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鮮血が、シエナの口から零れ落ちる。
アンドリューが驚愕に目を見開いた先で、シエナの体が力を失ったようにがくり、と傾いた。
「シ、シエナ……!」
「──殿下、近付いてはなりません!」
「な、何故だ! 離せ……! シエナが、シエナがっ!」
倒れ込んだシエナ。そのシエナにアンドリューは駆け寄ろうとした。
だが、学園の教師はアンドリューを引き止める。
「──あ……治癒魔法が消えたわ」
「本当ですか、ラシェルお嬢様……!? 良かった、本当に良かったです……!」
ラシェルは、自分に掛かっていた治癒魔法がふっ、と消えた事に気がついた。
シエナが気を失ったお陰で、発動していた治癒魔法の発動が途切れたのだろう。
治癒魔法の効果を無効化する魔法を発動してくれていたレオが、安堵した表情に変わるのが見えて、ラシェルは膝を着いているレオの手を取った。
「ありがとう、レオ。レオの魔法のお陰ね……」
「いえ……忌々しい、母国の皇族に伝わる魔法ですが……この時ばかりは皇族に生まれていて良かった、と思います」
憔悴しきった様子でそう答えるレオに、ラシェルは微笑みつつ肩に手を置く。
「でも、無理はしないで。その魔法は魔力をかなり消費するでしょう?」
「……ラシェルお嬢様を守れるなら、魔力が尽きたって構いません」
「そんな事を言わないでちょうだい? レオは大切な侍従なんだから」
困ったように笑うラシェルに、レオは「すみません」と謝罪を口にしてしゅん、と肩を落とす。
ラシェルとレオ。気心知れたような二人の様子に、アンドリューは戸惑いを浮かべる。
レオがラシェルの侍従である事は、アンドリュー自身も知っていた。
そして、レオが隣国の尊い血筋だ、と言う事も父王からそれとなく聞いていた。
隣国の、継承争いに破れた皇族。死にたくないから、と母国を捨て逃げ出した、ろくでなしだ。
逃げ出した際に助けてくれたラシェルの公爵家に身を寄せ、命を救われた恩でずっとラシェルの侍従をしている。
アンドリューは、レオの事をずっとそう思っていた。
だが、蓋を開けて見ればどうだろうか。
これだけの力を持つレオが、本当に継承争いに破れ、逃げ出したのだろうか。
これだけの力があれば、レオは母国に戻り、継承争いに勝つ力だってあるのではないか。
それなのに、レオがこの国に残る意味は──。
アンドリューは、レオの視線を辿る。
レオの目は、ただひたすらにラシェルを捉えている。
まるで恋焦がれるような、熱の篭った瞳でラシェルを見つめ続けるレオに、アンドリューは今さらながら背筋に冷たいものが過ぎった。
これ、は。不味いのではないだろうか。
何が不味いのか、はっきりとは分からない。だが、確信めいたものをヒシヒシと感じているのだ。
もしかしたら、ラシェルと婚約を解消したら──。
自分は、国王に──。
「殿下……、シエナ嬢を拘束します……! よろしいですね……!?」
「──え? な、何故だ? 何故、シエナを拘束する必要が……?」
アンドリューは混乱した思考のまま、思った事をそのまま口にする。
ここは、学園の廊下だ。
騒ぎが起き、沢山の学園生達が周りにいる。
多くの人の目がある場所で、そんな事を宣うこの国の王族に、ラシェルはもちろんレオも、そして普段からラシェルを小馬鹿にして嘲笑っていた学園生達もぎょっと目を見開いた。
どこからか、ぼそりと呟く声がアンドリューに聞こえた。
「──嘘でしょ、信じられない。公爵令嬢に危害を加えた人間を拘束するのは当然なのに」
失言。どころの話ではない。
アンドリューは、自らが発した言葉の軽さをようやく自覚し、ハッとして顔を青くした。
「ち、ちが……っ、今のは……言葉の綾で……っ」
慌てて言い訳をしようとしたが、アンドリューの失言はこの廊下に集まっている学園生達の耳に。
複数の教師達の耳に。しっかりと届いている。
「……殿下。シエナ嬢を拘束いたします。……公爵令嬢に対して、シエナ嬢は恐ろしい事をなさいました。これは、国王陛下にも報告が必要です」
「それに……シエナ・ハーパル嬢の魔力の質が以前と変わっております。……シエナ・ハーパル嬢の再魔力検査を実施いたします」
「……急激な魔力増幅。もしかしたら、シエナ嬢は我が国で禁止されている禁止薬物を摂取しているかもしれません。シエナ嬢の荷物を回収し、検査いたします」
学園の教師達がつらつらと言葉を述べる。
当のアンドリューは、何が何だか分からないと言った様子で、言われた言葉にただただ頷く事しか出来なかった。
◇◆◇
シエナの「治癒魔法」を過剰に掛けられてから、数時間後。
今、ラシェルは王城の謁見の間に居た。
ラシェルの目の前にある玉座には、当然ながら国王が座っており、頭が痛い、とばかりに眉間を揉んでいる。
ラシェルの斜め前には、父でありスタシータ公爵家当主・オルディオが険しい表情で立っている。オルディオの後ろにはシュタルが控えており、ラシェルの後ろにはいつものようにレオが居る。
(……学園で、あの騒ぎがあって……。私のもとに陛下から登城の命があって……)
ラシェルは国王が話さないのをいい事に、自分がどうしてここに呼ばれる事になったのか。それを思い出し、考えを整理していた。
(……シエナ嬢が、学園の教師に運ばれて行って。学園生達が、シエナ嬢がしてしまった事の証言をして……。これはもう学園での授業どころの話じゃないわね、と思っていたら……。突然陛下から登城の命が下ったんだったわよね……)
自分がどうしてここに来る事になったのか。それを思い出していたラシェル。
現実逃避、とも言える事をしていると、ようやく顔を上げた国王が重い口を開いた。
「──ラシェル・スタシータ嬢」
「──はい」
重く、苦々しい、と言った声音。
国王の声に、ラシェルは瞬時に思考を切り替え、返事をする。
姿勢を正し、凛と立つラシェルは、真っ直ぐ国王に視線を向けた。
ラシェルの視線を受けた国王は、重苦しい空気の中、口を開き言葉を続ける。
「……此度の学園内での騒動……。シエナ・ハーパルが犯した所業……学園から上がっている報告に、相違はないか?」
国王がそう問うと、ラシェルのもとに書類を持ったこの国の宰相が歩み寄り、ラシェルに報告書を渡した。
ラシェルはざっと報告書の内容を確認し、内容に間違いが無い事を確認すると、書類を宰相に戻す。
そして、背筋を伸ばしてはっきりと頷いた。
「──はい。学園内で起きた此度の騒動。報告書に相違ございません」
ラシェルの返答に、国王は既に眉間に皺を刻んでいたがその皺が更に深くなる。
そして目元を覆うなり、低く唸るような声で呟いた。
「……あの、愚息め、なんと愚かな事を……っ。これでは、もう……」
ラシェルは国王の言葉に軽く首を傾げてしまう。
だが、国王はそれ以上何かを言う事なく、話題を変えた。
わざとらしく咳払いをした国王が告げたのは、今回の討伐同行におけるラシェルの行動や、その後の「魔素」の検証においてラシェルが国のために多大な貢献をした、と称えるパーティーについてだった。
「……先日の討伐同行でのラシェル・スタシータ嬢や侍従・レオの助けが無ければ、当日参加していた学園生達の複数が、命を落としていただろう。その最悪の事態を食い止め、魔獣を倒してくれた事は称賛されるに相応しい」
「──勿体ないお言葉でございます」
国王の言葉に、ラシェルが慌てて言葉を返す。
頭を下げるラシェルに、国王は目を細め笑むと言葉を続けた。
「また、先の魔素における実証実験。その成果は素晴らしい物だ。ラシェル・スタシータ嬢は魔素に対して聖魔法の浄化しか無い、と長年諦めていた常識を打ち破り、我々に希望を与えてくれたのだ。ラシェル・スタシータ嬢に褒美を与えたい。……確か、数ヵ月後に学園で卒業生を祝うパーティーがあるな?」
「は、はい……! 確かに、ございます、が……」
「ならば、その祝いのパーティーは王家が主催しよう。その時、卒業生とは別にラシェル・スタシータ嬢に褒美を」
「お、お待ちください陛下……!」
国王の言葉に、ラシェルはぎょっとして言葉を発する。
学園で行われる卒業記念パーティー。
それは、言葉の通り一つ年上の学園生達が卒業する際に行われるパーティーだ。
王家が主催する、正式なデビュタント前に開催される卒業パーティーは、学園に通う貴族達にとって特別な思い入れがあるパーティーだ。
主役は、ラシェル達より一つ年上の卒業生達。
それなのに、自分が祝われてしまっては、卒業生達のお祝いの気持ちが半減してしまうのでは。
そう思い、ラシェルは慌てて国王の申し出を辞退しようとする。
「お、恐れながら陛下……! わ、わたくしは、このような場で陛下にお褒めいただけただけで十分です……! 別途機会を設けていただくのは分不相応でございます……!」
真っ青な顔で頭を下げ、必死に言葉を紡ぐラシェル。
そんなラシェルを見て、国王は悔しげに、名残惜しい気持ちを瞳に浮かべる。
どうして、こんなに素晴らしい婚約者がいながら、と自分の息子アンドリューに対して溜息しか出ない。
そして、これから自分が口にする言葉に、ラシェルがどんな願いを返すのか。それが容易に分かってしまうからこそ、国王は悔しくて悔しくて仕方がなかった。
「……そのように謙遜するではない。ラシェル嬢、そなたはそれだけ我が国に貢献してくれたのだ。……本来であれば、スタシータ公爵家に、他国の要人が接触してもおかしくはない。……スタシータ公爵は、我が国に……わしに、変わらぬ忠臣を誓ってくれた。わしも、貢献に感謝を表さねばならん」
「……っ、あ、有り難きお言葉でございます」
恐縮しきっているラシェルに、国王はゆっくりと続けた。
「──此度の貢献に対し、褒美を。……ラシェル・スタシータ嬢。そなたが望む事を述べよ。王家は、出来うる限り……そなたの願いに応じよう」




