第三十一話「降臨」
「……イリス君?」
名を呼ぶ声の語尾が上がったのも無理はない。その姿は〈超越者〉の認識をやや逸脱していたのだ。
さしずめ水晶の、妖精像、もしくは女像柱、と言ったところか。
その長い髪を含め、硬直した体は透き通り、向こう側の風景を透かしている。背からはコウモリのそれに似た青い羽が四対生え、感情のこもらない銀色の眼が〈超越者〉を見つめている。
【〈告知者〉とでも呼んでもらいましょうか】
そう言って彼女は自らの名を否定した。
「どういうことだ……君が真祖化したというのかね?」
【いいえ。嫦娥から見れば真祖の方が出来損ないなのよ】
「……まあ、いいだろう」
困惑を切り捨て〈超越者〉は〈告知者〉を見据えた。
「今回もアレが真祖化しなかったというのなら、これ以上君を生かしておく必要もない。滅びたまえ」
〈聖頌の刃〉とは逆の手に現れた〈聖痕の槍〉の穂先が、空間に溶け消える。
空間を渡る穂先が〈告知者〉の眉間を貫く、その直前。瑠璃――黄金を散らした青――の刀身を持つ巨大な剣がその足元を爆散させて現れ、全てを貫く力を持つはずの穂先を数十メートルはあるだろうその刃で止めた。
「な……」
槍を引くのも忘れた〈超越者〉の目の前で、七対の翼を持つ存在が、鉄筋コンクリートを突き破って〈告知者〉の背後に現れた。
大きい。体躯だけで〈告知者〉の三倍はあろうか。白銀に輝く鱗で全身を鎧い、青く透き通ったたてがみを持つ、虚ろな紅い眼の異形。その翼が、ただでさえ大きな体躯を、もはや「巨大」とさえ言える印象に持ち上げていた。
人の輪郭の大半を魔獣ドラゴンの容姿が占拠しているその姿は「人龍」とでも呼ぶべきか。
【そうね……この「私」は……〈統治者〉と呼んでもらいましょう】
名の通り〈告知者〉が、新たに現れた存在の名を告げる。
「何が……何が起こっているのだ?」
【『鳳凰の儀』と言ってね。嫦娥は一生に一度だけ、伴侶に選んだ者に自らの魂を分け与えることができるのよ。「鳳」は雄、「凰」は雌。鳳凰はつがいで一つ。あなたが殺した私の両親……いえ、二人だけじゃない。夫婦は、両方とも人の形をやめていたでしょう?】
あくまで静かに、淡々と〈告知者〉は告げた。
【もっとも、今回は私になじみきっていた『神の欠片』のお陰で、私たちは鳳凰ともまた別のモノになってしまったようだけれど】
「素晴らしい……大いなる力、存在をより上位へと移行させうるというのか」
【欲を出すのは別に構わないけれど。奪えると思う?】
〈告知者〉が問うのとほぼ同時に。〈統治者〉の七対の翼が剣に見合う大きさにまで一気に巨大化し、羽ばたいた。
振るわれる剣。
「う――おおっ!?」
恐ろしく巨大な刀身が〈超越者〉をすれすれでかすめ、もたらす衝撃波が彼を大きく吹き飛ばし、延長上にあった地上の木々をも根こそぎえぐりとった。
ここまでスケールが巨大だと、起こることは往年の特撮怪獣映画と大差ない。
【この私は〈告知者〉。全てを記憶し、伝える者。戦闘能力はないけれど、全てを感じることができる】
〈告知者〉が告げる。
【そして、その「私」は〈統治者〉。全てを理解し、行う者。知覚能力はないけれど、全てを圧することができる】
〈告知者〉が、〈統治者〉の代わりに告げる。
「愚かな……『神の欠片』の回復力をも凌駕するこの私に勝つつもりか?」
「能書きはいいんだよ」
初めて〈統治者〉が口を開いた。
向く方向こそ合っていても、目の焦点が合っていないのは、恐らく〈告知者〉の言う通り、自分の目でものを見ていないからなのだろう。
「おまえ……「私」の妹の命を使って生きてやがったのか。生きてるだけでその子を苦しめてるってのに、その上に散々命を弄びやがって……。泣くほど後悔させてやるから、かかってこい」
「饒舌になったな。良かろう、遊んでやる」
言うと同時に〈超越者〉は〈聖頌の刃〉を――〈告知者〉に振るった。
どれだけ強大な力を持とうと、知覚を封じてしまえば、斃すのは赤子の手をひねるようなものだ。
確かに〈超越者〉の読みは正しかったが、それを適用できる存在ではなかった。
炎が巨大な剣で切り裂かれ、その向こうから、目の前にいたはずの〈統治者〉が姿を現したのである。
「なっ……」
【今の私たちは、文字通り二人で一人】
思わずぎょっとして〈統治者〉のいた方を振り返った〈超越者〉に、そこにいた〈告知者〉が告げた。
【「私」が情報担当で、「オレ」が行動担当。どちらにしろ、同じ存在を共有しているから――】
「体はいつでも交換できんだよ」
言葉通りそれぞれの姿が瞬時に入れ替わり、元の配置に戻った。
すぐさま〈統治者〉が剣を振るう。
「くおおおおおっ!!」
辛うじて〈聖痕の槍〉の柄で受けはしたものの、その勢いまでを殺ぐことはできず、〈超越者〉は地上へと振り飛ばされた。
「調子に――乗るなっ!」
負けじと〈超越者〉も、自分の落下速度を凌駕する速度で肉薄する〈統治者〉に〈聖痕の槍〉を放つ。
数百のベクトルを持つ穂先が、ほぼ同時に〈統治者〉の頭を微塵に――できなかった。その大きさを無視した速さですぐさま引き戻された剣の刀身がかざされた瞬間、穂先は空間に凍りつき、動かなくなったのである。
「な……何だ!?」
「その槍……相当の悲しみを撒き散らしてきたんだな」
言葉と共に翻った鋭利な刃が、器用にも〈超越者〉の右の足首だけを跳ね飛ばした。
――もう一度だけ――
「ぐあ――ぁ!?」
激痛が走るのと同時に、奇妙な思考が脳裡に浮かぶのを感じ、〈超越者〉は怪訝な表情を浮かべた。
「この剣は、向けられた者が今まで他人にもたらしてきた悲しみの分だけ力を増すんだよ。そして、これで付いた傷からは、斬られた奴自身が味わわせた悲しみが染み込む。言ってみりゃ〈罪悪の剣〉ってとこだな。てめえみてえな下衆野郎にはぴったりの武器だろ」
「この私が……下衆だと!?」
怒声と共に振るわれる〈聖頌の刃〉。しかし、放たれた炎は〈罪悪の剣〉によってあっさり霧散した。
「くっ……!」
「てめえに、誰かを見下す権利なんざねえよ……!」
さらに一太刀。
――死にたくない――
「があああっ! く――何だというのだ、この引き裂かれるような感情は!」
〈超越者〉は思わずそう叫んでいた。どうしようもなく、胸の奥が痛い。
「それだけの思いをさせてきたんだよ、てめえはっ!」
叫びと共に刀身の背で地面に叩きつけられ、クレーターの底で呻く〈超越者〉。
「――冗談ではない! 私の、真理への探求が、このような下らんことで邪魔されてたまるか!」
「人の思いのどこが下らねえんだぁっ!!」
急降下した〈統治者〉の拳が〈超越者〉の顔面にめり込み、彼をまた数十メートル単位で地面にこすりつける。
そして振るわれる〈罪悪の剣〉。それはその長大さゆえに間合いなど無視して〈超越者〉に更なる傷を刻んだ。
――厭だ――
「ぐああああっ!」
「まだだ、まだぁっ!」
一太刀、また一太刀、と〈超越者〉に具わる治癒速度を凌駕する猛烈な勢いで深い傷が刻み込まれてゆく。
――もうあの子の顔を見られない――
「ああああ! やめっ、やめてっ! やめてくれえええっ!!」
絶叫したとたん。ふっ、と哀しみの念が途絶えた。
「……? 何だ?」
「まだまだ。この程度で狂われるわけにはいかねえんだよ。てめえには殺すのも壊すのも生ぬるいからな」
顔を上げた〈超越者〉の腹に手を突き込む〈統治者〉。
「ぐッ!?」
「まずは――セレナを返してもらうぜ」
ずるり、と音を立てて、か細く小さな裸体が〈超越者〉自身の体から引きずり出された。
「な……返せ! 私の――」
「誰がてめえのだっ! 一方的に絞られるために生まれる奴なんていねえんだよっ!!」
少女に伸びる手を払いのけ、〈超越者〉を殴り飛ばす。
「ぐっ……ああああああっ! 壊れる……崩れてゆく! 私の体がっ……!」
「心配すんな、クソ野郎。てめえにゃこいつをくれてやる」
ぼっ、と〈罪悪の剣〉の青い刀身が金色に燃え上がり、振り下ろされる。
あまりにも巨大すぎる刀身を受け止めた〈超越者〉の体はひしゃげ、押し潰された――が、やがて〈罪悪の剣〉が見る間に縮んで体内に収まり、押し潰された跡も癒えた。
「な……あ、うあ……これ、は……ッ!」
変身も解け、頭を抱えて呟くゴルドー。
「二千年分の哀しみの念だ、命や魂の代わりには充分だろ。――擦り切れるまで後悔してな」
言い捨てて〈統治者〉は〈告知者〉の元へと飛翔した。向かい合う〈告知者〉と〈統治者〉。
言葉を交わす必要はない。存在を統合し、精神をも共有している以上、性格と形態を異にするだけの自分の半身に話しかけたところで、独り言にしかならないのだから。
銀色の輝きの中、それぞれの姿は本来のものへと戻った。これでまた――元通りの別人だ。
「……なあ」
「なあに?」
どこか決まりが悪そうな銀の声に、イリスは怪訝そうに首をかしげた。
「その、色々悪かったな。でも、実際に、オレはおかしくなっちまってたわけだし……」
「いいのよ。私たちは賭けに勝った、それでいいじゃない」
「賭け……か」
まさかイリスが以前言っていたのが嫦娥の婚礼の儀式だったとは。さすがにそれは想像もしなかった。
「囚われている間に自分の血の効果を知っていなければ、あなたがフォルティスに変わることもなかったのよ。あのまま滅ぶつもりだった私を助けたのが運の尽きね」
「……まあ、おまえなら、な」
気が早いような気はしたが、それでイリスの涙を見ずに済むなら安いものだ。
「あ――そう言えば、オレまだ十七だぞ?」
「十……ああ、この国ではそういう法律があったわね。別にそんなつまらないものに従わなくてもいいじゃない。誰も傷ついたり悲しんだりしないわ」
「そういうもんか?」
「ええ。国は永遠のものではないわ。この世に生きているのは、ただの人よ」
「……ああ」
確かに、永い目で見れば、国の興廃や、特権階級など、所詮は砂の楼閣でしかない。
「ああ……夜が明けるな」
漆黒だった空が薄青くなってきたのを見、銀は呟いた。気が付けば雨も上がっており、昇ってきた朝日を反射する水滴だらけで周囲はまぶしい。
「綺麗な虹……」
「触れる方がオレは好きだな」
ぽす、と銀の手がイリスの頭の上に置かれる。
「綺麗だし、手触りもいいし」
「……あなたも結構上手になったわね」
「最初のは詩人の受け売りだけどな。本音に上手も下手もあるかよ」
「なおのこと嬉しいわ」
言って、イリスは猫よろしく銀に頬をすり寄せた。




