9. 帰還
次の日。
俺は、ポイント中野の馬車乗り場にいた。
本来なら、出発は明日の朝だった。
だから当然、吉彦さんの姿はない。
地上のようにスマホが使えるわけでもないから、連絡を取ることもできない。
「ポイント練馬行き〜、間もなく発車するよ〜」
運送人が、行き先とともに乗客を呼んでいる。
ここに来たからには、待つという選択肢だけはない。
宿屋のベッドの上で朝を待つくらいなら、少しでも西へ進みたいのだ。
俺はさっそく運送人数人に、聞き込みをした。
ポイント八王子に関する情報を持っている者は少なく、大した手がかりは得られない。
まだできたての拠点だから仕方ないだろう。
だが、聞いた話を総合すると——
ポイント八王子への直行便はない。
中間あたりにあるポイント三鷹に行けば、何かしらの手段があるかもしれない、ということだった。
俺の鬼気迫る表情を見てか、運送人の一人がポイント三鷹までの特急便を融通してくれた。
俺は、しばらくここに留まるという何人かに、吉彦さんへの伝言を頼んで、馬車に飛び乗った。
官属攻略者の姿はなく、乗っているのは一般攻略者がほとんどだった。
みんな、それぞれの予定を語り合いながら、和気あいあいと話している。
寝不足だった俺は、ダンジョンにいるという事実に安心したのか、気づけば深く眠っていた。
眠るつもりなんてなかった。
だが、体は睡眠を欲していたらしい。
地上よりも、ダンジョンの揺れのほうが落ち着く。
そう思ってしまうあたり、俺はもうこちら側の人間なのかもしれない。
――――――
特急便は、荷馬車と比べて半分ほどの時間でポイント三鷹にたどり着いた。
到着してすぐ、俺は次の移動手段を探す。
ポイント三鷹は中級者にも人気がある、比較的大きな拠点だ。
馬車乗り場も栄えていて、そこら中で各拠点の名前が飛び交っている。
ここから西へ向かう乗合馬車に、定期便はない。
荷馬車に乗るか、運よく西へ向かう乗用馬車に同乗するしかないらしい。
「ポイント八王子か……。荷馬車も直行便はねぇな」
「そうですか……。次、荷物を運び入れる予定は?」
「明後日の朝だ。だが、それまで待つつもりはないんだろ?」
ベテランの運送人は、申し訳なさそうに頬をかいた。
明後日の朝の便は、吉彦さんの荷馬車だろう。
だが、それでは遅い。
もしスタンピードが事実だとしても、今日明日に何かが起こるとは考えづらい。
頭ではそう分かっているのだが――
頭で分かることと、待てることは別だった。
俺が休んでいる間に、誰かが異変を見落とすかもしれない。
そう考えた瞬間、明後日まで待つという選択肢は消えていた。
すぐに俺は交渉に入る。
「途中まででも連れていってもらえませんか?」
最前線のポイント八王子を単独で目指す時点で、徒歩での移動は覚悟している。
それでも、なるべく近くまで馬車で向かいたい。
「府中までなら――いや、お前さん……まさか歩くつもりだな?」
「はい。歩いてでも、向かうつもりです」
「いや、駄目だ。それなら府中までも、連れて行けん。大人しく明後日の荷馬車を待つんだ」
運送人の声が一気に低くなった。
運よく特急便に乗れたおかげで、午前中にここまでたどり着くことができた。
日が傾く前に府中か日野まで行けたら、そこから歩いて明日の朝には着くことができる。
「……分かりました」
「――いや、待てっ」
他の運送人との交渉に移ろうと背を向けると、慌ててベテランの彼が俺を呼び止めた。
「誰に交渉したところで、日野までしか行けないぞ」
「分かっています。ですがそこから歩けば、明日の朝には着けます」
「日野からでも十五キロはある。地上とは違うんだぞ?」
「それも分かっています」
彼は、説教をするかのように俺を引き止めた。
一分一秒でも惜しい。
その焦りが、声に滲んでいる自覚はあった。
それでも、抑えられなかった。
「夜間に草牙狼にでも襲われたら、命はないぞ」
「……危険なのは分かっています。それでも、行かないといけないんです」
危険は分かっている。
それでも俺は行くと言っているのだ。
いや、分かっているつもりだった。
今度こそ、次の交渉に移ろうと、背を向けかけたとき――
彼は、俺ではなく西の空を見た。
まだ昼だ。だが、八王子まで行けば確実に夜になる。
その意味を、彼は誰よりも知っているのだろう。
「俺が……ポイント八王子まで連れて行こう」
覚悟を決めた表情で、彼は淀みなく言った。
その声は低かった。
商売の話をするときと違う声だ。
周囲の運送人たちが一瞬静まる。
夜に西へ出る。
その意味を、この場にいる誰もが知っているのだ。
「ミツさん!?」
そばで聞いていた若い運送人が慌てて止めに入った。
「馬車でも八王子まで行けば夜になる。吉彦の奴でも、夜は拠点から出ないって話ッスよ!?」
「分かってるさ。だが、見ろ。こいつは止まる気がない」
若い男が睨むように俺を見た。
俺は目を逸らさなかった。
断られても歩いて行く覚悟があるのだ。
「夜の怖さをわかっちゃいねぇ……」
「そうだ。夜の怖さも知らない新人を、目の前で見捨てるわけにはいかんだろ」
「ミツさん、人が良すぎるッスよぉ……」
不思議なやり取りだった。
だが、二人の表情を見ているうちに、ようやく分かってくる。
これは単なる馬車の手配ではない。
命を賭けるかどうかの話なのだ。
「もちろん、こいつと心中する気はねぇ。護衛に双翼を連れて行く。あいつらには大きな貸しがあるからな」
「双翼……あいつらがいりゃあ、そりゃ無事に戻ってこれるでしょうが。そんな、貸しを……」
「そう言うな。貸しは使えるときに使うもんだ。いつ死ぬか分からねぇここで、取っておく意味なんてねぇんだよ」
そう言ってミツさんと呼ばれた男は、自分の馬車へと歩いていった。
若い男は肩を落とした。
「大丈夫です。危険そうなら、そこから俺は歩きますから」
「おい、ガキ。そういうんじゃねぇ。そういうことじゃねぇんだよ……」
そう言い残して、ミツさんのほうへとトボトボ歩いていった。
ミツさんは、宣言通り、数分で馬車の用意を終えた。
俺は、若い男が連れてきた攻略者パーティー『双翼』とともに、ポイント八王子へと出発した。
――――
双翼は、男二人組のAランクパーティーだった。
片方は細身の剣士で、終始穏やかな笑みを浮かべている。
もう片方は短杖を腰に下げた魔法使いで、必要なこと以外はほとんど喋らない。
それでも二人とも、ただ立っているだけで場慣れしているのが分かった。
ランク制度は一般攻略者に向けて用意されたものだ。
Eランクから始まり、Aランク、そしてSランクと上がっていくものだが――
二人組でAランクというのは、相当な実力者だ。
「結人くんはポイント八王子所属なんだって?」
二人は、俺について知りたがった。
官属攻略者は、公開情報と非公開情報の線引きが難しい。
俺は話せること、話せないことを、いちいち頭の中で考えながら受け答えをした。
「はい。先月からALPHAチームにいます」
「ALPHAチーム……仁さんのところだね」
確かめるようなやり取りだ。
攻略者は情報が命。
知ったうえで、俺に尋ねてきているに違いない。
「隊長と……仁さんと知り合いなんですか?」
「彼は有名人だからね。大規模な攻略戦で顔を合わせたことが何度か。勘の鋭い優秀な指揮官だったよ」
他人から隊長の評価を聞くのは新鮮だった。
その後も根掘り葉掘り聞いてくるところを、なんとかかわしながら話をしていると――
「……っと、来たようだね」
魔力反応探知器の反応を見て、ミツさんに声をかけた。
すぐに止まった馬車から二人が飛び降りた。
草牙狼――草原に現れる一般的な魔物。
スピードで一角馬を上回るため、馬車移動の際の天敵だ。
だが、さすがAランク。
すでに薄暗くなっているが、それを感じさせない判断と動きだった。
剣と魔法を両方使うスタイルは、俺と近い。
だが、最初から二人で戦うことを想定した戦術だ。
一人が草牙狼の進路を塞ぐ。
もう一人が、逃げ道を読むように横から魔法を置く。
右へ逃げれば剣。左へ逃げれば魔法。
どちらに動いても、次の一手が待っている。
二人で一枚の網を広げているような戦い方だった。
五頭ほどいたはずの群れは、数分も経たずに沈黙した。
もし一人で歩いていたら。
その想像だけで、背中に汗が滲む。
俺はまた一つ、自分がどれだけ無茶をしようとしていたのかを思い知らされた。
最初の接敵後、どうやら間引きの手が届きにくいエリアに入ったらしく、探知器が断続的に震え始めた。
双翼の二人はミツさんの近くで待機し、すぐに動けるよう警戒態勢をとった。
いよいよ、ポイント八王子だ。
――――――
ポイント八王子に着いたのは、ちょうど日付が変わったころだった。
ちょっと心許ない防衛設備。
いつも通りの拠点だ。
その“いつも通り”が、今は妙に頼りなく見えた。
夜の見張りを務めていた颯さんが驚いた顔をしている。
突然の来客があるような場所ではない。
俺とミツさんで事情を説明し、中に入れてもらう。
夜番の一人が隊長を呼びに行った。
夜の移動は危険だ、ということで、ミツさんと双翼は明日の朝まで休んでもらうことになった。
ちょうどできたばかりの宿舎があるらしい。
俺が三人に感謝を伝えている間に、隊長が到着した。
「どういうつもりだ、と言いたいところだが……何か事情があるんだろう?」
相当慌ててきたのだろう。
珍しく息を切らし、寝癖もいくつか付いている。
怒るでもなく、諭すような口調だった。
それだけで、少しだけ呼吸がしやすくなる。
隊長を呼んできた夜番が、三人を宿舎へと案内する。
俺と隊長は会釈をして、感謝を示した。
俺は何から話すべきか考える。
隊長も話を急かすつもりはないらしく、しばらく無言の空間が続いた。
そうこうしているうちに、桜さんが到着した。
「もう……何事ですか……」
桜さんは、薄いピンク色のパジャマ姿だった。
目元をこすりながら、むにゃむにゃと口を動かしている。
「養成学校の図書館で借りた本に、気になる記述があったんです」
「本?」
「はい。『気になるダンジョンの謎』という本で、そこにスタンピード、という項目が――」
その言葉を聞いた瞬間、ぱっと桜さんが顔を上げた。
眠気が消えた。
表情は読めない。
だが、目だけがはっきりと冷えていた。
「本には、前触れとして三つのサインが挙げられていました。特定の魔物が現れなくなること。魔物の空白地帯ができること。そして集落同士の衝突」
俺は息を整えて、言葉を続ける。
「調査地点周辺では、ゴブリンもオークも見ませんでした。森にも草原にも反応がない。そして、襲われたオークの集落は放棄されていて、別の集落が川下に」
「それが偶然だとは、どうしても思えないんです」
一気に吐き出すようにして話す。
胸のしこりが取れたような、そんな感覚を覚えた。
二人とも真剣な顔で聞いていたが、先に反応したのは隊長だった。
「スタンピードか。三十年前に東南アジアで起きたのを覚えている。拠点三つか四つが吹き飛んで、それはもう大騒ぎだった」
三十年前なら、隊長はまだ十代だ。
東南アジアという点は南条さんの話と一致する。
俺は一言も聞き漏らさないように、意識を尖らせた。
「だが、スタンピード。聞かなくなって久しい言葉だ」
隊長は、そう言ってから隣の桜さんを見た。
桜さんは、顎に右手を当てながら、じっと何かを考えている。
「西側の報告空白。南側の変異種。調査地点周辺の反応なし。川下の集落……」
小さな声で、桜さんが言葉を並べた。
俺が持ち帰った話だけではない。
彼女の中では、拠点に集まっていた報告まで繋がり始めているのだと分かった。
桜さんが固まっているのを見て、俺は隊長に自分なりの考察を話すことにした。
間引きが施されていない新エリア。
放棄された集落に、遠目で見た集落。
ゴブリンすら現れない草原と森。
いくつかのピースを合わせると、スタンピードの前触れだと、言えなくはない。
隊長は頷きながら、話を聞いた。
「確かに結人がそう心配する気持ちは分かる。明日の朝一、調査地点に伝令を送るよう取り計らおう」
「ありがとうございます」
隊長が理解を示してくれたことで、俺は一つ肩の荷が下りた気分になった。
調査地点に交代で入ったのはECHOチームだ。
俺たちの任務を引き継いで何の報告もないということは、異常が見つからなかったということ。
伝令が届けば、早急に再調査もしてくれるだろう。
「……桜?」
話がまとまって宿舎に帰ろうとしても、桜さんはその場から動かない。
隊長が心配して声をかけると、恐ろしく真剣な表情でこう言った。
「拠点にいる全員を起こしましょう。隊長、私は使い魔を飛ばします」
俺は一瞬心臓の動きが止まったように感じた。
隊長の顔から、さっと血の気が引いた。
宿舎から戻り、脇で話を聞いていた夜番が、勢いよく宿舎へ走るのが分かった。
「深刻か?」
「はい。私の勘違いならいいのですが……」
これは、大事になった。
現実感がなく、俺はしばらくその場に突っ立っていた。
自分が、何かの扉を開けたのだ。
そう思うと、動けなかった。
閉じたままなら、まだ日常のふりができた扉。
だが、それはもう開いてしまった。
ポイント八王子の夜が、静かにざわめき始めていた。




