第二十七話「追憶」
『――で起こった爆発事故は、現場に爆発物の痕跡がなく、大量の塩化ナトリウムしか残っておらず、依然謎を深めています。では次のニュース……』
ぷつん、と音を立て、朝のニュースを映していたテレビが消えた。
「ふう……」
リモコンをテーブルに放り出すと、銀はソファーに背中を預け、もたれかかった。
一晩が明けたとはいえ、それで本調子に戻れるほど甘くはない。何しろ、全身が塞がらない傷だらけなのだ。
家の中は静かだった。日光に弱い吸血鬼の常で、ヴァルターやナァクは家の物置で雑魚寝しており、ベルンもヴァルターに付き添って眠っている。
「はあ……」
ため息をつき、立ち上がる。と、居間に気配が近付いてきた。
「……銀」
「鉄。寝てなくていいのか?」
言ってはみたものの、どちらかと言うと、いたわりより、血のにじんだ包帯を脇腹に巻きつけている、イリスを連想させる姿をあまり見ていたくないという思いの方が強い。
「銀の方が重傷」
「るっせえな、ぼーっと寝てんのは性に合わねーんだよ」
「オリの中のゴリラ?」
「やかましい!」
銀チョップが鉄の脳天を直撃した。
「痛い」
「……オレの方が痛え」
顔をしかめながら呻く銀。
満身創痍で、急に腕を振ること自体が激痛を伴うことを忘れていた。
「銀、間抜け」
「このやろお……」
もう一回チョップかましてやろうか……と銀は真面目に悩んだものの、ふと、引っ掛かりを感じていたあることを思い出し、それはやめて居間を後にした。
「銀。どこ行くの?」
「オレの母ちゃんの部屋」
(母ちゃんの部屋の掃除をしてから、イリスの様子が少し変わってた。……あの野郎との会話といい、オレ自身や母ちゃんが何か関係してるってのか?)
「銀の母ちゃんの部屋」
ほぼおうむ返しに繰り返した鉄の言葉にずっこける銀。
「……下品に聞こえるから、おまえはそういう言葉遣いやめろよ」
「?」
「……言っても無駄かもしんねえけど」
どう見ても解っていなさそうな鉄の様子に小声でそう付け加え、銀は母親、美祈の部屋のドアを開けた。
「貴重品の類いは机の上に置いておいた、とか言ってたな……」
果たして、そこには数冊の書類の束、そして二通の封筒が置いてあった。
銀はまず書類の束を適当にめくってみた。
「………………ワケ解らん」
目を回してあっさり音を上げる。
何かの論文と思しき、難解な化学式や専門用語の羅列。そんなものが一介の主婦の遺品だとは思いもしなかった。
「何なんだよ……母ちゃんって一体何者だったんだ?」
乏しい科学知識を総動員してなおもページを繰る――と、『まがね』という単語が目に入った。
「まがね……鉄?」
「呼んだ?」
床に座り込み、アルバムを散らかしていた鉄が、自分の名に反応し、顔を上げる。
「いや……何でもねえ。書いてあった言葉だ」
「そう」
興味を失って再びアルバムをめくり始めた鉄を横目に、銀はその単語に関連するページをめくった。
『DS‐LMX MAGANE』
見出しには、そう記されていた。
『合成有機体とはまた異なる構想、リリム・プロジェクトで作成されるドラゴンスレイヤーの試作弐号。
今回は「新たな種の創造」という、初期の研究テーマをより発展させ、生殖を視野に入れ、初号『ほむら』との交配を期して『ほむら』とは逆の雌性体に設定して研究を進めることになる。主任研究員は、初号『ほむら』に引き続き来栖美祈博士――』
「何だとぉ!?」
思わず上がった大声に、鉄も銀を振り返った。しかし、銀には鉄を顧みる余裕はない。
来栖。母の旧姓だ。美祈という名前自体、そうあるものではない。そして、ホムンクルス。ドラゴンスレイヤー。夢に現れた少女やゴルドーの発した単語。
「…………じゃあ、母ちゃんは……」
冷たい汗が背中を伝う。
「銀」
「……」
「銀」
「何だよ!」
しつこい呼び声に怒鳴り返した銀の鼻先に、にゅっ、と分厚いノートの束が差し出された。
「母ちゃんの日記みたい」
「母ちゃんの日記……?」
おうむ返しに呟くと、促されるまま受け取り、銀はそのページを開いた。
こぽ……。細かな気泡が、内部に淡いピンクの液体が満たされた円筒形の培養槽の中を立ち昇ってゆく。
比重を調整されたその中には、色褪せた白い髪を持つ、半壊した蒼白い人体が、浮きも沈みもせず、揺れていた。曲線を帯びた滑らかな形は、それが元は美しい女であったことをうかがわせる。
いや――今なおそれは失われていなかった。
整った顔は無傷で、目を閉じている様は眠っているようにも見える。半身がずたずたに崩壊し、失われている様も、かの名高いミロのヴィーナスを思えば、決して劣らない。
培養槽の周囲には、恐ろしく感情の欠落した顔をした、白衣の人物が何人も忙しく作業していた。
と、その部屋に一人の来訪者があった。とたん、部屋の中に緊張が走る。
「ゴルドー総裁……」
鷹揚に頷くと、男は間近にいた男に問うた。
「彼女の容態はどうなっているのかね?」
「は、懸念されていた組織崩壊はなんとか停まりましたが、今度は、体組織そのものが石化してしまっています。以後、何のエネルギー反応も見られません」
「ほう……元素変換か」
興味深げに、ゴルドーは顎に手を当てた。
「今までにこんなことは一度もなかったはずだが。ふむ、滅びを望む彼女と、永久機関たる『神の欠片』が、葛藤を起こしているのか? 石化はその折衷案といったところかも知れんな――実に興味深い」
楽しげに肩を震わせるゴルドーの視線の先で、その女、イリスの唇の端から、細かな気泡がこぼれ、培養槽の上方へと立ち昇っていった。
イリスは夢を見ていた。
私がそこ――大門製薬に技術者として就職したときに、全てが始まったのかも知れない。
手がけたいくつかの研究で成功を収めるうち、私は社内でもその能力を高く買われるようになっていった。
そして、やがて私は招かれた。『マーキュリー』と名乗る、社の中枢部に。
そこには、錬金術と合流しているという、様々な独自の高い技術があった。当時と比べても、二十年は先を行っていただろう。与えられた実験器材のほぼ全てが、今までに見聞きしたこともないものばかりだった。
私はそこで〈リリト〉と呼ばれるウイルスの研究を任された。それは稀に見る特殊な性質を持っていたため、私にとっては非常に魅力的な素材だった。
ある程度研究が進み、リリトの特性を把握し始めた頃、私はまた別の研究テーマを与えられた。
強靭な生命力を感染者にもたらすが、同時に怪物化させ、過剰な新陳代謝によって、最終的には自滅へと追いやってしまうリリト。それに対する、先天的な適性を持つ存在を生み出す計画――リリム・プロジェクト。
試験管ベビーという語が話題になり始めた時代に、それすら飛び越えて、新たな種を創造しろというのだ。
私は喜々としてそれに従事した。先天的に排卵機能に重い障害を持つ私は、子を作れない。最高の代償行為と言っていいだろう。
しかし、それは予想以上に難航した。数え切れない数の「子供たち」を死なせ続け、心身ともに疲れきっていた頃――その事件は起こった。
「ダメ……生きて……!」
思わず口をついた祈りも空しく、シャーレの中の細胞は死滅し、崩壊を始めていた。
「く……っ」
唇を噛み締める。
「来栖博士……根を詰め過ぎですよ?」
後ろから助手の声が聞こえた。
「試料が死滅するたび泣いていたらきりがありませんよ」
「……あなたに私の気持ちは解らないでしょうね」
「は?」
「いえ、何でもないわ。気遣ってくれてありがとう。少し仮眠室で休ませてちょうだい」
「はい。後は私が片付けておきます」
「よろしくね」
研究室を後にし、美祈は仮眠室で横たわり、目を閉じた――のだが。
「……?」
次の瞬間、彼女は目をしばたたかせた。仮眠室ではなく、見覚えのある部屋の中にいたのである。
「ここは……橘教授の研究室……?」
今の今までいた施設からは遠く離れた母校にあるはずの、恩師の研究室であった。
「ここが……あなたにとって強く印象が焼きついている場所なのね」
耳慣れない声に振り返ると、いつの間にか、白金に輝く髪をした、瑠璃色の眼の美女が佇んでいた。




