第二十三話「契約」
「……何があったか、という話だったわね」
気を取り直し、イリスが口を開いた。
「おう」
「ベルンと言うウァリドゥスと闘って、追い詰め――」
みなまで言わせることなく、銀チョップが彼女を遮った。
「何やってんだおめーは」
「何って……あなたを――」
「あの後解り合ったからいいんだよ。向こうから手を出してきたか?」
「いいえ……」
「なら、おめーが百パーセント悪い」
「うっ……」
断言され、イリスはまともに蒼くなった。
「と、いうことは……」
蒼くなったまま、居間の一角に視線を走らせる。
真紅の宝石を持つ、一振りの西洋剣。ベルンが手にし、そして落としていったものだ。
「あれ?そいつぁあいつの……確か〈紅啼〉とかいったか?」
「もしかして、銀に譲るつもりだったのかしら……」
視線を追って首をかしげた銀を見、呟く。
「考えてみれば、剣士でもない彼女がヴァルターの剣を持っていること自体、おかしいと思うべきだったわね」
「……やっぱおまえ、思慮浅いんじゃねーか?思い込みで突っ走んなよ」
「……ごめんなさい」
一度ならず二度までも同じことを言われると、さすがにぐさっとくる。
「解ればいいんだよ。で……その後に何があったんだ? あいつにびびったとは思えねーんだよな」
「ええ。その……勘違いで彼女を追い詰めた後、私の敵が来たの」
「敵?」
「私の……一族を、滅ぼした男よ。名はゴルドー、幼い頃のことだったから、今になっても、その男は怖い。時々思い出して夢に見てしまうの」
「それ、真祖って奴か?」
一族と言うくらいだ、苦戦した様子も匂わせずベルンを追い詰めたと言うような、イリス並みの戦闘能力を当然のように持っている集団なのだろう。それを滅ぼしたとなると、以前ヴァルターたちに聞いた「恐ろしい力」というものが引っかかってくる。
「知っているの?」
「詳しくは知らねーけど、べらぼうに強いって話だな」
「ええ。でも、もう私に恐怖はないから」
「……恥ずかしいことばっかよく言えるなおまえ」
わずかに紅くなり、イリスを遮る。その先に何が続けて言われるかは、大体今までの言い草で予想できる。
「ふふっ……。一つだけ、聞かせてもらえる?」
「ん?」
「あなた、お母様――美祈のことを、どう思っている?」
「え? ……なんで名前知ってるんだ?」
いきなり名指しで母親のことを訊かれ、銀は思わず首をかしげた。
「あなたが帰って来るのを待つ間、彼女の部屋の中を掃除していて知ったの。……貴重品は、整理して、机の上に載せておいたから、後で見るといいわ」
「ああ……って、まさか徹夜したのか?」
「……そうね。寝付けなかったから」
「…………うえ」
またもや後ろめたくなってきた。
「――教えてくれる?」
「あ、ああ……」
妙にこだわっているような、イリスの態度には、釈然としないものがあったが、口をつぐむ理由もない。
「……大切な人だよ。もう、死んでていないけどな」
恥ずかしいセリフだ。二度と口に出せそうもないような気はするが、紛れもない本心だった。
「そう……。それを聞いて、きっと彼女も喜んでいると思うわ」
小さく、イリスは呟いた。
「なんでそんなこと言えんだ?」
「さあ、なぜかしらね。それより……眠い……わ」
こぼれたあくびが、ふう、と銀の首筋にかかる。
「寝ればいいだろ」
「ここは……厭。ベッドに、連れて行ってくれない?」
「ぜーたくなやつ。別にいいけど――!」
イリスを抱き上げようとしたとたん、銀の全身に震えが走った。
「ち、くしょ……来やが……た……ッ!」
「銀!?」
事態の深刻さに気付くと、イリスは即座に立ち上がり、倒れ込んだ銀の傍らに寄り添った。
「何が――どんな症状が起こっているの」
「あ……とで、せつ、め…………す……っ!」
「銀!」
数分後――。
「…………あー、苦しかったぜ……」
ぼやくのもそこそこに、銀は空気をむさぼった。
実際には時間はほとんど経っていないはずだが、その間に日が暮れたこともあり、随分と久しぶりな気がする。
「……よかった」
傍らには、胸をなでおろすイリス。
「大事をとって、部屋で横になった方がいいわ。立てる?」
「ああ、大丈夫。これって後ひかねえから」
「無理しないの」
立ち上がろうとする銀に寄り添い、肩を貸す。
「いいっつーのに……」
銀はぼやいたが、結局、部屋まで運ばれる羽目になった。
「説明、してくれるわね?」
「ああ」
名無しの少女から聴いた内容を銀から聞かされ、イリスは表情をかげ翳らせた。
「……そう、だったの。道理で……。考えてみれば、あの時の銀の行動は吸血鬼そのものだったわね」
「ああ。心配かけて悪かったな」
頷く銀の手が、イリスに向かいごく当然のように伸びる。
「……ひん」
イリスが銀の名を呼んだ。
別に馬の鳴き真似ではない。銀の手によって、頬を左右に引き伸ばされ間抜けな顔を強いられているため、まともな発音ができないのだ。
「なんだ?」
「にゃれ?」
「……ああ『なぜ?』か。もうおまえの暗い表情は見飽きてるからやめさせようと思って。どうせまた自分を責めてんだろ? マイナス思考もそこまでくりゃほとんどビョーキだよな」
「れほ……」
反論しかけて、イリスは思わず顔を歪めた。
可笑しい。確かに、こんな間抜けな状態では、暗い表情など続けられるわけがない。
「ふぁへらは」
両手を挙げ、降参の意を表する。
「お、大丈夫らしいな」
「……前も言ったと思うけれど。あなた、馬鹿よ。自分を「殺し」た相手に気を遣うなんて」
「るっせーな」
笑みを含んだイリスの言葉に、銀はふてくされてそっぽを向いた。
「……前言を撤回させてもらうわ」
「へ? 前言?」
「この前はあなたに殺されてもいい、と言ったけれど。やっぱり、あなたのためには死なない。だって――」
イリスは長い髪をかきあげ、あらわにした白く細い首筋に銀の頭を引き寄せ、耳元でささやいた。
「私は、あなたと生きていくから」
「え……えと、あのっ、い、いいのか? 血……」
優しく柔らかな響きを帯びたイリスの告白にまともに戸惑い、銀は辛うじてそれだけ訊いた。
「ええ。……でも、いつも私は吸う側で、吸われるのはこれが初めてなのよね。吸われる側の気持ちが解ったわ」
イリスは微かに震えていた。
「あー、その……優しくするから」
皮膚、皮下脂肪、筋肉、血管壁を破って、外出血を促すために咬みつく。それは間違いなく痛い。優しくする意味など全くない。それくらいは吸血初心者の銀にも判る。
馬鹿なことを言っているとは思いつつも、銀はイリスが少しでも安心できるよう、その背に両腕を回して抱き寄せ――一呼吸で首筋に牙を埋め込んだ。
「ん……」
イリスは反射的に身をこわばらせ、小さく震えたものの、やがてそれも時間の経過と共に弱まり、消えた。単に緊張が緩んでいっただけであって、もちろん死の兆候ではない。
何度か喉を鳴らすと、銀はイリスの首から口を離した。解放された首から見る間に牙の痕が消え、ふさ塞がる。
「痛く……なかったか?」
「大丈夫。牙の入ってくる感覚が怖かっただけだから」
その感覚を反芻するように、牙の食い込んだ辺りを指でなぞりながら言うイリス。
「そっか、良かった」
安堵のため息を吐くと、銀はばたっと仰向けにベッドに倒れこんだ。吸血などという、本来の嗜好に合わない行動をしてしまったので、精神的な疲労が大きいのだ。
「むしろ……嬉しかったわ」
「へ?」
「銀が、赤ちゃんのようで。授乳する母親というものは、皆ああいう気持ちになるのかしら」
「ったく、いつまでもガキ扱いすんなよ」
「していないわ。私、幼児性愛の気はないもの」
「ぺど……? え」
奇妙な響きを持つ単語の意味を問おうと、わずかに上体を起こし視線を向け、銀はそのまま固まった。
衣擦れの音と、何か軽いものの床に落ちる音が、同数。それが、奇妙なほどはっきりと聞こえる。
白金の美貌。今それを飾るのは、窓から差し込む蒼白い光だけだ。
「お、おい…………何、を……」
空恐ろしいほど胸の鼓動が高まり、平常心を保てない。ほとんど片言でそう訊くのが精一杯だった。
「今度は、私の番……。ちゃんとわからせて。私はもう独りではないんだ、って」
衣服と共に外面さえも取り払ってしまったのか、数秒前とは別人だった。凛とした大人の女性の姿はそこにはなく、親とはぐれて怯えきった迷子の少女がいるだけだ。
「……照れてる余裕って、おまえにゃねえんだろうな。いいぜ、オレのできることなら、してやるよ」
銀は立ち上がって歩み寄ると、イリスを抱き寄せ、ぎこちないながらもそっと唇を重ねた。




