~ 第四章その8 ~
「……まも、る?」
「な、何を考えてっ!」
顔の前後から驚いた少女たちの声がする……それが合歓木護少年が意識を取り戻した時に抱いた、最初の感想だった。
とは言え、彼女たち二人ともが生きている、それはつまり、護の命懸けの行為は功を奏した結果であり……どうやら彼は二人の争いを止めることが出来た、らしい。
(何が、どうなったの、でしたっけ?)
……あの瞬間。
衝撃が走り意識が吹っ飛ぶ瞬間には、空の拳が護の顔面に向け、生徒会長が突き出した鉄塊が彼の胴を貫こうと迫って来ていた……それが護の記憶にある全てであり、その次の瞬間以降は全く思い出せない。
そうしてゆっくりと意識を取り戻しつつある護は、記憶を辿りつつ自分自身の身体の感覚を再確認してみたところ……足元に大地の感触があることから、「どうやら自分は立ったままなんだな」とは理解出来た。
そんな中、ようやく戻ってきた感覚の一つ……聴覚が、ポタ、ポタという水滴が地面に落ちる音が何処か遠くから聞こえて来る、ような気がする。
(……生きて、いる)
その時にようやく、護は自分が生きていることを今さらながらに理解する。
運よく……と言うか、相争っていた彼女たちが寸前で何とかしてくれた、のだろう。
恐らくと言うか、ほぼ確実に意識が吹っ飛んでいたのはコンマ数秒の間であり……少なくとも、そう大した時間は経っていない。
何しろ、眼前の空は未だに右拳を突き出した姿勢のままだったし……恐らくではあるが、背後では小鳥遊生徒会長が鉄塊を突き出した姿勢のまま、前方の彼女と同じように固まっているに違いないのだから。
(うわ、酷っ?)
その時になってようやく、少年は自分の身体へと視線を移す。
突き出された空の右拳は、護の鎖骨をへし折っているようで……鎖骨だった辺りに彼女の拳が見事にめり込んでいるのが見えてしまう。
また、少し視線を移すと、小鳥遊会長が突き放っただろう鉄塊が、彼の左わき腹辺りから突き出ているのが嫌でも目に入ってきた。
先ほどから響いてくる血の音は、この傷が原因だろうか。
尤も、幸いにして貫かれたのは皮下脂肪までであり……内臓へと到達した傷もない。
そして、何よりも幸いなことに……これほどの重傷を負っているにも関わらず、護は痛みを一切感じていなかった。
(……は、はは、はははは。
なんだ、この程度、なんだ)
身体中に衝撃が残っていて指の先までが痺れている所為か、それとも覚悟を決めたことで脳内物質が過剰に分泌されている所為だろうか。
重傷と呼べる傷を負い身体から血が吹き出ているにも関わらず、痛みすら感じていない護は今までにない解放感と全能感を覚えていた。
「あ、あんたがなかなか死なない、からっ!」
「あ、貴女が無闇に暴れるからでしょうっ!」
愛する少年を傷つけてしまったのが自分たち自身だということを、どうしても認めたくないのだろう。
二人の少女は顔を青くしたままでそうお互いに責任をなすりつけるべく口を開いていた。
「いい加減にしやがれ!
このバカどもがっ!」
……だから。
気付いた時にはもう護はそんな叫びを上げていた。
まるで、身体の奥底から湧いてくる、怒りと衝動に突き動かされるかのように。
「ボクに群がる食い物が欲しい!
ボク自身が欲しい!
当人であるボクを無視してそんなことで争い続けやがって!」
今まで延々と使って来た……年上の人間と相対するばかりだった所為で癖のようになっていた敬語を使おうすら思えないほど、頭に血が上っていた護はそう怒鳴りつける。
「いや、それは……」
「だって……その……」
今まで大人しかった護が、突如激昂し始めたのを見て驚いているのだろう。
二人とも先ほどまでの殺意も怒気も忘れ、まるで親に叱られる子供のように首を竦めて身体を小さくし、縮こまっている。
「うるさい!
言い訳するな!」
そんな二人の姿を見ても……一度怒りに火が点いた護は、止まれない。
眠りをもたらしてくれたから、万能の彼女に気後れしていたから……そんな理由で今の今まで延々と我慢し続けて来ただけで……彼女たちに対し言いたかったことなどまだまだ山のようにあるのだから。
「あんたたち二人の言いたいことは分かりましたっ!
だから、今度はボクの言いたいことを言わせてもらいます!」
当たり前の話ではあるが、脳内麻薬の効果や激高がいつまでも続く訳もなく……時間が経つとともに怒りと高揚感とが鎮火し始め、じわじわと鎖骨と脇腹が痛み始めて来ていた。
ついでに言うと、怒りのままに放っていた筈の怒声は、怒りが静まってきたのを示すかのように、普段通りの敬語へと戻ってきている。
だけど……高揚感が静まってきている事実も、じわじわと脳髄を這いあがって来るような痛みさえも頭の片隅に追いやった護は、大きく息を吸い込むと……まずは校内一の美貌を持つ生徒会長の方へと振り向いた。
「生徒会長!
あなたは美人ですっ!
スタイルも良い!
成績良くて運動も出来ます!
家も金持ち!
学校でも人気者ですっ!」
「ああ、うん」
脳内物資に背中を突き飛ばされたかのように……いや、鎮火していく興奮を何とか繋ぎとめるかのように、思いついた言葉をただただ羅列している今までに見たことのない護の姿に、小鳥遊生徒会長は戸惑った様子を隠せない。
尤も、彼女自身は褒められること自体には慣れ切っていて、その賛辞の山には特に思うことはなかったのだが……
「だから、怪我をしないで下さいっ!
その美貌が惜しい!
ボクはあんたを彼女にしてみんなに見せびらかしたい!
その身体にいっぱいいっぱいエロいことをしたい!
ここで戦って死んだりしたらもったいないじゃないですかっ!
だから、戦いなんて止めて下さいっ!」
「え、そ、それは……」
しかしながら、そうして賛美に慣れている筈の小鳥遊祐子は、必死に言葉を連ねる護の叫びを前にして、今度こそ顔を真っ赤にしてしまう。
正直な話、彼女は自らの美貌やスタイルや能力に自信があったし、それを褒められるのには慣れているし、異性から告白されるのも日常茶飯事だった。
とは言え、告白してくる相手は全て彼女の美貌や能力に気後れしていて……ここまで真正面に『欲望だけ』を突きつけられたのは初めてだったのだ。
それを口にしたのが、想い人である合歓木護少年だったことも、彼女が平静さを保てない一因だったのだろう。
そうして、ただ言いたいことを言い放った護は生徒会長が顔を真っ赤にして俯いたのを確認すると、もう一人の少女……鬼敷空の方へと振り向いた。
「空さんっ!」
「な、なに、よ?」
目の前で護の盛大な告白……と言うか暴露を聞かされたお陰で僅かながらも精神的余裕が戻って来ていた空は、それでも珍しい護少年の剣幕に少しだけ怯みながら、文字通り身構える。
……とは言え、言葉という武器は、武術や反射神経やその膂力では決して防ぐことなど出来やしない。
そのことを知っていた護は、鬼の少女の構えすらも意に介すことなく、頭の中を走り回る興奮に任せ、口を開く。
「正直、ボクは貴女に感謝してますっ。
今まで眠ることすら出来ず、人生全てを諦めていたボクに希望の光をくれたのは他ならぬ貴女だったんですからっ!」
「あ、ああ」
生徒会長と違い彼女は褒められるとか感謝されるとかには全く慣れておらず、護の言葉を聞くだけで顔を真っ赤にしてしまっていた。
「だから貴女には恩を返したい!
出来ることなら貴女の望みを叶えたいっ!
まだ、その、子供とかは困りますけどっ!
貴女の望みは最大限に優先したいと思ってます!
もし……会長がボクを助けることが出来たとしても、飢えてしまう貴女を見捨てるつもりなんてありません!」
「だったら……」
護の感情が己の方を向いている。
そう確信できる言葉の羅列に、空は喜びと……わずかながらの優越感から、ついつい笑みを浮かべていた。
だけど、護が言いたいのは……彼が自らの望みを口にするのはここからだったのだ。
「でも!
だからこそ貴女には恩人でいて欲しい!
僕が困っている時に相談に乗ってくれた、もう一人の恩人を殺したりなんてして欲しくないっ!
だから、二人で殺し合うなんて止めて下さい!」
「そんな、無茶苦茶な……」
自分に向けられた言葉の羅列、いや、護の口からただただ放たれた身勝手なだけの要求に、空は思わず絶句してしまう。
それでもまだ、護が放つ言葉は終わらない。
「そもそも、どっちかにしろって言われても選べる訳がないでしょう!
大体、ボク自身がやりたいことも出来ることも見つかってないというのにっ!
どっちを選んでも後悔するでしょう!
でも、どっちを選ばなくても後悔する気がするんですっ!
だと言うのにいきなり今日明日にどちらかを選べって言われて!
答えが出なかったら殺し合うなんて……そんな馬鹿げた状況で、一体ボクに何をしろっていうんですかっ!」
怪我の所為か、興奮を後押ししている脳内物質の所為か……それとも今まで悪夢に苛まれ続けた所為で押し留めていた色々なモノが一気に噴き出している所為、だろうか。
護の言葉は支離滅裂で無茶苦茶であり、自分の言いたいことをただ口にしているだけで、論理的には破綻していて、説得力なんて皆無という有様だったものの……『その言葉には一切の嘘がない』ことだけは、誰が聞いても分かるほど明白だった。
だから、空は一切の反論が出来なかったし……俯いたままの小鳥遊生徒会長もまた同じだったのだろう。
「だからっ、せめて時間を下さい!
ボクが後悔なくどちらかを選べる日が来るまで!
それがイヤで喧嘩するなら!
またこうして飛び込ませて貰いますっ!
二人とも、ボクが死ぬのは困るんでしょうっ!」
「……あ、ああ。
うん」
「……はい、とても」
勢いに任せた護の怒鳴り声に完全に気圧されてしまい、喧嘩どころか命の奪い合いをしていた筈の二人は、ただただ頷くことしか出来なかった。
「なら、もう喧嘩、なんて……」
そして、ただ自分が言いたいことを言い放った護は……ついに限界が訪れていた。
鎖骨とわき腹の痺れが少しずつ引いていくと共に、痛みというよりも熱のような感覚がじわじわと広がってきているのが分かる。
……だが、それ以上に。
震える身体を無理やり動かしていた緊張を解いてしまった所為なのだろう。
今までの人生で延々と耐え続けてきた地の底へ引き摺られていくような眠気とはまた別の、空の彼方へと引き抜かれていくような暗闇が訪れたかと思うと。
まるで糸の切れた人形のように、彼の身体は突然力を失うと、重力に引かれるがままに直下へと崩れ落ちてしまう。
「護くんっ?」
「合歓木くんっ?」
薄れる意識の中、護は二人の少女の声を聞いたような気がしたものの……
だけど……そんな彼の意識すらも、一瞬で暗闇に飲まれ消え去ってしまったのだった。




