7. 初休暇①
東京ドーム十個分の広さを持つ、日本最大級の拠点。
地上とつなぐゲート三つのうち、一つがここにある。
四方を山や川に囲まれた天然の要害であり、大規模な魔物の襲撃を防いだことがある。
通りには武器屋、修理工房、薬品店、簡易宿が並び、夜だというのに人の流れが途切れない。
傷を負った攻略者を乗せた担架が通り、その横で新人らしい集団が地図を広げて騒いでいる。
必要なものは何でも揃い、最先端のダンジョン技術の研究も行われている。
多くの攻略者が第二の故郷と呼ぶ拠点。
それが、ポイント中野だ。
――――――
防衛任務の終了から二日が経った。
川下で見つけた集落のことは、引き継ぎの場で隊長が次のチームへ伝えることができた。
隊長も桜さんも、必要な情報は残したと言っていたが、あの集落の影は頭の端に引っかかったままだ。
そんな状態で、俺は吉彦さんの馬車に乗って、約一ヶ月ぶりにポイント中野へ戻っていた。
もちろんクビ、ではない。
新人は最初の一ヶ月を終えると、一週間のリフレッシュ休暇が与えられる。
拠点に帰還したその日、そう聞いた俺は、待機していた吉彦さんの馬車に単身で飛び乗った。
移動に片道約二日かかるため、休暇は実質三日間。
いくつかお使いもあるから、のんびりはできなさそうだが——
半年間拠点に缶詰だと思っていた俺にとっては、かなり喜ばしい休暇だった。
ポイント中野に到着したのは完全に暗くなってからだった。
地上に戻る前に行っておきたい場所がある。
歓楽街にある居酒屋。
吉彦さんから「新人が集まる」と聞いた店である。
久しぶりのポイント中野。
相変わらず肩がぶつかるほど人通りが多い。
しかし、なぜだろうか。
半分くらいの人が俺を避けるようにして立ち止まったり、道を譲ったりする。
移動の間はタオルで体を拭いただけ。
一応、服の袖に鼻を寄せてみる。
……臭くはない、はずだ。
腑に落ちないが、ひとまず歩き続けた。
歓楽街の通りにさしかかる。
ネオンはないが、看板は派手で、賑やかだ。
少し歩いて、目的の居酒屋《潜火亭》へとたどり着く。
少し年季が入った暖簾をくぐると、久しく嗅いでいなかった酒の匂いがした。
店内は思ったより広い。
ダンジョンの居酒屋らしく、壁には、額に入れられた剣や盾が飾られていた。
「結人、やっぱり来たわね!」
店内を見渡す前に、声をかけてきた人物がいた。
一ノ瀬雪乃。
長く整えられた黒髪と、すっと通った鼻筋が印象的な正統派の美少女。
ただ、黙っていれば近寄りがたい雰囲気なのに、俺を見るなり遠慮なく手招きしてくるあたりが雪乃らしい。
彼女は養成学校時代の首席でライバル。
そして、俺の一番の親友だ。
雪乃は俺を手招きして、隣に座らせた。
同席しているのは海斗と茉莉花。
二人とも養成学校で仲が良かった同期だ。
たった一ヶ月ほど会っていなかっただけだが、ずいぶんと懐かしい。
「その雰囲気!少し匂うわね――」
そう言って雪乃が鼻をつまんだ。
やっぱりそういう意味か。
そんなに汗はかいていないはずだが……。
俺は反射的に袖の匂いを確かめた。
そんな俺を見て、海斗が笑って言う。
「違うぞ、結人。前線の匂いってやつだ。なんとなく近寄りがたい雰囲気。お前も分かるだろ?」
前線の匂い、そうか。
養成学校時代、前線にいた攻略者からは、常に周りを警戒しているような、独特の雰囲気を感じることがあった。
入り口の位置を確認する。
背後の足音に反応する。
隣の席の剣の置き方を見る。
俺たちが冗談交じりにそう呼んでいた癖が、自分にもついている。
言われて初めて気づいた。
俺も、もうそっち側なのか。
俺は少しだけショックを受けた。
「まぁ気にする必要はないから。私も言いすぎたわ、結人」
普通にショックを受けている俺を見て申し訳なく思ったのか、雪乃がうつむく。
まぁ……実際に前線にいたのだから仕方がない。
俺は切り替えるために、雪乃の前にあったエールをひと口あおった。
一瞬だけ、雪乃が目を丸くして固まる。
それから何か言いかけて、結局、何も言わなかった。
雪乃はニコッと笑い、俺の肩を叩く。
そこからしばらくは近況報告だ。
三人ともそれぞれ別々の拠点に赴任している。
護衛任務や偵察任務など、まだまだ戦闘以外の任務が多いらしい。
その話を聞きながら、俺は川下で見た集落の影を思い出していた。
同じ官属攻略者でも、見ている景色はずいぶん違う。
ここまで二日かかる俺が来ることを見越して、今日は集まってくれていたようだ。
「地味な仕事だよ。せっかく養成学校を出たのに偵察ばかり。俺たちのチームは一般攻略者の討ち漏らしを倒してまわるだけさ」
そうぼやく海斗を、茉莉花がなだめる。
会話の内容よりも気になったことがある。
……前に会ったときよりも二人の距離が近い。
これはようやく、か。
黙って二人を交互に見つめると、
「そ、そうよ。私たち付き合ったの」
茉莉花は観念したように両手を上げた。
二人は養成学校の入学後すぐに両片思いになった。
それから何度もすれ違い、そのたびに俺は相談に乗らされてきた。
両方から恋愛相談を受けるうちに、もう実らないと思っていたが。
ここに来て、ようやく付き合うことになったのか。
「で、どっちから?」
「俺から。なんて俺たちのことはいい。次はお前らの番だろ?」
「「いや、俺(私)たちはそんなんじゃない!!」」
俺は思わず立ち上がる。
隣を見ると、同じ高さに雪乃の視線があった。
恥ずかしくなって、お互いすぐに腰を下ろす。
目の前で二人が爆笑していた。
「分かってる、分かってる!お前らは違うんだろ?」
俺たちは二人して黙り込む。
酒は入っているが、酔っ払うほどではない。
ここで口を開けばさらに追撃されることは、分かっている。
「まぁお前たちにはお前たちの距離感があるからな」
海斗はそう言って茉莉花のほうを向き、微笑み合った。
幸せそうだ。
とはいえ、実際のところはどうだろうか。
俺は雪乃のことが好きだ。
親友としてだけじゃなく、たぶん、ちゃんと恋愛的な意味でも。
だが同時に、親友としての雪乃も大好きだった。
俺は鈍感じゃない。
雪乃もおそらく俺のことが好きだ、と思う。
だが今の関係性のことを思うと、一歩を踏み出すことが難しい。
二人とも攻略者で、俺は前線にいる。
恋人になれば、親友という関係性は少なからず変わるだろう。
その後は和やかに時間が過ぎ、二時間ほどで解散することになった。
「結人は、あと三日だけ……?」
「あぁ。あそこまで二日かかるから」
明日の朝から旅行に行くという海斗と茉莉花を見送り、久しぶりに二人で会話をする。
つい一ヶ月前までの研修期間は、こうして二人で、よく話をしたものだった。
「前線、どうだった?」
雪乃の声は、さっきまでより少しだけ低かった。
「大変ではある。まぁ、やっていけないほどじゃないけど」
防衛任務のことは言わなかった。
言えば、雪乃はきっと心配する。
そして俺は、その心配にうまく答えられる自信がなかった。
「そういう言い方をするときの結人は、だいたい無理してる。大丈夫って言わないときほど、だいたい大丈夫じゃない」
雪乃が右手を強く握るのが見えた。
「……やっぱり私も行くんだった」
「前線に行ったら、相手は選べないぞ」
俺が前線を希望すると伝えたとき、雪乃も前線を希望すると言い張った。
だが、雪乃には苦手なものがある。
養成学校の模擬戦で、獣型の魔物を模した訓練用ゴーレムが出たことがあった。
雪乃は誰よりも早く弱点を見抜いた。
それでも、最後の一撃だけは振り下ろせなかった。
犬や猫を見かけると、つい足を止めてしまうくらい動物が好きな彼女は、獣型の魔物を攻撃したがらない。
それは弱さではなく、雪乃が自分で選んだ線引きだった。
雪乃は少しの間、俺の右肩を強く掴んだ。
力は強い。
だが、俺の肩を掴むその手は、思ったより小さかった。
「……また、今度!」
「あぁ。またな」
雪乃は少し無理をしたような笑みを浮かべてから、宿屋のほうへ向かっていった。
数日前、隊長と朔真さんが話していた家庭の話を思い出した。
ダンジョンに命を預ける人間が、誰かと約束をする。
それがどれだけ難しいことなのか、今なら少しだけ分かる。
いつか彼女に告白する日が、来るのだろうか。
それとも、その前に俺はまた前線へ戻り、何かを置き去りにしてしまうのだろうか。
雪乃の背中が人混みに消えるまで、俺はその場から動けなかった。




