度も踏みつける。

 つぶしてやる、つぶしてやる‥‥‥と確かな意思をもって。

 それから二時間ほど、潰し続けた。

 ヒロが無理矢理その廃ビルにリョウコを連れてくると、ちょうど男がアキラを潰し終えた頃だった。


「ハァ‥‥‥ハァ‥‥‥お、終わった。ここまでミンチになりゃ流石に死ぬだろ‥‥‥」

「果たして本当にそうだろうか」


 パッ、と身体が治った。


「殴る蹴るばかりやるんじゃ芸がないのとおんなじだ」

「なんで‥‥‥なんで死なねぇんだよ!」

「本物の鬼がぁ!」


 アキラの大声に、男は肩を跳ねらせた。


「本物の鬼が‥‥‥殺された程度で死ぬ訳ねぇべや、そんなカンタンなことを考える脳みそもねぇのかテメェはやァ」

「う、うう‥‥‥!」

「菊ちゃん、俺のズボン出してェ──」


 アキラに言われて、ヒロは背負っていたリュックからズボンとベルトを出すと、アキラに投げ渡した。


「Le filet du ciel est vaste et étendu, et rien n'y échappe.」

「はぁ‥‥‥はぁ‥‥‥く、くそ‥‥‥」

「奥さん!」

「‥‥‥‥‥‥」


 アキラに呼ばれ、リョウコは顔を上げた。


「良いかい‥‥‥今から言う事は俺の思想だ。あんたの事に俺は明るくないから、厳密なことが言えないから、それを踏まえて考えて。いいかい‥‥‥!? あんたのその顔は絶望だ‥‥‥そして、その絶望は優しさのはずだ! きっとれんじゅうに大切な友人や、あるいは家族を奪われたことがあるのだろう!? 逃げようとしたこともあるはずだ! でもコイツらは、拡がりだけはいいから‥‥‥すぐに見つかったんだ、殺されかけたこともあったろ‥‥‥!? それで仕方なく、従った!? そうだろう!?」

「う、う‥‥‥」

「けれど、いくらこいつらのために闇雲になって頑張ったところでこいつらはあんたに良い事ひとつしちゃくれない! あんたのその絶望を食い物にして、ほくそ笑むだけだ! あんたのその優しさを蝕んで、れんじゅうはあんたがた一家を不幸のどん底に突き落とすだけだ! 助けてほしいならそう言え! 助かりたいなら泣いてくれ! 頼むから、もう抗うことを諦めてくれ! 俺はあんたを助けられる! もうこれ以上不幸になろうとするな! その優しさを死ぬ為に使うな! 幸せになる為の心なんだ! だから! だから!!」


 男が叫んだ。


「俺の前でウダウダ吐かすなぁああああ!!」

「いちいちごしゃぐなやかましい!」


 アキラは男を蹴り飛ばした。


「おい、のくぼォ‥‥‥あ、あきらさん」


 リョウコが泣いた。


「助けて」


 アキラは笑む。


「C'est la vie」


 男が飛びかかると、アキラは思い切りその顔面に拳を叩きつける。

 男はぐらりと揺らいでから「フカフカ」と笑い始めた。


「変身しろ‥‥‥っ! 変身‥‥‥っ!」

「変身?」

「きさまも鬼人なのだろう‥‥‥!? で、あるなら‥‥‥き、きさまも変身ができるはずだ! はやく変身をするんだ! 変身をーっ!」

「やだね」

「な、に‥‥‥!?」

「だってお前に変身してやるほどの強さはないもの」

「なめるなぁ!」


 男の顔面にアキラの蹴りが炸裂した。

 アキラはただの蹴りをはなったつもりだったが、男にはもろにダメージが入ったのか起き上がれなくなっていた。


「俺はお前みたいに鬼の力だとか霊力だとかを頼りにして戦ってるわけじゃない。根本から作りが違うんだな、俺とお前ではさ。俺は強者だけど、お前はそうじゃない」

「う、うう‥‥‥」

「お前、人を不幸にしたな」


 アキラが両手をパンと叩き合わせた。


「次に倉田一家に手を出してみろ。俺はお前をも殺す。次にこの一家に接触してみろ。次、また宮城に来てみろ。これは契約だ」

「ヒッ‥‥‥」


 契約霊術。通常であれば術者と怪異が召喚霊術に対応する際に交わすものである。鬼人と鬼人の場合、より強いほうが主、より弱いほうが下僕と認定される。


「あと六時間以内に東北を出ろ。これを破った場合、お前の四肢は」


 ぱーん、というジェスチャー。


「うう、うううう!!」


 男は屁っ放り腰になりながら、廃ビルをあとにした。

 おそらくこれから仙台を出るのだろうな、と思う。


 電話がかかってきたので、出る。


「アズちゃん、今から言う人間をさぁ‥‥‥六時間くらい宮城の‥‥‥俺が持っとる山にさぁ、閉じ込めて欲しいんだよね。‥‥‥うん、そう。頼むよ、俺は赦せない人間なんだ」


「さて、これで万事おわり! お疲れ様〜。打ち上げは何処にする? おい新入り! セッティングしとけよ〜!!」

「嫌な先輩‥‥‥!?」

「なんつってね、でもご飯奢ってほしいのは大マジ。はいはいはーい! 倉田ファミリー起きてー! 起床ぉーっ! 朝だよーっ!」

「もうだいぶ午後六時ですよ」


 起きる。


「これからご飯やねんけど、何処で何食いたい? ちなみに俺のおすすめは仙台駅から徒歩十分のところにある〈蕎麦処 おいのくぼ〉ってところなんだけど、じつはなんと、なんと、俺の両親が営んでるんだよねー! 意外でしょ、店名からは想像できない」

「店名からしか想像できない‥‥‥!」

「っつーか焼肉行こうよ。ガチな話。あっ、奥さん焼肉今行ける?」

「僕がいけませんよ。もろに見たんで」

「えーでも今俺肉の口」

「口どころか全身が肉だったじゃないですか」

「うるちぇ! なんか君俺が言う事全部拾うね。ヘンゼルとグレーテルの小鳥?」

「ヘンゼルとグレーテルってなんですか?」

「そういう家庭もある」


 それから倉田一家とふたりは近くの焼肉屋に移動した。

 何がなんだか分からないという様子だったけれど、「とりあえずたくさん飯食って忘れちゃおうぜ」と勢い込んだ。

 その帰り、リョウコはコンビニの喫煙スペースで煙草を吸っていたアキラに寄っていって、謝罪をした。

 アキラは何も返さないで下がっていく頭を見続けた。


「殺そうとしたこととか‥‥‥諸々、どう償えばいいのか」

「プルルルルルルルル!! なんとここで、人前で頭を下げるなって言っちゃう系男子にタイプチェ〜ンジ! 人前で頭なんて下げるもんじゃないよ。少なくとも、家庭を持った大人がさ。ケムプクらせてる小僧にさ。にひひ」

「け、けど‥‥‥」

「あんたが俺にできる償いと言えば‥‥‥贄庵なんて捨てて、普通の人間として普通に生きるくらいだよ。‥‥‥俺は、誰かがそれなりに幸せに、それなりに不幸になるのが好きなんだ。誰も横槍の理不尽で弩級の不幸になるのは、それは嫌だ。もう嫌だ。この話は終わりんご」


 さて帰ろうぜ、というところでヒロがアイスキャンデーを「どちらにしようかな」と選んでいたので、後ろからそれを取ってレジに持っていく。


「いいんですか」

「欲しいなら全部取っちゃう系ガールにならないとこの世はワンダーなんだからにゃん♡」

「ありがとうございます」

「いーのいーの。‥‥‥あっ、言い忘れてた。あのさ、菊ちゃん」

「なんですか?」

「ずっと言い忘れてたんだけど、東京で俺があの女の人にしたこととか、さっき俺があそこでやったこととか、肯定するなよ。『仕方のないことだった』って思うのは良いとして‥‥‥それを肯定するのは違う」


 ヒロはドキッとして、アキラの顔を見た。


「人を傷付けて英雄になるのは、俺がつらい」

「けど、倉田家はあなたのお陰で救われたんですよ」

「チッチッチ」


 エースのジョーのような仕草をしながら、アキラは言う。


「俺は助けただけ。救っちゃいないな」

「同じことじゃないですか」

「違いますね」

「違わない」

「違う。あの人たちはこれから自分たちで救われていくんだ。助けただけで救世主として扱われるんじゃいけない。いちいち槍玉に挙げるなっつってんの」

「そんなことって」

「ありますね。まぁ難しいオハナシだから情緒が育ってから考えなさいな。君が‥‥‥そうだな、社会人になってその時また俺と会えるなりしたらね、理解できたかって聞くかもそれやいから」

「ずっと一緒じゃないんですか」

「俺と? 君が?」

「なんです」

「ハハ‥‥‥」

「嫌ですか」

「‥‥‥‥‥‥」


 アキラはレシートを財布にしまい込んで、「付き合わせるつもりはない」と返事を返した。


「もしかして、あんたって難しい気性の人なんですか」

「俺の理屈は全部『俺が嫌だからやめろ』だよ」

「マジで何言ってんですか」

「Je vous préviendrai quand votre cœur aura guéri.」

「‥‥‥あっ、そうだ。あのビルの中で言ってた奴ってなんなんですか?」

「ビルの中? ああ、ありゃあ‥‥‥『天網恢恢疎にして漏らさず』ってね。俺が死ぬとしたら俺の死因はコレ! ってんだよね」

「いみわかんねー‥‥‥もしかして高卒ですか?」

「さっきから君こわいにょ」

「うーん。お互い様な気がしますけどね。気持ち悪さでいったら」


 なんとか頑張って一線を引こうとしているけど。

 もう拳銃一号になった時点で取り返しがつかないくらいには贄庵と同じ存在であることは、アキラにもわかっていた。とっさに「助けを求めろ」が出てくるような人間が善良であるわけがない。

 誘われたから始めたISPO戦闘員という仕事も、自分から始めた除怪師という仕事も、ぶっちゃけずっと辞めたくて仕方がない。

 後先考えて行動しろ、と昔からよく言われる。

 その場その場でやりたいと思ったことを好きなようにしていたせいで、気づかないうちに自分の嫌いな存在と同じ位置に立っていた。


「よーし! あの夕日に向かってダッシュだ!」

「夕日もうだいぶ遠くですよ!?」

「走れ〜ッ! アニャァォア!? 犬糞で足が滑った!」

「あんたはずっとなにをしてるんですか!」


 ケツを強打。病院に行った。尾てい骨の骨折だった。


「本当に何をやってるんですか?」


 事務所で横たわりながら、アキラはしくしく泣いていた。

 彼のそばにはヒロがいて、わきには新たな女──!!

 山岸(やまぎし)アズサである。


 国際特別警察機構はべつに善人ではないので普通に山中に男を縛り付けて自分一人下山という荒業をやってのけてしまえる。


「どうせまたウダウダ講釈垂れたんでしょ。いまさら取り繕ったってISPOにいる以上全員悪人ですよ」

「島澤さんも!?」

「島澤さんはあなたと同じタイプの悪人ですよ。あの人自分が嫌だってなるとすぐ逃げるんですもん」

「でもあの人優しいし」

「優しい優しくないは善悪と無関係でしょ」

「無関係なの‥‥‥!?」


 ヒロは「事務所初めて来たな」と落ち着かない様子だった。


「君を筆頭として他人に優しくない人が正義の側に立ってるんですもん。そんな事より、本格的に贄庵をやっつけちゃうんですね」

「うん、やっつける。とっかかりもできたしね。ここまでやったんだからそろそろ‥‥‥因縁はできたはずだよ」

「保険としてまだふっかけられる因縁カードは欲しいところ」

「んーん。いらないね」

「なぜ?」

「これ以上我慢しろっていうのは、それは、俺がとっても嫌だから。そもそもぉ、俺はもっと早くに行っちゃおうって言ってたのを君たち捜査班があ」

「尻ぶっ叩きますよ」

「それはライン超えだろぉ」



適度に悪に染まったほうが人間は人間らしいと思う

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