最終話「日常」
静まり返った森の中に、対峙する影があった。
抜き身の紅い両刃剣を構えた、学生服に赤マフラーの、烈しく逆立った黒髪の少年。
対するは、全くの自然体で立つ、着物姿の、長い銀髪に瑠璃色の眼の女。
「……いくぜ」
「ええ、いらっしゃい」
一瞬の間を置いて。数メートルはあったはずの間合いが無になり、壮絶な打ち合いが交わされる。
体術と組み合わされて複雑な角度から襲いくる少年の剣撃を、女は紙一重で見切り、傷一つ負わずに攻防を繰り広げていた。
やがて――女の掌底が少年を捉え、直後彼を大きく吹き飛ばした。
「く――ちくしょーめ」
素早く反転、着地すると、少年はその場にどかっと腰を下ろした。
「強過ぎだぞ、イリス。一体おまえのどこが篤郎さんより弱いってんだ……げほ」
近くの木の根本に置いてあった風呂敷包みを手にして歩み寄ってくる女に、咳き込みつつ、毒づく。
「彼は、技術だけであなたの反応速度を凌駕しているのよ。基礎レベルがほぼ同じ私とあなたなら、より功夫を積んでいる方が上なのは当たり前でしょう」
でも――と、イリスは銀の隣に腰を下ろし、続けた。
「銀も随分この速さに慣れてきたようね。前よりもずっと反応が良くなってきているわ」
「そりゃありがとよ」
イリスが風呂敷包みを解き始める脇で、ばたりと後ろに倒れ込む。解かれた風呂敷包みから食欲をそそるいい匂いが漂ってきた。
あの戦いから一週間。樹海で繰り広げられた〈超越者〉と〈告知者〉〈統治者〉の戦いは少なからぬ数の目撃者を生んだが、幸いなことに、それらは先の虎人騒動と共に常識的な判断の下「集団幻覚」という無難な分類に収まり、メディアはそれを早々と無視し始めている。
そして、影山家はイリスに次ぎ新たな家族を二人迎えた。
銀の生き別れの妹「桂」こと鉄と、姉であるイリスとの二千年越しの再会を果たしたセレナ、の妹二人組である。
閑話休題。最近、銀は、昼休みに校舎を抜け出しては、昼食がてら、こうしてイリスとの稽古に明け暮れていた。
「そういえば……なぜ私と手合わせがしたいなんて言い出したの?」
「強くなりてえんだ。今よりももっと、ずっと強く」
持ち上げた拳を、目の前で握る。
「なぜ?」
「てめえ自分自身をもっとましに、完璧に乗りこなして――」
今まで、暴走状態に陥り、結果的にイリスを助けることができた、という無様なことが多すぎた。
「どんなときでも、自分の意思でおまえを護れるように。いや、おまえだけじゃない、鉄やセレナ、……それに、孝次。オレの知ってるやつ全部を護れるだけの根性と強さが欲しいんだ」
「そういうことなら、私の持てる武力を全てあげる」
す、と銀の拳が白い手に包み込まれ、胸元に抱かれる。
「ああ」
「それと……」
揺れ、零れた白金の髪が、銀の顔をくすぐった。
「忘れないで、私は本来、師などではないということ」
「解ってる」
起き上がり、イリスの細い肩に手をかける銀。互いの顔が近付き――
「ラブシーン?」
「!!」「!!」
触れ合おうとする唇を、いつの間にか、興味しんしんといった風情でしゃがみ込んで横から眺めていた鉄の声に、二人は弾かれたように離れた。
「まままままま鉄っ!」
「い、……いつの間に」
「さっきから。セレナもいる」
「え」
銀がぎぎぎ……と油の切れた機械のようにぎこちなく鉄の指した方を向くと、果たして、木の陰に、銀髪の幼女がいた。目が合った拍子にびくっと身を震わせ、観念したのか、おどおどした様子で歩み寄ってくる。
「ご、ごめんなさい、お義兄さま、お姉さま。わたしは、止めようと思ったんですけど、鉄ちゃんがさっさと進んで行ってしまったのです」
「お・ま・え・ら……またか、またなのかっ!!」
せっかくのいい雰囲気を邪魔されるのはこれが初めてではなかった。本人たちに悪気はないのだろうが、鉄とセレナが影山家に加わってからというもの、二人がまともにいちゃつける時間がめっきり減ってしまっている。
「セレナ……あなた」
「ごっ、ごめんなさい!あのっ、そのっ、……興味が、あって……」
「はあ……まあ、いいわ。いらっしゃい。あなたたちの分も作ってあるから」
「ん。イリスのご飯、鉄も好き」
「銀、場所が少ないからセレナに膝を貸してあげて」
「ああ」
「あの、失礼します、お義兄さま」
「何かしこまってんだ、おまえ」
「仕方ないでしょう。たまたま家出して、里の外で会った男の犠牲になってしまったのだから。助けたあなた以外、怖くてまともに男に触れないらしいわよ」
「そうなのか?」
「……はい」
俯きがちに頷き、あぐらを組んだ銀の膝へと腰を下ろすセレナ。
「ふーん……。ま、少しずつ慣らしていきゃいいだろ。今の世の中、たちの悪い人間は少なくねーけど、ああいうレベルの手におえねえのもまずいねえからな」
少し不満そうに銀を振り返り、しかしやはり沈黙を保つことにしたらしく、セレナは一旦開けた口を閉ざした。
「いただきま――」
さっそく箸を手にした鉄に、銀チョップ。
「痛い」
「食べ始めは早い者勝ちじゃねえ! そろって始めるもんだっ!」
「……解った」
そして、影山家の昼食が始まった。
「そういえば、桂」
「なに」
銀と同じペースで食べながら、鉄はイリスを振り返った。
「今日は少し来るのが遅かったけれど、何かあったの?」
「ん。セレナと、カツアゲしてた」
「……おい」
「鉄ちゃん! 人聞きの悪いこと言っちゃダメなのです!」
眉を跳ね上げた銀の反応にあわて、セレナは鉄を遮った。
「あの、わたしと鉄ちゃんは、お義兄さまの秘密を知っている御堂さんに口止めをしてきただけなのです」
「口止め?」
「ん。鉄が〈白輝輪廻〉を見せて、セレナがにこにこ笑いながら、脅した。だから、カツアゲと同じ」
さらに深々と墓穴を掘る鉄。
「おまえらなあ……」
「で、でも! あのまま放っておいたら、お義兄さまは学校どころか、この町も……」
「それはそれでいいかも知れないわね」
物騒なことを言い出すイリス。
「四人で放浪の旅。面白そうじゃない? それに、私、北欧に城を持っているから、そこで暮らしてもい――」
炸裂、銀チョップ。
「やめんかこら。まだオレにはオヤジがいるんだよ。変な心配はかけられねえ。だから……鉄とセレナのしたことは、まあ、少し、やり方は強引だったかも知れねーけど、間違っちゃいねえ。ありがとな」
「ん」
「は、はいっ!」
鉄と違い、なぜか顔を赤らめて照れるセレナ。
「……セレナ」
「なに、お姉さま」
「正攻法以外は認めないわよ」
「……はい!」
「おまえら、何言葉少なに納得してんだ?」
怪訝な視線を投げる銀に、姉妹はいたずらっぽい笑みで応えた。
「秘密です」
「銀にとっては嬉しいことだから、楽しみになさい」
「は……? ――てこら鉄ぇっ!」
首をかしげたのも束の間、銀はすぐさま鉄の箸の動きを悟り、弁当箱の方へ身を乗り出した。
「オレの分取んじゃねえっ!!」
「や。鉄は育ち盛り」
「それを言うならオレもだっ!」
凄まじい速さで、おかずを奪い合う箸の応酬が始まった。見る間にその動きは加速し、箸と手の輪郭が消えてゆく。
「もう……この兄妹は……」
呆れ顔で見つめるイリスの視線の先で、高速の箸の応酬に耐え切れなくなったおかずが爆散した。
「あーっ! 鉄! 今のてめーのせいだぞっ!」
「銀のせい。鉄は悪くない」
「ええい、今度こそっ――って!悪の匂いがあぁぁっ!」
いきなり箸を握りしめ、ついでにセレナも抱き上げて、銀は勢いよく立ち上がった。
そんな様子をよそに、鉄は勝ち取ったおかずを口に運び、もぐもぐと口を動かしていた。
「さー来い鉄っ! それにイリス! セレナ!」
鉄の腕をつかんで引っぱり上げ、銀は姉妹の名も続けた。
「え、ちょっと、それって?」
「あの……わたしも、ですか?」
「おうよ! こぉんなこともあろうかと! おまえらの分の口上も考えておいたぜっ! いよいよデビューの時だっ!!」
一人を抱いた状態で器用にも更に二本の腕を引き、銀は走り出した。
「……あの熱血バカ、いねえな?」
「いねえ」
「よし! 金持ってきたな?」
周囲をきょろきょろと見回してから、少年たちは獲物を取り囲んだ。前述の行動ゆえに凄味は半減気味だが、それでも怖いことは怖い。
「は、はい」
「なんだあ? これっぽっちかよ。もっと持って――」
「そこまでだあっ!!」
高らかな声が旧校舎に響き渡った。
「またかぁっ!!」
「壁に耳あり、障子に目あり」
棒読みで、小柄な少女が屋根に立った。
「そっ、それが、どこで起こってもっ」
さらに小柄な幼女が、現れる。
「それを誰がやらかしても……」
呆れ半分、ヤケ気味の楽しみ半分で、美女が現れる。
「行って討つのが我らの役目!」
絶好調な大声で最後を締める赤マフラーの少年。
「……しぃまったぁっ! チーム名考えてなかったぁ!」
頭を抱えはしたものの、とりあえず開き直り、続ける。
「月に代わってぇ――成敗するぜっ!!」
真昼に月かっ! と、少年たちは誰もが内心でツッコんだ。だが、そのツッコミを許さない雰囲気が、決めのポーズをとった四人組にはあった。
「行くぜ悪党! とうっ!!」
四つの影が(吸血姉妹は半ばヤケで)宙を舞った。
デウスエクスマーキナーとか言わないで。




