第二十六話「敗北」
「何だか知らねえが、てめえの声は、聞いてるだけで気分が悪くなってくん――!」
言い返した銀は、言葉が終わる前に、衝撃で大きく体を震わされた。
「私の声に反応するということは……覚えているのか。これは面白い」
前のめりになった自分の腹から、肉の引きちぎれる音が、そして、背中越しに、ゴルドー――否〈超越者〉の声が聞こえる。
「銀を放しなさい!」
「言われるまでもない」
拳を繰り出そうとしたイリスに答え、〈超越者〉は銀の血にまみれた手を無造作に振った。
「くっ!」
急減速し、投げつけられた銀を可能な限り柔らかく受け止めるイリス。彼女とすれ違い、鉄が〈超越者〉に迫った。
「鉄?」
怪訝な表情の〈超越者〉に、ためらいなく〈白輝輪廻〉を振り下ろす。だが、ゴルドーが手にしていた槍の穂先が、空間に溶け消えたかと思うと、鉄の間近で実体化。その体を射貫き、撃墜した。
「……いた……い……」
受身をとってまともに着地こそしたものの、傷は決して浅くない。前のめりに立ち尽くす鉄の脇腹からは、大量の血があふれ、こぼれ落ちていた。
「我が〈聖痕の槍〉は全てを貫く。空間とて例外ではない。そして『神の欠片』の再生力をも凌駕する。もたらす傷は決して塞がらん。……答えたまえ、鉄。なぜ突然私に刃向かった?」
「……銀をとられるのはいや」
相変わらず簡潔に、鉄は答えた。
「ふむ……。やはり、唯一の同種に対する反応は強いのだな。まあよかろう。お前のレシピもほぼ復元できている。処分してもさほど支障はない……ん?」
イリスの悲鳴じみた声を聞き〈超越者〉はそちらへ首をめぐらせた。見ると、重傷を負った銀がイリスの制止を振り切って立ち上がっている。
「おや……その体で私と戦うつもりかね?」
「たりめーだ……!」
一歩一歩の歩みと同様、刻み込むように宣言する。
その瞳に宿る意思の光は、失われていく血液の量に比例して蒼ざめてゆく顔色に関係なく、揺るぎない。
「やめなさい! 銀! 本当に死ぬつもりなの!? 私と――」
「ああ、悪いな。今までの言動って、ありゃ全部ウソだ」
振り返ることなく、銀はイリスの言葉を切り捨てた。
「正直、やれる女なら誰でもよかったんだよ。だから本当は――」
振り返り、口の端を歪める。
「おまえなんか、大嫌いだ」
「――まさか!」
イリスが銀の突きつけた訣別の意味に思い至ったときには既に、銀の黒髪は銀色に、瞳は金色に変わっていた。
「ぐッ……あああアアッ!!」
咆哮を上げながら腹に開いた大穴に手を押し当て、どう考えても体内には到底収まりきらないほど巨大な、紅い剣を引きずり出すと、銀は〈超越者〉めがけて走り出した。
「ほう、王器。「紅い剣」の触媒として、同色の血液を使ったわけか」
「余裕こいて能書きたれてんじゃねえっ!!」
叫びを歯牙にもかけず、〈超越者〉は迫る銀を悠然と観察している。
「大嫌い、か。全く健気だな。確かに、自分と関係ない、もしくは憎い存在なら、死んでも動揺するまい。だが――彼女の方はどうだろうな」
「な、に?」
問い返すより早く。合わせ鏡に乱反射する光のように、無数のベクトルを持った〈聖痕の槍〉が、銀の体を様々な角度から所構わず刺し貫いていた。
「銀……ッ」
小さなイリスの悲鳴が聞こえ――いや、違う。耳に入る音全てが急速に遠ざかっていた。
次の瞬間、閉じた目の奥まで灼くような、はげ烈しく青白い光があふれた。
「これ……塩……まさか……ドムとゴ…………火……」
切れ切れにだが〈超越者〉の驚く声が銀の耳に入ってくる。
(ざまあみろ)
そんな思考を最後に、銀の意識は途絶えた。
夢を見た。
禍々しい金色の満月の下、荊の蔦によって冷たい壁に縛められ、膝を折ってうなだれる、美しい銀髪の女。
その整った美貌には、底知れない哀しみが漂う。
それが誰で、なぜ自分がその夢を見るのかは解らない。
――解らない?
――解らないわけがない
彼女が顔を上げた。涙にぼやけた瑠璃の瞳と目が合う。
――そう
――彼女は
「――イリス! っぐああっ!!」
叫んで跳ね起きたとたん、全身に引き裂くような激痛が走った。
まず目に入ったのは、包帯でぐるぐる巻きになった自分の体。次に、横たわっていたベッド。見慣れた形からして、どうやらここは自分の部屋らしい。
「ふん、やっぱり生き延びやがったのかい」
痛みでのたうちまわるたびに激痛が走る、という悪循環に悶え苦しむ銀の背で、そんな女の声がした。
「な――てめえは!」
「久しぶりだねえ、影山銀」
覚えのある顔に驚く銀をフルネームで呼ぶと、黒衣の女は鋭く目を細めた。
「ああ……てめえの面は忘れねえ――けど、名前忘れた」
「ナァクだよっ! 自分の名を人に覚えさせといて、人の名を忘れんじゃないよっ!」
叫びながら、女――ナァクはベッドに横たわった銀の腹を殴りつけた。
「うっぎゃああああああっ!!」
「ふん……いいザマだね。連れも護れないわけだよ」
「連れ……! そうだ、こんなことしてらんね――ぅげ!」
起き上がろうとしたところで顔にいいパンチをもらい、銀はベッドに再び倒れ込んだ。その衝撃でまたまた激痛に悶え始める。
「黙って寝てな。あんたを殺るのはアタシだよ」
「だったら今やりゃいいだろ」
「は。半死人をいたぶっても面白くないね」
鼻で笑うと、ナァクは銀に背を向けた。ドアの前まで進み、ふと足を止める。
「影山」
「あ?」
「あんた、憎むことで自分を保ったことあるのかい?」
しばしの静寂。表情を引き締めた銀は、肯いた。
「……ああ」
「そうかい」
頷くと、ナァクは部屋を後にした。それと入れ替わりに、やはり見覚えのある姿が現れる。
「影山様。意識を取り戻されたのですね?」
「……なんでてめーまでいやがんだよ」
ベルンを半目でにらむ、銀。
「貴方に傷の手当てをするよう、御主人様におお仰せつかっておりますので」
「御主人様……ああ、あいつか。っておい!?」
突然自分に寄り添うなり手際よく包帯をほどき始めたベルンに驚き、銀は思わず声を上げた。
「なっ何を!」
「包帯を交換いたしますので、動かないでくださいませ。傷に障りますわ。ナァク様が縫い合わせて下さったとはいえ、本来塞がる傷ではないのですから」
「いや、そういう問題じゃ――え?」
恥ずかしい、と言おうとしたところで、意外な名を聞きつけ、銀は目を丸くした。
「今、なんて言った?」
「はい、ナァク様、と」
「……マジ? あいつがオレを助けてくれたのか?」
「はい。事情は存じ上げませんが、貴方に借りを返す、とおっしゃいまして」
手を休めず答えるベルン。
「借り……それはそうと、なあ」
「はい、何でしょう?」
「恥ずかしいんだけどな」
一瞬怪訝そうな表情を浮かべたものの、ベルンはすぐに納得して頷いた。
「お構いなきよう。わたくしのことは黒子、とでもお考え下さい」
「いや、黒子っつったってなあ……」
渋る銀に、更なる追い討ち。
「獣の姿でしたら恥ずかしがらずに済みましょうが、それですと細かな作業ができませんので」
「解ったよ。もう好きにしてくれ」
「はい」
言われ、ベルンは作業を続行した。
「……なあ」
好きにしてくれとは言ったものの、沈黙に耐え切れず、銀はすぐさま口を開いた。
「はい、何でしょう?」
「何がどうなってんだ?」
「はい。鉄様の言葉を加味した上で手短に申し上げますと、影山様が倒された直後、イリス様の体内にあるとされる『神の欠片』が暴走、結果グランドマスター・ゴルドーの結界が内側から破られました。その混乱に乗じ、鉄様が影山様をこちらへお連れになったそうです。わたくしはその、結界が破れた際の余波が何事かを調べに参りまして、鉄様と合流しました。後は、ご存知のとおりです。闘いが終わってから何時間かしか経っておりませんわ」
「イリスは……あいつはどうなったか判るか?」
問われ、ベルンは一瞬俯いて口ごもったが、銀の視線に促され、告げた。
「……運が良ければ、囚われの身でしょう」
「運が良ければ?」
不安を掻き立てる前提を、銀は聞き流せなかった。
「どういうことだ?」
「体内にあるものが直接、結界を力尽くで破れるだけの力を放ったのですよ? 外側、『器』の無事は保証できませんわ」
「…………あいつは死なねえ」
「わたくしもそう思いたいです」
新たな包帯を巻き終え、ベルンは立ち上がった。
「なあ」
「はい?」
「ヤツのことをグランドマスターとかいう呼び方してるのに、なんでその敵にここまで味方すんだ?」
ちょうど銀が訊いたとき。部屋のドアが開いた。
「長生きしていると、必死に足掻く熱は薄れる。勝手な話だが、そういう者に力添えすることで、まだ自分が人間なのだと思いたいのだよ」
現れるなり、ヴァルターが答えた。
「ただ……表立っての加勢はできぬ。吸血鬼は、自分を変えた『親』たる吸血鬼の言葉には逆らえぬゆえ」
「御主人様……聞いていらしたのですか?」
「勘違いするな。別にこの少年に嫉妬などしておらぬ」
「誰もそんなこと訊いてねーぞ」
「くっ!?」
銀の鋭い突っ込みに、ベルンを冷たく突き放したつもりで逆に本音を披露してしまったヴァルターは、動揺した表情で後ずさった。




