~ 第四章その6 ~
一応、人間と自称している、だけど六割方人間を卒業しているらしき生徒会長に投げられたとは言え、背負い投げで地面に叩きつけられた程度で、化け物を喰らう化け物がどうにかなる筈もなく。
「きさまっ!
上等、だっ!」
凄まじい勢いで背中から地べたに叩きつけられたというのに……護の耳には地震が起こったかと錯覚するほどとてつもない轟音が響いたというのに、当の空は生徒会長の挑発にそう言い返すと、何の痛痒も感じていないのかのようにあっさりと飛び起きてしまう。
「ふんっ!」
次に空が放ったのも、大きく踏み込んでの右拳だった。
ただし、先ほどの右ストレートとは違い、今度は拳の軌道が弧を描く形の……所謂、ロングフックというものだ。
当然ながら格闘経験などない少女が放った右拳は、フックと呼べるような上品なものでもなく、ただ力任せに拳を振り回したというだけだったものの……その速度と威力は恐らくプロボクサーのソレを遥かに凌駕するだろう一撃である。
「甘いっ!」
それを生徒会長は顔を後ろへと動かしただけであっさりと避けると、カウンターで掌底を空の顎へと叩きつける。
──彼女が何故校内で完璧と呼ばれていたか。
──それはただ単純に「何でも出来るから」である。
反射神経、膂力、効率的な身体運用など、武術に必要とされる技能を彼女は特殊な訓練も何も受けないまま、ただ今までの生活の中で会得していたのだ。
その要素があったからこそ……たったの5日間の修行とやらだけでここまでの体術をものにしたのだろう。
それを加味しても、とんでもない習得速度と言わざるを得ない。
……世界には、たまにいるのだ。
常人が数年間かけて習得する技術を、僅か一見するだけで己のものにしてしまう、所謂『天才』と呼ばれる存在が。
「……ったいわね」
「嘘でしょ?
あのタイミングで効きもしないなんてっ」
だけど、その天才少女が完全なタイミングをもって全力で顎を穿ったにも関わらず、化け物を喰らう人外の少女は、微動だにしない。
飢えに悩まされなくなった鬼敷空という少女もまた、その食生活から分かるように人間の領域を完全に逸脱した存在であった。
「鬱陶しい、わね」
「はっ。
振り回すだけで触れられも出来ない癖に、大口をっ!」
人外の少女の口から放たれたその呟きに、一応は人間の範疇に収まっているらしき美少女がそう吼える。
そしてそれを契機に、戦いが本格的に始まった。
(何なんですか、これは!)
よく知る二人の少女が相争う様子を、護はただ見守ることしか出来なかった。
いや、護自身も何とか止めようとは思っているのだ。
……だけど。
思うだけで脚が前に出ない。
制止の声すらも出せそうにない。
(もし、あの拳がぶつかれば……)
あの二人の間に迂闊に割り込めば、護の脆い身体など一瞬で砕けてしまうと分かってしまう。
あの二人の邪魔をして、護自身が標的になった場合、彼はただ何も出来ないまま彼女たちの生餌になってしまう。
それが分かってしまうからこそ……彼の意思とは裏腹に、護の身体は足どころか指一つさえも動かなかったのだ。
(畜生、何か、ボクにも……)
心の中ではそう思うものの……結局のところ、その二人の争いを見つめる護は、声一つさえ上げられないほど無力な存在だった。
そうして少年の見守る前で、空のか細い脚が弧を描き、近くのベンチを破砕する。
直後、ベンチの残骸に混じっていた鋼鉄の棒を生徒会長が掴んで振るい……転校生は顔面でそれを受け止めたばかりか、カウンターで蹴りを放つ始末である。
尤も、その蹴りすらも会長にひらりと躱され、街灯の鉄柱をへし曲げただけに過ぎなかったが。
そういう人外の戦いを前にすれば、ただ妖に憑かれ易いだけの少年が何も出来ないのは当然のことなのだろう。
それでも……護はこの戦いは自分の所為であり、だからこそこの無益な戦いを止めたいと思っていた。
……だけど。
「……ぁ、ぁっ!」
やはり、護の身体は動かない。
やはり、声すらも出て来ない。
少年の身体そのものが、身体の根底に脈々と流れるDNAが、「この争いから逃げろ」と全力で命令しているのだ。
その命令を意思の力で何とかねじ伏せ、この絶望的な争いを前にしても逃げ出さず、ただ見守り続けることだけが、今の少年に出来る精いっぱいだった。
──何しろ、護の身体は知っている。
あの拳に打ちのめされて身体が砕けたらどんな痛みが走るかを。
あの鋼鉄の棒に貫かれて身体が抉られたらどんな痛みが走るかを。
悪夢の中とはいえ、幾つもの死を迎え幾つもの激痛を味わってきた彼が、あの圧倒的な暴力の嵐を前に逃げ出さずにこの場に立っているのだ。
……だけど。
ただ逃げ出さないだけで、護の精神力は既に限界を迎えそうになっていた。




