~ 第四章その5 ~
「我が小鳥遊家が崇り神を祖とする一族、なんて昔話……眉唾だとは思っていたけれど。
その血のおかげで、こんなことが出来るのなら……ご先祖様に感謝すべきよねっ」
そう不敵に笑う小鳥遊生徒会長の右手に掴まれていた、その湿った巨大な薄ピンク色のコウガイビルのような不気味な生き物は……そのまま護の首筋から引き摺り剥がされていく。
「な、な、な、何ですか、コレはっ?」
妖の存在に多少慣れて来たこと、憑かれても対処法が存在すること……そして何よりも、ここ数日は悪夢を見ていなかったこともあり、護は完璧に油断していたらしい。
今まで見たこともないその1メートルを超えるほどの長さの、酷く不気味な生き物が身体から引き剥がされていく感触に、少年は悲鳴にも似た叫び声を上げていた。
「……ちっ。
折角、パウチカムイが憑いていたのにっ」
生徒会長の手につかまれた細長い不気味な生き物を目の当たりにした空は、何故か舌打ちしながらそう吐き捨てた。
その声は……食事の機会を奪われ苛立っているような感じではなく、むしろ何らかの企みが失敗して残念がるような、そんな声色であり……直後、護は彼女が何かを企んでいたことを悟り、疑問の声を上げる。
「……空さん、知ってたんですか?」
「ええ。
今晩交尾してからアレを喰えば、餌は大きくなってるだろうし……護くんと肉体関係は出来るし、都合良かったんだけど」
護の口から放たれた疑問に対し、妖を喰らう少女は悪びれることもなく堂々とそんな言葉を返す。
「……交尾て」
彼女の返答の中身よりも、全く言葉を濁さない直球極まりない言葉使いそのものに、護は絶句せざるを得ない。
空にしてみれば、食欲と繁殖欲を同時に満たす上に護を手元に置く合理的な理由が出来る一石三鳥の一手だったのだろうけれど……彼女との男女交際については仕方ないと納得した上で、だけど、そのあり方について悩んでいた護にしてみれば、彼女の行動は裏切りにも等しい行動である。
しかしながら……彼女はこの行為を裏切りとすら認識していない以上、護がこの場で彼女をどれだけ責め立てたところで、暖簾に腕押しで終わるのは目に見えていた。
何しろ、この化け物を喰らう少女は、その考えの根底そのものが常人とは大きく異なっているのだから。
(……っ。
そう言えば、そういう人、でした、ね)
今に始まったことではないが、彼女との間にある大きな価値観の隔たりを意識してしまった護は、空に対する怒りの言葉を飲み込まざるを得なかった。
芸能人の離婚の原因に「価値観の相違」というのがよく挙がっているのを耳にするけれど……護と空との間にある価値観の違いは、一体何度離婚すれば埋まることだろう?
「この程度のことで、先日はよくもいい気になってくれたわね」
悪びれようともしない空に挑戦的な視線を向けながら、小鳥遊生徒会長はそう呟くと……腕の中のパウチカムイという不気味な生き物を文字通り握り潰した。
「……うげ」
学校一と評判の美少女の手が、白濁した妖の返り血と、薄桃色の臓物らしきものに塗れる姿を見て、護はその気持ち悪さから眉を顰めてしまう。
「なんてことをっ!
やっとそこまで美味しそうに育ったのに!」
護が嫌悪の悲鳴を上げたのと時を同じくして、目の前で獲物を潰された空は、全く別の悲鳴を上げていた。
尤も、鬼敷空という少女が上げたその悲鳴は、先ほど護が上げた嫌悪の悲鳴とは異なり……眼前の敵を屠ろうとする殺意が込められた肉食獣の威嚇にも近い悲鳴だったが。
「ああ、貴女はこんなモノを喰うんでしたね」
その威嚇の混じった声を受けても、小鳥遊生徒会長は顔色一つ変えず、手の中で絶命直後の痙攣をしている生き物に汚らわしそうな目を向けると……
「ほら、餌よ。
あげるわ、化け物」
最大限の侮蔑を込めた視線と同時に、その死骸を空の顔面に叩きつけていた。
「ふざけた真似をしてくれたわね」
妖を喰らう鬼は、その人間の挑発に対し、大きな反応は見せなかった。
ただ、顔に飛び散った妖の臓物の破片を舌で舐め取ると、その右拳をゆっくりと握り締める。
「……ああ、そうか。
死にたいんだ、あんた」
そう語る彼女の声はむしろ静かで、表情には怒りの欠片もない。
いや、むしろ優しげな微笑を浮かべていると言うのに……
「う、あ」
護はその殺気を浴びた瞬間、身体を動かして逃げるどころか、ただ意識が飛ぶのを堪えるだけで精一杯だった。
先日、生徒会長が放った殺気よりも、遥かに凄まじい。
それは、まさに規格外の……抵抗すらも出来ない絶大な捕食者から殺意を向けられた場合、「意識を失ってしまうのが最も苦痛の少ない選択肢だ」と護の身体を構成するDNAが命令してきるかのように、意識が根幹から吹っ飛ぶような感覚を護少年は味わう羽目に陥っていた。
(くそ、こんな、ことでっ!)
それでも、この場で意識を失ってしまえば、何も知らない間に絶望的な未来が押し寄せて来るような予感があり、護は奥歯を食いしばることで飛びそうになる意識を何とか繋ぎとめる。
何とか意識を失う事態は避けられたものの……共に生きるしかないと考えていた少女が、まさに人外の化け物だという証拠を再び実感させられ、護は身体の芯が震えるのをどうしても止められない。
だけど、そんな鬼の放つ殺意をまともに浴びているというのに、小鳥遊祐子という名の、人間の領域を若干逸脱した感のある少女は、いつもの平然とした様子を崩していなかった。
「ふふふ。
死ぬのはどちらでしょう、ね?」
それどころか……彼女は怯えるどころか、挑発的な笑みを浮かべ、そう言い返す余裕さえあったのだ。
「いい度胸……だっ!」
挑発に乗った、と言うよりは単純にこれ以上、眼前のか弱い生き物に無駄口を叩かれるのを嫌ったのだろう。
空は右拳を振りかぶると、全力で腕を生徒会長の端正な顔面目がけて突き出していた。
「がっ?
ぁあああああああぁぁぁぁぁっ?」
……だけど。
次の瞬間、地べたに這い蹲っていたのは、何故か殴りかかった筈の空の方だった。
何が起こったかと言うと、小鳥遊生徒会長が空の右拳を避けると同時に、その勢いを利用して彼女に背負い投げを決めたというだけだったのだが……護の脆弱な動体視力でそれら一連の動作が見える筈もない。
「人間の武術というものは、暴力に対抗するために作られたのよ?
……ただの力なんかに簡単に屈するほど、人間は甘くないわ」
地面に叩きつけられたままの化け物を喰らう人外を見下ろしながら、少女の細腕でそれを為した小鳥遊生徒会長は、大上段からそう言い放つのだった。




