6. 防衛任務②
翌日、任務二日目。
雫さんと、ひよりさん、そして俺の三人で、西側にあるという川に向けて出発した。
夜番を務めた二人が休む間、調査地点の監視は朔真さんだけになる。
作業員三人を抱えたまま、一人で周囲を見張るのは普通なら避けたい形だ。
それでも川を見つけることの優先度が高い、というのが桜さんや隊長の判断だった。
何かあったときはルシファーが呼びにくることになっているが――。
まぁ、あの三人なら、何かがあっても対処できるだろう。
「つまらない景色ですねぇ」
先頭を歩く雫さんが、小さくぼやいた。
どこまでも変わらない草原の景色。
昨日は気持ちよさを感じたが、ここまで変わらないとさすがに飽きが来る。
気持ちいいが、退屈だ。
それが、逆に落ち着かない要因でもあった。
「……魔物もいない」
「森もないですからね」
サポート役のひよりさんが握っているのは、杖ではなく剣。
今日は戦いたい気分だというが……。
ひよりさんが剣を持って素早く動く姿は、正直想像しづらい。
やる気があるのは結構だが、なぜこのタイミングにやる気を出したのかは分からなかった。
結局、その後は一度も接敵せず、一時間ほど歩いて川に着いた。
拍子抜けするほど、平和な場所だ。
「川……まぁ、これも川ですね」
雫さんが呟いた。
幅は二メートルもない。
浅く、底の石が透けて見えていた。
川は川だが、想像していたものとはまるで違う。
これを頼りに魔物の動きを読むのかと思うと、少し肩透かしだった。
「ところどころ草が踏み倒されていますから、魔物も来るのでしょう」
「川をたどってみますか?もしかしたら森が見つかるかもしれません」
俺の提案を聞いた雫さんが、あからさまに嫌そうな顔をする。
無駄足になる可能性が高いと思ったのだろう。
雫さんは視線を俺からずらして、ひよりさんを見た。
普段なら楽をしたがるひよりさんだが——
今日は珍しくやる気がある。
嬉しそうに首を縦に振ったひよりさんを見て、雫さんはため息を吐いた。
「……行きましょう」
少し休憩してから、川上のほうへとまた一時間ほど歩いた頃、ようやく森が見えてきた。
八王子大森林と違って木の丈が低い。
小さな森に見えたが、妙に奥行きがあるようにも感じる。
「……集落がありますね」
森の入り口付近に、集落と思われる構造物があった。
もちろん人間のものではない。
ゴブリンか、あるいはオークか。
とにかく、魔物の集落だ。
「嫌な予感がしてたんですよ。もうっ、ひよりのせいですからね」
「……決めたのは、雫」
見つけたからには放置するわけにはいかない。
規模や危険度を把握するためにも、偵察する必要がある。
俺たちは集落の死角から、少しずつ近づいていった。
集落の姿が、次第にはっきり見えるようになる。
俺は思わず息を呑んだ。
想像していたよりも、はるかに“できすぎている”。
なかなか見かけない、立派な集落だ。
「雫さん、ここを調査地点にしたほうがよくないですか」
つい、心の声が漏れた。
調査地点はもちろん、本拠点の宿舎よりも立派な建物まである。
「本当に、それもありかもしれません」
「えっ?」
「見てください。オークの姿が見えません。どうやら放置された集落のようです」
雫さんの言う通り、オークは一体もいなかった。
集落の規模に対して、あり得ないほどに静かだ。
狩りに出ているだけでは——と一瞬思った。
だが、そうではないようだ。
ここまで整った集落なら見張りがいるはずであり、もぬけの殻になることはない。
俺たちは警戒を続けながら、慎重に集落へと足を踏み入れた。
「……戦いの跡」
「これは――縄張り争いですね」
雫さんが冷静に分析する。
死体はない。
だが、地面には黒く染みついた血が残っていた。
焦げた木材の匂い。
踏み砕かれた土器の破片。
途中で放り出された獣の骨。
生活の跡は残っているが、それを力ずくで壊した何かがいる。
建物には、刃物で抉られたような傷がいくつも残っていた。
「調査地点を襲ったオークの集落でしょうか?」
「おそらく、そうでしょう。数を減らしていたところを狙われた。ただ集落が放置されているのは気になります。ここで終わりにして、報告に戻りましょう」
立派だからこそ、放置されていることに違和感が残る。
ここを襲った“何か”は、集落を必要としない存在、ということだ。
一転して、帰りの足取りは重くなった。
詳細はまだ不明だが、集落を襲った何かは、調査地点にとっても十分脅威になり得る。
二日目にして、ようやく理解した。
これはただの“守る任務”じゃない。
見えない場所で魔物の勢力が変わり、知らないうちに安全圏が削られていく。
気づいたときには、守るべき場所のすぐそばまで危険が来ている。
複雑で、不可抗力の要素が多い。
そんな任務だ。
――――――
四日目の午後になった。
三日目の昨日は午前と夜に調査地点での監視任務があったため、今日の午前中はタープの下で仮眠をとった。
体力に問題はないが、気疲れが大きい。
風に揺れる草原を、ただただ眺め続ける。
何も起きない。
だが、気を抜くこともできない。
まばたきの回数が増える。肩が固まる。
探知器が少し揺れただけで、心臓が余計に跳ねる。
監視任務は、思っていた以上に精神を削ってきた。
寝不足だが、監視任務の後は、とにかく体を動かしたい気持ちが強かった。
任務も折り返しを過ぎ、割とやる気に満ちている。
二日目と同じメンバーに桜さんを加えて、俺たちは森へと向かった。
使い魔を使役する桜さんは、二日連続の森だ。
「さぁ、今日も気合いを入れて行きますよ!」
テンションが高い。
格好も、森に偵察へ行くというより、近所へ散歩に出るような軽さだった。
「ハイキングです、ハイキング!」
昨日は午前中から一日森の中を歩いたが、ルシファーを使っても、ゴブリン一体すら見つけられなかったらしい。
森は魔物の住処だ。
ゴブリンすらいないのは、明らかに異常だった。
平和な森は喜ばしいはずだが、さすがに退屈だ。
昨日は真剣モードだったらしい桜さんも、今日は一転、ピクニック感覚で森を楽しむつもりでいる。
俺たちは念のため武器を持って警戒しながら、森の中をひたすら歩いた。
だが、ルシファーにも、腰に下げた魔力反応探知器にも全く反応がない。
そのまま正午を過ぎ、夕方が近づき——
俺たちは異常な静けさを気にしながらも、暗くなる前に調査地点に戻ることにした。
確かに桜さんの言う通り、ただのハイキングだった。
ただし、普通のハイキングなら、鳥の声や小動物の気配くらいはある。
ここには、それすら薄い。
あまりの退屈さにひよりさんが耐えられず、帰りは雫さんがひよりさんをおぶって戻ることになった。
草原でも森でも、何も起こらない。
平和だが、来る前に思っていたのとは違う形の過酷さがある任務だった。
――――――
六日目。
桜さんたちは五日目となる昨日も森に出かけたが、何の収穫も得られなかったらしい。
俺たちは、もはや、何も起きない状況に慣れてきた。
魔物が現れないのであれば、ただ、のどかな場所だ。
『死なない、死なせない』という信念からすれば、もってこいの場所だが——
気がおかしくなるような退屈さまでは望んでいない。
「さぁ、行くぞ」
今日は隊長と朔真さんと俺の三人で、これまでとは逆に、川下のほうへと歩いてみることになった。
任務を告げた張本人である桜さんはいない。
曰く、足が疲れた、とのことだった。
前線では聞いたことのない理由だったが、隊長もすんなりと受け入れた。
今日は長距離歩くことを想定して、三人とも軽装だ。
明日は引き継ぎ日だから、今日が実質最終日のようなもの。
消化不良の数日を過ごしたのもあって、俺は気合いが入っていた。
「ひよりのやつ、夜番に立候補したのはこういうことだったか」
朔真さんが恨めしそうに吐き捨てた。
夜番は交代制だが、立候補すれば入れ替わりで担当することができる。
昨晩は本来朔真さんと雫さんが担当だったところ、ひよりさんが立候補して担当することになった。
任務内容を知らされたのは今朝だが、ひよりさんは長距離歩くことを知っていたのだろう。
ぼーっとしてそうに見えて、意外と策士なのだ。
「朔真、そう言ってやるな。草を眺めているだけよりもこっちのほうがマシだろう?」
「まぁ、確かにそうですが……」
隊長に諭されても、不満そうな顔を隠さず歩く朔真さんだったが、俺は少しテンションが上がっていた。
なんといっても、今日は男三人だ。
恋愛話に、噂話。
隊長も意外と話好きらしく、すぐに話に花が咲き始める。
張り詰めた空気の中にいたせいか、そのくだらない会話が妙にありがたかった。
ここが前線であることを、ほんの少しだけ忘れられる。
「家庭はうまくいってるか、朔真」
「はい。ダンジョンにいても手紙でやり取りしています。それに地上に戻れば三歳の娘がべったりで。こんな話をするのは照れくさいですが……」
幸せそうに朔真さんが答える。
娘さんは三歳か。
寂しいだろうが、強くて格好いい朔真さんは、きっと娘さんにとって自慢のお父さんだろう。
そんな人が、こうして前線で普通に笑っている。
その事実が、少しだけ不思議でもあった。
「結人はどうなんだ?」
「そうですね。結人の話は聞いたことがありませんでした」
今度は矛先がこっちに来た。
今彼女はいないが、彼らが求めているのはそんな答えではないだろう。
「彼女はいませんけど、気になっている同期はいます」
もちろん根掘り葉掘り聞かれた。
彼女は養成学校の同期であり、親友ともいえる存在だ。
最後に、俺が隊長に話を振ると、
「五年前に離婚した。俺はダンジョンに命を捧げたんだ!」
投げやりな感じで隊長が言った。
朔真さんと俺は、思わず笑い合う。
そんな馬鹿げた話を数時間続けた。
隊長と朔真さんとの仲はかなり深まったが、相変わらずの光景がひたすら続く。
諦めムードが広がり、そろそろ引き返そうかと話をし始めた頃。
最後尾を歩いていた朔真さんが、俺たち二人を呼び止めた。
「二人とも、これを見てください」
朔真さんが指を差す。
今いる場所とは、反対側の川辺。
草が踏みつぶされてできた獣道、だろうか。
幅は一メートルほどしかない。
だが、道は道だった。
「獣道か」
「はい。たどってみる価値はあると思います」
普段ならそれほど気にするものではない。
だが今日初めて見つけた魔物の痕跡だ。
隊長の指示で、今度は獣道に沿ってしばらく進むことになった。
五分ほど進んだところで、まず煙が見えた。
細い灰色の煙だ。
次に、そこそこの高さの柵。
その奥に、粗末な小屋の影がいくつも並んでいる。
川上で見た放棄集落よりも、ずっと大きい。
その奥で、何か大きな影が動くのも見えた。
「本命は……こっちだったか」
隊長は苦い顔をして舌打ちした。
すでに日は傾き始めている。
夜間偵察は危険が大きい。
調査地点まで距離も離れており、これ以上の偵察は現実的ではなかった。
「隊長、どうしますか?もう少し近づけば魔物の種類だけでも把握できると思いますが」
朔真さんの提案に、隊長はしばらく考え込む。
ゴブリン系統の魔物のようだが、ここからはシルエットしか見えない。
隊長はリスクとリターンを頭の中で天秤にかけているのだろう。
「……撤退しよう。ここから集落まで障害物がほとんどない。偵察するにしても時間がかかるだろう。……こうなるなら桜を連れてくるんだったな」
確かに桜さんとルシファーがいれば選択肢は広がったが、すでに後の祭りだ。
隊長は素直に撤退の判断をした。
「調査地点まではかなりの距離があります。ここから襲ってくることはないと思いますが」
「普通はな。だがオークの集落はどうだった?仮にここの連中が襲ったなら調査地点どころかポイント八王子も危ういぞ」
朔真さんの言葉を隊長が一刀両断する。
直線距離で考えると、オークの放棄集落よりも調査地点のほうが近い。
ポイント八王子まではまだ距離があるが、もしここの魔物が放棄集落まで遠征していたなら、ポイント八王子も絶対に安全とはいえない。
俺たちは、何度も集落の影を振り返りながら、調査地点へと歩き始める。
明日は任務最終日。
俺たちがもう一度、ここに来ることはできない。
嫌な予感と、妙な寒気がした。
行きと一転して、帰り道は会話が少なかった。
これ以上調査ができないことは引っかかるが、変わらない景色の中で、この場所を見つけたことだけでも十分な成果だ。
そう頭では分かっている。
それでも、背中に残る寒気は消えなかった。




