第19話 ただひとりの男
ボテッとベッドから落ちた。
平成二十三年/二〇一一年四月三日・日曜日。
時刻は午前八時。
狼久保アキラはアパートの自室で目を覚ます。
寝癖だらけの頭をかきながらシパシパと目を瞬かせる。
カーテンの隙間からさしこむ陽の光を「まぶしっ」と呟きながら浴びつつ、寝間着を脱ぎ、とってつけたようなカジュアルスーツに着替え、ギターを持って部屋を出た。
宮城県仙台市、今日は肌寒く、頬もすぐに冷めた。
ポテポテと歩いていると、大家の国見タエが声をかける。
「あんれー、狼久保くん今日早いねぇ」
「大家さん、おはようございます! いやね、今日東京に行くんすよ。午後には着けって言われてるんで、今でギリギリなんです」
「気をつけていくんだよ」
「はーい、大家さんも風邪ひくんでいけないから、あったかくね」
「はいよ」
携帯電話を見ると、幼馴染の不来方リコから着信があったので、「なんだろう」と思いつつかけ直す。どうやらリコの実家に女の声で「狼久保アキラの居場所を知りませんか」という電話があったらしい。
「あんた、また何かしたんじゃないだろうな。ありゃ恨み節だね」
「してないしてない、俺なんての、ただのしがないギター弾きだぜ。なんで恨みなんて買う必要なんかあんのさ?」
「あんたよく変な問題に首を突っ込んでる。『青いギターの男』っていうんで標的になったの、忘れたの?」
「学生の頃とは違うのよん♡ リコリコもはやく変わんなよ」
「アホ。本当に何もないのね? 警察に連絡しなくても」
「いーよいーよ、こんなんでお手を煩わせるのもいやらしい」
「ほんとうにバカな男」
「それが俺だもの」
アキラは半分笑いながら電話を切った。
それから三時間後、ある家の前に着く。そこには依頼人がいる。
どうやら人がいないはずの空間からミシミシ‥‥‥と音がするのが恐ろしくて除霊を依頼したらしい。
アキラは家の様子をしばらく見て、それの原因を突き止める。
「あんた方はポルターガイストだとかっておっしゃってたね。ですんで、いろいろ霊的な専門知識でチェックとかしておきましたけど、これ幽霊とかじゃないですね。家鳴りといいまして、この時期だったりこのくらいの築年数の家ではよく見られる現象です。ので、適当に直しときましたよ。明日からは安眠できるかなと思います」
「ほ、本当ですか!?」
「はい、アタシお客さんにゃ嘘つかない。そいで、これからは金の話なんすけど、おはけじゃなかったんで五千円でいいですよ」
「そ、そんな安くて良いんですか‥‥‥!?」
「え? ああ、はい。いや、だっておばけじゃねがったもんで。そりゃあ、おばけとかだったら‥‥‥んー‥‥‥一万? とかは頂くかもしれませんけど、おばけじゃないんで。はい。五千円です。おばけの価値五千円分しかねぇんですねぇ!」
「ありがとうございます! ありがとうございますほんとうに、ほんとうに! ほんっっとうにぃ!」
「あはは、喜びなさる。あっ、でも、私の処置は一時的なものでありますんでね、もしまた音がしたりとかがあればちゃんとした業者に見てもらったらいいですよ。というかこの家ちゃんと面倒見たほういいな。白蟻とかいる」
「わかりました」
「それじゃ」
アキラは受け取った五千円を懐にしまってから、ピュ〜ヒョロロと口笛を吹きながら東京観光なんかをしようと思った。
どうせ今日はもう仕事もないし、と。
浅草とか行きたい、でかい提灯って確か浅草だよな?
「東京の風きもち〜。俺上京したくなってきたな〜」
誰に言うでもない独り言を呟きながら歩いていると、コトンと目の前に女子高校生がぶつかった。
三年生だろうか、もうそろそろ卒業という時期の、一番だいじな頃合いだろうに髪もボサボサで、大して身だしなみも整えていない少女。
少女はアキラにぶつかると尻もちをついた。
「ソーリーね、大丈夫かい?」
「あっ、あ‥‥‥」
アキラの脳が追っ手を感知。一瞬「俺かな?」と考え、女子高校生を見て「この子か」と細目で理解する。
「追われてる?」
言うと、少女の肩は跳ねた。
「実は俺、追われるプロなんだよね。よくヤクザとかに追いかけられてる。相手は銃とか持ってる?」
少女は困惑しながらも首を振った。
「ならオッケー。一緒に店に入るよ、人の目がつくところにいれば下手に手出しはできない。そこで詳しい話を聞かせてほしいな。君からは何か変な空気を感じる。構わないか?」
少女はひとつ間を置いてから、頷いた。
「よし、じゃあ上着を脱いで、俺のギターを持って」
「えっ、えっ」
「髪漉くね」
しばらく風呂に入っていないんだろうな、という髪を撫でながら、多少の印象を変える。アキラの霊力を流して黒髪を芯に変えてみせた。
目つきが悪い。ギターを持たせてみたところ、ただれた日々を送るバンドガールのようになってしまった。
そして、喫茶店に入店。
「ちぃ! あのガキどこに逃げやがった!」
「二手に分かれるぞ、お前らはあっち! 俺たちはあっち!」
「おうよ」
ガラの悪い男たちが走り去っていく。
アキラは店員を呼んで、チョコレートパフェを二つ注文。
「じゃあお話聞こうか。君は一体どこの誰なのかにゃ」
「き、菊池‥‥‥ヒロっていいます」
「ほーーん。どんな字?」
菊池氷郎、と書くらしい。
「アリャ!! 男の子?」
「いや、あの‥‥‥女です。えっと、親が『男だと思わせる』為にって‥‥‥」
「へーん。あっ、パフェどうもありがとう。ほら、じゃー菊ちゃん食べちゃって。俺のおしり」
「それを言うならおごりでは‥‥‥?」
「Excusez-moi, je voudrais une pizza au pepperoni et un sablé en forme d'otarie, s'il vous plaît.」
「‥‥‥???????????」
「Ce serait marrant d'avoir deux trous dans les fesses, comme une machine à glace, non ?」
「‥‥‥そのニュアンスは質問ですか?」
「住所はどこって聞いたのよ」
「えっと‥‥‥なくて‥‥‥」
「ない? じゃあ君あれか? ホームレス? それ東横でやるヤツだよ、すくなくとも豊島でやるヤツじゃない」
「じゃあすぐ近いですよ」
「東横横キッズ?」
「ちがいます。僕の母が昔から変な団体を信仰してて‥‥‥カルトってやつなんですけど、贄庵っていう‥‥‥それで、叔父がそれに怒って、僕を引き取ったんですけど、母が業腹で‥‥‥叔父を殺しちゃって‥‥‥そのまま逃げてきて‥‥‥それで、そのまま‥‥‥」
「東横横キッズに?」
「‥‥‥‥‥‥」
「あるいは、東横斜め左上キッズに?」
「どんな地図見てるんですか」
アキラは笑った。ヒロは眉間にシワを寄せる。
「まぁそんなに重くなって考えても状況はよろしくならないよ。菊ちゃんはどうしたい感じ?」
アキラの言葉の意味がわからず、スプーンを持ったまま首を傾げた。
「例えば、お母さんを懲らしめてほしいとか、自分を助けてもらいたいとか、東京から出たいなら俺についてくるといいよ。君が成人するまでなら面倒見たりできる」
「えっ‥‥‥」
「シンキングタイムだね」
「‥‥‥‥‥‥」
ヒロは思考した。どうすればいいのか、「母を懲らしめる」ということは、つまり、贄庵に手を出すということだ。
そんな事をすればもしかしなくとも目の前のこのニコニコ顔の青年でさえも殺されてしまうとさえ思った。
ヒロは自分の頭を撫でた。髪の毛は一瞬で金色に染まった。こんなマジック見たことが無い。もしかしたら、もしかしたら‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥。声は出なかった。
「どうして欲しいのか、自分でも分かんない」
「わ、かってます。わかってます。わかってるんです。でも、でもそんな事をしてもらうのは、あなたの事を無駄にしてしまうから」
「んにゅ〜ん? どういうこと?」
「贄庵は‥‥‥まともじゃない。や、奴らは‥‥‥人を殺すことに何のためらいもない。禍権っていう教祖が、なんでも出来るんだ。私も見たことあるんです‥‥‥禍権‥‥‥白い‥‥‥あれは‥‥‥お、鬼だった!」
「鬼?」
「‥‥‥‥‥‥」
「なら、俺と出会ったのは君の人生にまとわりつく最低な運命至上最も最低な選択だったね」
「な、何を言うんですか‥‥‥おかしなことを言って」
「俺は鬼を殺せる」
アキラは言った。
「鬼を、殺せるわけない!!」
ヒロは周囲の目も気にせず、叫んで立ち上がった。
「殺せるね。昔‥‥‥横井信彦っていう男がいた。その男は鬼の血を突然変異的に発生させて‥‥‥つまり、君の言う禍権っていうのと同じように、鬼になった。当然、鬼を生んだ女・横井信彦のお母さん、横井志津子は周囲から弾圧されて、しまいには乱暴をされて、殺された。横井信彦は随分と人間を恨んだらしい」
「な、何の話ですか」
「この物語のあらすじだよ。横井信彦は人に復讐するために鬼の力を使おうと考えた。けれど、それはできなかった。横井志津子の幼馴染である島澤さんとそれの相棒・鉄神ベルシが横井信彦を引き取った。島澤さんっていうのが、自分の息子や孫に自分と同じ名前をつけさる頭のおかしい変なジジイだね。閑話休題、そこから横井信彦は成長していって、ひとりの女性と愛し合った。そしてその女性との間に娘を授かった。その娘というのがね、『姫神』という鬼を封印する為の力を持った三ツ石の神様に選ばれた存在だった」
「‥‥‥‥‥‥」
「ところかわって、平成三年‥‥‥つまり今から二十年前に仙台にある女がいた。名は狼久保ミヤコ。俺の母さんだ。俺の母は、岩手と宮城の県境で事故に遭い俺を腹に宿したまま生死を彷徨うことになる。そこに現れたのが、その姫神の娘さんだ。彼女は自分の身体にある神聖な力を信じて、自らの血を俺の母に輸血してくれた」
パフェの上のアイスクリームはとけていた。
「そして七月二十日、俺が生まれた。俺は昔からおかしな物が見えた。自分の身体から溢れ出す謎のエネルギーや、この世のものでは無い化け物の類だ。それを祓う力が自分にあると知るや否や、俺は怪異を祓い怪異ではない問題はちゃんと解決してやれるような‥‥‥除怪師を始めた。俺には秘密がある。君には教えてもいいね」
アキラの腕が黒い強化皮膚に包まれる。
「俺も鬼だ」
「‥‥‥そんな‥‥‥」
「明確に言えば鬼と人の混血‥‥‥鬼人だね。俺は姫神の神聖な力も受け継いだから、鬼を封印できる鬼だな。‥‥‥で、どうする? 細かい注文も受け給うよ」
「わ、私‥‥‥お、俺‥‥‥僕‥‥‥私‥‥‥」
「そう勢い込まさんな。落ち着いて答えなさい」
「‥‥‥僕‥‥‥助けてほしいです‥‥‥母を懲らしめてほしいです。助かりたいです。禍権、やっつけてほしいです。でも、でも、僕のこと助けてくれようとした人は、いままで全員死んだから」
「じゃあ頼みゃいい」
「‥‥‥絶対に、死なないでほしいです」
「よし来た。新しい仕事っての、いつもわくわくしちゃうね。そうと決まればさっさとパフェ食べちゃって。出かけるよ。少しは一緒にいられるような身なりになってもらわなくちゃ困っちゃうな」
◆
ふたりは秋葉原にあるアキラの友人・大崎テンスケが働くビデオショップに乗り込みテンスケをひっ捕まえると彼のアパートの鍵をぶんどった。
「お前、その女の子なんだよ」
「お仕事の依頼人」
「また変なことに首突っ込んでやんの。まぁお前らしいか。んで、今度の相手は? 政治家? ヤクザ?」
「カルト♡」
「カルトかあ。ま、死なんようにな」
「あんがちょ」
道中、とってつけたようなスーツを購入する。
「なんでスーツなんですか」
「君はなんかルックスの雰囲気がただれてるから」
「ものすごい悪口‥‥‥!!」
テンスケの自室でシャワーを浴びて綺麗さっぱり汚れを洗い流すとそのスーツに着替えた。
「じゃあ君に命じます!」
「えっ、なにを‥‥‥」
「自分の下着は自分で買うように!」
流石にアキラには恥ずかしかったらしい。
「あの人はバカだけど真面目なのかな‥‥‥」
などと考えながら下着類一式を購入するために服屋に入った。すると、そこにはあの男たちがいた。
小さく悲鳴をあげるでもなく、男の一人が両手を打ち合わせる。
女性店員にしつこくナンパをされていたアキラは危機を感知し、走り出した。男はアキラに向かって召喚霊術〝螺市〟を飛ばした。
「チィ‥‥‥!」
アキラは周囲に思念パルスを飛ばし、客や店員を眠らせる。
男たちにも眠ってほしかったが、どうやら耐性を持っているらしい。
「狼久保さん‥‥‥!」
「焦るんじゃないよ」
ヒロの悲鳴にアキラが応えると、男たちは「おまえはもう少し焦ったりしたらどうなんたい」と笑った。
監視カメラが故障したのを確認するとギターを床に置く。
「おっ、戦闘開始かな?」
「俺っての、巷じゃ『優男』っていう評判で通っちゃいるけど、けっこー喧嘩っ早い血の気の多い男でね、それだけならまだいいのだけれど、おまけなことにプライドも高い」
アキラは両手を叩き合わせる。
「倍返しをしたくなる」
召喚霊術──〝源流怪奇パラリテリジノサウルス〟
小さな霊力の渦から三メートル弱の恐竜が飛び出した。
パラリテリジノサウルス。
かつて北海道で化石が産出された恐竜である。
「うそだろ」
「ほんとなのよね」
「く、くそ! なんで恐竜の怪異なんかと契約してんだよ!」
パラリテリジノサウルスは男たちに齧りついた。ゆえに、少女の細身を手放さなければ自らの命はなかった。一瞬の隙に、もう一頭のパラリテリジノサウルスがヒロを拾い上げ、アキラのもとに戻った。
「ゆるさん‥‥‥ゆるさんぞ!!」
「許して〜ん♡」
「俺たち全員で貴様を殺処分だ! 恐竜もだ!」
「どーぶつあいごの観点からぁ、逮捕だ〜っ!」
螺市とパラリテリジノサウルスがぶつかり合う。その度に、霊力がぶつかり合って火花のようなエフェクトが散る。
爆撃のような轟音と共に、周囲が光に塗れると、最初に動いたのはアキラだった。間合いを詰め、拳を振るい上げる。
男は身を仰け反らせそれを回避しようとするが、アキラは螺市を召喚し、男の腹に小ぶりの穴を空けた。
「恐竜たけじゃねぇのかよ!?」
「血を失うんで君たちの体温は下がっていくだろうね」
「ち、こ、の‥‥‥」
「君たちの行くところにあったかいところなし!」
「生意気を言う!」
「口を縫えば満足かい‥‥‥!?」
男たちを伸ばし終えると、アキラは彼らを見下ろして、しばらく何も言わなかった。何をするでもなく、ただ見下ろすばかりで、ヒロが声をかけてもまるで何もない。
「‥‥‥‥‥‥よし、行こう。彼らは贄庵の信者系男子?」
「は、はい。たぶん、そうです」
「へーっ、もう半分ヤクザみたいになっちゃってんだ。かわいそーやね。っつーかさぁ、召喚霊術バカスカ撃ってきてガチ怖かった! パラリテリジノサウルス、今日もまじありがとーって感じ」
パラリテリジノサウルスはアキラの言葉に小さく鳴き声をかえすと、霊力の粒になって消えていった。
アキラは「じゃ、行こっか」と言うと店員を起こす。
お会計お願いしまーす。
‥‥‥‥‥‥。
ヒロは召喚霊術というのを詳しく知らないけれど、「古い生き物」になればなるほど霊力の消費は大きくなる、というのを聞いたことがある。源流怪奇と呼ばれるのは恐竜とか、原人とかそういう大昔の生き物の怪異。それと契約し、バカスカ召喚しているアキラの霊力量を、考える。
‥‥‥‥‥‥。
おそろしい。
敵じゃなくてよかった、と思った。
おまけにおそらく百景種で、確実に臨警種でもある。
この世界を支配するために生まれてきたような身体スペックの青年に対して、ヒロは少しだけ恐怖の念をおぼえた。
アキラはその様子を覗き込んでは「世界を支配ね」と苦笑いをしてから、ふすんと息をこぼしてまた歩き出した。
「とりあえず仙台に行こうか」
「えっ、なんでですか」
「俺の事務所がそこにあるんだよね。君のお母さんボッコボッコにする前に一度仙台に帰っちゃってさあ、君も一回寝たほうが良いしね」
「いいんですか、東京から出て」
「ダメなわけがない」
「‥‥‥でも‥‥‥」
「なにを戸惑ってらっしゃるのかね。へへへ! あーっ! もしかして、東京に好きな人いるんだ? 第何代?」
「別に内閣総理大臣に恋してないです‥‥‥」
「えーっ? てかてかぁ、菊ちゃん好きな人とかいるの? 恋バナしようよ、恋バナ。たのしいよ恋バナ。好きな人いる?」
「‥‥‥‥‥‥」
「ちなみに俺は、橘外男。映画とかも好き。女吸血鬼とか」
「‥‥‥‥‥‥」
「つれないにゃー」
ふたりは仙台行きの新幹線に乗るために、駅に向かっていた。
しかし、贄庵のれんじゅうはそんな二人を逃がすまいと追っ手を向かわせていた。新幹線の車内で二人を待ち構えたのは、誰も座らぬ座席が万。手裏剣を持った女が一人。
「あなた、除怪師の狼久保アキラね」
「そういう君はどこのどいつかな。かたぎの人にゃ見えないが。サーカスの芸人さん?」
「今どきそんなのがいると思って?」
「いるでしょ、ここは東京だぜ」
「東京なんての、要するに田舎者の集まりだわ。サーカスなんての、やるつもりなんてないのよ」
アキラは笑みながら、懐から拳銃を出した。
「そんなに手裏剣使って何するの」
「こうするのよ!」
女はすっかりいい気になって、手裏剣を三つほど投げた。アキラはそれを全て拳銃から放たれる弾丸で地面に叩き落とした。
「随分と目の多い人ね」
「生まれが特殊でね。まぁ、君には及ばないが」
「き、さ、ま‥‥‥!!」
女はまたも手裏剣を投げるが、今度のものも叩き落とされる。アキラは女との距離を詰めながら、顔には歌舞伎の隈取のような模様が浮かび上がる。
「君の手裏剣にね、血を洗ったあとがあったんだ。何人か、あれで殺したね」
「私は物をだいじにするの。あなたみたいに取っ替え引っ替え弾丸を詰め替えて引き金を引く、そんくらいのことなら誰にだって出来るわ」
「そうかい、俺も物持ちはいいほうだよ。俺はね、恩を大事にするんだ。人に貰った恩はね。俺には恩人ばかりだ。道案内をしてくれた人がいる。俺に握り飯を売ってくれたコンビニエンスストアの店員、挨拶くれた婆さんだっている。俺は人間を愛してる。この身で、この心で、それが本物だとわかる」
アキラは拳銃の弾を詰めた。
「もういっぺん言うぜ。貴様、人を殺したな」
「ウ‥‥‥」
「殺したな‥‥‥!?」
拳銃が炸裂した。
女の手裏剣に穴が開いた。
「‥‥‥贄庵が君のようなのがいる組織だって分かってよかった。おかげで容赦なく破壊できるんだからな。容赦のない‥‥‥破壊だ‥‥‥」
「あなたがどうしようと‥‥‥わ、わたしを‥‥‥殺せるのなんて‥‥‥この世でたったの一人だけよ」
「ほう、そのひとりってなぁ誰だい」
「教えてあげる。ISPOの戦闘員‥‥‥〝拳銃一号〟」
アキラは笑う。
「そりゃ俺だ」
女は両腕と両足を破裂させる。回転式のパロロ‥‥‥という鳴き声が処刑の合図だった。
「俺たちは次を使おう。ISPOが理屈をつけてくれるだろうさ」
「あなた、いったい何者なんです。ISPOって‥‥‥!?」
「ISPO‥‥‥国際特別警察機構。国際刑事警察機構のパクリみたいな組織だがね、その権力はなぜか絶大な強さを誇ってる。おれはその組織に属している戦闘員。拳銃一号っていうのは、いわゆるあだ名で、本名を知られちゃならないからそう呼ばれてる」
ふたりはホームに戻った。
「俺は拾われたんだ、平成二十年の夏頃だったかな。島澤伴内っていう‥‥‥孫の方のね。彼に。彼はISPOの捜査官だった。日本に置いている嫁が誕生日なので帰国してきていたのを、偶然出会った。その頃の俺っていうのは実はバッドボーイ系男子でね、サバイバルゲームで使うおもちゃの鉄砲で遊んでたんだ。それを彼に見られた。あんまりにも狙撃の命中率が高いもんだから思わず声をかけたって言うぜ」
「親子三代で同じ名前の人‥‥‥?」
「読みが『ばんない』ってなりゃいいんで、祖父は『番内』、父は『万内』、息子が『伴内』だね」
アキラは「変なこだわりだろ」と笑う。
「俺は伴内さんを経由して、鉄神だとか、横井信彦と知り合いになって、彼らにいろいろ教え込まれた。それで覚えたのがさっきの召喚霊術だがね。俺は別に才能のある人間ってわけでなく、ただ単に教える人がすごかっただけだね」
「そう、だったんですね」
「J'adorerais monter le mont Fuji à dos d'alpaga !」
「それはマジでなんなんですか?」
「まーまー。まーまーまー、なんだっていいでちょ。仙台にレッツラゴーのすけ。仙台着いたらしょうがないから牛とか食っちゃおうか。じつは牛が一番うまいのは宮城じゃなくて福島」
「‥‥‥‥‥‥」
「お〜しいっちゃうぞ!! お兄ちゃん今晩は奮発して焼肉屋に連れてってあげちゃうかもしれないからな〜」
「人の血を見たあとに肉は食べられないです」
「フーリのガン?」
「それを言うならビーガンでしょ。なんでサッカー界隈のガン細胞なんですか」
フーリガンは別にガン細胞ではないだろ、と思いながらオトナなのでアキラは笑って受け流した。
「君もね、つらくなったら変になっちゃえばいいよ。現実にばかり向き合ってたらいつか逃げ場がなくなって、苦しいとか辛いとか、マイナスなことしか思い出せなくなるもの。絶望が死ぬ為のものになるのは、切ないものだからさ」
「でも‥‥‥それは‥‥‥心の綺麗な人間の特権だよ」
「汚い心も使い方次第だにょ」
ふたりは仙台に立った。
アキラのアパートにやってくると、案外大きいので驚いた。
大家が周囲の土地をうまくぶんどった喜びではしゃぎすぎたので一つの部屋がずいぶんと大きくなってしまったらしい。
「男と住むのは嫌だろうけど、俺はなんやかんや日曜日以外は部屋で眠ることもないし、たぶん帰ってきても一時間以上は入れないだろうから、ここは実質君の家ということになるね」
家具・家電は最低限のものしかない。
大して使ってはいないのだろうけれど、掃除はされている。
床には寝間着が散らかっていたけれど‥‥‥アキラの様子だと部屋なんて散らかっていそうに思えたけれど、どうやら違う。
「大家さんには俺が話をつけておくよ。あの人正義に厳しいんだ」
「‥‥‥なんで、ここまで良くしてくれるんですが」
「えっ?」
「‥‥‥除怪師、って言ったって、鬼を封印できるからって、僕たち知り合ったばかりで、そんな何かをしろとも言わないで‥‥‥善人だってもうちょっとためらいますよ、それが仕事だからっていうの、ここまでくると理由になんてなりはしない」
「今の君に言っても理解できんだろうけどね」
アキラはまたふざけて笑う。軽薄そうな顔をしておきながら、そんなことはないんだろうな、と分かってしまう。
「俺は思ったこととかを抑え込んじゃう性格らしいんだ。それを昔に指摘されて、自覚したんだ。するとね、今まで本音だと思って口に出してきたものが実は本音なんかでないことにきづいてしまうね。自分の本音が分からなくなったんだ。恐ろしいことに‥‥‥自分が分からなくなった。実はまだ分かってないっていうのもあるね。自分の本音が分からないんだ。それはとてもつらいことだと思ってる。君もそういう性格だ。君は生まれの不幸のせいかな」
アキラは懐からタバコの箱を取り出すと、笑む。
「俺には人の普通がわからない。君が悩んでいる時、どういうふうにすれば正解なのかがとんとわからない。だからさ、やりたいと一度でも思ったらやることにしてるんだ。俺はほんの少しでも君を助けたいと思った。だから助ける。無償でやってるのが恐ろしいならそこら辺は気にしてもらわなくても結構だよ。俺は君が思ってる数倍金持ちだから。善意が百パーセントってわけじゃないんだよ。やりたいと思った、そういう、俺のなかの欲望のようなものが俺の行動指標だからさ。何度だって言っちゃう系男子だぜ、俺は。‥‥‥おまけに、贄庵のれんじゅうは個人的にゆるせないところだらけの組織だ。まー‥‥‥だからだよ。だから、気にせんでよろしいんだね」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
人が生きている限り憎しみだとか哀しみだとか、そういう感情は生まれるものだから仕方がないとはわかっている。だけれども、わかっているからといって受け入れられるとは限らない。
アキラはそういう、人間の持つ先天的な醜い感情を知っていた。
誰もが知るべきだと思っていた。けれど、この自己中心的な思想に他人を巻き込むんけではなかった。
アキラのなかにある感情は、憎悪に似たほかの何かだった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
ベッドの上のものを、客人用の綺麗な布団と挿げ替えて、アキラは口笛を吹いていた。いつか聞いたことのあるような、懐かしいような‥‥‥しかし、聞いたことのない口笛だった。
ヒロはその背中を見つめながら、とってつけたようなスーツの端をつまんで、部屋の臭いを嗅いだ。タバコの臭いだった。




