~ 第一章その7 ~
(そんな場合じゃない、ですね)
キスまで済ませた隣の席の転校生と、今さらながらに自己紹介をした。
そんな事実に思わず笑ってしまった合歓木護少年だったが……すぐさまそう思い返していた。
目の前の彼女はもしかしたら、彼があんな悪夢を二年以上見続けた理由を知っているかもしれないのだ。
どんな人間であっても、理不尽な被害を受ければ……その苦痛を味わった理由だけでも、せめて知りたいと思うものである。
犯人から動機を聞き出したいと願う被害者や被害者家族がいることからも、そう考える人間が一定数存在することは間違いない。
勿論、もう思い出したくもない、顔も見たくないと感じる人もいるかもしれないが……生憎と合歓木護という少年は、好奇心で殺されてしまう類の人種だった。
「で、空さんはその……何故、そういう生き物を……」
だけど、それなりにセンシティブな……慎重な取り扱いを心がけた方が良い個人情報に関係している可能性も考えた所為で、彼の口からはそんな躊躇いがちな言葉が発せられることとなってしまう。
「鬼の血を引いてるとか聞かされたわね。
私もよく知らないんだけど」
「良く知らないって……そんな適当な」
尤も、気を使った護の疑問に返ってきたのは、そんな酷く適当な返事であり。
そんな、自分のことを語っているとは思えないあからさまに雑な回答に、思わず問いかけた護の方が呆れてしまう始末だった。
「そんなことを言われても、私は生まれついてから延々とこうだし。
……他の人間が食べている食事なんて、全く美味しいとも感じないのよ。
何故かは分からないけど……どんな肉も果物も野菜も穀物も、何を食べても砂や粘土を口に入れたのとあまり変わりないわね」
「……へ?」
「お陰でいつも必死に吐くのを堪えて呑みこんでいるだけよ。
幾ら食べても飢えはしのげないし、栄養自体もろくに取れないらしくて、栄養が全く身体に行き渡らないし」
ほら……と言って空が何気なく行ったのは、自分のセーラー服をその下のシャツごと捲くり上げ、真っ白なお腹を見せるという暴挙だった。
「わわわわわっ!」
異性の肌を突然見せられた護は慌てそんな素っ頓狂な声を上げてしまう。
だけど、慌てて居られたのはほんの一瞬に過ぎなかった。
鶏がら……やせ細った女の子をそんな風に表現することもあるみたいだが、彼女はまさにその鶏がら以外の何物でもなかった。
あばら骨は浮き出ており、皮下脂肪は全くない。
やせ細ったお腹は、周囲の細さとは裏腹に、内臓だけが自己主張をしていて、変にお腹が膨らんでいるようにも見える。
尤も、それは先ほどのイモムシが咀嚼されて入っている所為かもしれないが。
その上チラッと見えてしまった、あばら骨の上部に見える乳房があるべき場所は……幸いにして下着があり直接は見えなかったものの、少年の胸板よりも薄っぺらく、全く異性という雰囲気の感じ取れない有様だった。
それでも……如何なる事情があったにしろ、人様の身体をこんな哀れんだ視線で見るべきではないだろう。
「ええと……その、空さんはダイエットの必要はない、ようですね」
「……護くんも明日から歌舞伎役者になれそうな顔つきだよ」
その身体を見てつい哀れみの視線を向けてしまったことを反省した護は、つい場を和ませようと必死にジョークを飛ばしてみた訳だが。
鬼敷空という少女は意外と洒落が通じる相手のようで、洒落を返してきてくれた。
しかしながら、そのやり取りで分かったこと言えば、双方共にジョークセンスは壊滅しているという、誰一人として得をしない、どうしようもない情報だけであったのだが。
「その所為で親には捨てられたらしいし。
ま、自分で言うのもなんだけど……こういうのしか食べれない私はまっとうな人間じゃないから仕方なかったんだろうな、とは分かるけどね」
「……えっと」
サラッと呟いた空のその一言に、護少年は一瞬だけ彼女に憐憫の視線を向けていた。
方向性こそ違えど、人としての三大欲求が満たされない苦しみを延々と味わい続けて来ただけあって、護には彼女の苦しみが他人事とは思えなかったのだ。
「ま、そのクマとも今日でお別れだと思う。
あんな大物のマクラガエシが取り憑いていたんだ。今までろくに眠れやしなかったんでしょ?」
「え、ええ。
じゃ、これでボクは……」
「……ん。
もう変な夢に悩まされることもないだろうね」
「本当ですか!」
恐怖からの開放と安眠への期待、そして何より今後の人生への希望。
少女の言葉によって少年の内側から溢れ出したそれらの感情は、護少年の中にあった、道徳とか理性とか、あんなゲテモノを生で食らいつく目の前の少女への嫌悪とか、さっき一瞬だけ向けた彼女への憐憫だとか……そういうごちゃごちゃしたモノをあっさりと吹き飛ばしまう。
そんな、ただ溢れ返り制御すら出来ない感情のまま、眼前の少女へと抱きつき、精一杯腕に力を込めることでしか、その喜びを表す方法は彼になく。
体裁とか世間体とか遠慮とか異性への躊躇いだとか、日頃から少年が抱えていた筈だったそれらは、突き抜けた歓喜の前ではあっさりと転げ落ちてしまうものだったらしい。
そうして、自分が抱きついているモノが抱き枕などではなく、生きている少女であると認識できるまでに護の中の激情がようやく収まって来た。
……そんなタイミングのこと、だった。
突然、ドアが開かれるガラッという音が、保険室内に響き渡ったのは。




