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その声は、聞き覚えがあった。
アンドリューの現婚約者であるラシェルは、嫌と言うほど、耳馴染みのある声だ。
ラシェルは、声が聞こえた方向にゆっくりと振り返った。
人垣が割れ、そこからゆったりとした足取りで一人の女性が進み出てくる。
柔らかな青空のような水色の髪の毛が、歩く度に不気味に揺れ、新緑のような瞳は歪み、濁っている。
その異様な出で立ちに、ラシェルは女性の名前を呟いた。
「シエナ・ハーパル嬢……? あなた……、その悍ましい魔力、どうしたの……?」
魔力の濃さに、思わずラシェルは眉を顰める。
だが、当の本人シエナは得意気に鼻を鳴らし、嘲笑った。
「ご自身に大した魔力がないからって、私の魔力を悍ましいなんて……。嫉妬ですか? ふふっ、醜いですね?」
何が可笑しいのか、自分の口元に手を当て、くすくすと笑うシエナ。
普段見慣れている笑顔とは違い、今は可愛らしさの欠片さえない。
「……ラシェルお嬢様。あの女、様子が変です。下がってください」
「だけど、レオ……」
「俺は大丈夫です。いざと言う時、俺には詠唱無視で魔法の発動がありますから……」
「それは、知っているけど……。それはあなたの国の──」
レオも普段とは違い、戸惑っているのだろう。
レオはラシェルと二人きりの時にしか「俺」と言う呼称を使わない。
多くの人間が居る場所では、レオは「侍従」を徹底しているからだ。
万が一、レオの生まれ故郷である帝国に、レオが生きている事が知られぬよう、徹底しているからだ。
それなのに、それが崩れると言う事は、レオも混乱しているのだろう。
二人が小声で会話を続けている間にも、シエナは歩みを止めず、二人に近付いて行く。
「……私が、一番だって。私がこの国で一番の聖魔法の使い手だって、示せば……。そうすれば、アンドリュー様は私だけをその目に映してくれるんだから……」
シエナはブツブツと呟きつつ、自らの手のひらをひたり、とラシェルに向けた。
「……何をするつもりなの? あなたは、聖魔法の使い手……人を害する魔法なんて」
「ある訳ないと思うでしょう?」
ラシェルの言葉を遮るようにシエナが嗤う。
くすくす、と心底楽しそうに嗤いつつ、シエナが答えた。
「治癒魔法ってね、正常な人間に掛け続けると……逆の効果を引き起こす可能性があるんですって。……まあ……そんな無駄な事を、貴重な聖魔法の使い手がするはず無いし、魔力だって有限でしょう? ただ、その可能性があるって事は、聖魔法の適性がある人達は皆知ってるけど……。有り余る魔力がある私だったら、その《《実験》》……やれるわ、と思ったの」
「──まさかっ」
「さあ、ラシェル嬢! 人が治癒魔法を掛けられ続けるとどうなるのか! あなたの身を持って、実践させてください!」
ケタケタ、と愉しげに笑うシエナの手から、膨大な魔力が膨れ上がる。
確実に、おかしい。
シエナの魔力は、これ程多くは無かったはずなのに。
だが、それを考える暇などなく、ラシェルに向かってシエナの治癒魔法が発動されてしまった。
「──っ!?」
「ラシェルお嬢様!」
レオの悲鳴のような声がその場に響く。
ラシェルの顔は、驚愕に染まった。確かに今、ラシェルの身を包んだのはシエナの治癒魔法だ。
本来なら温かく、優しい魔力に包まれて安心感を感じる治癒魔法。それなのに、今ラシェルが感じているのはゾワゾワとした言いようの無い、得体の知れない──恐怖、だ。
「ラ、ラシェル様! 大丈夫ですか!」
先日、討伐同行の授業で助けた学園生達がラシェルとレオの周りに集まってくる。
その中にいた聖魔法の使い手が、ラシェルが掛けられている治癒魔法を感じ取り、顔を青くした。
「──ほ、本当に治癒魔法が……! それに、何この変な魔力……!」
学園生は青い顔のまま、シエナに顔を向け、そして口を開く。
「シ、シエナ嬢……! こんな、こんな事やめてください! 私たち聖魔法の使い手は、怪我をした人を癒すのが使命でしょう!? こんな、人体に影響を及ぼす使い方をしないでください!」
「……黙りなさい。今までラシェル嬢を嘲笑っていたくせに、今さら何なの? 討伐同行の時に助けられたからって、ころっと態度を変えて……汚らわしい……! 私に話しかけないで、命令しないで! 大した聖魔法の使い手じゃないくせに、大聖女になる私に向かってその口の聞き方はなんなの!? あなたにも治癒魔法を掛けてもいいのよ!」
シエナの恐ろしい形相に、学園生は「ひぃっ」と泣きそうな声を上げる。
「──私なら大丈夫です。それより、私の近くにいると、本当にシエナ嬢に治癒魔法を掛けられてしまうかも……。私たちから離れてください」
ラシェルは、自分を庇うように立っていた学園生の肩に手を置き、優しくそう告げる。
そして、自分を心配して集まってくれた周囲の学園生達にも同様に「離れて」と告げた。
学園生達を良く良く見てみれば。
彼ら、彼女らはあの討伐同行の時にラシェルに助けられた面々だと分かる。
ほんの、十人には満たないほどの人数。
周囲にはまだラシェルに対して良くない感情を抱いている学園生の方が多い。
たった十人にも満たない人数だが、それでも自分の身を案じてくれる学園生がいる事が、ラシェルは嬉しかった。
「だ、だけど……っ、治癒魔法が……っ」
助けた学園生が、泣きそうな表情でラシェルに言う。
ラシェルは優しく微笑みつつ「レオがいるから大丈夫よ」と告げた。
「──レオ、どうかしら?」
「少し時間をください……必ず無効化します」
「ええ、分かったわ」
自分の体に掛けられる治癒魔法の存在を、確かに感じる。
だが、それでも先程のような悍ましい気配は感じられない。
ラシェルに掛けられた治癒魔法を、今、レオが必死に「無効化」してくれているからだ。
ようやく異変に気がついたのだろう。
シエナが狼狽え始めるのが分かった。
「え……、なんで……どうして……?」
どれだけ治癒魔法をかけても、ラシェルの体がその場に崩れ落ちない。
治癒魔法を掛けた最初、最初はラシェルの顔色が悪く見えたのに。確かにラシェルの体に悪影響を及ぼしていたのに、今はラシェルの顔色は元に戻っている。
「──もっと、もっと効果を上げれば……!!」
シエナは混乱しながら、治癒魔法の魔力を上げる。
自分の体の中からどんどん魔力が消費されていくのが分かり、シエナはにたり、と嗤った。
これで、確実にラシェルの体に過剰な治癒魔法が掛かっている──。
細胞が活性化され、それが留まる事なくどんどん活性化が進む。そうなれば、人間の細胞は──。
そう考えていたシエナの耳に、戸惑いの声が聞こえた。
「──シ、シエナ……? そこに居るのは、シエナか……?」
「──アンドリュー様!」
シエナは、ぱぁっと明るい表情になると、アンドリューの声が聞こえた方向に顔を向けた。
すると、そこにはアンドリューと、数人の教師の姿。
学園生が、アンドリューと教師を探し、呼び、連れてきたのだろう。
アンドリューは何が起きているのか分からず、困惑している様子だった。
だが、アンドリューと一緒にやって来た教師は、シエナが何をやっているのかを瞬時に悟り、顔色を一変させた。
「何をやっている、シエナ・ハーパル!」
「シエナ・ハーパルを拘束しろ!」
教師達の怒声がその場に響き、周囲の学園生はもちろん、アンドリューも唖然とした。
数人の教師がシエナに向かって駆け寄って来るのが見えた瞬間──。
「──ぅ、あっ」
突然、シエナの胸に激痛が走る。
次いで、何か熱い物が喉を上がってくる感覚。
「──げほっ」
シエナの口から、真っ赤な血が零れ落ちた。




