第三十話「再会」
雨足はなおも強まってきていた。
どちゃり、と音を立て、人間の部品が投げ捨てられた。
銀――否、フォルティス=スルトによって、素手で解体された吸血鬼の残骸である。その本体は、もはや断末魔を上げる余力すら残さず、雨粒によって際限なく薄められてゆく自らの血だまりの中に沈んでいる。
スルトの背後には、倒れた木々と、骸と血でできた、赤黒い道が一直線に続いていた。
そして目の前には、象牙色の巨大な建造物。
咆哮を上げると、スルトは真紅の爪でその壁を破壊し、内部に突入した。
直後――。
「ようこそ――いや、お帰りというべきか」
ゴルドーの声が彼を出迎えた。
そこは、透明な円筒形のタンクが所狭しと並べられた、ある意味学校の理科室を連想させる部屋だった。
タンクの中には、まっとうな生き物の融け崩れたような、様々な形の肉塊が浮かんでいる。恐らくは標本なのだろう。
「どうかね? ここは言わばドラゴンスレイヤーの博物館なのだよ」
理性が急激に磨耗してゆく中で当初からの攻撃目標をどうにか認識したスルトが攻撃態勢に入るのを、気にした風でもなく、言葉を続ける。
「私は物持ちが良くてね。せっかく来てくれたのだ、君も――ここに保存しておくことにしよう」
その言葉と同時に、死角から何者かがスルトを襲った。すぐさま、スルトの爪が閃く。
上半身を大きく破壊され、叩きつけられた壁に紅い花を咲かせたのは、銀髪碧眼の美しい女。
「君もなかなかひどい男だな。自分を護るためなら、想い人さえ手にかけるのかね?」
ゴルドーの揶揄は届かない。今のスルトにとって、自分に向かってくるものは全て敵なのである。
そして、それが護るべき者ではない、ということも最初から判っていた。
「ふむ……動揺していない。原型に到底及ばぬ戦闘能力といい、所詮まがい物はまがい物ということか。使えんな」
あっけなく屠られた女を哀れむわけでもなく、ゴルドーは淡々とした分析でその問題を片付けた。
「まあ、あるいは衝動を押さえ込んだ反動で理性などもう働いていないだけなのかも知れんが――」
能書きなどどうでもいい、とばかりにスルトはゴルドーに襲いかかった。
「……少しは人の話を聴きたまえ」
呆れ顔でスルトの突撃をかわしたゴルドーの全身から、赫い光が立ち昇り、六枚の翼として左右に展開する。
発現した〈聖痕の槍〉の穂先が空間に溶け消え、スルトの後頭部付近に揺らぎが現れる。死角から伸びてきたそれを、スルトは弾かれたような動きでかわしてみせた。
「ほう……! かわしたか。この二千年、これをかわした者は五人といないぞ」
心底から感心したような〈超越者〉の呟きを隙と見たか、スルトは即座に彼に肉薄した。
「――もっとも、殺し合って生きていた者はいないがね」
スルトの目前と真横から、穂先が二本、同時に伸びた。スルトはすぐさま身を沈めてそれらをかわしたが、直後にゴルドーの足元から広がった影に足の影を――ひいては本体の同じ箇所を――食いちぎられてバランスを崩したところを、手から放たれた光弾の直撃を受け、爆発と共に弾き飛ばされていた。
「ああ、忘れていたよ」
弾き飛ばされ転がった衝撃で〈聖痕の槍〉による傷が開き、腹の甲殻に入ったひびから血を流し始めたスルトを見下ろし〈超越者〉は口を開いた。
「複数の力を絡ませる戦い方もあったのだな」
今の攻撃で〈超越者〉の脅威が強まったことを悟ったのか、スルトは一転して後退し、傍らの壁を破壊して外に飛び出した。
「仮に逃げるつもりだとして……逃げきれると、本気で思っているのかね?」
呟いて赫い光の翼を羽ばたかせ宙に浮くと、〈超越者〉は追撃に出た。
「待って、イリス」
「待たないわ。危ないから早くお帰りなさい」
追いかけてくる鉄を振り返ることなく、イリスは足早に施設内を歩いていた。
胸の奥にある『神の欠片』が、まるで脈打つように疼いている。それは移動に伴って強さを変えていた。銀に反応してでもいるのだろうか?
いや、実際そうなのだろう。静まり返った施設内で唯一聞こえる破壊音に近付くにつれ、それはより強まっている。
「自分はきっとイリスを殺すから、近づけるなって、銀に言われた。だから鉄はイリスを連れてく」
「お断りよ……私は銀を探しているの」
「イリス、死にたいの?」
イリスは足を止め、鉄を振り返った。
「いいえ。私は生きたいの」
「イリスが何言いたいか、鉄には解らない」
「やっとたどり着いたよりどころのためなら、私は総てを懸けられ――」
イリスは痛みを伴うほど烈しく脈打った胸を押さえた。
「く、これは――」
直後、彼女の間近で、天井が轟音と共に吹き飛び、何かが砲弾同然に飛び込んできた。
その色が黒い、ということを認識した時点で、イリスはそれに押さえ込まれていた。直後、首に痛みが走る。
急激に、血液が失われてゆく。
「く……あ……」
黒い鬼が自分の首に食らいつき、血をすすっていた。
――銀、だ。
「……う……っ」
もう体に力が入らなくなってきた。
吸われてゆく。血だけではない。生命そのもの、そして魂。存在そのものが吸い取られようとしている。
「銀」
背後から、鉄の声がした。
「イリスを殺そうとしたら、オレを殺せ、って言ったから――殺すよ」
言葉の最中に声の質が微妙に変わったのは、恐らく変身したからだろう。エンキと化した鉄が右手の『槍』を構え、スルトに突っ込んだ。
だが、次の瞬間、振り返りさえしないスルトが無造作に突き出した左腕から伸びた『爪』が、『槍』を弾き、彼女を吹き飛ばした。
「……痛い」
壁にまともにめり込みながらもめげず、鉄は『凍炎』の珠を撃ち出した。しかし全く同じ軌道を描いて出現した『灼雷』の槍が、それらとあっさり相殺する。
圧倒的な差だった。
「や、め……さ…………ぎん」
途切れがちなイリスの声を聞いたとたん。スルトの体がびくんと大きく震え、まるで汚いものか恐ろしいものでも扱うように、彼女を放り出した。
「く……」
何の加減もなく投げ飛ばされ、叩きつけられた床に赤い跡を引きながら滑走した末、どうにか上体を起こすイリス。宿主である彼女の命を維持しようと『神の欠片』が力を発動し、その顔色は見る間に蒼白から桜色に戻ってゆく。
スルトは、咆哮を上げながら、まるで酔っぱらったようなむちゃくちゃな動きで、周囲一帯の壁に手当たり次第に体当たりをしていた。
「……銀、何してるの?」
めり込んでいた壁から脱出を果たし、イリスの傍に歩み寄ってきた鉄が、呟いた。
今のスルトは、まるで脅威になりえない。
「多分、まだ『銀』なのよ」
「?」
「連れ戻してくるわ」
困惑で立ち尽くす鉄をその場に置き、イリスは遠ざかりつつあるスルトの方へと走り出した。
「……帰って寝よ」
自分の出番がないと悟ると、鉄はあっさり諦め、その場を立ち去った。
「銀!」
自分の名を呼んだイリスに、スルトは『灼雷』の槍の雨で応えた。
「く……荒っぽい気遣いだこと。どうあっても私を傍に近付けないつもり?」
言いつつ、イリスはそれを流麗な所作でかわす。元より正確さを欠いた攻撃だ、威力にためらいさえしなければ、回避自体はそう難しくない。
(本来なら、喉から手が出るほど私を欲しいはずなのに。だからまだ――望みはある)
一気に間合いを詰め、背後に回りこむと、今度はイリスの方がスルトの首筋に牙を突き立てた。
振りほどこうとする動きを押さえ込み、数回喉を鳴らすと、一旦距離をとって離れる。
「まだ月は欠けきっていないし、正統な手順を踏んでいるわけではないけれど……賭けてみましょう」
壁を駆け上がり、天井を蹴って急加速。振るわれた爪をかわして懐に入り込むと、イリスはスルトの頭を抱え込み、その口に自らの唇を押し当てた。
「何たることか」
〈超越者〉は、芝居がかった動作で大げさに嘆いていた。
「この私が壁の花とは」
つい先程まで闘いを繰り広げていた相手、スルトは上空から叩き落としたきり、反応がなくなってしまっていた。
上空から見下ろした施設は、依然沈黙を保ち、スルトが戻ってくる気配はない。
「せっかく久しぶりに喧嘩とは面白いものだということを思い出したというのに。まあ……良かろう。狐狩りも悪くない」
〈超越者〉の手から〈聖痕の槍〉が消え、代わりに炎が宿ったかと思うと、それは赫い炎をまとう短剣の形を得た。
「さあ、出てきたまえ」
短剣が振るわれたとたん、その切っ先からはまるで銀の王器〈紅蓮転生〉よろしく真紅の炎があふれ、延長上にあった施設の一部を跡形もなく融かし去った。
「……ふむ。我慢も結構だが、それで終わってしまってはあまりにも退屈だ」
再び振るわれる短剣。
しかし。今回放たれた炎は、突如施設全体を縛るように現れた、青白く透き通った氷の鎖によって弾かれた。
「何……全てを灼く我が〈聖頌の刃〉を防いだ?」
少なからず動揺する〈超越者〉の視線の先、氷の鎖の上に、銀色の美貌が、何の前触れもなく現れた。




