3. ALPHAチーム
気づけば、前線に来てから一週間が経っていた。
拠点は相変わらず賑やかで、それでいてどこか拍子抜けするほど落ち着いていた。
朝は意外と寒く、上着がいる。
食堂は遅い時間だとおかずが少ないことがある。
そんなことを一つ一つ覚えることで、ようやくここでの暮らしにも慣れてきた。
任務は地味なものばかりだった。
小規模な魔物の群れの間引き、見回り、資材運搬の護衛――。
だが、その内容に反して疲れはたまる一方だった。
何も起こらない時間ほど、気を抜けない。
茂みが揺れれば手が剣に伸びるし、探知器が少し震えただけで息が浅くなる。
肉体的というよりも、精神的な疲れが大きい。
最初は桜さんのテンションを鬱陶しく思っていたが、むしろ今は気分を引き上げるためのスパイスになっている。
だが、まだ一週間。
息抜きを覚えれば、暮らしももう少し快適になるだろう。
――――――
日が傾き始めた午後。
ALPHAチームは、宿舎にある会議室に集まっていた。
木でできた長机に椅子があるだけの部屋。
壁には拠点を中心とした大きな地図が貼られており、最新の情報が手書きで書き加えられている。
「朔真さんは明後日帰ってくる予定です」
会議は、チームの頭脳である桜さんがリードする。
今日はかなりの真面目モードだ。
ALPHAチームで唯一、まだ会ったことのない朔真さん。
後衛火力を一手に担う、チームの要の一人らしい。
「ようやくか。BRAVOチームもずいぶん長く借りていったもんだ」
聞こえてきたのは、低く、よく通る声だった。
ALPHAチームの隊長、九条仁。
彫りの深い顔に、きれいに整えられたあご髭。
歳は五十手前だというが、背筋に緩みはない。
彼が口を開くと、自然と全員の視線が集まる。
前線に長くいる人間特有の、無駄のない気配があった。
「前線はどこも人手不足ですからね」
雫さんがのんびりとした口調で話す。
朔真さんは人員不足だというBRAVOチームの助っ人として、中期任務に出かけているらしい。
「……あいつはいなくても大丈夫」
「そんなことを言ってやるな、ひより」
机に肘をつき、あくびをしながら茶々を入れる女性。
回復やバフを担う瀬名ひよりさんだ。
俺より少し歳上の彼女はポニーテールの美人さんで、常に眠そうに目元を擦っている。
だが任務中は誰よりも味方の消耗に敏感で、支援の判断が早い優秀なサポート役だ。
「……もう、結人がいるから」
ぶっきらぼうな言い方だが、あれでも一応は評価してくれているのだろう。
昨日の任務で、俺は後衛を務めた。
嬉しいが、単なる褒め言葉ではないことも分かる。
「結人くんの後衛は及第点ギリギリ。悪くはないですが、物足りないですね」
雫さんが、何食わぬ顔で厳しい指摘をする。
剣も魔法も使う俺は本来、中衛のポジションだ。
中衛は、よく言えば万能、悪く言えば器用貧乏。
俺としても足を引っ張っている自覚はあるが……。
本職に比べて実力が劣るのは当たり前。
それに養成学校を次席で卒業しても、実際の現場ではただの新人でしかない。
悔しくはあるが——
変に気を遣われるよりも、正直に言ってもらったほうが気が楽だ。
それに、こういう率直な意見を遠慮せずに言えるというところが、雫さんが副隊長たる所以なのだろう。
「新人にしてはよくやってるほうだろう。潰してやるなよ、雫」
「もちろんです。朔真くんが帰ってくれば結人くんも本来の立ち位置でのびのびできるでしょうから」
雫さんは、ちらりとこちらを見た。
彼女は俺の教育係だ。
研修期間中にもパーティー行動のいろはは学んできた。
だが、拠点ごとに、もっと言えばパーティーごとに様々な流儀がある。
「では、任務の話をしましょう」
会話が一段落したのを見て、桜さんが再び話を本題に戻した。
机に体を預けて眠る態勢をとっていたひよりさんも、背筋をやんわりと伸ばす。
「我々に防衛任務が回ってきました。期間は二週間後から一週間。どんな場所かは朔真さんから聞けばいいでしょう」
「朔真ということは西の調査地点、か」
調査地点とは、次の拠点を築く足がかりとして作られる、超簡易的な拠点のことだ。
それにしても、防衛任務か。
経験はないが、噂は聞いたことがある。
数多くある前線任務の中でも、防衛任務はかなりしんどい部類に入るらしい。
守る任務では、敵が来る時間も数も選べない。
教官が言っていたそんな言葉を、ふと思い出す。
「メインで戦うことになるのはゴブリンとオーク。変異種が現れることも想定されます」
ゴブリンとオーク、それに変異種か。
ゴブリンとオークはどこでも見かける魔物だが、変異種となれば話は変わる。
変異種は通常個体とは段違いの強さを持っている。
大半の攻略者は、遭遇しても戦闘を避ける。
そんな相手のはずだが、変異種と聞いても、メンバーの表情が変わることはない。
「いつも通り、だろ」
「はい。基本は討伐。そして撤退する場合の判断は隊長に一任されています」
俺には分からない“いつも通り”。
なんとなく内容を察しながら、話を聞く。
地図の赤い印。
調査地点の呼び名。
変異種が出たときの撤退基準。
この一週間で馴染んだつもりでいたが、会議の机に座ると、自分だけが一歩遅れていることを思い知らされる。
きっと今日も会議が終わった後で、雫さんが分かりやすく説明してくれることだろう。
しばらくして防衛任務の話は終わり、隊長が会議を締めにかかる。
「朔真には悪いが早速明後日から訓練だ。桜、ゴブリンの変異種討伐の依頼を回しといてくれ」
「簡単に言いますね……!そんな依頼が都合よく転がっているわけないじゃないですか!!!」
「まぁ、なんだ。桜ならうまくやってくれるだろ?」
桜さんが、ふんす、といった感じで立ち上がり、普段の調子に戻る。
長期任務から帰ってきてすぐの訓練は、朔真さんもしんどいだろうが、ここは付き合ってもらうしかない。
部屋を見渡すと、会議の終わりを悟ったのか、ひよりさんが座ったまま、こくりこくりと眠りかけていた。
雫さんが俺に目配せをしてから、ひよりさんの元へと向かう。
チームのお母さん的存在の雫さんは、ひよりさんの世話係だ。
さて、いよいよ二週間後に本格的な任務が始まる。
死なないために、一日たりとも無駄にすることはできない。
――――――
その後、しばらくして同じ会議室。
「結人さんもずいぶんチームに馴染んできましたね」
「……そうですか?」
うんうんと、雫さんが感慨深げに頷く。
知識不足を痛感したばかりで自信はないが、彼女がそう言うなら確かなのだろう。
「朔真さんともきっと気が合うでしょう」
「ですが、ひよりさんと朔真さんは仲が悪いんですよね?」
「えぇ……残念ながら。朔真さんは真面目な性格ですから、彼女のズボラさが許せないのでしょう」
脳内で、熱血男のイメージができあがっていく。
仮に朔真さんが熱血男なら、常に省エネで手抜きにぬかりがないひよりさんとは、確かに水と油だ。
前線でのチーム仲は、チームメイト以上、家族未満みたいな関係を想像していたから、正直意外だった。
「詳しいことは直前に話があると思いますが――」
雫さんの眼差しが真剣なものに変わった。
「ここでの防衛任務はなかなかしんどいですよ。我々六人で昼夜問わず警戒しながら、任務をこなす必要がありますから」
「六人ということは桜さんも?」
「はい。桜さんには戦闘以外の、偵察と哨戒任務を行ってもらいます」
わずか一週間だが、桜さんの使い魔のありがたみは、身に沁みるほど感じている。
使い魔との共闘経験は何度かあるが、事前に敵の陣容や地形を正確に知れることが、こんなにも有用だとは知らなかった。
「夜番は交代制です。夜番のあとは仮眠がとれますが、イレギュラーがあれば全員で動くことになります」
夜番か。
一気に現実味が増してきた。
体力には自信があるほうだが、夜番を挟めば疲労のたまり方も一段違うはずだ。
とはいえ、夜番の経験は何度かあるから、交代制なら何とかなるだろう。
「結人さんのほうから、何か質問はありますか?」
「質問、ですか」
ある程度説明が終わったところで、雫さんはそんなことを聞いてきた。
気になることはたくさんあるが……。
「防衛任務で、一番注意すべきことは何でしょうか」
深く考えずにした質問だったが、意外にも雫さんは難しい表情を作った。
「注意すべきこと……何事にも固執しないことです」
雫さんが少し悩んで答えたのは、割と概念的な回答だった。
会議では撤退の話が出ていた。
言いたいのは、そのことだろうか。
「調査地点がピンチになれば放棄してでも撤退する。究極は、全滅よりも一人で生き残って帰還する。そんな心構えの問題です」
「……助けられる可能性があってもですか?」
「状況を冷静に判断することが大切です。生き残って情報を持ち帰ることが、より良い結果とされる場合もありますから」
「それは――仲間を置いてでも、ですか」
自分でも、少し声が硬くなったのが分かった。
雫さんは目を逸らさなかった。
「ええ。必要なら」
迷いのない声だった。
冷たいわけではない。
むしろ、何度も考えて、何度も飲み込んできた人の声に聞こえた。
雫さんの考えは、「死なない、死なせない」という俺の信念とは真逆のものだった。
喉元まで反論が出かかったが、何も言えなかった。
このような方針で犠牲を減らしてきた歴史がある。
日本では雫さんの考えが正しいとされる。
それを俺は知っていたからだ。
命の取捨選択に、本来なら正解はないはずだ。
だが、そもそも死なせないという俺の信念も、ほかの人にとってみればエゴでしかない。
「あれ?大切なお話中でしたか?」
しばらく無言が続いた会議室に、紙束を抱えた桜さんが勢いよく入室してきた。
微妙な空気感を感じたのか、桜さんは不思議そうに首を傾げる。
「いいえ、大丈夫です」
気まずそうに答える雫さん。
桜さんが、俺と雫さんの間でしばらく視線を行き来させる
雫さんは、ほっとしたように息を吐いてから、ゆっくりと立ち上がり、部屋を後にした。
「ほう――」
桜さんは、一度大きく頷く。
俺のことをじっと見つめたあと、紙束から数枚を抜き取り、手渡してきた。
書類だ。
一ページ目の一番上には、魔物リストの文字があった。
「持ち出しには許可がいりますが、新人に周辺の魔物のことを教えると言ったら、すんなりと許可が下りました」
桜さんが得意げに胸を張る。
彼女は何でもないことのように笑っているが――
本当に何でもない、はずはない。
ネームドの情報を新人に見せる。
そのために、桜さんはきっと言葉を選んだ。
俺が勝手に探し回らないように。
そして、何も知らないまま前線に立たないように。
「あ、ありがとうございます」
漏れるように感謝の言葉を述べた。
調べてみると言ってはくれたが、正直社交辞令だと思っていたのだ。
「三ページを見てください」
「あぁ……これが冥鬼の――」
情報は少なかった。
冥鬼。
オーガの変異種。
特徴は、黒い身体と額の茶色い角。
十年前、ポイント中野から西へ十キロの地点に突如出現。
死傷者複数。
犠牲者の損傷状態が通常のオーガ被害と異なることから、知性持ちの可能性あり。
以後十年間、被害報告・目撃情報ともになし。
危険度S。警戒レベルC。
俺はたった数行を穴が開くように見つめた。
いわゆるネームドの情報は、必要ない限り秘匿される。
遭遇=死を意味する魔物がネームドであり、好奇心で一般攻略者が探すことがないようにという配慮だ。
「これは――思ってたより情報が少ない」
イラストや攻撃スタイル、行動パターン、装備。
ほかの魔物には書かれている情報が、冥鬼にはない。
「出現は一度だけ。となれば、案外こんなものかもしれませんよ」
父は死んだ。
生き残った一人も、怪我がもとですぐに息を引き取ったと聞く。
確かに、情報が少なくて当たり前だ。
「目撃情報が更新されていないのはなぜでしょうか?」
しかし、一通り目を通して俺が気になったのは、最後の一文だった。
ここを目指したのは、近くで冥鬼が目撃されたという噂がきっかけだ。
「噂は私も聞きましたが……所詮は噂です」
「それは……正確な情報ではないということですか?」
冥鬼の捜索は、ここに来た大きな目的の一つだ。
この情報だけでも、大きな進歩ではあるが……。
事実ならショックは大きい。
「これは最終的な報告書ですから。確証に至っていないか、あるいはすでに圏外に移動したのかもしれません」
桜さんが言うには、この魔物リストが更新されるのは、よほどの緊急性があるときだけらしい。
ということは、噂の真偽に関して、もう少し調べる必要がありそうだ。
「ここにある過去三年分の記録はすべて見ました。この場所で調べられるのはここまででしょう」
これがここで得られる情報のすべて。
情報量は多くないが、きっと桜さんも危ない橋を渡ったはず。
素直に感謝しかない。
だが、俺はここでは終わらない。
さらに一歩踏み込んで、質問をしてみる。
「地上ならこれ以上の情報が得られるのでしょうか?」
やはり桜さんは顔を歪める。
難しいか、と思ったが——
「これ以上知りたいのなら、さらに上を調べる必要が――いえ、立場が上がれば立ち入れる場所も増えると思いますが」
もちろん無断立ち入りはお勧めしません、という不穏な言葉を残して桜さんは部屋を後にした。
そんなつもりはない。
そう言い切りたいところだが。
紙に記された「冥鬼」の二文字から、なかなか目を離せない。
冥鬼は十年も消えていた魔物だ。
そして父を殺した、宿敵だ。
だが、まずは通常の手順で調べる。
それで十分なはずだ。
自分に言い聞かせるように、くり返し呟く。
気づけば、俺は資料の端を強く握りしめていた。




