12. 俺の任務
次の日。
目が覚めたのは、日が地平線から昇り始めた頃だった。
今日は夜番明けだ。
疲れがまだ残っているが、二度寝できそうにない。
動き出すにはまだ早い時間だが――
ふと思い立った俺は、拠点を散歩することにした。
宿舎を出ると、いつも通りの拠点が見える。
少し肌寒いが、我慢できないほどではない。
木柵をたどるように、拠点を歩く。
西側では、拠点の外を凝視する隊員の姿が見えた。
普段と変わらないように見えて、わずかな緊張感があるのを感じた。
ゆっくりと歩いて、東側にたどり着いたとき――
鼻歌を歌いながら、花壇に水やりをする少女を見つけた。
特徴的な桜色の髪――あれは間違いなく、桜さんだ。
「桜さん、おはようございます!」
「わぁっ!!」
俺に気づいていなかった桜さんが、跳ね上がって驚く。
驚かせるつもりはなかったのだが――
きっと自分の世界に入っていたのだろう。
「もう、結人さんですか!」
桜さんは少し顔を赤らめて、頬をかいた。
驚いたのが恥ずかしいのか、水やりを見られたのが恥ずかしいのか。
「こんな時間に……珍しいですね!」
「まぁ、早く目が覚めまして。体調はもう大丈夫ですか?」
話しながら水やりを再開した桜さんを見る。
少し眠そうだが、顔色は悪くない。
「元気百倍!なんですが、今日まで視覚共有を使ってはならぬ、とお医者様が」
桜さんは恨めしそうに言った。
明るく笑っているが、目の下にはまだ薄くクマが残っている。
桜さん不在で今日を迎えるのは、ALPHAチーム的に痛手だが――
昨日の消耗具合を見れば、医者の方針も理解できるというものだ。
昨日の鬼気迫る表情を見ていた身としては、桜さんの無念さも分かる。
だから、そこは俺たちが晴らすしかない。
「これを見てください!」
桜さんが指を差したのは、真っ赤な、小さな花。
草原の色に埋もれない、鮮やかな赤だった。
ダンジョン各地で見られる花だが――
こうして見ると、思った以上に美しい。
「緋鈴花です。特に何かに使われるものではありませんが――こうして育てると美しいんです!」
「確かに、綺麗ですね」
しばらく、ダンジョンの中とは思えないほど、ゆっくりとした時間が流れる。
昨日の喧騒がまるで嘘のようだった。
だが、きっとこういうものを守るために戦うのだ。
木柵や拠点だけじゃない。
誰かが朝に花へ水をやれる時間。
鼻唄を歌いながら、明日も同じ場所に立てること。
そういう当たり前を、守るために。
「結人さんならここの緑化部隊に加えてやってもいいかもしれませんね!」
「――え?」
桜さんは俺の反応を見ることなく、じょうろを持ったまま宿舎のほうへ走り出した。
相変わらずの落ち着きのなさ――
だが、日常を感じて少し安心したのは間違いない。
――――――
午前八時過ぎ。
宿舎前に集まったALPHAチームは、いつも通り今日の任務内容の発表を待っていた。
他のチームが早々に任務を確認して解散したところを見ると、俺たちだけが別の任務を与えられるようだった。
隊長が昨日言っていた通り、集落の偵察に向かうことになるのだろう。
ここで待つ四人の間に、会話はなかった。
危険な任務を前にして、程よい緊張感が漂っていた。
「お待たせしました!」
明るい声色の桜さん。
それとは裏腹に、隣を歩く隊長の表情は厳しい。
気づけば八時半前になっている。
この時間になったのは、会議が長引いたからだろう。
「――今日の任務は、俺から伝える」
隊長がみんなの表情を一度確認してから、いつもより低い声で話し始めた。
桜さんが、うんうんと何度か頷く。
隊長は相変わらず険しい表情だ。
「今日は桜が不在だ。だから――ALPHAチームは隊を分けることになった」
空気が一段重くなった。
隊長の表情が険しかった理由はこれか。
この非常事態に、隊を分ける――
隊員の命を守る隊長としては不服なのだろう。
申し訳なさそうな顔をした桜さんの肩を、隊長が優しく叩いた。
「調査任務で発見した集落の偵察は雫と朔真だ。使い魔による支援はない。十分注意して行ってこい」
偵察に向かうのは二人だけか。
確かに偵察任務は大人数で行うものではないが――
今回に限ってはかなり重要な任務だ。
それだけ二人が信頼されているということである。
正直にいえば、選ばれなかったのは悔しい。
だが少人数で行くのなら、雫さんと朔真さん以上の適任はいないだろう。
「拠点防衛は二チームに分けて行う。主力が群れをここに引きつけ、後方から別働隊が打撃を与える作戦だ。だが我々は拠点の維持にこだわらない。攻撃を加えたら一度引き、態勢を立て直す。そしてまた攻撃して、撤退。要するに――相手の侵攻を遅らせる作戦だ」
まともにぶつからず数を削り、他の拠点からの応援を待つ作戦か。
拠点に拘らないのであれば、有利な地形も選ぶことができる。
いつも通りの形で戦えば、こちら側の危険は少ない。
「拠点待機組に俺、別働隊にはひよりが加わる」
タンクを務める隊長と回復役のひよりさん。
まさに適材適所だ。
俺は話の続きを待った。
中衛の俺はどちらの可能性もある。
「結人は……」
だが、隊長が申し訳なさそうに俺を見たとき――
俺は悟った。いや、悟ってしまった。
「結人は――救援要請任務だ。目的地はポイント府中」
他の隊員が一斉に俺を見た。
驚きと、わずかな憐憫。
対する俺は、どんな顔をしているだろうか。
戦力外を告げられたのにも等しいが、意外にも冷静だった。
「府中には精鋭チームがいる。日野まで作業員の撤退を護衛し、そこから府中へ。事情を話して、必ず精鋭チームを連れてくるんだ」
精鋭チームの話は聞いたことがある。
変異種狩りや特別任務を専門とした、戦闘者集団。
通称、《黒縄》。
一般攻略者の間では、遭遇した変異種よりも彼らのほうが怖い、なんて冗談めいた噂まである。
そのチームを、俺が――
「この任務が遅れれば、援軍も遅れる。援軍が遅れれば、ここに残る連中の負担が増える。分かるな」
隊長の声が、ほんの少しだけ低くなった。
すぐに返事をすべきだったが、言葉が出てこない。
作業員が撤退の準備を始めた時点で予感はあった。
撤退するなら、誰かが護衛する必要がある。
その誰かが、新人である俺に回ってくる可能性は高いと感じたのだ。
「――分かりました」
正直、悔しかった。
ここに残って戦いたい。
仲間を置いて、自分だけ安全な場所へ向かうような気がしてならなかった。
雫さんと朔真さんは集落へ向かう。
隊長とひよりさんは、拠点でオーガを迎える。
なのに俺だけが、東へ向かう。
敵とは反対の方向へ。
せめて皆と一緒に戦って、皆と一緒に生き残りたかった。
そんな、ここに来たときには想像もしていなかったような思いが溢れ出る。
だが――俺にしかできない任務というものもある。
この拠点の戦力を考えれば、俺が行くのが最善だ。
感情では納得できない。
それでも理屈では、自分が行くべきだと分かっていた。
俺はすっかり馴染んだALPHAチームの面々を見た。
この人たちの命は俺にかかっていると言っても過言ではない。
互いを信頼している顔だった。
その中には、今や俺も含まれている。
なら、俺は俺のやるべきことをこなすだけだ。
「皆さん、ご健闘を」
「あぁ、結人くんも」
代表して、雫さんが笑って言った。
朔真さんが強く頷き、ひよりさんが視線を投げる。
そして隊長が、俺の背中を強く叩く。
ついこの間出会ったばかりなのに、ずいぶん感慨深い。
この作戦なら、すぐに戦線が崩れることはない。
防衛チームが消耗しきる前に、確実に精鋭チームを連れてくることが肝心だ。
――――――
ポイント八王子の東側の門に、五台の馬車が列をなしている。
護衛の俺を含めて、三十人ほどの集団だ。
その中に、調査地点で、夕食のときに話した直人さんの姿もあった。
どうやら無事引き上げることができたらしい。
彼は俺に気づくと、小さく頭を下げる。
生きていた。
その事実に、胸の奥が少しだけ緩んだ。
「急げー!そろそろ出発だぞー!」
作業員が荷物を次々と詰め込んでいく。
ここに残りたいと希望する者もいたが、結局柳さんの説得で作業員全員が撤退することになった。
作業員の気持ちはありがたいものだが――
非戦闘員のことを考えずに動けることは、防衛チームにとってプラスだ。
その代わりとでも言うように、作業員は時間ぎりぎりまで木柵や堀の強化を行った。
どこまで効果があるかは分からないが、防衛チームの士気が上がったのは間違いない。
「結人さん、頼みましたよ!」
見送りは、休みを厳命されている桜さんだけだった。
医者の許可が下り次第、使い魔を飛ばして偵察に戻ることになっている。
「夕方までには、必ず」
ポイント府中までは片道三時間。
早ければ夕方になる前に戻ってくることができる。
唯一の問題は、精鋭チームがポイント府中にいるかどうかだ。
いなかった場合は――
考えたくないが、探し出して連れてくることになる。
「いざというときは、私が戦いますから!!」
そう言って力こぶを作る桜さん。
細い腕だ。
だが笑顔の奥に、戦えない悔しさが残っているように見えた。
だから俺は、余計な励ましは言わなかった。
「では、行ってきます」
「はい!結人さんも気をつけて!」
小さな影に見送られて、俺たちはポイント八王子を出発した。
背後には、これから戦場になるかもしれない拠点。
前方には、連れて帰らなければならない援軍。
振り返りたい気持ちを押し込めて、俺は東へ向かった。




