第二十五話「片鱗」
現出したのは、イリスの結界同様に六角形の透き通った結晶柱が不規則に生え出た、真紅の荒野。その色は、血や残照ではなく、岩肌そのものの持つ色だ。
「他の吸血鬼ってことはねえよな」
背負っていた〈紅啼〉を抜き、訊く銀。
「間違いないわ。日中という時間帯を差し引いても、真祖以外の吸血鬼は『牙城結界』を創れないし、他種の結界を可能とする魔術知識に長けた者は、あの男の傘下にはいない。それより――解っているわね?」
「力を使うなってんだろ?」
「ええ。それと、あの男の攻撃能力。貫けないものはないし、あなたも見たとおり、それにつけられた傷は、決して塞がらない」
「……忘れるわけねえだろ」
あの夜。銀は、イリスの脇腹に穿たれた、二千年経ってなお血を流し続ける、治癒を忘れた真新しい傷を見ている。
「気を付けて――来る!」
イリスの声を受けて、我に返り横に跳ぶ銀。直後、白銀に輝く何かが飛来し、二人の一瞬前までいた場所を轟音と共に粉砕した。
それは、車輪に似ていた。ただ、その円形の輪郭を内側から支持する部分が、車輪そのものを飛び出し、鋭い先端を持っている点で異なっている。
銀がその輪郭を認めた時点で、車輪は周囲の岩を粉砕し、再び飛来した方向へと飛び去った。次の瞬間――
「!」
半ば直感的に危険を悟った銀の持ち上げた刀身が、突如加わった激しい衝撃に悲鳴を、そして、軋りを上げる。
飛び去ったと思われた白銀の車輪を手に鍔迫り合いを挑んできたのは、長い銀髪と金の眼を持つ異形の少女。
「な……んだ、おま――え!?」
少女の姿に対する二つの心当たりにぎょっとした銀の隙を逃さず、少女は即座に紅い刀身を払い、銀の懐へと車輪を突き込む。
「くっ!」
危うくそれを弾く銀。
「何しやがんだ、鉄っ!」
そう。髪や瞳の色は変わっても、面影自体は変わらない。覚えた顔をこれだけ間近で見違えるはずがなかった。
「ゴルドーに、銀を殺せって言われたから」
当然のように答える少女。
「『まがね』……ですって?」
イリスの驚きに満ちた声が聞こえた。
「あなた、まさか……リリム?」
「なに、それ」
続けて発された問いに、心当たりはないのだろう、ただ首をかしげるだけの鉄。
「どうしたんだ?」
「いえ、多分、彼女は――」
「ああ、そうか。そういえば君は『まがね』の概要を知っていたのだったな」
そんなバリトンと共に、スーツ姿の男が現れた。
「……?」
その声が耳に入るなり、ほとんど反射的に全身に強い力がこもるのを感じ、銀は首をかしげた。
「ゴルドー……!」
殺気をはらんだイリスの呟きで、納得する。
今の自分は、体そのものが「イリスの守護者」なのだ。無意識にせよ、イリスの敵に対する攻撃姿勢が喚起されて不思議はない。
「てめえがゴルドー……?」
ふと、男の様子に違和感を覚え、銀は再び首をかしげた。
男の影が、妙に小さい。
「また会ってしまったな、イリス君」
銀をまるで無視し、ゴルドーはイリスの刺すような視線に応えた。
「実を言うと、私としても、今回の実験が失敗に終わったこと自体、意外だったのだよ。まさかドラゴンスレイヤー、竜のための武器が「殺すため」でなく「護るため」に転んでしまうとは。全く皮肉なものだ」
「なっ……!」
ゴルドーの横顔を、傍らの結晶柱を通して見、銀は今度こそ驚いた。
ゴルドーの姿が、映っていない。その代わりに、幼い、白金の髪をした少女の姿がある。
以前の名無しの少女とはまた別人のようだが、イリスの面影が多分にある。
もしかすると、ゴルドーが真祖化する際に犠牲となった嫦娥の姿なのだろうか?
「実験……どういうこと?」
一瞬銀を振り返り、そして問うイリス。
「魔の因子を持つヒトの血は絶やしておいたのでね。君の血に耐えた守護者が現れたと知った時点で思い出したよ」
「……『ほむら』のこと?」
「うむ。元々それは魔の因子が濃い。何と言っても、生殖細胞の段階で直接リリト因子を組み込んだ素体だ。確実に真祖化すると思っていたのだが……」
「生憎だったわね」
「これ以上経過を観察している意味もなさそうなのでね。処分に来たのだよ。レシピもほぼ復元が完了しているので、わざわざ死体を持ち帰る必要もない。手加減しなくていいのは楽だな」
「銀! 逃げて! この男の標的はあなたよ!」
叫ぶと同時に、イリスは『新月刀』を振り下ろしていた。
「どういうことだイリスっ!」
事情に付いていけず、銀は轟音と共に巻き上がった砂煙に向かって叫んだが、彼女は既に仇敵と激しい戦いを繰り広げており、答える暇などありそうになかった。
「危ないよ、銀」
「へ? わっ!」
鉄の声に我に返った直後、銀は大きくのけぞった。
「何しやがんでぇっ!」
ナイフを振りかぶって襲いかかってきた男に、怒声と共に蹴りを見舞う。
「ったく、いきなり物騒な……って、え?」
気が付いてみると、周囲を、一様に虚ろな目をした人々が取り囲んでいた。
「な……なんじゃこりゃあオレって、ご町内の皆さんに怨み買うほどご迷惑かけちまってたのかっ?」
「それ、ゴルドーの吸いカス。じゃ、さっきの続き」
鉄が呟いて銀へと跳びかかるのを引き金に、人々もまた一斉に襲いかかった。
「やめろ鉄っ!」
人波を蹴散らし、鉄の振り下ろした車輪との間に鍔迫り合いを演じながら、銀は叫んだ。
「ん。解った」
素直に答えるなり、鉄は、鍔迫り合いをやめ、周囲の人々に向け車輪を振るった。車輪の放った極寒の冷気によって、瞬時に凍結した人体が砕け散る。
「な……今の……それ、王器なのか?ってこた、やっぱおまえ……」
「ん。鉄はエンキ。これは〈白輝輪廻〉」
あっさり肯く鉄。
「鉄は、銀を殺したらつまらない。銀をとられるのもいや。だから、銀の敵を殺す」
宣言すると、彼女は味方のはずの『吸いカス』の群れの中へと飛び込んでいった。
あっけにとられている間に、銀は殺到してくる人波をさばききれなくなってきていた。伸びる手が、銀を拘束し、打撃を加え、引っ掻く。
「くそ……自分を殺そうとしてる死人相手に、手加減はしてらんねーか」
迷った末、目を見開く。直後――銀の間合いにいた人体全てが切り裂かれ、地に伏した。
「……悪いな」
一瞬だけ黙祷を捧げると、銀はすぐさま別のレヴナント遺者へと向き直り、〈紅啼〉を構え飛び出した。
手技と足技の応酬が、凄まじい速度で続く。その流れはイリスにあった。
素手で純粋な格闘戦を挑むイリスに対し、槍を手にしたゴルドーは、その間合いを生かせないことに加え、元からイリスよりも格闘技術に劣っており、攻めより受けの比重が大きかったのである。
「む、う……腕を上げたな、イリス君……!」
「あなたが成長していないだけよ」
すかさず拳を打ち込むイリス。だが、ゴルドーはそれを危ういところで受ける。
「今まで、私はあなたが怖かった。近付くこと自体が怖く、中・長距離型のあなたに最適の間合いを提供していたわ。でも――この間合いなら、私が凌駕する……!」
「そうか……そうか。くっ……くくくく」
「何が可笑しいの?」
「殺せるのかね? 今となっては唯一の同種、しかも、血を分けた実の妹を」
「!」
びたり、とゴルドーに叩き込まれようとした拳が動きを止めた。
「――全く、下らんね」
声と共に伸びたゴルドーの手が、隙だらけのイリスの顔をわしづかみにし、抵抗の暇さえ与えず岩盤が剥き出しの地表に叩きつけた。
「……ぁ……ッ!」
岩盤に深々とめり込むイリス。
「二千年の永きを生きてなお情などという低次な事象に縛られるとは。やはり君は『竜』たるに値しないようだな。神に至る偉大な力はこの私にこそふさわしい」
イリスを再度つかみ上げ、ゴルドーは傲然と言い放った。
「力尽くでの摘出は少々困難のようだが……そのための術式は既に編成してある。施術を待たずに君が脱走したのは予想外だったが――!」
イリスを放り出し、後ろに跳躍する。
一瞬遅れて、真紅の鱗を持つ巨獣が、ゴルドーの立っていた場所を引き裂き、イリスを空いた肢につかみとった。
ゴルドーの目前に立ち塞がったのは、コウモリに似た翼を持つ太い四肢を鋭利な鱗で覆った、名高い西洋の魔獣、ドラゴン。
「ほう……? ヴァルターの剣霊の片割れか。所有者の霊威に呼応する咒術兵器がここまで変化するとは、潜在的な魔力はよほどのものと見える」
ドラゴンとその傍らに佇む少年とを見比べ、ゴルドーは感心したように呟いた。
「……理屈なんざどうでもいい。汚え手で触んな」
イリスの手をとり、銀が男をにらみつける。
「ふむ……。鉄が気まぐれなのはわかっているし、吸いカスでは相手になりそうもないな。よかろう」
言葉の終わりとほぼ同時に、ゴルドーの全身から、赫い光が立ち昇った。
それはフォルティスの変身とはまた異なる経過で胸部に少女の苦悶のレリーフ浮き彫りを持つ甲冑を形成すると、やがて背中に集束し、三対の翼状に広がる。
「これぞ我が真の姿……〈超越者〉」
槍を手にした有翼の騎士は、そう名乗った。




