第二十八話「因縁」
「あなた……誰? ここは一体……」
「私は――昔「夢魔」と呼ばれたことがあるわ。ここは、あなたの見ている夢の中。あなた自身の心象風景を借りて、私が仮想の空間を構築しているの」
「それを信じろというの? そうすると、あなたは私の夢の中に入り込んでいることになるわ。あなた自身が私の夢の産物でないと、どうして言えるの?」
詰め寄られ、銀髪の女は肩をすくめた。
「まあ……信じてもらう他ないわね」
「……とりあえず、信じるとしましょう。その夢魔が、一体私に何の用なの?」
「単刀直入に言うわ。あなた、研究をやめなさい」
「なぜそんなことを――」
「あなたの生み出そうとしているモノ。アレは……この世に解き放ってはいけない」
強く言い放った反動なのか、女の姿が一瞬壊れたテレビに映る像のように大きくぶれた。
「……く……」
「何が……大丈夫?」
よろめいた女に、美祈は反射的に手を貸していた。
「あ、ありがとう……そろそろ限界のようだわ」
「限界……?」
「研究をやめなさい。もしあなたが破滅的な考えの持ち主でなければ、きっと後悔することになる。あなたが生み出そうとしているモノの実態を――」
ぷつん、と視界が途切れた。
次の瞬間、美祈は仮眠室のベッドで目を開けていた。
それが、彼女との出会いだった。
皮肉なことに、警告を受けたその数日後、実験は初めて成功した。リリト因子を組み込んだヒトの受精卵が、安定して生育を始めたのだ。
いや、正確にはヒトではない。新たな種、リリムだ。
その「子供」は、人類が初めて手に入れた、力と叡智の象徴にちなみ『ほむら』、つまり炎というコードネームが付けられた。
「警告は聞き入れられなかったようね」
再び夢の中に現れた「夢魔」は、開口一番美祈に言った。
「アレは……危険なのよ?」
「危険とか、後悔とか……どんな理由があって、あなたは私を責めるの? あの子は決して殺させないわ!」
「え……?」
美祈の憤りを聞き、「夢魔」は息を呑んだ。
「あなた、まさか……子を産めない体なの?」
「なぜ、それを……」
「私も、同じだから」
ふっ、と力ない笑みを浮かべる「夢魔」。
「同じ……?」
「私はヒトではないの。そして、私の同種はもう地上には生き残っていない。何をしようと、ヒトとかけ離れたこの身は、ヒトとの子を成すことができないわ。自らの子を抱く機会があるというのなら、確かにどのような手段も試したくなるでしょうね」
「ヒトとかけ離れたって、あなた一体――」
「それは、まだ言わないわ」
唇の前に指を立て、「夢魔」はそれ以上の追及を遮った。
「いいわ、研究をやめろ、とはもう言わない。ただ……あなたの「子」が何のためにこの世に生み出されようとしているか、それはよく見極めなさい」
言った「夢魔」の姿が、以前のように大きく揺らいだ。
「……限界のようね」
呟くと、「夢魔」は改めて美祈の方を向いた。
「――私の名はイリス。あなたは?」
「私は、美祈。来栖美祈」
「美祈……綺麗な名ね」
そんな響きを残して、夢は覚めた。
彼女――イリスの言いたがっていることが、何なのか、心の中に引っ掛かりを残したまま、プロジェクトは新たな段階に進んだ。
初の成功例である『ほむら』の製作過程で得られたノウハウを活かし、雄性体である彼とつがいになりうる同種の雌性体『まがね』の研究が始まったのだ。
そして、ある日。研究の合い間、何気なくのぞいてみた別部署に、それらはあった。
イリスという名の実験体に関する資料。
それによると、イリスは第二次世界大戦の終戦前に捕らえられた、強力な吸血鬼。この研究施設内に封印されているその体からは、特殊な組成の体液から今もなおリリトが抽出され続けているという。
ドラゴンスレイヤーと総称される、生体兵器に関する資料。
曰く、『竜』と呼ばれる超生物がこの世には五種類いるらしい。それを斃し、その体内に存在する一種の永久機関『神の欠片』を奪い取るために、強力な力を持つ生体兵器の研究が進められているという。
ドラゴンスレイヤーを生み出す計画の末席に、私自身の進めているリリム・プロジェクトの名を見つけ、イリスの度重なる警告の意味を、私はようやく悟った。
私の「子ども」たちは、ただの兵器として、誰かを傷つけ、殺すためにだけ、生を受けることになるのだ。
絶望的な真実を知り、その日は研究が手につかず、私は重い頭を抱えて眠りについた。
「……知ったようね」
三度現れたイリスは、美祈の感情を逆撫でするでもなく、敢えて淡々と言った。
「……ええ。あなたがどうして直接現れなかったのか、ようやく解ったわ」
「体は封じられていても、精神はある程度自由に放てるの。で……どう思ったのかしら?」
「……最悪よ。こんなことなら、あの子たちなど……」
「それ以上言うことは許さないわ。ここ夢の中なら、あなたを殴ることくらいできるのよ」
美祈の弱気な言葉を遮ると、イリスは一転して語調を和らげ、訊いた。
「逆らおうとしないの? 例え兵器であろうと、あなたの子であることには変わりないのでしょう? 一人の人間として育て上げればいいだけの話ではないの」
「でも……研究所の警備やチェックは厳重だわ。私一人ではあの子たちを外に連れ出せない」
「なら――私を解放なさい。力尽くであなたを逃がしてあげるわ」
「……信じていいのね?」
「私、信じられて裏切ったことはないわ」
「解ったわ」
「……美祈」
「何?」
「昔、ある巫女が私に言ってくれたわ。誰かを思いやる心さえあれば、それはどのような生まれ方をしていようと人間なのだと。……私も、人間でありたい」
「人間性の欠落した同僚なら、数え切れないほどいるわ。あなたがこの研究施設の中では一番まともだと思う」
「……ありがとう」
成すべきことは決まった。
念入りに下調べを進めた後、私は行動を開始した。
イリスの封じられている部屋に忍び込むところまでは首尾よくいったものの、美祈は困って首をかしげた。
肝腎の、イリスが封じられている円筒形の金属タンクの開封方法が解らない。
何しろ、溶接されて完全な密封状態にあり、その上荊の蔦で縛られているのだ。
「……仕方ないわ。力尽くで!」
近くにあった工具を、やおらタンクに叩きつける!
ごわーん、と実に派手な音がした。造反が露見するのも時間の問題だが、ここまで来ては引き下がれない。
「くぅ……」
反動でびりびりと腕がしびれる。元々が暴力には無縁な、頭脳労働の専門家なのだ、無理もない。
痺れを我慢して打撃を繰り返しているうちに、その音を聞きつけた警備員が部屋に飛び込んできた。
「なっ、何をしているんですか!来栖博士!」
「ああ、もう! いい加減に壊れなさいっ!」
は羽が交いじ絞めにされながら振り回した工具が、タンクを縛めていた荊の蔦のほとんどを引きちぎった。
とたん。ばこん、と外装の金属板を突き破って白い女の細腕が飛び出した。
「なっ……!」
タンクの中身を知らないらしく、警備員はその異常事態に硬直した。
音を立てて、数センチ単位の厚さを持つ金属板が力尽くで曲げられていく。人間一人が通れる程度の大きさの穴が開いたと思ったとき、白い影が飛び出し、美祈を飛び越し警備員を襲った。
警備員の濁った悲鳴と共に解放された美祈は、すぐさま後ろを振り返った。
文字通り、水を滴らせたいい女が、昏倒させた警備員の服をはぎ、その白い裸身を隠そうとしているところだった。
美祈と目が合うなり、女――イリスは言った。
「まだ少し頭がくらくらするわ。……学者さんの割に、なかなか豪快なことをするわね」
「やることを決めたら、怖がったり遠慮したりなんてしていられないわよ」
「全くだわ」
知的な容貌に似合わぬ、美祈の不敵な笑みに、ふっ、と表情を緩め、イリスは笑った。
「行きましょう。私の解放が露見するのも時間の問題よ」
実際、部屋を出て数秒で、施設全体に警報が鳴り響き、別種のドラゴンスレイヤーと思しき異形が二人に襲いかかった――が、イリスはそれらを現れるそばから一蹴した。
力尽くで脱走させる、という言葉は伊達ではなかった。
「……イリス、あなた本当に強いのね」
まず奪取した『ほむら』の胚が収められている容器を抱いて、『まがね』の胚が保管されている研究室へ向かう途中の廊下で、美祈は感心した。
「ええ。でも――」
「上には上がいるのだよ」
硬い表情で応えたイリスの言葉を、男の声が引き継いだ。
「誰!?」
「かつて彼女を捕らえた、マーキュリーの総裁さ」
いつの間にか目の前にいた金髪の男が、答える。
「さて……来栖博士。貴重な研究成果を、個人の一存で持ち出されては困るな。『ほむら』を返したまえ」
「……お断りします。この子は決して渡さない」
「よく言ったわ、美祈」
「ふむ……。君のような貴重な頭脳は、私も高く買っているつもりなのだが。それならば――仕方あるまい」
一歩進み出た男の前に、イリスが立ち塞がった。
「させない。私の全身全霊をも以って止めてみせる。だって――彼女の子は、私にとっても希望だから!」
男に向かい突進するイリス。
「イリス!」
「行きなさい、美祈! その子を産んであげて!」
声が聞こえた直後、爆風が全てを吹き飛ばした。
あれから彼女がどうなったのかは、私には解らない。
私は、彼女の言葉通り、『ほむら』を胎内に移植し、そして単なる一人の子供として産んだ。
今「銀」と名付けたその子を抱きながらこれを記している。「桂」という名まで考えておきながら、この子の妹である『まがね』を産めなかったことが心残りでならない。
いずれこの子には真実を語らなければならないときが来るだろう。
しかし私は、追跡を避けてこの子を護るためとはいえ、自分が生きて存在していたという、形に残る痕跡を残してあげられない。
私にできるのは、ただ愛情を注ぐことだけだ。
例え、真実を知ったこの子が私のことをどう思おうと。




